ガングリフォン・ムック(仮)

名作ゲーム、ガングリフォンシリーズについて考察したり、妄想したりするブログです。更新不定期。

第三次世界大戦戦後史②ロシア崩壊

 中印衝突に続く仮想戦記第二弾。シベリアの資源を巡って争う中国とロシアの対立はモンゴルやウクライナ、トルコをも巻き込んだ大規模な紛争へと発展した。シベリアの独立と中国・APC軍の侵攻で苦境に立たされたロシアを支援するべく、ヨーロッパ諸国はPEUを再結成して反撃に出る。因縁の地、ノボシビルスクに再び展開した第502機動対戦車中隊を待っていたのは、前大戦を超える過酷な戦場であった。

 

 

第二章 ロシア崩壊

 

ウランバートル市街戦

 2021年1月15日、モンゴル・ウランバートル

 中国とインドの戦いは痛み分けに終わった。中国はチベット併合こそ既成事実化することに成功したものの、その代償は余りにも大きかった。結局のところ、この戦いは中国にとってもインドにとっても益するところのないものだったのである。

 しかし、この戦いによってより悪い状況に追い込まれたのは中国・APC側であった。インドとの抗争を経てOAUとの関係が悪化した為、資源の供給地を他に求めなくてはならなくなったのである。

 中国政府がまず目を付けたのはシベリアであった。シベリアは豊富なレアメタル天然ガスの埋蔵量に加えて、地理的にもアジアに近く、かねてから中国・アジア各国の資本で開発が進められていたこともあって資源の供給地としては申し分なかった。

 また、前大戦ではロシアからの独立を画策して中国と手を組んだ経緯もあり、敗戦によってロシアが弱体化している今、シベリア側からも中国側の支援を求める機運が高まっていたのである。他のAPC各国にとっても資源の確保は重要な問題であった為、シベリア地域への関与に反対はなかった。

 一方、対するロシアも中国によるシベリア進出に強い警戒感を持っていた。先のインド戦を見ても分かるように、ロシアと中国の同盟は仮初のものに過ぎず、状況次第で容易に覆ってしまうことは誰の目にも明らかだった。

 それが露わとなったのが翌2021年初頭に起こったモンゴルにおける動乱である。

 

 モンゴルは前大戦においてAPCに所属していたものの、実質的には中国の強い政治的・経済的支配下にあり、中国からの独立を志向してPEU加盟を果たした経緯があった。しかし、PEUの敗戦と戦後の混乱で結局は中国資本に頼らざるを得ない状況が生まれ、戦前と同じ状況に陥っていたのである。

 この状況は2017年に起こった国土の3分の1を焼く大規模な山火事や急激な砂漠化の進行によってますます強められ、中国の支配が日に日に強まっていた。こうしたことから、近年は国民の反中感情が高まっており、親中派の政権に対する不満が鬱積していたのである。

 そして2020年12月、記録的な厳しい寒波の到来を契機としてモンゴルを巡る政情は急激に悪化していくことになる。寒波による経済の停滞で国民の生活は逼迫し、燃料費の高騰で暖を取れない市民が街に出てデモを繰り返した。それが大規模な反政府・反中デモへと様変わりするのにさほど時間は掛からなかった。首都ウランバートルで行われていたデモを取り締まろうとした当局と民衆との衝突は、首都全域を包む大規模暴動へと発展し、警察力での鎮圧を諦めた政府は軍に出動を要請する。

 しかし、事態の鎮静化を狙ったこのモンゴル政府の決断は裏目に出た。民衆に同情的な軍の一部部隊がデモ隊に合流して政府に反旗を翻し、公然と現政権の退陣を要求したのである。

 

 これに対し、先のチベット・新疆ウイグル自治区の独立で神経を尖らせていた中国政府は過敏に反応し、モンゴルの混乱が内蒙古自治区に波及することを恐れて武力介入を決定。親中派のモンゴル政府の要請という形をとって人民解放軍をモンゴル領内に送り込んだ。

 一方、中国同様に事態を危惧していたのがロシアである。ロシアにとってモンゴルは中国との緩衝地帯であるだけでなく、APCのシベリア進出を阻む防波堤でもあった。先の大戦で疲弊したロシアとしては、中国との抗争は必ずしも望むところではなかったが、モンゴルへの軍事介入を見過ごすわけにはいかなかった。ロシア政府は過去にシベリアの独立を扇動した中国の行動を忘れてはいなかった。シベリアの独立を避けたいロシアにとっても、モンゴルは絶対に譲れない一線だったのである。

 ロシア政府はモンゴルへの軍事介入を決定し、民衆とクーデター部隊の支援を名目にウランバートルにモスクワ軍管区の第106親衛空挺師団を送り込む。こうして極寒のウランバートルで中国軍とロシア軍が睨み合う事態となったのである。

 両者は当初こそ偶発的な戦闘の勃発を避ける為に協定を結び、互いにウランバートルの市街から離れた場所に駐留して事態の推移を見守っていたが、時間の経過と共に互いに国境の部隊を増強。不測の事態に備えて臨戦態勢が敷かれ、モンゴル情勢は日増しに緊張の度合いを強めていった。

 モンゴル政府も事態の対応に苦慮していた。一歩舵取りを間違えば、前大戦と同じく再び国内が戦場となることは目に見えていた。中国側の圧力がある以上、民衆に譲歩するわけにはいかない。と言って、民衆を排除すればロシアが黙っている筈もない。どちらを選んでも、モンゴル政府にとっては苦しい選択であった。

 モンゴル政府は自身が加盟するGEU(新ヨーロッパ連合*1に調停を求めるが、その対応は冷ややかだった。GEUを構成するヨーロッパ諸国は前大戦の敗北に至った経緯から各国間の相互不信が根強く残っており、機能不全に陥っていたのである。それは既に2017年11月のトルコによるギリシャ侵攻の際に露呈しており、この時もGEUは独力で紛争を解決することが出来ず、日米主体の国連軍の介入でようやくトルコ軍の進撃を食い止めた経緯があった。

 また、2020年5月にはアメリカ内戦に乗じてロシアが三度ウクライナに侵攻し、ウクライナ東部地域を併合していたが、この時もGEUはロシア政府にエネルギー供給の停止をちらつかせられて腰砕けの対応になり、加盟国同士の争いすら調停出来ない無能力ぶりを露呈していた。この為、中国のモンゴル侵攻にも形ばかりの非難声明を出すのみに終わっており、モンゴル救援の具体的な措置はロシアに一任される形となっていた。ヨーロッパ諸国にとってモンゴルは所詮、前大戦のどさくさに紛れて加盟してきた遠いアジアの一国に過ぎなかったのである。

 中国政府もこうしたGEU側の事情を見越しており、GEUがモンゴル情勢に介入することはないと見て軍事介入に踏み切っていた。中国政府としてはGEUの足並みがそろわない内にモンゴル情勢にケリをつけ、あわよくばロシア・シベリア地域を抑えようという腹積もりであった。

 

 そして年が明けた2021年1月、政権の退陣を叫ぶデモ隊と治安当局が市内で衝突し、市内全域に騒乱状態が広がったのを契機としてモンゴル情勢は一気に最悪の方向へと向かうことになる。騒乱を収集するべく出動したモンゴル政府軍に対し、民衆を支援する反乱軍が発砲し、これを機に両者が戦闘状態に陥ったのである。

