ガングリフォン・ムック(仮)

名作ゲーム、ガングリフォンシリーズについて考察するブログです。他のゲームも時々語ります。更新不定期。

ガングリフォン・ブレイズ レーダー廃止と作品を巡る考察 或いは、20年目の石破ラブラブ天驚拳

 この記事はガングリフォン・ブレイズにおけるレーダー廃止問題を軸に、その作品と過去のシリーズ作品についても読み解いていく考察記事です。正直、考察とは名ばかりのこじつけに近い部分もあるような気がしますが、自分なりに「ブレイズとはどういう作品だったのか?」、「ガングリフォンとは何なのか?」を考えてみたつもりです。ご興味がありましたら是非ご一読下さい。

 

 

 

 

 

「我地に平和を与えんために来たと思うなかれ。我汝らに告ぐ。しからずむしろ争いなり。今から後一家に五人あらば、三人は二人に、二人は三人に分かれて争わん。父は子に、子は父に。母は娘に、娘は母に」 南雲忍

 

 

 

 

 

はじめに

 先日、ツイッター上でガングリフォン・ブレイズ(以下GGB)でレーダーが廃止された理由について自分なりに考察する機会があったのですが、長くなったのでこちらで書かせて頂きます。そもそも、この考察はツイッター上における自分の次のようなツイートから始まりました。

 

ガングリフォンBZ*1のレーダー廃止は「レーダーばかり見るゲームになってた」ことへの反省らしいけど*2、初代のノボシビルスクは敵が森に入ったらロストする仕様とそれを利用した伏兵戦術が凶悪で、レーダーを逆手に取るような演出がなされてた。レーダーゲー化への問題意識は最初からあった気がするな。 

 

だから、BZのレーダー廃止も良く考えられた上での決断だと思うし、事実レーダーがなくともゲームが成立することを証明したのは地味に凄いと思う。レーダー廃止によって没入感はより高まり、機体の操作にもより集中出来るようになった。これはBZのよりスピーディーな戦闘にもマッチしてる。

 

BZをやり慣れた身からすると、レーダーの弊害も確かに感じる。プレイ中につい画面の左隅を見てしまう癖がやめられない。欠点という程ではないにせよ、STGとしては気になるのも事実。昨今のFPSでもレーダー画面が残っているものは多いのに、20年も前にこれを改めようとしたGAは本当に先進的だった。

 

裏を返すとガングリはそれだけ索敵要素にもこだわっていたということ。「敵を倒す」だけでなく、「敵を発見するまでの過程」もゲームとして面白く取り込もうという発想があるから森の仕様や暗視装置、そしてレーダー廃止という決断が生まれたのだと思う。それはリアルを追求した結果とも少し異なる。

 

 この時点では単なる思いつきに近いものであり、多分こうだろうなぁという推測を絡めてツイートさせてもらったのですが、これに対して何人かの方から「いいね」とRTを頂いた上で、また別の可能性についても言及がありました。

 

レーダーを逆手に取って盛り上げるギミックは幾らでも可能だったのだが(言及されている面のほかGG2リレハンメルもそう)、レーダーを殺すためには森が必要で、森があるとローラー走行できない。これがGGBで目指した面白さと決定的に相容れず、レーダー機能廃止に至った、のかもしれない

何しろ、キエフノヴォシビルスクでは「走る快感! 撃つ快感! 飛ぶ快感!」*3の3つのうちひとつが死ぬ(死んでいた)わけだから。とは言え、GGBはせっかくステージが広くなったんだし、もうちょっと何とかならなかったのか、と思わないでもない

 

 この説には確かに説得力があります。ここで言われている「GGBの目指した面白さ」とは続く「三つの快感」への言及から考えて特にアクション面を指していると思うのですが、ローラーダッシュによる高速移動を制限する森の仕様がアクション面の強化を狙ったであろうGGBの方向性と合わないというのは全くその通りで、このことは確かに森が廃止された大きな理由だったと思います。
 
 ただ、これは「森が廃止された理由」としては納得出来るのですが、「森ごとレーダーを廃止した理由」としては少し弱いと感じました。森が邪魔なら森だけを削除し、レーダーを殺す手段として移動に制限を掛けない別の妨害要素(例えば某FPSに登場するCUAVのジャミングのような)を新たに設定しても良かったのではないか?そう思ったのです。この疑問が今回の考察の端緒となりました。

 筆者は長文病の為、少々長い記事になってしまいましたが、レーダー廃止問題に関しては3章まで読んで頂ければ論旨は掴めると思います。4章以降はまた別の視点からの考察となりますので、「3章までの内容じゃ納得出来ん!」という方やご興味のある方はそれ以降もお読み下さい。

 尚、ここでご紹介したツイートは議論の叩き台とする為に引用したものであり、本稿の目的はあくまでもGGBからレーダーが廃止された理由や作品そのものの考察にあること、責任は全て筆者個人にあることをお断りしておきます。

 

 以下、考察となります。

 

 
 

 

1 レーダーはなぜ廃止されたか? 

 

残された森の役割

「ゴング1より指揮車、前方に目標多数、接近中。目標小隊規模、なお増加中」 ゴング1 

 
実は、正確に言うとGGBにも「森」は残っている。グアムのスタート地点砂浜の脇や丘の上の基地の向こうに広がる森などがそれに当たる。このGGBの森は移動を制限しないので、言及されているローラー走行の邪魔になることもない。つまり、森は廃止されたのではなく、仕様変更されたと捉えた方が妥当と思う。
 
だから、もしどうしてもレーダーを残したかったのなら森の仕様にこだわらずに残せた可能性が強い。それでもレーダーが廃止されたということは、別の意図があったと考えるべきだと思う。ここではまた別のステージ、ギリシャの東の境界線上に広がる森と北の崖手前の森、ポルタヴァの南と東の境界線上に広がる森に着目したい。
 
まずギリシャの東の森だが、これは増援のホーカムとヤークトパンターの出現位置を隠すように広がっている。境界線上付近にしか木々がないことを見ても、敵の正確な出現位置を隠し、発見を遅らせる意図があったと思う。特に後者のヤクパンは木々に隠れて高速で疾走して来る為、森を抜けるまで視認し辛い。
 
もう一つの森は増援のストゥームパンター三体が駆け降りて来る北の崖の手前に位置しており、その接近を非常に分かり辛くしている。この為、油断していると丘の上まで撤退して来た味方部隊がパンター三体のATMによる奇襲を受けることが多く、ギリシャ後半の一つの難所となっている。
 
ポルタヴァにもスタート地点前方、南方向に街道が伸びる付近の森と、マップ東の川添いに広がる二つの森がある。前者にはツングースカが潜んでおり、視認し難い森の中から攻撃を仕掛けてくる。後者の方向からはBMXやツングースカ、ストゥームティーガー等の敵の増援が続々と現れる。
 
後者の東の森は特にプレイヤーの視界を妨げており、上記の増援の接近を非常に分かり辛くしている。森の中から疾走してくるストゥームティーガーの140㎜砲の直撃を受けた記憶がある方も多いと思う。また、対岸の補給所付近にも森があり、ここに増援として到着するBMXと移動速度の遅いリットリオを隠す役割を果たしていた。
 
これらGGBの森は前述のように移動を制限することもなければ、レーダーを妨害することも当然ない。ただ一つ残された役割は、上で見たような「視覚を制限する役割」である。こう考えると、実はレーダーがなくなった理由が見えてくる気がする。これはGGBでハードがPS2に移行したこととも関連があると思う。
 
ハード性能の制約
「そりゃあハイビジョンだからね、ホームビデオとは違うよ」 カメラマン
 
考えてみると、旧作はハード性能の限界の為に遠くの敵や風景まで表示出来ない欠点があった。このせいで現代戦とは思えぬほど敵との交戦距離が短く、初代では一部の敵の攻撃が自機の視認外から飛んで来ることもあってフェアとは言えない部分もあった*4。視覚の面でかなりの制約を受けていたのである。
 
また、初代は敵兵器の迷彩効果が強く、視認し辛いという難点もあった*5。Ⅱで画面の彩度が明るくなり、敵機も兵器としては異質なほど派手な配色になったのもこれを解決する為だったと聞くが、暗視装置が廃止されたことも含めてゲームアーツ(以後GA)が初代には視覚面で問題があったと考えていたことを示唆していると思う。
 
対して、GGBでは遠くの敵や風景まで鮮明に表示されるようになり、狙撃モードで遠距離の敵やその攻撃動作も視認し易くなった。つまり、視覚というセンサーが解放された。この時初めてプレイヤーは視覚的にフェアな状況に置かれ、「レーダーをなくしても問題ない環境が整った」とは考えられないだろうか。
 
初代にもしレーダーがなかったら、短い視認距離で前進と索敵を繰り返しては敵を倒していくかなり地味なゲームになった筈だ。実際、裏技でレーダーをなくしてみるとそのことが確認出来る。不用意に動き回ると唐突に視界内に表れた敵の先制攻撃を受ける為、自然、動きは慎重にならざるを得ない。
 
実はそれは開発初期のコンセプトに近いものだった可能性もあるのだが、HIGH-MACSの性能や三次元機動のことを考えると、動き回ることを全く拒否するようなゲームが作りたかったとも思えない。いわゆる「三つの快感」を満たした、気持ち良く動き回れる方向性も考えられていた筈なのである。
 
恐らく、初代の時点では敵の位置を教えた方が良いという判断があったのだと思う。この方がプレイヤーも戦場の状況を把握し易く、積極的に動き易くなる。見通しが悪いからこそ敢えて敵の位置を教えることでプレイヤーを誘導し、ミッションに流れや動線を作ろうという意図があったのかも知れない。
 
これが仮に質量センサーでも成立したとは思うが、視認距離の短さのせいで不意の遭遇戦が多発し、より近距離戦闘を助長する結果になった可能性が強い。また、機動力の高い敵や補給ヘリの存在なども考えると、やはりレーダーの方が適正だっただろう。
 
こう考えると、旧作には「レーダーがあった」というより、「レーダーが必要だった」のだとも言える。敵の位置を教えることで視認距離の短さを補い、先の展開を予測させることでプレイヤーが積極的に動ける状況や出来るだけフェアな環境を作ろうとしていたとは言えないだろうか。
 
レーダーは本当に必要か?
「各員へ。これより最大広域帯でジャミングをかける。開始後は全てのセンサーを切り、有視界で対処せよ」 南雲忍
 
ここでもう一度GGBの森に戻りたい。もしギリシャのあの森がなかったら、増援のホーカムはかなり遠目からでも出現と同時に発見されてしまい、簡単に撃破されたことだろう。実際、出現箇所で待機して飛び立つ前に破壊することが出来るのだが、遠くからでもそれが可能なら全く脅威ではなくなる。
 
ヤークトパンターにも同じことが言える。森がなければ出現と同時に姿が丸見えとなり、簡単に撃破されてしまっただろう。高機動型の敵は戦場に入って来た直後は直線的な動きをすることが多く、ある程度慣れたプレイヤーはこの瞬間こそ最も敵の軌道を捉えやすい瞬間であることを知っているからである。
 
また、北の崖手前の森がなかったら、プレイヤーはかなり遠目からでも崖を駆け降りるパンター三体の姿を確認することが出来、森がある場合より遥かに容易に対処が可能になっただろう。森の存在がパンターの奇襲効果をより高めているわけである。
 
ちょっと待て、ポルタヴァのフォルクスパンターの出現方向には森がないではないかという声が聞こえてきそうだが、ポルタヴァはギリシャ以上に難易度が高く、特に後半は四体のフォルクスパンターと多数のBMXが続々と登場する為、敢えて丸見えにすることで対処を容易にし、難易度を調節したのではないかと思う。
 
もしフォルクスパンターの出現位置が全て森で隠されていたら、一機辺りに掛かる時間はその分増加した筈だ。そして後続の増援に対処する余裕がなくなり、あったとしてもアンフェアに感じてしまうか、理不尽な難易度と感じられてしまったかも知れない。ここら辺はその都度調節されているのだと思う。
 
そのポルタヴァにしても、もし森がなかったら他の敵増援は遠目に丸見えになってしまっただろう。足の遅いリットリオなどは特にそうで、交戦距離が延び、遠距離でも強力な武装が存在するGGBでは最悪狙撃の的にしかならない。森のお陰で存在が秘匿され、敵の増援の不意打ち効果が高まっているのである。
 
この森の視界を遮る効果自体は旧作の頃からあったわけだが、狙撃モードでスコープを覗くことが多くなったGGBでは特にそれを感じることが多い。攻撃ボーナスの判定が部位判定になったこともあり、僅かな木々の重なりさえ射撃精度に大きな影響を及ぼす。視界を遮るだけとは言え、中々に厄介なのだ。
 
このGGBの森に残された最後の役割が視覚を遮る役目だったという事実は、逆説的に視覚優位な状況が作られ、レーダーに頼らずとも敵の位置を把握出来る環境が整ったことを示していないだろうか。GGBはハード性能の向上によって「視覚」という強力なセンサーを手にしたのだと思う。
 
ここで考えたいのは、この上レーダーまであったらゲームとして面白くなるかどうかである。交戦距離が伸び、強力な貫通砲やATMでの一方的な遠距離攻撃すら可能になったGGBにもしレーダーがあったら、最悪レーダー画面と睨めっこしつつの射的ゲームにしかならない可能性がある。
 
視覚という有効なセンサーが解放された以上、レーダーで敵の位置を教える必要はなく、むしろ敵の大体の位置を知らせ、その方向に視線を誘導してやるような仕組みの方が良いこれは目の前のプレイにより集中出来るという意味でも、STGとしては大きな利点になる。GAはそう考えたのではないか。
 

2 「ガングリ」を作った男達

 

原点はサバイバルゲーム

「要は当てることよ!片目瞑ってよーく狙う。これよ!」 ブチヤマ

 

これはガングリの初期コンセプトにも合致すると思う。本作の世界観や設定を担当した岡田厚利氏*6によると、ガングリの初期コンセプトは「隠れながら撃つ感覚を再現すること」にあり、そのアイデアの発端として開発担当者が当時流行していたバトルテックというロボゲーとサバイバルゲームにハマっていたことを挙げている。*7

 

当時のGA関係者のブログを読むと、GA部内にはサバゲー部が存在し、ディレクターの故・宮路武*8が参加していたことも確認出来る。それも、毎回自作した改造パーツを持ち込んでくる程の熱の入れようだったようだ。岡田氏の言う、サバゲーにハマっていた開発担当者とは間違いなく宮路氏のことだろう。

ameblo.jp


つまり、ガングリというゲームの原点はサバゲーにあると考えて良いと思う*9「隠れながら撃つ感覚」というのは恐らくサバイバルゲームの根源的な面白さを表す言葉であり、それを再現することがコンセプトだった以上、余りにも便利過ぎるレーダーなどの機能は実はその意図に沿わないものだった可能性があるのだ。

近未来の架空の歩兵戦闘ゲームを舞台にした押井守*10の小説「Avalon 灰色の貴婦人」(株式会社メディアファクトリー)にはこういう台詞がある。

 

「俺たちが手にしている武器がなぜ携行火器に限定され、しかも前世紀のそれに限定されているか考えたことがあるか」


「これ以上の武器を装備すれば戦闘から現実感が失われる・・・・・・」

「ミサイルを撃ち合うような戦場のどこに現実感がある。個人の戦技や能力を最大限に発揮できるぎりぎりの設定がこれなんだ。携行火器を基本とする歩兵戦闘・・・・・・これ以上の設定はシミュレーターに逆戻りすることになる・・・・・・」

 


勿論、ガングリの世界がミサイルを撃ち合う戦場であることは分かっている。それどころか、クラスター爆弾や燃料気化爆弾まで撃ち合う世界なのも承知している。それでも敢えてこの台詞を引用したのは、この言葉がレーダーを廃止した理由の説明になっていると思うからだ。