 これを受けてウランバートル市外に駐留していた中国軍が政府軍支援の為に出動。同じく市外に駐留していたロシア軍も民衆の保護を名目に市内に突入し、激しい市街戦が繰り広げられた。 また、衝突と同時にすぐさま中露国境からも両軍がモンゴルに侵攻を開始し、南北からウランバートルに迫っていた。両者の決戦は不可避であった。

 戦いは当初、装備と兵の練度で勝るロシア軍優勢で進んだ。先の大戦で弱体化したとは言え、第106親衛空挺師団はロシア軍の精鋭部隊であり、彼らの使用するドイツ製フォルクスパンターは中国軍の13式に対して圧倒的な性能差をここでも見せつけた。また、この戦いではロシア初の第二世代AWGSであるKa‐75バルチャー*2も少数が実戦投入され、大いに中国軍を苦しめることとなった。中国軍の13式の性能不足もさることながら、味方のモンゴル政府軍の装備は旧式化した戦車が大半の上に老朽化が激しく、これもロシア軍の敵ではなかったのである。

 劣勢を挽回する為、中国政府はここでも日本外人部隊に協力を要請する。緊迫するモンゴル情勢を考慮し、前年末から北京近郊に待機していた第502機動対戦車中隊に出撃が命じられた。これは日本がモンゴル情勢に介入することを意味すると同時に、APC軍の参戦をも意味していた。

  北京から出撃した同中隊は、ウランバートル郊外の南に空挺降下すると直ちにローラーダッシュで市内に突入。味方の中国軍やモンゴル軍を支援しつつ、ロシア軍と激しい戦闘を繰り広げた。同中隊の到着によって中国・モンゴル軍は各所で盛り返し、市内中心部を制圧することに成功する。

 しかし、それは一時の勝利に過ぎなかった。同じ頃、北からモンゴルに侵攻したシベリア軍管区のロシア軍機甲部隊が、貧弱なモンゴル軍の守備隊を破ってウランバートルに接近しつつあったのである。敗戦とその後の内戦で弱体化したとは言え、機甲戦力の運用に長けるロシア軍の伝統は未だ健在であった。

 前大戦におけるウランバートル会戦でPEU・ロシア軍に敗北したことを忘れていなかった中国軍は、機甲戦力の運用に向いたモンゴル高原での戦いでは勝ち目がないと判断。敵を建造物の林立するウランバートル市街地に誘い込み、得意の機動戦を封じる策に出る。

 

 これと並行してモンゴル上空では両者の空軍による航空戦が演じられていたが、戦闘は散発的なものに終始していた。両者共に前大戦終盤に参戦したアメリカ空軍との戦闘で多くの機体を失っていた上に、敗戦後の混乱によって満足な整備状態が維持出来ておらず、残存した機体の稼働率も低かった為である。

 また、戦場が砂漠化の著しいモンゴル高原であったことも両国の空軍の行動を抑制する要因であった。見通しの良い砂漠地帯では航空機が敵の地上部隊に気付かれずに接近するのは容易ではなく、一度捕捉されると敵の対空火力を避けることが困難なのは前大戦の北アフリカ戦でも証明されていた。

 両軍共に対空火器が充実していたこともこれに拍車を掛けた。ロシア軍にはBMX‐30高射機関砲*3と2S6Mツングースカが、中国軍側には5式戦場防空車両*4が多数配備され、互いに強力な防空態勢を敷いていたのである。

 こうした状況では互いに航空優勢を得ることは難しく、仮に得られたとしても戦況に与える影響は限定的なものにならざるを得なかった。この為、両軍は航空戦力の消耗を恐れて極力戦闘を避け、地上部隊への支援も最低限に止めていたのである。結果として戦いの趨勢は地上戦の行方に左右されることとなった。

 この間にもウランバートル市内では戦闘が継続されていた。市内北部に残存するロシア軍は激しい抵抗を続け、中国軍にも少なからぬ被害が出ていた。しかし、この戦いでも大きな被害を受けたのはやはり民間人であった。戦闘によって家を失った市民達は極寒の通りに焼け出され、凍死者が続出。何とか市外に逃れた避難民も寒さと飢えに苦しめられた。人影が消えた市内には、両軍の放つ砲声だけがいつまでも鳴り響いていた。

 

 そして2021年1月末日、ウランバートル市民への被害が余りにも拡大したことを理由に、中露両国は人道的な見地から一時的な停戦に合意。両軍がウランバートルから撤退し、兵力の引き離しが行われた。しかし、人道的見地というのは名目だけで、実際には異常気象によるマイナス70度という強烈な寒気の影響で人員や車両にトラブルが続出し、両軍共に戦闘を継続出来なくなったことが大きな理由であった。

 寒さには慣れている筈のモンゴル出身の日本外人部隊隊員も、この寒さは身に堪えた。この戦いが終わったとしても、モンゴルは立ち直れないだろう。既に多くの人々が凍死し、それを上回る数の家畜が死に絶えていた。人々の争いを尻目に寒冷化は静かに、しかし確実に進行し、人類からその生存地域を奪いつつあったのである。

 

油田奪還

 2021年3月9日、アゼルバイジャンバクー油田

 モンゴルにおける戦いはひとまずの終結を見た。が、それは新たな戦いの幕開けでもあった。モンゴルにおける戦いが終結して間もない2020年2月、カムチャツカ半島の火山群が一斉に噴火したのを号砲とするかのように、ロシアが前年に併合したウクライナ東部からドニエプル川を越えてウクライナ西部に侵攻したのである。

 ウクライナ先の大戦中から再三に渡ってロシアによる侵攻を受けていた。これまではAPCや国連の介入もあって何とか侵攻を退けていたものの、アメリカ内戦の隙を突いた昨年5月の侵攻では国連の支援を得られずロシア軍に押し込まれ、国家存亡の危機に立たされた経緯があった。

 この時にはロシアの勢力拡大を嫌ったトルコやグルジア、東欧諸国がウクライナに緊急展開部隊を送って支援した為、ロシア軍は進撃をストップした。しかし、国内からロシア軍を撃退するには至らず、ウクライナドニエプル川以東の東部地域の大半を事実上併合されてしまう事態となっていたのである。

 

 こうしたロシア政府の強圧的な行動の背景には、先の大戦において敗戦国となったロシア国内の凄まじい混乱ぶりがあった。

 ロシアは先の大戦末期に首都モスクワが旧PEU軍過激派の核攻撃を受けて壊滅し、サンクトペテルブルグに遷都。ロシア共和国として新たなスタートを切ったが、終戦から間もなく軍のバックアップを受けた旧共産党派がモスクワを首都とするロシア連邦を成立させた為、国内を二分する内戦状態に陥った。
 内戦終結後も状況は改善するどころか、日に日に厳しさを増していた。10年に渡る記録的な凶作は各地に深刻な飢饉を引き起こし、大量の餓死者が発生。近年は寒冷化の影響で春になっても寒さが引かなくなり、作付けを諦めた農民達が土地を捨てて南のウクライナ中央アジアに流出する事態となり、国家そのものが破綻寸前に追い込まれつつあった。