ただでさえ強力な武装が実装され、狙撃モードで交戦距離も広がったGGBにレーダーのような便利な機能があったら、プレイヤーの技量を発揮する余地が狭まってしまう。前述したように、最悪レーダー画面と睨めっこしながらの射的ゲームにしかならず、それは明らかに開発コンセプトにそぐわない。

現実の兵器ならばそれで良い。身を危険に晒さずレーダー画面と睨めっこしながら敵を倒せるならそれに越したことはない。面白くなくたって全然構わない。敵を倒し、生き残ることが一番である。だが、ガングリはゲームである。ゲームである以上、プレイヤーの力量が活かせる余地がなければ面白くない。

ガングリはロボゲーではあるが、その発想の原点にサバゲーという歩兵戦闘を基本にしたゲームがあったことに留意すべきだと思う。実際、ガングリをプレイしていると自分自身が息を切らして走っているような感覚になることがあるが、これは何も12式が人型であることだけが理由ではない筈だ。

 
この感覚は特にGGBにおいて顕著である。これはPS2になってマップが旧作に比べて格段に進化し、微妙な地形の起伏まで丁寧に再現されるようになったこととも関連がある。敵の砲弾から身を守る為に稜線の影に隠れたり、地形を盾にしたりする場面が増えたのだ。この感覚もサバゲーに近いと言える(これについては後で改めて触れる)。

このマップの進化や操作系の改善でGGBは特に機体を操作している感覚が強く、それは時に自分の身体の延長のように感じることすらある程だ。この感覚も、実はサバゲー由来なのだと考えると合点がいく。ガングリが他のロボゲーと一線を画す点はこの辺にあると思う。

 

宮路武が目指したゲームとは

「ねえ、奴の最終的な目的って何なのかな!?」 後藤喜一 


恐らく、宮路氏が目指したゲームとは息を切らしながら戦場を駆け回るゲームである。敵の攻撃を避ける為に物陰に隠れ、地面に伏せ、弾丸が飛んで来たら思わずのけ反りたくなるゲームである。「隠れながら撃つ感覚」とはそのことであり、これこそがガングリにおける「現実感」なのだと思う(これについてはまた後半で改めて述べる)。

もしサバゲーにレーダーがあり、敵の位置が丸見えだったら参加者はどう思うだろう。それも昨今のFPSと違い、常時無条件で存在し続けるレーダーである。クリアリングの楽しみが減り、個人の戦技を活かす余地は失われてしまう。この点では質量センサーの方が個人の戦技を活かす余地があると言える。

だから、実はレーダーはあくまでも過渡期の産物だったとは考えられないか。視認距離の問題がある旧作では必要だったが、それはあくまでもハード性能の制約を補う為であり、なくしても良い環境さえ整えばいつでもなくしてしまえるものだった。そう考えると、色々と合点がいくように思う。

実際、代わりに採用された質量センサーはそれほど使い勝手の悪いものではない。むしろレーダー画面に視線を移さなくて良い分、アクション性の増した機体の操作に集中出来るメリットや、より素早く射撃や回避行動に移れる反応速度の高さという点で優れており、後述するGGBの仕様とも相性が良い。

開発側の「レーダーばかり見るゲームになっていたから」という言葉はこのことも指していたと思うが、また別の意味もあっただろう。前述のように、視覚が制限された旧作にレーダーは必要な機能だったが、何度もプレイしてステージの展開を把握してくると、逆にその弊害を感じることも多かったと思う。

初代やⅡではなまじレーダーという便利な機能がある分、プレイヤーはレーダー画面を漫然と眺めるだけで敵の位置が掴めてしまい、自ら考えたり、判断したりする必要が薄くなっていた。これはゲームに慣れてくるほどそうで、「レーダーばかり見るゲームになっていたから」という発言はこのことも含んでいたと思う。

 

便利さか、楽しさか

「あのう、なぜマニュアルで操作を?FCSを使用してロックオンすれば98%の命中率と聞いておりますが・・・・・・」 訓練生


ガングリフォンは常に「プレイヤーに考えさせる」方向で進化して来たと思う。例えば、初代では全武装一括だった弾薬の補給がⅡでは選択した武装のみになったように、プレイヤーに考えることを促してきた。限られた武装しか補給出来なくなった為、プレイヤーはどの武装を補給するか自ら選択し、判断する必要が出たのである。一括補給の方が明らかに便利だが、そこにプレイヤーの思考が入る余地は少ない。


前述のノボシビルスクリレハンメルもそう。レーダーの情報を鵜呑みにさせず、敵の位置情報を秘匿したり、小出しにしたりすることでプレイヤーを撹乱し、考えて行動するように仕向けている。レーダーに頼り切った無思考なプレイを拒否し、ゲーム展開の単調さを減じようとしていた。

恐らく、森が採用された理由もレーダーを殺す為だけでなく、移動を制限することも重要な目的だった筈だ。もし森がなかったら、レーダーで敵の位置を確認して最短距離をひたすらローラーダッシュで結ぶだけの単調なゲームになってしまう。少しでもプレイヤーにルートを考えさせたい意図があったと思う。

 

これは偏差射撃の概念にも表れている。聞き慣れない言葉だが、これは敵の移動先を予測して射撃を命中させる技術のことで、ガングリの中で最も基本的な射撃技術の一つである。戦場に現れる敵は常に動いている為、この技術をマスターしないとクリアは覚束ない。

これが他のロボゲー、例えばアーマードコア(以下AC)ならロックオンした敵に対して自動的に射撃を補正してくれる為、プレイヤーが正確な狙いをつける必要はない。目標を視界の中央に捉え続ければ良いだけだ。現代の戦車も似たような機能を有しているのだから、ガングリで採用されても良さそうなものだが、これは採用されていない。

勿論、ACとガングリではゲームの方向性自体が全く違うし、TPSとFPSという差もあるから、比べること自体に余り意味はない。ACには必要な機能かも知れないが、ガングリには必要なかったというまでのことである。とは言え、こういう機能が採用されなかった理由について考えることは無駄ではないと思う。

宮路氏はインタビューの中で、初代開発中に操作系の複雑さを巡って社内で揉めたことを認めた上で、「操作を簡単にしようと思えば出来るのですが、それだけやれることが減り、面白みが減ってしまう」と語っている*11。この言葉はガングリフォンの数々の仕様がどのように採用されているかを考えるうえで、非常に重要だと思う。

 

これは丁度、「ブラッドボーン」で宮崎英高*12が「死闘感」というコンセプトに沿って盾を廃止した理由にも通じるものがあると思う。ブラッドボーンはそれまでのソウルシリーズに存在した「盾」が戦いの緊張感を奪っていた反省からこれを廃止し*13、代わりに敵にダメージを与えることで体力が回復する「リゲインシステム」を導入することでより緊張感のある戦いが起こるように工夫していた。便利過ぎる機能は、時にプレイヤーからゲームの面白みを奪ってしまう可能性があるのだ。


レーダーの代わりに採用された質量センサーもこの文脈で考えると分かり易い。これは敵の大体の方向は教えてくれるが、あくまでも大体であり、プレイヤーは波形の反応や途切れ方から敵の正確な位置や移動速度を割り出し、敵の機種や先々の展開を予想する必要があった。

この方式の良い所は、レーダーから情報を与えられるだけの受動的なスタイルから、自ら情報を獲得し判断していく能動的なスタイルへと転換されていることである。これは補給の形態と同じくプレイヤーに考えさせ、よりアクティブにゲームをプレイしてもらう為の工夫だったと思う。そしてそれは前述の宮路氏の言葉とも合致する。

 

3 ブレイズが目指したもの

 

強められたランダム要素

 「鬼!悪魔!誘拐魔!幹ちゃん死なないでー!」 進士多美子

 

こうした意図はGGBで採用されている他の仕様にも表れていると思う。

  • ランダム増援の増加
  • 敵初期配置のシャッフル
  • 追加増援
  • 補給ヘリの廃止とアイテム制の導入
  • ブービートラップ

以下、順を追って説明してみる。

考えて見ると、初代は敵の配置や増援の出現方向が固定の為に覚えゲーの性格が強く、レーダーや補給ヘリの存在もあって展開が固定されがちだった。完全に固定されていたわけではないが、習熟すればするほど無駄な動きが減り、展開が単調になる面があったのは否めないと思う。*14

その反省からか、Ⅱでは敵の出現方向がランダムに変化するランダム増援が採用された。プレイヤーはその都度、敵がどこから来るのかという判断を強いられるようになり、単調さもある程度緩和された。しかし、この時点では増援の出現方向は2パターン程で、ランダム増援自体の数も少なかった。

GGBのランダム増援も高機動型は2パターンだが、通常のAWGSや車両に限ると3パターン程に増えており、数も大幅に増えている。それが組み合わさることで敵の出現パターンも複雑になり、レーダーの廃止も手伝って先の展開が非常に読みにくい。これがⅡ以上に展開の単調さを防いでいる要因だと思う。

展開の単調さを防ぐ工夫は他にもあって、例えば初期配置のシャッフルである。前述のギリシャウクライナは敵の初期配置パターンが2つあり、毎回ランダムに変わる。目前に敵がいる状態でスタートすることもあるので気が抜けない上、ミスも起こり易い。プレイヤーは常に程よい緊張感でミッションに臨めるわけだ。

次は敵の追加増援。これはギリシャのレオパルドⅢやウクライナのリットリオ等、特定の増援を素早く倒すと追加で普段は現れない二体目以降の増援が現れる仕様で、上達するほど思わぬ敵の登場に意表を突かれるということがしばし起こる。条件を把握した後でも上記のランダム増援との組み合わせ次第では見落とすことが多く、事故に繋がることも多い*15

つまり、GGBはランダム要素を強めることでゲーム展開に変化が起こるようになっており、リアルタイムの状況判断をより重視した作りになっている。敵がどこにいるのか、どこから来るのか、どこで迎え撃つのか。プレイヤーは刻々と変わる展開の中で記憶やレーダーに頼らず、その都度判断する必要があるのだ。この意味では、旧作に比べて不確定要素の多い現実の戦場に近い感覚を再現していると言えるのである。

 
仮にレーダーがあったとしたら、これらの仕様の効果は半減しただろう。如何にランダム増援の数が多くとも、敵が戦場に入ると同時に位置が分かるなら先の展開は読み易い。それはプレイヤーから考える機会や判断する楽しみ(面白み)を奪ってしまうことに繋がりかねず、これらの仕様を導入した目的とも逆行する。


これらの試みは特にポルタヴァ前半に結実しており、四方から迫り来るロシア軍の波状攻撃に良く反映されていた。ランダム増援の数とパターンが多い為に敵位置の把握が難しい上、ATM持ちの敵が多いのでうっかり被弾も多く、決め打ちの攻略法は一切通用しない。その時々の状況判断が重要なのだ。

勿論、ミッションの大枠の流れや登場する敵が変わることはない。だが、出撃の度に少しずつ違う方向から敵が来ることで展開が微妙に左右され、プレイヤーは振り回される。この微妙な差異の重なりが攻略ルートや展開の固定化を防ぎ、どれだけ習熟してもプレイが単調にならない理由だと思う。

 

旧作の蓄積と新しい試み 

「出来なかったことを悔やんでも始まらねぇ。これからどうするか、そのことを考えようや」 榊清太郎


恐らく、この仕様はⅡのランダム増援を発展させただけのものではなくて、サバイバルモードの蓄積も活かされているのではないかと思う。実際、GGBのステージはポルタ以外にもサバイバルモードを彷彿とさせるステージが多く、特にケープカナベラルやチベットにはそれを感じる。

この二つのステージはクリアするだけなら簡単なのだが、ハイスコアを狙うとなると時間ギリギリまで粘って途切れることなく現れる敵増援を倒し続けなければならず、この辺りの感覚はサバイバルモードに良く似ている。速攻クリアか、ハイスコアか。自分で任意に作戦時間を調節出来るのもGGBならではで、旧作にはこうしたステージはなかった*16

 

Ⅱで実装された多彩なモードが削除されたこともGGBの不満点の一つとして挙げられることが多かったが、こうして見ると、実はサバイバルモードはGGBのステージ構成に活かされる形で通常モードと統合されたのだと見ることも出来る。サバイバルモードは廃止されたのではなく、形を変えてGGBのリプレイ性を高める役割を果たしているとも言えるのではないだろうか。

補給ヘリの廃止とアイテム制*17の導入がこの方向性を決定づけるものであることは説明不要と思う。補給ヘリによって狭められていた攻略ルートを解放し、プレイヤーに攻略ルートを考えさせることで展開に含みを持たせようとしたことは非常に良い試みだったと思う。

そして大変遺憾ながら、誠に遺憾ながらこの方向性を別の意味で象徴するのがブービートラップの巨大爆弾だ(正式名称だ)。これは読んで字の如く巨大な爆弾で、敵を撃破したり、地面を撃ったりするとランダムで出て来て、不注意にもそこに突っ込んだプレイヤーに大ダメージを与えるという代物だ。

余りにゲーム的過ぎるトラップだが、このお陰でプレイヤーは敵を倒した後も気が抜けず、爆弾を視認したらすぐさま急停止するか、ジャンプで避けるかという、「リアルタイム」の判断を迫られる。判断を誤れば爆弾に突っ込んで爆散するか、爆弾を頭に乗っけて爆散するかの二択を迫られることになる。

万一引っ掛ると、下手をすれば即死。そうでなくてもダメージが響いて後の展開が変わってしまう。本来なら相手に出来る筈の敵を相手に出来なくなる。被弾することの多い接近戦をすることが不可能になる。回復する為に補給所に向かわなければならなくなる。その間に敵の進出を許してしまう。後続の増援に対する対処が遅れる。結果、戦況が悪化する。演出的にはともかく、ハプニングを起こすことで何としても単調な展開を抑えようという強い意志は感じてもらえると思う。

 

高められたリプレイ性

「ちょっと、いつまでやってんの!時間がないんだよ、時間がぁ!」 シバシゲオ


これらの仕様とマップの進化、武装の豊富さのお陰でGGBはリプレイ性が非常に高く、ステージ数がシリーズ最少の割にボリューム不足は余り感じない。特にギリシャウクライナは完成度が高く、リプレイ性が極めて高い。同じミッションでも出撃する度に少しずつ展開が変わる為、飽きが来にくいのだ。

 

実際、この作品を何年もプレイしているが、この二つのミッションを回すだけでも延々遊べてしまう。前述の仕様のお陰もあるが、攻撃判定の改良とマップの進化で地形の持つ意味が旧作に比べて段違いに進化している為、繰り返しプレイに耐える奥深さがある。それは攻略ルートや武装の多様化にも表れている。

 

選ぶ機体、武装、アイテム、ステージ、攻略ルート、敵のランダム増援のパターン、イフェクトグッズ(補給アイテム)やブービートラップの出現の有無、それらの組み合わせによって展開は驚くほど変化する。

 

勿論、高得点を狙うなら最適解がないわけではないし、何度もプレイすればある程度効率的な攻略ルートも絞られては来る。が、前述のランダム要素までは流石にコントロール出来ない為、どんなにゲームに習熟したとしても予想外の展開やミスが往々にして起こる。それが池に投げられた小石のように波紋を広げ、遂には戦場の様相を全く別のものへと変えてしまう。如何にプレイヤーの腕が上がろうとも、決して油断は出来ない。

 

実際、GGBの戦場にはたった一度のミスが即死に繋がる怖さがつきまとう。初心者向けなどと揶揄されることも多い本作だが、最高難易度のHELLモードの難しさは旧作に勝るとも劣らない。交戦距離の拡大で敵の集中砲火を受ける場面が増えたこともあり、ダメージの蓄積はむしろ旧作より早い(これがアイテム制に移行した理由の一つだと思う。ヘリを待っていては補給が追いつかないし、ゲームスピードが遅くなる)。