 こうしたことから近年はロシアと近隣諸国との紛争が絶えず、2017年のウクライナ侵攻や19年の日本の北方領土への侵攻など、軍事行動を繰り返していたのである。

 そこに来た今回の異常寒波とカムチャツカ半島の火山の噴火はロシア経済への最後の一撃となった。寒波の影響はシベリアのみならずウラル以西のヨーロッパ側の地域でも広く猛威を振るい、交通がストップしたことで経済活動も停滞。火山の噴火で舞い上がった粉塵はシベリアの空を覆い、日照不足から農民の流出も更に加速していた。ロシアはもう、後戻り出来ない状況に陥っていた。

 ここでもGEUは事態解決の有効な手段を持たなかった。ヨーロッパ各国は表向きにはロシア政府の行動を非難する声明を出したものの、エネルギー供給を一手に握られている現状ではロシア政府の行動を追認するしかなかったのである。

 

 そんな中で真っ向からロシアに対決姿勢を示したのがトルコであった。トルコは先の大戦に参戦しなかった為に戦力を温存しており、戦後は地中海と黒海を睨む地域大国としてその存在感を増していた。

 軍も良く近代化されており、士気も旺盛だった。その装備も強力で、レオパルドⅢ戦車を始めとしてパンター歩行戦闘車やヤークトパンターなど、ドイツ製の高性能な兵器を多数保有していた。2017年にはバルカン半島の紛争に介入し、日米主体の国連軍の介入で食い止められたとは言え、ギリシャの首都アテネ近郊まで迫る快進撃を見せており、その精強さは衆目の一致するところであった。

 また、トルコは産油地域である中東とカスピ海に近く、シリアとアゼルバイジャンから国内に伸びる石油パイプラインに加えてキプロス沖の天然ガス田を抑えていることもあり、エネルギー供給の点でロシアからの干渉を受けにくいことも強硬姿勢の背景にあった。

 トルコ政府にとって黒海を挟んで領海を接するウクライナの危機は決して対岸の火事ではなかった。もしウクライナ全土がロシアに併合されれば黒海沿岸地域の大半がロシア領になってしまう上に、トルコが影響力を保つバルカン半島へのロシアの進出を許しかねない危険があり、それは自国の安全保障上の観点からも許されないことであった。

 

 この両者の思惑もあってウクライナは半年近くの間分断状態に置かれ、散発的な紛争が続いていたが、ロシア軍のドニエプル川渡河を合図に両者の対立は遂に全面戦争へと移行することとなったのである。

 ロシア軍はポルタヴァとドネツクの二方面から進撃を開始し、旧首都キエフと現首都セヴァストポリの占領を目指した。ウクライナ軍は必死の防衛戦を展開するも、質・量共に勝るロシア軍の進撃に押されて後退を続け、開戦から数日でキエフが陥落し、クリミア半島も孤立する事態となる。

 トルコ政府はロシア政府を激しく非難してウクライナからの即時撤退を迫るが、ロシア軍がこれを無視して進撃を続けた為、全面対決を覚悟。ヤークトパンターを装備する精鋭の空挺部隊クリミア半島に派遣してウクライナ軍を支援する一方、大規模な反攻作戦を計画する。

 

 トルコ側にとって幸運だったのは、ロシア黒海艦隊の動きが鈍いことであった。黒海艦隊はソ連崩壊以来の予算縮小によって艦艇の老朽化が激しく、その稼働数が著しく低下していた。この為、艦艇の消耗を恐れて大半の艦艇がクリミア半島沿岸部や艦隊司令部のあるノヴォローシスクに止まっていたのである。

 また、空軍力でもトルコ側は有利に立っていた。先の大戦で大きな損害を受けたロシア空軍に比べ、トルコ空軍は無傷のまま温存されていた上に、クリミア半島アナトリア半島の目と鼻の先であった。この為、トルコ側は大規模な上陸作戦を実施することが可能な状況が整っていた。

 ロシア軍の侵攻開始から2週間後の3月4日、トルコ軍はウクライナ本土における劣勢を挽回する為、クリミア半島への大規模な上陸作戦を実施。トルコ海空軍による支援の下、海軍海兵隊の三個大隊をクリミア半島に上陸させ、進撃するロシア軍の背後を突いた。

 ロシア軍は沿岸部の防衛を固めていたものの、トルコ海空軍の猛攻を受けて被害が拡大。そこにスウェーデン製の水陸両用AWGSであるフロッシュ*5を装備したトルコ海軍海兵隊が上陸した。フロッシュは米海兵隊の装備するM15A1と同じく脚部による高い不整地踏破性能を持っており、従来型の水陸両用車では上陸不可能な地点にも楽々上陸することが出来た。トルコ海軍海兵隊はロシア軍の防衛の手薄な個所から上陸し、混乱するロシア軍に猛攻を加えて橋頭保を確保することに成功する。

 この時、キエフを陥落させたロシア軍は南部の港湾都市オデッサに向けて進撃を続けていたが、トルコ軍のクリミア半島上陸で進撃をストップせざるを得なくなる。トルコ軍の到着によってウクライナ軍は崩壊を免れたのである。

 

 現状では早期の内にウクライナを屈服させることは出来ないと判断したロシア政府は、トルコの動きを封じることを画策。南部軍管区の数個師団を以て隣国のアゼルバイジャンに電撃的に侵攻し、バクー油田を制圧した。

 バクー油田は世界でも有数の規模を誇る油田であり、古くから重要な石油の産出地であった。しかし、ロシア政府の真の狙いはアゼルバイジャンからグルジア、トルコを経由してヨーロッパに伸びる石油パイプラインを抑えることにあり、原油の供給を断つことでトルコ国内に揺さぶりを掛けようとしたのである。

 この行動はトルコ政府に衝撃を与えた。トルコにとってこのパイプラインを抑えられることは死活問題であり、これを放置することは戦争継続だけでなく、自国の経済にも大きな打撃を与えられることを意味していた。しかし、大規模な上陸作戦の実施後で緊急に動かせる部隊はなかった上、隣国のグルジア国境にもロシア軍が集結して睨みを利かせていた為、バクー油田を早期の内に奪還することは不可能だった。

 この事態に対し、トルコ政府はウクライナ政府を通じて中国・APCに支援を要請する。ウクライナ先の大戦でPEUに所属していたが、同じ加盟国であるロシアの侵攻を退ける為に中国・APCと手を組んだ経緯があった。

 中国・APCにとっても中央アジアの石油ルートをロシアに抑えられることは戦略上見過ごせない問題であった為、この同盟はスムーズに結ばれた。中国・APC軍は要請を受けると直ちに蘭州軍管区の第15空挺軍の空挺師団と、再編された日本外人部隊の第503機動対戦車中隊をアゼルバイジャンに派遣した。

 両隊は中国からタジキスタントルクメニスタン、イランを経由してカスピ海側からアゼルバイジャン領空に侵入。トルコ・グルジア軍の攻撃に備えて西側の防備を固めていたロシア軍の背後に空挺降下した。

 手薄な海側からの突如の奇襲に、ロシア軍は大混乱に陥った。第503機動対戦車中隊はトルコ政府の要望で石油施設に出来るだけ被害を与えないよう求められていたが、その要求を満たしつつロシア軍を駆逐するのは極めて困難だった。それでも同中隊の活躍によってロシア軍は撃退され、残存したロシア軍部隊も本国へと撤退を開始した。