 

この為、スピード感の上がったGGBでは16式やヤクパンを使っているとその機動力に物言わせてついつい前線に突出してしまいたくなることが多いのだが、突出すると敵の集中砲火を受けて瀕死に追い込まれるという場面が少なくない。特にヤクパンは装甲が薄い為に、これが命取りになる。

 

これは旧作から変更されたジャンプの挙動が大いに関連していて、その場に滞空出来た旧作と違って前方に滑空するようになったことで、思った以上に前に出やすくなったことにも一因がある(というか、それも目的とした調整だと思う)。

 

前方に滑空するようになった分、上空からの攻撃が難しくなって意外とジャンプ攻撃で敵の数を減らせない+着地後に方向転換して追い越した敵に振り向くまでの隙が重なり、地味にダメージを受ける時間が増えたのだ。GGBはスピード感が増して旧作以上に自由に動き回れるゲームになった一方、それが仇となる場面も多いのである。

 

この為、派手なアクションを想起させるジャケ絵とは裏腹に、むしろ狙撃モードを駆使して敵の射程外から数を減らしていく地味なプレイが非常に重要になっている。*18ローラーダッシュもジャンプも出来ない9式が意外と強く感じるのはこの為だ。敵の有効射が届かない遠距離からでも部位に関係なく大ダメージを与える新型貫通砲と高い耐久力。この二つを併せ持つ9式は実はGGBの仕様と非常に相性が良い。

 

この技術は16式やヤクパンでも重要で、高機動を活かして敵陣に突っ込むだけでなく、時にはジャンプで崖の上などに登り、高所から狙撃モードで敵の弱点部位を狙うなどの工夫が必要になる。こうしたプレイ感覚は旧作にはなかったGGBの良点であり、ジャンプの使い方にも幅が出たと言える(ジャンプについては後で改めて解説する)。

 

機動力を駆使した「動」のアクションと、狙撃モードを活かした「静」のアクション。実はGGBはこの二つのアクションをその時々の状況に合わせて使い分けることが非常に重要であり、これを間違えると前述のようなミスを犯しがちである。プレイヤーの腕や技術は勿論重要なのだが、それ以上に重要なのはその時々の状況判断にこそあるのだ。

 

不確定要素の多い実際の戦場を再現するというのは、つまりそういうことでもある。実際の戦場で予測出来ることなど限られている。敵がどこにいるか、どこから来るのか、どこで迎え撃つべきなのか、どのように戦うべきなのか。それが決まり切った戦場などありはしない。ランダム要素の項でも述べたように、だからこそリアルタイムの判断が重要になる。

 

こうした方向性を見ると、もしかしたらGAはリニアなゲームの枠の中で最大限ノンリニアな展開を目指していたのではないかと思わなくもないそれは小島秀夫がMGSVで目指したような、同じミッションを何度プレイしても展開が変わるノンリニア体験であると言ったら飛躍し過ぎだろうか*19

 

が、オープンワールドのそれほど大袈裟ではない、ささやかなノンリニア体験を志向していた節はⅡの頃から窺える気がする(ランダム増援やサバイバルモードの仕様を見るとそう思う)。少なくとも、もしシリーズが続いていればいずれはそういう方向を志向しただろうと思わせるだけのポテンシャルがGGBにはあると思う。

 

これらがアクション面の強化とはまた別のGGBが目指した方向性であり、レーダー廃止に至った理由だと思う。覚えゲー感や単調な展開を抑え、出撃する度に少しずつ違う展開が起きるリプレイ性の高さと、プレイヤーが自ら考えて動くことを奨励するアクティブなゲームへの転換を狙った結果ではないかと思う。

 

そしてその究極的な目的はやはり、「隠れながら撃つ感覚」を再現するという、開発初期のコンセプトに沿った結果であると思う。GGBの仕様にはそれを実現する為の工夫がいくつもあり、プレイ感覚に限って言えば最も初期コンセプトに近づいたガングリフォンとさえ言ってしまっても差し支えないと思う。

 

次章ではこの「隠れながら撃つ感覚」とは何かを改めて考察し、GAがそれを如何に実現したかについて見て行きたいと思う。

 

4 「隠れながら撃つ感覚」はいかにして実現されたか

 

「隠れながら撃つ感覚」とは何か?

「戦車が来たらどうするんだ!戦車が!」 太田功 

  

発売以来、GGBは海外市場やライトユーザーを狙った作品であると言われることが多かった。しかし、その仕様をつぶさに見ると、Ⅱで膨れ上がった要素やモードを一端整理し、開発初期のコンセプトに立ち返って足元を見つめ直した、むしろ原点回帰を図った作品であったと位置づけられるのではないかと思う。

 

その中核を成すのが岡田氏の語った「隠れながら撃つ感覚」というコンセプトである。ガングリフォンという作品はこの感覚を再現することを大きなテーマとして始まったわけだが、GGBで行われた多くの改変や仕様変更はこのコンセプトを更に高いレベルで表現する為のものであったと考えられるのだ。

 

では、この「隠れながら撃つ感覚」とはそもそもどのようなものなのか?

この言葉には大きく分けて二つの意味があると思う。一つは演出としての意味である。

 

これは簡単に言うなら、前述した「ブラッドボーン」で言うところの「死闘感」というコンセプトに例えることが出来ると思う。既に見たように、「ブラッドボーン」は敢えて盾を廃止してガードという手段をなくすことで緊張感のある戦闘を演出していたわけだが、その大きな目的は正にやるか、やられるかの死闘を表現することにあった。

 

方法論は真逆だが、「隠れながら撃つ感覚」という言葉も目指すところは同じである。なぜならば、「隠れる」という行為は敵の攻撃がそれだけ激しいものであるという前提があってこそ成り立つもので、敵の攻撃が脅威でないのなら隠れる必要はどこにもないからだ。

 

実際、銃弾や砲弾が引っ切り無しに飛び交う現実の戦場でその身を晒して戦う馬鹿はいない。ドイツ軍が待ち受けるノルマンディーの砂浜で不用意にヘルメットを取ればヘッドショットを決められるのがオチだし、西部戦線塹壕で蝶々を追いかけて身を乗り出せば待っているのはやはり死のみである。だからこそ、隠れる必要があるのである。

 

つまり、「隠れながら撃つ感覚」という言葉には、それだけ厳しくリアルな戦場をシミュレートしようという意志が込められている。「隠れながら撃つ」ことを余儀なくされるような、厳しくハードな戦場。一瞬の判断が生死を分ける、戦場の息詰まる緊迫感。これを表現することがガングリフォンという作品の大きなテーマの一つであったと考えられるのだ。そしてこの感覚は確かに、初代の頃から見事に作品の中に落とし込まれているのである。

 

それは例えば、連雲港で味方のC-17輸送機の進路上にVW‐1とADATSの部隊が立ちはだかった時の、あのジリジリした感覚と言ったら分かり易いだろうか。C-17の血路を開く為にはこれを倒さなければならないが、一歩間違えばこちらが瞬時にスクラップにされてしまうかも知れないという、あの緊張感、緊迫感。

或いは、吹雪と森で視界の効かないノボシビルスクで、敵の増援に見つからないように身を潜め、攻撃目標の列車が来るのを今か今かと待っている感覚と言い換えても良いかも知れない。 これらのステージを手に汗握ってプレイした方は多いだろう。

 

そして二つ目の意味は、これをゲームシステムとして体現する「稜線射撃」、或いは「ハルダウン」の概念と考えらえる。これは現実の戦車などでも使われている戦闘技術の一つで、車体部分を丘や地形の稜線に隠しつつ、装甲の厚い砲塔だけを出して敵を狙い撃つテクニックである。敵に晒す部分を少なくすることで被弾率を抑える効果もあり、作中の設定でも特に車高の高い二脚型AWGSに有効な戦法とされている*20