 

 こうしてバクー油田の戦いは中国・APC軍側の勝利に終わった。しかし、撤退するロシア軍はあろうことかパイプラインを破壊し、油田に火を放つという暴挙に出る。火は数週間に渡って燃え続け、黒煙がカスピ海沿岸の空を覆いつくした。この不毛な戦いによって人類が得たものは、またしても深刻な環境破壊だけだったのである。

 

ウラジオストク急襲

 2021年3月14日、ロシア沿海地方ウラジオストク

 ウクライナカフカス地方で一進一退の攻防が続いている頃、北京では中国政府とシベリア各共和国の高官による秘密会談が行われていた。この席上、シベリア側は中国政府に対しロシアからの独立支援を正式に要請し、中国軍のシベリア侵攻と同時に独立を宣言する用意があることを告げられた。

 シベリアは前大戦中に中国の支援を受けて独立を宣言するも、PEU・ロシア軍による侵攻を受けて阻止された経緯があった。この為、戦後は中央政府による締め付けが一層強くなっており、独立に向けた機運が再燃していたのである。

 また、今回の異常寒波によってシベリア経済は大打撃を受けており、そのことも中国への接近を促す強い要因となっていた。シベリアの開発は既に中国やアジアの資本なくしては成り立たないこともあり、両者の同盟はスムーズに運ばれた。

  更に中国政府にとって幸運だったのは、内戦に敗れた旧共産党派の幹部が数年前から中国に亡命していたことであった。戦後の混乱によってロシア国内には旧共産党派とソ連の復活を支持する声も多くなっており、それはロシア軍の内部にも及んでいたのである。中国にとってこれは強力な切り札になり得た。

 また、カフカス地方でロシアと争うトルコやグルジアアゼルバイジャン、そしてウクライナも中国・APCとの共闘を申し出ていた。これらのことが後押しとなり、中国政府はシベリアへの侵攻を決定したのである。

 

 中国政府はシベリア侵攻に先立ち、 ロシア沿海地方の主要都市であるウラジオストクの占領を計画した。ウラジオストクはロシア太平洋艦隊の司令部があると同時にシベリア鉄道の終着点でもあり、ロシアとの戦いを遂行する上で何としても抑えておかなければならない重要拠点であったのだ。

 この決定に基づき、日本国内に配置されていた第502機動対戦車中隊に出撃が命じられた。日本政府はロシアとの間に領土問題を抱えていることもあり、必ずしもロシアとの本格的な戦いは望むところではなかったが、中国政府の強い意向に押し切られる形で同中隊の派遣が決定された。

 そして2021年3月14日の未明、ウラジオストクの占領を目指して中国・韓国を主体とするAPC軍がロシア領に侵攻した。これに合わせて北海道の帯広に後退していた第502機動対戦車中隊も出撃し、航空自衛隊の支援を受けつつウラジオストクに空挺降下。同中隊はロシア軍守備隊の激しい抵抗を受けつつも、中国・韓国軍と協力して太平洋艦隊司令部を制圧し、ロシア太平洋艦隊の動きを封じることに成功したのである。

 

 ウラジオストク陥落の報告はサンクトペテルブルグのロシア政府に衝撃を与えた。ロシア政府は中国政府のシベリアへの領土的野心は見抜いていたものの、ウクライナ戦線の状況が急変しない限り、戦域を拡大することはないと見ていたのである。

 ロシア政府は急遽モスクワ軍管区から新たに精鋭の第103親衛空挺師団を派遣するが、この行動は遅きに失した。ウラジオストクの陥落と同時にシベリアの各共和国が再び独立を宣言。ほぼ同時刻、中国政府の支援を受けた旧共産党派の部隊がサンクトペテルブルグでクーデターを起こし、大統領府の置かれたマリインスキー宮殿を襲撃したのである。

 これを受けてモンゴルに駐留していたロシア軍部隊は大混乱に陥った。本国から入ってくる衝撃的なニュースの数々は彼等を動揺させ、その余波は末端の兵士にまで波及した。現地のロシア軍が独断で本国への撤退を開始すると、中国・APC軍はこれを猛追。撤退するロシア軍に追いすがり、甚大な被害を与えた。中国・APC軍はその余勢を駆ってロシア領に侵攻し、シベリア共同体軍との合流を果たした。

 

 一方、異常気象による猛烈な吹雪に見舞われたサンクトペテルブルグでは旧共産党派の部隊によるクーデターが進行していた。多数のAWGSや戦車で武装したクーデター部隊は入念な準備計画に基づいてサンクトペテルブルグ市内の各所を速やかに制圧し、市内を掌握することに成功する。しかし、大統領府の置かれたマリインスキー宮殿を急襲した部隊は今一歩のところで大統領を逃すという致命的失敗を犯してしまう。

 そこに極東に向って空輸されていた筈の第103親衛空挺師団のAn225ムリヤ輸送機が姿を現した。同師団はクーデターの一方を受けて急遽進路を反転し、首都解放の為に戻って来たのである。本来なら空挺作戦には向かない猛烈な吹雪という最悪の条件にも関わらず、同師団の装備するフォルクスパンターやBMX歩行戦闘車は構わず輸送機から一斉降下した。

 脱落する機体も少なからず出たものの、吹雪が目隠しとなってクーデター部隊にとっては完全な奇襲となった。無事降下した部隊は直ちに市街に散らばると、状況を掴めていないクーデター部隊に攻撃を敢行。激しい市街戦の末にクーデターを鎮圧することに成功した。

 しかし、この間にもシベリア方面では中国・APC軍が電撃的侵攻を続けてシベリア東部の要衝イルクーツクにまで達しており、シベリア極東地域の大半が失われていた。中国政府はクーデターに失敗した旧共産党派の残党を抱き込んでオムスクで武装蜂起を起こし、ロシア連邦の復活を宣言させると同時に、連邦政府の要請という形を取ってシベリア侵攻を正当化した。

 更に、カフカス地方のトルコ・グルジア軍が攻勢に出て混乱する現地のロシア軍を撃退すると、これに呼応して北カフカス地方のチェチェン・タゲスタン・イングーシの三共和国までもが独立の動きを見せ始めていた。

 ロシアは国家解体の危機に直面したのである。

 

反撃

 2021年4月12日、ロシア・オムスク。

 日本を含むAPC各国は中国の要請を受けてシベリアに続々と部隊を送り込んだ。ほぼ中国の独断で始められた戦争ではあったが、APC各国もシベリアに多くのエネルギー・資源を依存していた為、中国の行動を追認した。

 地理的に近い日本や韓国も多くの兵力を供出し、インド戦で活躍した日本外人部隊の第101及び第102甲師団と韓国陸軍の機甲師団数個を相次いでシベリアに派遣。また、タイやマレーシア、インドネシアシンガポールなどからなる東南アジア諸国の部隊も到着し、不慣れな寒さに苦しみながらもシベリア戦線に展開した。

  独立したシベリア各共和国の状況は国によって大きく違った。先住民族の人口が多い極東地域の諸州では独立を歓迎する者が多く、現地のロシア軍部隊を接収してシベリア共同体軍として再編する動きが見られた。逆に、ロシア系住民の多い地域では独立に反対する者も少なくなく、現地のロシア軍と協同してシベリア共同体軍への抵抗を続けていた。

 しかし、全体としてシベリア地域のロシア軍は既に組織だった行動を出来る状態ではなくなっており、中国・APC軍は各地に散らばるロシア軍部隊を各個撃破、或いはシベリア共同体軍に組み込みながらノボシビルスクに向って進撃を続けた。オムスクのロシア連邦軍と合流し、連携を図ろうとしたのである。

 中国軍はロシア軍の使用していたT‐90戦車やBMX歩行戦闘車などの車両を徴用して戦力とした為、遠目からではロシア軍との見分けがつかなくなっていた(皮肉にも以前より戦力がアップした)。

 

 中国政府はこの時、ロシアの南に位置するカザフ共和国に巨額の援助と引き換えにAPCへの寝返りを打診していた。カザフ共和国はシベリア鉄道の要衝であり、前大戦でカザフ共和国の寝返りに失敗したことが戦局を決定づけた苦い経験を中国政府は忘れていなかった。中国政府はヨーロッパ諸国がロシア支援の為にシベリア鉄道を使って兵力を展開することを恐れており、それを阻止する為には何としてもカザフ共和国を自陣営に取り込む必要があったのである。

 カザフ政府内部では中国の要請を巡って意見が割れていた。同国が加盟するGEUは機能しておらず、ヨーロッパ諸国は当てにならなかった。頼みの綱のロシアも国内の混乱が酷く、崩壊の危機に立たされている現状ではAPCに与するのも止む無しという親APC派と、GEU・ロシアへの追従を維持しようという二つの派閥の争いがあったのである。しかし、両派共に中国とロシアの争いに巻き込まれるのは避けたいというのが本音であり、モンゴル政府同様に苦しい立場に置かれていた。 

 このカザフ政府の曖昧な態度に業を煮やした中国政府は、軍事侵攻をちらつかせてカザフ政府を恫喝。アゼルバイジャンに駐留していた第503機動対戦車中隊に出撃が命じられ、バイコヌール宇宙基地のロシア軍施設を制圧してカザフ政府に翻意を迫った。しかし、この行動は返ってカザフ政府の態度を硬化させることとなり、カザフ共和国はGEUに支援を要請したのである。

 

 しかし、ここでもGEU・ヨーロッパ諸国は一致した動きが取れずにいた。旧PEUの代行組織として成立したGEUだったが、実際にはアメリカによる占領政策を円滑に進める為の組織に過ぎず、先の大戦の敗北の経緯から各国間の相互不信は根強いものがあった。

 この背景には旧PEUの主要国であったドイツやフランス、イタリアなどに重い戦後賠償金が課せられる一方、戦争終結直前にPEUを離脱したイギリスや北欧・ベネルスク諸国などが賠償を免れたことがある。いち早く寝返ったイギリスに対する不信感は特に強いものがあり、各国で反英・反米感情が鬱積していた。米軍の駐留による食料不足とそれによる餓死者の大量発生もあり、ドイツやイタリアではこうした対立関係を煽る形で再び極右勢力が台頭し、戦前と似たような社会状況になりつつあったのである。

 こうした対立関係があった為、アメリカが内戦で分裂した後もヨーロッパ諸国は一致した動きが取れずにいた。ドイツやフランス、イタリアがPEUの再結成を叫ぶ一方、それ以外の国々は緩やかな連帯を望んだ。また、当のイギリスもアメリカ北部連邦との同盟を維持したまま各国と協調せず、独自の行動を取り続けるという有様であった。

 

 しかし、シベリアの独立とAPCの侵攻でロシアからのエネルギー供給がストップする可能性が現実味を帯びて来ると、事態には俄かに変化の兆しを見せ始める。

 寒冷化の影響を受けているのは何もロシアやモンゴルだけではなかった。この年の冬の寒波はドイツやフランスだけでなく、イタリアやギリシャといった南欧諸国にも及んでおり、この状況でロシアからのエネルギー供給がストップすればモンゴル同様に深刻な社会不安が生まれることは目に見えていた。それはPEU再結成に反対する北欧諸国やイギリスも同様であった。シベリアはロシアだけでなく、ヨーロッパ諸国にとっての生命線でもあったのである。

 

 そして2021年4月12日、中国・APC軍がシベリア最大の都市ノボシビルスクを制圧するに及んで事態は一気に動き始める。中国・APC軍がオムスクの旧共産党派と連携すれば、シベリア地域の奪還が困難になるのは必定だった。ここに来てヨーロッパ諸国は遂に一致団結し、GEUを解消してPEUを再結成。PEU軍を再編成してウクライナとシベリアへの派兵を決定したのである。

 このPEU軍にはヨーロッパ諸国と一定の距離を置いていたイギリスも参加を表明したが、これには同盟を組むアメリカ北部連邦の意向も強く働いていた。内戦で兵力を動かせない北部連邦としては、イギリス・PEUを動かすことで中国・APCの強大化を抑える必要があったのである。

 しかし、ヨーロッパ各国はアメリカの戦後政策によって戦力の縮小を余儀なくされていた上、戦場が遠隔地の為に戦車などを含む重装備の輸送手段も限られており、派兵には時間が掛かることが予想された。

 この為、ドイツ・フランス・イギリスの緊急展開部隊からなる多国籍空中機動部隊が急遽編成され、先遣隊としてシベリアに派遣されることとなった。その内訳はドイツ軍の第26及び第31降下猟兵旅団とフランス軍の第11落下傘旅団、そしてイギリス軍の第16空中強襲旅団などからなるPEU軍の最精鋭部隊であった。また、前大戦における航空機の損失が比較的少なかったイギリス・北欧諸国を中心にヨーロッパ各国の合同部隊からなる多国籍空軍も編成され、一斉にロシアに飛んだ。

 更に、ウクライナには国境を接するポーランドと、イタリアを中核とする南欧諸国の合同部隊が派遣され、西方からロシア軍を支援することとなった。PEU軍による反撃が今、正に始まろうとしていたのである。

 

  その先鋒を担ったのはドイツ軍の第26降下猟兵旅団の降下対戦車猟兵大隊と、イギリス軍の第16空中強襲旅団の航空連隊であった。両隊を搭載したil-76輸送機とC-17輸送機の編隊はPEU・ロシア空軍の支援を受けつつ、オムスクに向うAPC・シベリア共同体軍の北側から接近した。

 PEU軍は前大戦の北アフリカ戦におけるサリール油田の戦いを参考に綿密な反撃計画を練っており、降下前には投下型対戦車子弾ディスペンサーを装着したロシア軍の巡航ミサイルによる攻撃が行われた。ロシア軍のミサイル基地から放たれた30発の巡航ミサイルが、APC・シベリア共同体軍の頭上で炸裂した。

 巡航ミサイルから吐き出された2万発の対戦車子弾の威力は凄まじく、APC・シベリア共同体軍は大混乱に陥った。そこに24機のヤークトパンターと16機のVW‐1が降下してきた。VW‐1は日本外人部隊の装備する12式と同じHIGH‐MACSである。

 