 

言うなれば、FPSにおける「リーン」、TPSにおける「カバー撃ち」に相当する概念であると考えて良いだろう。「ハルダウン」は昨今の戦車ゲーでは当たり前と言っても良いアクションではあるが、GAは20年以上も前にこのアクションをゲームに取り込もうとしていたのである。

 

もっとも、正確に言うとこの「稜線射撃」や遮蔽物越しの射撃アクションについての記述は説明書中には一切存在しない(と思う。あったらごめんなさい)。しかし、明らかにこれを志向したと思しき試みは初代の頃から既に始まっており、いくつかのステージにその痕跡を見ることが出来る。

例えばキエフである。キエフはシリーズでも珍しい市街戦を扱ったステージで、建物が密集する市街地に敵のAWGSや戦車が散らばっているのが特徴である。恐らく、開発側はこれらの建物を遮蔽物として利用して隠れながら敵を倒していくプレイスタイルを想定していたと思われる。

また別の例はタートンである。タートンは燃料不足で三次元機動が行えない状態からスタートするこれまたシリーズでも珍しいステージの一つで、必然的にステージ前半は地上戦を余儀なくされる。これを見越したようにスタート地点前方にはいくつかの大きな起伏が用意されており、その後方に配置された敵部隊と戦う際には遮蔽物として大いに重宝する。

多少特殊だが、ウェイファンもそれらの例に当てはまるかも知れない。ウェイファンは味方部隊の進路上に起伏で囲まれた地形があり(恐らく即席の塹壕)、自機や味方部隊が接近するとその中に配置された敵砲兵部隊のMLRSが砲撃を行ってくる。敵は起伏と護衛の戦車部隊に守られている為、非常に倒しづらく、迂闊に接近すると大ダメージを食らうこととなる。

特にタートンは燃料不足で飛べないという制限が掛けられていることから見ても、明らかに起伏を利用して隠れながら戦うスタイルにプレイヤーを誘導していたと見て良いだろう。こうした地形の活用は敵の攻撃が激しくなる高難易度の、特に後半ステージに行くほど重要性が高まっており、コンセプトがきちんとゲーム内に反映されていたのが確認出来る。


このように、初代の時点でもこのコンセプトは部分的には上手く表現されていたわけだが、問題が全くないわけでもなかった。というのも、旧作では建物やオブジェクトの判定が見た目より大きく、建物の壁や起伏の際スレスレなどで射撃すると見えない壁に弾が吸い込まれるという、技術上の問題があった為だ。この為、「隠れながら撃つ」というよりも、「遮蔽物の陰に隠れて敵弾を避けた」後、「飛び出して撃つ」という感覚に近く、二つのアクションが分離していたように思えるのだ。

 

この問題は特にキエフに顕著で、建物が密集する狭い通りでは敵味方問わず見えない壁に 射撃が吸い込まれることが頻発した。この為、敵を攻撃する際には建物から十分に離れるか、空中にジャンプして攻撃する必要があった。これでは「隠れながら撃つ感覚」からは程遠い*21

 

開所マップであるタートンにはこうした問題は少なく、よりコンセプトを良く感じられるように思う。起伏を利用して敵の攻撃をかわし、起伏の陰から反撃する。この辺りのプレイ感覚には確かに稜線射撃を思わせるものがあり、「隠れながら撃つ感覚」が表現されていたと考えて良いと思う。

 

ただ、それは燃料不足で飛べないという制限を掛けて地上戦を強制したことに負うところも大きく、ゲーム側が一定の縛りを掛けないとそのコンセプトが成立しなかったということを示唆していると思う。

 

実際、この例の中で最も上手く行っているのはむしろ敵側のギミックとして採用されているウェイファンではないだろうか。前述のように、このステージに登場する敵部隊はマップ中央部の起伏に囲まれた地形に砲兵部隊のMLRSを中心に護衛のM1戦車やADATSを並べて強固な防衛陣地を築いており、突破が非常に困難である。

 

陣地に近づこうとすると起伏手前のM1に阻まれ、足止めされているところに遠距離からMLRSの砲撃(RP)が来る。痺れを切らして塹壕内に突撃すると、今度は待ち受けていたADATSにATMの猛連射をお見舞いさせられるという寸法で、この三つの敵と起伏の地形効果が絡まって非常に高い防御力を発揮していた。

 

この点では地形や起伏を利用した戦いが上手く表現されていたとも言えるが、それはあくまでもプレイヤーを阻む障害としてであって、プレイヤーが活用する手段としてではなかった。

 

勿論、ノーダメージプレイや無失点プレイなど、特殊なプレイの場合は必ずしもこの限りではないのだが、普通にプレイする分には遮蔽物を意識することはほとんどないと言って良いだろう。これらのことを考えると、「隠れながら撃つ感覚」というコンセプトは初代においてはまだ部分的にしか達成されていなかったと考えて良いと思う。

 

GAがこうした試みにどのような自己評価を下していたのかは分からないが、続編のⅡにおいてこうした地形を活用したコンセプトは一端影を潜めたように感じられる。

 

というのも、Ⅱは砂漠や平野といった開けたステージが多く、遮蔽物を利用する場面はおろか、遮蔽物の数自体が極端に少なくなっている為だ。これは全体に高速化し、AIや挙動が強化された敵AWGSとのドッグファイトを志向したことが大きな理由だったと思う(或いは、キエフのように複雑な地形だと僚機が引っ掛ってしまう可能性もあるし、せっかくの僚機システムが死んでしまう。実際、メインの戦場が二本の橋に限られるチーナンでは選択出来る僚機がヘリのみに限られていた)。Ⅱでは敵のAIが賢くなり、被弾した際に回避行動を取ったり、自機との旋回戦を行うようになったりした為、必然的に発生するドッグファイトを成立させる為には開けたマップの方が色々と都合が良いと考えられたのだろう。

 

恐らく、初代において「隠れながら撃つ感覚」に体現されていた「死闘感」は、Ⅱでは敵の高機動型AWGSとのドッグファイトに切り替えられたのだと思う。ミハエル・ハルトマンというエースパイロットが設定され、ラストステージが彼との一騎打ちだったのも、そうした方向性を象徴しているのではないか。

 

また、Ⅱは取り分けてジャンプ性能が強力であり、これも地形を活用した「隠れながら撃つ感覚」を感じにくくさせている要因であったと思う。旧作ではジャンプ時に攻撃力が二倍になるボーナスが掛かるのだが、Ⅱではこの特性に加えて前後左右斜め八方向にスライド移動出来る高い自由度と、狙いが多少甘くても戦車を一撃で屠れるVTG*22とが合わさって空に舞い上がってしまえば無敵に近く、隠れる必要性は薄くなっていた。

 

この仕様自体はⅡのプレイスタイルとは合っているし、ゲームとしても格段に快適にはなったのだが、「隠れながら撃つ」という当初のコンセプトとはやや逆行するものであることは明らかだ。ジャンプして攻撃するスタイルが強力ならば、隠れる必要はどこにもない。

 

ジャンプの調整と新しい役割

「ゴング0より各機、時間だ。状況を開始せよ」 柘植行人

 

GGBにおいて行われた仕様変更や改良を丁寧に見てみると、前述したような問題点が尽くクリアされており、「隠れながら撃つ感覚」をより高める方向性にシフトしたように感じられる。

例えば前項で見たオブジェクトの判定だ。GGBでは建物やオブジェクトの判定が見た目通りになり、建物の壁際や起伏の上スレスレで射撃しても射線が通るようになった。この地味ではあるが非常に大きな意味を持つ改良とズーム機能が合わさることにより、「隠れる」という行為と「撃つ」という行為の間がなくなり、「隠れながら撃つ」アクションが初めて直感的に行えるようになった。これはコンセプトを達成する上で非常に重要な進歩であったと思う。