 総勢40機を超えるヤークトパンターVW-1の無慈悲な猛攻は、巡航ミサイルによる攻撃の混乱から立ち直っていない中国・APC軍に破滅的な結果をもたらした。先頭を進撃していた中国軍部隊は真っ先に壊滅し、シベリア共同体軍も四方からの攻撃を受けて成す術なく撃破されていった。それは最早戦闘ではなく、一方的な殺戮であった。
 この絶望的な状況の中でも、第502機動対戦車中隊は味方を救うべく孤軍奮戦。自軍の機体とイギリス軍の機体の識別に苦労しながらも、経験不足のイギリス軍HIGH‐MACS部隊に少なからぬ被害を与えた。圧倒的に不利な状況でも度々戦局を覆してきた同中隊の経験がものを言ったのである。

 しかし、先頭の中国軍部隊を壊滅させたドイツ軍降下猟兵旅団のヤークトパンターの猛攻が始まると、さしもの同中隊も劣勢に追い込まれ、乱戦の最中で壊滅。味方部隊が何とかドイツ・イギリス軍を無事撃退した頃には、稼働出来る機体は一機も残っていなかった。中国軍と共に進撃していた第101機甲師団をはじめ他の部隊も甚大な被害を受けており、APC・シベリア共同体軍はノボシビルスクへの撤退を余儀なくされる。

 ほぼ同時刻、ロシア連邦軍の制圧するオムスクにもロシア共和国軍が侵攻。ロシア空挺軍の第7親衛空挺師団とフランス軍の第1驃騎兵落下傘連隊及びフランス外人部隊の第1外人騎兵連隊も攻撃に参加し、激しい戦闘の末に市街地を制圧していた。ロシア連邦軍の残存部隊は南のカザフスタンへと向かって撤退を始めたが、ロシア軍とフランス軍の執拗な追撃を受けて甚大な被害を被った。こうしてAPC・シベリア共同体軍の進撃は食い止められることとなったのである。

 しかし、勝利したPEU軍側も重装備の部隊が少なかった為、これ以上の追撃は難しかった。HIGH‐MACSやヤークトパンターといった第二世代型AWGSは瞬間的には爆発的火力を発揮する反面、燃費が非常に悪く、長時間の戦闘には向かなかったのである(もっとも、彼らに課せられた任務はあくまでも重装備の主力部隊到着までの時間稼ぎであった)。この為、撤退するAPC・シベリア共同体軍を十分に追撃することが出来ず、ノボシビルスクまで逃がしてしまうこととなる。

 ノボシビルスクに撤退したAPC・シベリア共同体軍は、後方からの増援を受けて部隊を再編し、オビ川沿いに防衛線を展開する。一方、PEU軍の到着によって態勢を立て直したロシア軍はヨーロッパ側のモスクワ・レニングラード等の各軍管区から部隊を引き抜いてオムスクに部隊を集結させ、ノボシビルスク攻略の準備を進めた。 

 

 PEU軍の反撃で手痛い敗北を喫した中国政府は、戦略の見直しを迫られていた。中国政府の当初の計画ではオムスクのロシア連邦軍と連携してシベリア東部を抑え、エネルギーや資源の供給を断つことでヨーロッパ諸国に圧力を掛けることにあった。しかし、PEU軍の反撃で予想を超える被害を受けたことにより、その計画に狂いが生じたのである。

 南に逃れたロシア連邦軍からは再三に渡って救援要請が来ていたが、中国政府はこれを無視し続けた。現況ではノボシビルスクの死守に手一杯で、救援に向かわせるだけの兵力がないこともさることながら、中国政府は本音ではロシア連邦の復活など望んでおらず、あくまでもシベリア侵攻の方便として利用しているに過ぎなかったのである。

 しかし、ここで更に中国政府の戦争計画を狂わせる事態が起こる。ウクライナカフカス地方で戦っていたトルコ政府が、突如としてPEU・ロシア軍との停戦とPEU加盟を宣言したのである。

 

撤退援護

 2021年6月、ロシア・ノボシビルスク

 トルコ政府はPEU・ロシアとの停戦を発表し、同時にPEUへの加盟を果たした。ヨーロッパ諸国はPEU再結成以前からトルコの自陣営への取り込みを図っていたが、トルコ政府は頑なにこれを拒否していた。しかし、PEUの再結成とシベリアにおける中国・APC軍の劣勢が伝えられると、状況は俄かに変化した。

 もともとトルコ政府がロシアとの対決に踏み切ったのはウクライナ問題が発端であり、ロシア側がウクライナ東部から撤退して南進を放棄さえすれば、これ以上の戦闘継続は無意味であった。トルコ側のこうした事情を察していたPEU外交団は、PEU・ロシア軍のウクライナカフカス地方からの撤退と北キプロス問題における大幅な譲歩、多額の賠償金といったトルコ側に有利な条件を示してPEUへの加盟を迫ったのである。ロシア政府も背に腹は変えられない為、この条件を呑まざるを得なかった。

 トルコ政府としてはロシアの南進を食い止めるという当初の目的を達した上、有利な条件でPEUに加盟出来るならばそれに越したことはなかった。トルコ政府にとってPEUへの加盟はかねてからの念願でもあり、ドイツやロシアの求心力が低下している今、PEU内部で強い発言権を持つことが出来ると踏んだのである。

 

 トルコ政府の裏切りに中国政府は激怒したが、後の祭りだった。トルコ政府がPEU加盟を発表したその日の内に後ろ盾を失ったグルジアアゼルバイジャンも相次いでPEU・ロシアとの停戦に合意し、戦線を離脱した。ウクライナはPEU加盟こそ拒否したものの、トルコの支援がない現状ではこれ以上の戦闘は不可能であり、ロシア軍の撤退と前年に併合された地域の返還を条件に停戦に合意せざるを得なかった。

 ウクライナ国内に残っていた第503機動対戦車中隊は空路ウクライナを撤退し、グルジアアゼルバイジャン、イラン、タジキスタンを経由して中国に後退。そこで補給を受けた後、シベリアへと向かった。途中、同中隊を搭載したC‐17輸送機がトルコ空軍機の追撃を受ける一幕もあったが、トルコ軍は通過を黙認した。

 

 ロシア軍は脅威のなくなったカフカス地方とウクライナから部隊を引き抜き、シベリア鉄道を使ってシベリアに送った。この頃にはヨーロッパ諸国からも重装備の部隊が到着し始め、戦局はPEU軍の優勢に傾きつつあった。

  意外にもシベリアで活躍を見せたのが北欧の部隊であった。スウェーデンを中心とした北欧各国の部隊は国土に河川や湖沼が多いこともあって水陸両用性能を持つ兵器を多く所有しており、地理的条件の似ているシベリアで大いに威力を発揮したのである。

 特に活躍したのがクリミアでも活躍したスウェーデン製の水陸両用AWGSフロッシュであった。この機体は水上浮航能力だけでなく、短時間ならば水中に潜水することも可能であり、各地で奇襲や待ち伏せ攻撃を行ってAPC軍を大いに悩ませた。 

 また、北欧各国が標準装備するスイス製のバルフンド*6も予想外の活躍を見せた。この機体は偵察用として開発された小型の四脚型AWGSながら、ティーガー以上の高い不整地踏破性能と機動力を持っており、ノボシビルスク周辺の湿地帯でも楽々と行動することが出来たのである。

 この他にもロシア製の四脚型BMX-19*7やイギリス製のハイランダー二脚歩行戦闘車*8オーストリア製軽量四脚型のフサリア戦闘歩行車*9など、戦後に開発された最新型のAWGSが惜しみなく投入された。シベリアは新型兵器の壮大な実験場となりつつあったのである。

 

 これに対して、APC軍の装備は一部を除けば中国軍の13式や14式を始めとして旧式のものが多く、その性能もシベリアの地勢に適合しているとは言い難かった。特に東南アジア各国の部隊は寒い地域での戦闘に慣れておらず、体調を崩す者が続出。東南アジア各国が標準装備するコラートやハヌマンも泥土こそ問題にはならなかったものの、本来はジャングルでの運用を想定した機体であることもあり、シベリアではその性能を十分に発揮出来なかった。

 APC軍にとって幸運だったのは、シベリアのロシア軍から徴用したBMX-30や2S6Mツングースカ、中国製の5式戦場防空車輛といった対空自走砲が充実していたことであった。PEU空軍は作戦開始当初こそAPC軍に対して猛攻を加えたものの、時間の経過と共に対空ミサイルで撃墜される機体が続出した為、その動きは鈍くなっていた。モンゴル同様、このシベリアの地でも航空優勢は決定的な差にはならなかったのである。

 

 こうした状況にも助けられて、APC軍・シベリア共同体軍は頑強に抵抗し、ノボシビルスクを保持し続けた。各国共に既に多くの犠牲を払っているだけに、シベリアの放棄は絶対に許されないことだったのである。

 特に、戦争を主導する中国政府の焦りには相当なものがあった。シベリア侵攻が失敗すればAPCが空中分解する可能性があることもさることながら、国内の巨大な人口を支え切れなくなる恐れがあったのである。

 食糧危機に悩むのは何も日本やロシアだけではなかった。国内に巨大な人口を抱える中国の状況は両国の比ではなく、危機的な飢餓が慢性化し、大量の餓死者が発生していた。エネルギーや資源だけでなく、食糧の供給地としてもシベリアの確保は急務だったのである。

 中国政府は加盟各国に圧力を掛けてシベリアに兵力を送らせた。日本も更なる兵力の供出を求められた為、壊滅した第502機動対戦車中隊を即座に再編してシベリアに送ることを決定した。しかし、度重なる戦闘で保有する16式の多くが失われて定数に満たなかった為、多少旧式化した12式に近代化改修を施した12式の改良型*10がその主力として配備された。この12式は通常の12式のFCSや電子部品など細部に変更を加えたタイプで、後継機である16式とほぼ同等の武装が扱えた。機動性などの面では16式に劣るものの、イギリス軍のVW-1やドイツ軍のヤークトパンターには十分渡り合えるだけの性能を誇っていた。

 同中隊は同機を受領すると、再びシベリアに向った。

 

 APC軍は前大戦の経験を活かしてシベリア鉄道への襲撃を繰り返し、PEU軍の兵力展開を少しでも遅らせる作戦を採る。再編された第502機動対戦車中隊と東南アジア諸国の部隊がこの任務に当たり、12式がその機動力を活かして陽動を掛けている間に、ハヌマンやコラートが森を啓開しながら線路に接近し、兵器や物資を満載した列車を破壊した。

 しかし、戦いの長期化で両軍共に物資の欠乏が問題となり始め、特にインド戦以来、連戦を続けてきたAPC側は苦境に立たされていた。日本外人部隊も物資不足に悩み、弾薬と燃料が不足する苦しい状況の中での戦いを余儀なくされていた。

 戦争の長期化とそれによる戦費の増大は、総人口の三割が餓死した日本にとって重い負担であった。食糧確保の必要性から日本外人部隊を積極的に国外に派遣して来たものの、ユーラシアとアメリカのニ戦線で部隊を展開していることもあり、財政的に厳しい状況に陥りつつあった。これまでは国防費の増額や自衛隊予算の縮小、自衛隊の装備を日本外人部隊に優先的に移譲するなどして何とか賄って来たものの*11、国内の飢餓が解決されていない現状では、早晩その態勢が崩壊するのは明らかだった。

 これは日本だけでなく、他のAPC諸国でも同様だった。戦いの泥沼化と人的被害の拡大は日本だけでなくAPC加盟国間の亀裂を増大させ、中国政府の求心力は日に日に低下していた。

 その中国国内でも政府に対する批判や不満が出始めていた。先の大戦における敗戦とその後の混乱でただでさえ疲弊した中国であったが、インド、ロシアとの度重なる戦争によって得られたものの余りの少なさに、国内の諸矛盾が一気に噴出し、人々の怒りが頂点に達しようとしていたのである。

 そして2021年6月、首都・北京で食料の配給を求めて大規模なデモを開いていた民衆と、それを武力で鎮圧しようとした治安当局が激しく衝突する事件が起こる。民衆側に多数の死者が出たことから、これに反発した民衆は暴徒化。事態は収拾のつかない大暴動へと発展し、北京市全体が騒乱状態に陥ってしまう。

 事態を重く見た中国政府は人民解放軍を投入して事態の収拾を図るが、戦争の早期終結を望む和平派の部隊が民衆側に着いて中央政府に反旗を翻したことから事態は一層エスカレートしていく。皮肉にも、ロシアとの戦争の発端となったモンゴル同様の事態が、ここ北京でも繰り返されたのである。

 この騒乱は国内各地の少数民族自治区にも飛び火し、一度は独立に失敗したチベットウイグル内蒙古自治区でも中国からの独立を叫ぶデモが発生。中国全土で騒乱状態が巻き起こることになる。更に、これに呼応するかのようにインド・ベトナム軍が中国国境に部隊を集結させ始めた為、混乱は更に拡大した。

 

 中国国内の混乱はシベリアの中国・APC軍にも伝染した。インド・ベトナム軍が中国に侵攻するとの噂が流れたことで、部隊の統率に乱れが出ていた。この混乱の隙を突いてPEU軍はノボシビルスク戦線で大規模な攻勢を仕掛け、APC軍の防衛線を突破することに成功する。

 現況ではノボシビルスクを保持し続けるのは不可能と判断したAPC軍総司令部は、現地部隊に東部のイルクーツクに向けて撤退するよう指示する。しかし、中国軍の装備する13式や14式は機動力に問題を抱えており、シベリアの泥土もあって撤退は遅々として進まなかった。

 一方、ノボシビルスクを奪還して勢いに乗るPEU軍はこれを猛追。復讐に燃えるロシア軍とドイツ・フランス軍の機甲部隊が追撃の先陣を切った。部隊の先頭を行くのは脚部にコンバットタイヤを装備した高機動型のストゥームティーガーとストゥームパンターで、泥土にはまって逃げ遅れたAPC軍の車両を次々に血祭りに上げていった。

 そのやや後方からフランス軍のSUPERAUTRUCHEと、独仏露・ベネルスク諸国の戦車部隊が味方の撃ち漏らした敵を掃討しながら進撃していた。更に、ノボシビルスク州北部でもイギリス軍とスウェーデンデンマークノルウェーフィンランドからなる北欧諸国の合同部隊が撤退するシベリア共同体軍を猛追しながら東進を続け、主力軍を支援した。

 