強力過ぎたジャンプにもメスが入れられた。空中攻撃ボーナスは廃止され、ジャンプの挙動も前方に滑空し続けるやや扱いづらいものに変化した*23。結果としてジャンプ攻撃の難度は上がり、前方に突出し易くなった分だけ被弾することも増えた為、ジャンプしていれば何とかなるゲームではなくなった。

必然的に地形を活用した回避のウェイトが高まり、「隠れながら撃つ」というアクションの重要性がより高まったのである。これはタートンのようにジャンプ出来ない状況を作り出すのではなく、ジャンプの性能を調整することで地形を活用させる方向にシフトしたと言うことが出来ると思う。

 

だが、「ではジャンプは弱体化されたのか?」と言うと、実はそうでもない。空中からの攻撃ボーナスが廃止された代わりに部位判定が採用され、弱点部位に攻撃が当たれば四倍という強力なボーナスが設定された為だ。倍率だけで言えば旧作を凌ぐわけだ。

 

このお陰で難度こそ上がったものの、敵の上面装甲などに攻撃を当てれば旧作以上に大きなダメージを与えることが出来るようになった。ジャンプ攻撃は「誰でも使える強力な攻撃手段」から、「使いこなせれば強力な攻撃手段」へと変更されたのである。


また、この部位判定の導入によって敵の弱点部位を狙いやすくなった高所に陣取る重要性が高まったこともジャンプの価値を押し上げている要因の一つである。PS2になって一気に進化した高低差の激しいマップも追い風となり、高所に一気に移動できるジャンプの価値が相対的に高まっているのである。


また、旧作同様にATMの緊急回避手段としても有効な上、使い方次第では旧作よりも遥かに高い場所へと行くことも可能であり*24、応用の幅はむしろ広がっている。

 

GGBのジャンプは弱体化などしていない。確かにジャンプ攻撃の難度は上がったが、戦略的に有利な高所に一瞬で到達出来るメリットがそれを打ち消している。この仕様変更はHIGH‐MACSの設定的にもよりリアルな運用法になったと言え、時に地形に身を隠して敵弾をかわし、時にジャンプで高所へと到達するHIGH‐MACSの姿は、さながらナップ・オブ・ジ・アース(匍匐飛行)を繰り返す戦闘ヘリのようにも見える。

 

GAは鋼鉄のグリフォンからその翼をもぎ取ったのではない。半世紀前のベトコンと同じく、「地形戦」という名の新しい戦場に引きずり込んだのである。

 

二つの地形効果と深化した3D空間
「地底、水中、宇宙空間。アイボールセンサーだけじゃ追いつかないんだよ」 篠原遊馬
 
この地形戦を実現する上で、これらの改良にも増して重要だったのがマップである。恐らく、その開発リソースの大半を注ぎ込んだであろうマップの出来はシリーズでも随一で、峻険な山岳地帯からなだらかな丘陵、そして何の変哲もない起伏まで丁寧に作り込まれている。PS2が描き出すGGBのマップは広大にして壮大である。これに比べると、旧作のマップは多少の高低差こそあれ、どれも平坦なマップに思えてしまう*25
 
この立体感を増したマップがGGBの一つの方向性を示すものであることは、SS時代の二作が「3Ⅾシューティング」というジャンルに分類されていたのに対し、GGBでは「3Ⅾバトルフィールドアクション」へと変更されていることにも示されていると思う。*26
 
実際、GGBは地形の持つ意味が旧作とは比べ物にならないほど進化しており、旧作にも増して地形を活用した戦い方が求められる場面が増えているのだ。
 
このGGBの地形には大きく分けて二つの機能があり、ここでは格闘ゲームになぞらえて仮に「攻め」機能と「ガード」機能と呼ぶことにする。
 

まず「攻め」機能であるが、前述した高所からの狙撃等がこれに当たる。敵の弱点部位を狙い易い高所に陣取ることで武器の威力を何倍にも引き出し、素早く敵を撃破することを目的とした活用法である。弱点部位を狙わない場合に比べて弾薬も時間も節約出来る為、効率的なプレイにも繋がってくる。これは特に、弾薬数が少なく設定されているHELLモードをプレイする際には必須の活用法である。

 

もう一つは地形や建造物等を遮蔽物として使うことで自機の被弾を最小限に抑える、「ガード」機能としての活用法である。勿論、こうした回避法は旧作にも存在したわけだが、地形の描写がより細かくなったGGBのマップでは遮蔽物として利用出来る地形が大幅に増えている為、活用頻度が比べ物にならないくらい増えている。

 

それこそ、一見すると何の変哲もない小さな段差や地形の起伏、なだらかな坂の傾斜までが自機を守る自然の防壁となり得ているのである。また、巨大な岩石や遺跡といった破壊可能なオブジェクトもマップ上に点在するようになり、遮蔽物の種類が大幅に増えていることもこれを後押しする要因だ。

 

この二つの機能はそれぞれ「隠れながら撃つ」の「隠れる(ガード)」と「撃つ(攻め)」をそれぞれ体現しているわけだが、大事なのはこの二つの機能が不可分だということである。

 

GGBでは崖などの高所から敵を狙撃しているとATMによる反撃を受けることが多いのだが、これを崖の斜面で防ぎつつ、稜線の際から敵に反撃するということが可能になっている。つまり、「攻め」と「ガード」を同時に行うわけで、旧作では分離していた「隠れる」という行為と「撃つ」という行為が切れ目なく融合しているのである。これこそGAが初代の頃から追い求めて来た「隠れながら撃つ感覚」ではなかったかと思う。

 

この地形効果を活かせるか活かせないかで、ゲームの難易度は大きく変わってくる。

 
当然のことながら、こうした地形の効果は敵にも適用される。これはつまり、敵に高所を取られたり、優位なポイントを取られるとプレイヤー側も不利になることを意味する。
 
この良い例がギリシャだ。ミッション終盤、神殿の丘の麓まで撤退した味方部隊を狙って、四機のストゥームパンターが登場する。パンターはそれぞれ二機一組になって西と南側の斜面から丘を駆け上り、山頂の神殿辺りで二手に分かれてそれぞれ別方向から味方部隊へ攻撃を仕掛けてくるのだが、これを見逃してしまうと上面装甲を狙いやすい丘の上に陣取ることになる為、油断していると麓の味方部隊はひとたまりもない。
 
これを避けるには敵に先んじて素早く丘の上に登り、パンターが丘を登ってくるところを攻撃するのが有効だ。敵の弱点部位を狙い易い高所を抑えることで、狙いさえ正確なら驚くほど簡単に倒せてしまう。また、坂道が天然の壁となってくれる為、敵の攻撃を防ぐ盾としても機能してくれる、正に攻防一体のアクションが実現しているのである。
 
敵のAIの仕様上、優位な地点を巡って奪い合うというまでには至らないが、それでも優位なポジションを確保することが重要であることに変わりはない。そこに敵が到達する前に倒すことや、「どこで敵を迎え撃つか」という判断がミッションの成否を分けて来る。こうした感覚は旧作にもあったが、地形の持つ意味が劇的に高まったGGBでは更に重要になったのである。
 
 このように、GGBのマップはその規模だけでなく、質をも向上させることに成功している。マップの拡大によって実現された「横の広がり」と、部位判定の導入と立体化したマップによってもたらされた「縦の広がり」、そして視認距離と交戦距離の拡大によって実現された「奥行きの広がり」。この三つが合わさることにより、GGBは空間的にも概念的にもよりリアルな3D空間を獲得することとなっただけでなく、「隠れながら撃つ感覚」というコンセプトを下支えする重要な舞台装置ともなったのである。
 

5 変わり続けるガングリフォン

 
 
ATMの仕様とゲームバランスの変遷

「オートバランサー正常作動、下方視界良好、前方障害物なし」 泉野明

 

こうしたコンセプトを実現する為の努力の一方で、それ以外の部分についても 丁寧な調整が図られている。GGBは旧作に存在した問題点を一つ一つ丁寧に拾い上げ、改善していると感じる部分も多い。それは例えばゲームバランスの問題である。

 