 この危機的状況の中で、殿を任された日本外人部隊は総力を挙げて奮戦。韓国・東南アジア諸国の部隊の支援も受けてAPC軍を無事イルクーツクにまで撤退させることに成功するが、第101機甲師団はPEU軍の猛追を受けて壊滅。90式改戦車を始めとする多くの重装備を失うこととなった。

 撤退したAPC・シベリア軍の被害も少なくなかった。取り分けて痛手だったのが対空兵器の消耗で、敗走時に破壊されたり、悪路にはまったりして多くの車両を喪失していたのである。この為、PEU・ロシア空軍の航空攻撃が威力を発揮し始め、戦いの主導権を完全に奪われつつあった。本国からの増援も期待出来ない現況ではシベリアの維持すら危うい情勢であり、APC軍の敗北は時間の問題に思われた。

 

 しかし、ここで誰もが予想しなかった事態が起こった。オムスクを追われてカザフスタンセミパラティンスクに逃れていたロシア連邦軍残党の過激派が、撤退の際に強奪していた移動式の核ミサイル発射装置を使ってサンクトペテルブルグに一発の戦略核ミサイルを発射したのである。この攻撃によってサンクトペテルブルグは壊滅。大統領を含む政府要人も巻き込まれてロシア共和国政府はその機能を停止し、ロシアは無政府状態に陥ってしまう。

 過激派は全世界に向ってテレビ放送を行い、APCとPEUを含むあらゆる外国勢力に対してロシアからの即時撤退を要求すると共に、要求が呑まれない場合は更なる核攻撃を行うと恫喝したのである。

 事態を重く見たPEU・APC両軍は一時的な停戦に合意。PEU軍は更なる発射を阻止するべく、直ちにドイツ軍の第26降下猟兵旅団とイギリス軍の第16空中強襲旅団を前線から引き抜いてセミパラティンスクに急行させる。過激派はロシア軍から奪ったBMXや2S6Mツングーカで武装しており、セミパラティンスクの各所にそれらを配置して防御を固めていた。

 敵の激しい抵抗を退けつつ、核ミサイルを探し求めて市街を駆け抜けるドイツ軍のヤークトパンターとイギリス軍のHIGH‐MACS部隊。彼等は激戦の末にミサイル発射機を発見し、発射態勢に入っていた3基の核弾頭の内、2基を破壊することに成功する。しかし、あと一歩のところで残り1基の核ミサイルの発射を許してしまう。セミパラティンスクから発射された核ミサイルは成層圏に達してから落下を始め、APC軍占領下のウラジオストクに投下されたのである。 

 

 

 

脚注

*1:戦後にアメリカ主導で成立したPEUの代替組織。

*2:ロシアが戦後に開発した第二世代AWGS。ドイツ製ヤークトパンターと似た構成の機体だが、より空力特性を考慮した丸みを帯びた形状を持つなど、随所にロシアらしい工夫がなされている。ヤークトパンターよりも軽量の上に大出力のクリモフ・ターボシャフト・エンジンを装備している為、空中機動性や空戦能力の点で上回っている。評価試験において高い評価を得てロシア陸軍及び空挺軍の次期第二世代AWGSに選定されたものの、機体価格の高騰によって調達数が当初の計画を大幅に下回ったことから少数が配備されるに止まり、代替機として導入されていたフォルクスパンターが引き続きその任務を代行することとなった。「バルチャー」は米軍の名付けたコードネームで、「ハゲワシ」の意。

*3:BMX歩行戦闘車を空挺師団の高射部隊用に改良した対空バージョン。対空レーダーの搭載による重量増加に対処する為、リアクティブ・アーマーは搭載されていない。3000m以内の目標に対してはZSU‐30機関砲を、それ以上の遠距離目標に対しては対空ミサイルで攻撃する。有効射程は9000m。

*4:中国が2005年に制式化した対空自走砲。ロシアのツングースカを意識した設計がなされており、輸出も考えられていたが、同年に始まった日米共同の二足歩行兵器開発に世界中の注目が集まった為に断念された。生産された車両は国境警備隊などに配備された。

*5:スウェーデンが戦後に開発した四脚型AWGS。最大の特徴は水上浮航能力で、短時間ならば水中に潜航することも可能な高い気密性を誇る。武装は四脚型としては比較的軽装のボフォース製40㎜機関砲だが、より強力な90㎜低圧砲も選択出来る(ただし、このタイプは水上浮航能力に制限を受ける)。オプションとしてATMも装備可能。

*6:スイス・モワク社が戦後に開発した四脚型AWGS。他の多脚型に比べて脚部の関節の数が多く、険しいアルプスの地形でも楽々超えて行ける高い不整地踏破性能を持っている。武装は30㎜機関砲と90㎜低圧砲の選択式。工兵隊向けの車両回収車仕様も存在する。

*7:ロシアが戦後に開発した四脚型AWGS。アメリカのM19ブルータルクラブに刺激を受けたロシアが戦前から開発していたもので、無砲塔型である点も含めて形状が似ている。ただし、マニュピレーターは搭載していない。最大の特徴は砲塔前面に装備された半円形のカクタス装甲で、複合装甲と爆発反応装甲を組み合わせた特殊装甲で防御力を向上させている。武装は140㎜滑腔砲と長射程のL-KEMを組み合わせた豪華なものだが、生産コストが高い為に配備は少数に留まっている。米軍のコードネームは「ブラックジャック」。

*8:イギリスが戦後に開発した二脚型AWGS。M16の車体をベースにガスタービンエンジンを搭載した新型機で、イタリアのサティロスと良く似た限定的な三次元機動力を持つ。空中機動こそ出来ないものの、サティロスより軽量な分、かなり高い位置までジャンプすることが可能で、ローラーダッシュによる助走と併用することで従来のAWGSでは到底超えられない段差や地形でも難なく突破することが出来る。空中機動をオミットしたことで第二世代AWGSほど燃費が悪くないのもメリット。武装はM16とほぼ同じものが扱えるが、イギリス軍独自の装備として射程を重視した120㎜ライフル砲が用意されている。後に米軍にも試験的に少数が採用され、M14二脚歩行戦闘車として制式化された。

*9:オーストリアが開発した四脚型AWGS。最大の特徴は高度に共通化された車体コンポーネントによる拡張性の高さで、砲塔を換装することで偵察型や火力支援型、指揮車型や対戦車型などの多種多様な派生型が存在する。装甲もモジュラー式の為、拡張性や整備性に優れ、パーツを変えることで様々な任務に適応することが可能。AWGSの中でも後発の機体の為、全車にコンバットタイヤが標準装備されている。装甲はやや脆弱だが、その分コストが抑えられている為、途上国などの軍でも採用が進んでいる。

*10:日本が開発した12式装甲歩行戦闘車の近代化改修型。よく混同されるが、12式改とは別の機体である。改良はFCSや電装品、細部の形状変更などに止められているが、通常の12式よりも性能が向上しており、16式同様に多彩な武装を扱えることから柔軟な作戦運用が可能となっている。日本外人部隊保有する12式の多くはこのタイプに改良されている。

*11:戦後に再創設された日本外人部隊には、自衛隊の10式歩行戦闘車(ティーガー)20輛が移譲されたのを皮切りに優先的に装備が回されている。