初代の頃からガングリは難しいゲームだった。偏差射撃を基本とするFPSというジャンルとコントローラーの全てのボタンを使う複雑な操作系はただでさえ敷居が高く、硬派な作風とも相まって高い難易度に繋がっていた。どちらかと言えばライトユーザー向きと言われるGGBでもそれは変わらない。


最高難度になると敵の攻撃は旧作に劣らず苛烈で、一瞬の判断ミスで撃破されてしまうことも多い。が、旧作と違って視認距離が伸び、やれることが増えたこともあってアンフェアだと思うことはまずない。「自分が悪かったのだ」という納得感がきちんと残る。むしろ、撃破された時すら楽しいと思える。


この点で言うと、初代はやはりアンフェアだと感じる場面も少なくなかった。前述のこちらの視認外からの攻撃もそうだが、交戦距離の短さとシリーズ最速の速度・発射間隔を持つATMが合わさってATM持ちの敵がやたらと強く、最悪固められたまま死ぬことが割と頻発した。ADATS、お前らのことだぞ!*27

 

これは前述のような「隠れながら撃つ感覚」を表現する為の調整だったのかも知れない。敢えてATMの性能を強めに設定することで、緊張感や緊迫感を出そうとしていた可能性もある。ただ、仮にそうであったとしても、それが短い視認距離と交戦距離というハード性能の制約に起因する強さであるが故に、アンフェアに感じてしまうわけだ。


対して、GGBでは視認距離と交戦距離が格段に延びたこと、操作系や仕様の変更で機体の機動力がアップしたこと、ATMの速度と発射間隔が抑えられたことによりアンフェアだと思う状況はなくなった。*28一発の威力はむしろアップしているが、被弾するのは注意を怠った自分のせいだと思えるのである。


現実のATMの速度を考えればリアルさでは一歩後退したとも言えるが、これは狙撃モードを多用するGGBのスタイルに合わせた結果ではないかと思う。狙撃モード時は足を止める必要がある為、ATMの速度が速いままだとスコープを覗いている間に回避する間もなく被弾という場面が多発しただろう。

 

また、旧作に比べてマップが拡大して交戦距離が延び、ATMの射程も遥かに伸びていることから、長距離から、しかも背中の方向から初代の速度で撃たれたりすると全く反応出来ない可能性もあり、これらを避けたかったのだと思う。

 

とは言え、ATMの速度が低下したことで旧作に比べて豊富な回避手段が生まれたことは特筆すべき点である。以下に示したのはGGBにおけるATM回避法の一覧だが、これはそのまま採れるアクションの増加に繋がっていると思う。

 

  • ジャンプ
  • ジャンプ後、降下
  • 横方向に避ける
  • 後退し続けてATMが爆発するのを待つ
  • スライド移動
  • 遮蔽物や稜線に隠れる
  • ロックオンされる前にATM持ちの敵を狙撃で撃破する。
  • ギリギリまで引き付けてロボットアニメ風にターン回避

 

このように、GGBは旧作よりATMへの対処策が増えており、その分やれることが増えている。このATMの速度の速さもゲームプレイの幅を狭めていたと思うだけに(何しろ初代では開けた場所だと即ジャンプくらいしか確実な手段が思い浮かばない)、ゲームとしてはこの方向性はアリだと思う。*29

 

ではATMは脅威でなくなったかと言うとそんなことはなくて、旧作に比べて威力も射程も遥かに伸びている上にATM持ちの敵はペアで現れることが多い為、依然として油断は出来ないという、非常に良い調整がなされている。これはジャンプもローラーダッシュも出来ない9式や13式に乗るとより実感出来る筈である。

 
また、自分が使う武器としても「弱体化した」、「使いづらくなった」という声も良く聞かれるが、これも交戦距離の拡大したGGBのシステムに合わせた結果であり、旧作、特にⅡにおいてやや強力であったことへの反動ではなかったかと思う。
 
改めて考えてみると、初代のATMは高速な上に一撃で大抵の敵を撃破出来る強力なものだったが、発射後もプレイヤーが標的に誘導し続けなければならないという制約があった。これに対し、続編のⅡでは威力と装弾数が低下したものの(装弾数は10発。ただし、武装選択でATMを二個まで携行出来るので、最大弾数は20発)、敵が全体的に高速化したこともあってか、発射後も自動的に追尾してくれる撃ちっ放し機能と二連続で発射出来る連射機能が付与され、非常に使い易くなった。
 
一方、GGBのATMは射程距離が伸び、単発の威力こそやや強化されているものの、弾速が遅い上に誘導もやや甘めであり、敵のちょっとした回避行動や横移動で避けられることもしばしばだ。高機動型の敵にはまず当たらない上、おまけに発射間隔がとにかく長い(ただし、撃ちっ放し機能は強化されている為、ロックオンして放てばある程度までは軌道を自由に制御可能で、遮蔽物越しの射撃なども可能)。
 
 
これらの調整の意図はハッキリしていると思う。交戦距離の拡大したGGBの戦場において、強力過ぎる遠距離攻撃の手段はFPSとしての楽しみを奪う可能性があることは既に述べた。特に、誘導性能を持つATMが強力であれば遠距離から一方的に敵を倒すだけの射的ゲームになる恐れがあり、それはレーダーをなくして近接戦闘を奨励するゲームデザインとも逆行する。
 
もっとも、実際には大半の車両や軽量級のAUTRUCHEなら一撃で破壊出来るので、単純に弱体化されたとも言えない面もあるのだが、発射間隔が非常に伸びたことは上記のような開発側の意図を反映していると考えて良いだろう。ATMの発射間隔を敢えて長くすることで敵の接近を容易にし、近接戦闘が多発する状況を作りたかったのではないかと思う。
 
また、GGBではATMは基本武装に含まれておらず、アイテムを使って消費するオプショナルウェポン扱いの為、弾薬の補給が出来ないこともこれを裏付けると思う。別途オプショナルパーツによって威力や発射間隔を強化出来るとは言え、装弾数はあくまでも15発に限られるので、使いどころを見極める必要が出てくる。
 
これは他のオプショナルウェポンにも言える。
 
GGBにはATM以外にも連発式の高機動ミサイルや撃破時に敵の装甲を貫徹する新型貫通砲、空中で拡散して誘導型の子弾を降り注がせるクラスター爆弾、広範囲の敵に大ダメージを与える燃料気化爆弾など、旧作にも増して強力な遠距離攻撃手段が実装されているのだが、いずれもオプショナルウェポン扱いの為に補給は出来ず、発射回数に制限が掛けられている(9式は新型貫通砲が基本武装の為、この限りではない)。また、一度使用すると消費される使い切りアイテムの為、強力な武装は気軽には使えないし、中々取得出来ない。
 
また、ゲームに習熟してくるとこれらの武装を使わずにクリアすることも十分可能だ。次項で紹介することになるが、16式ならその基本武装である連射型GUNとRPGのみで全ての敵に対処出来るようにバランスが調整されているのだ。
 
この調整の意図を見ると、ガングリはあくまでもFPSであり、その醍醐味は偏差射撃にあるのだということが分かるように思う。敵の動きを予測し、攻撃を当てる。この単純だが、最も基本的なアクションこそがFPSの面白さの要であるという認識がそこにはある。
 
ATMやクラスター爆弾などの強力でユニークな武装も用意はするが、それらはあくまでも戦闘を円滑に進めたり、プレイの幅を広げる為の補助武器に過ぎず、ガングリの戦闘の基本はあくまでも偏差射撃にある。このFPSの芯とも言うべき部分をきっちり抑えて外していない辺りが、ガングリのゲームとして真に優れている部分ではないかと思う。
 
「豆鉄砲」が生み出すクロスコンバット

「太田、もう目は覚めたか?お前の大好きな接近戦だ、準備しろ」 篠原遊馬 

 

このATMの仕様と関連してもう一つ指摘しておきたいのが、いわゆる「豆鉄砲問題」である。

 

GGBの不満点の一つとして良く挙げられるものの一つに、「主砲が豆鉄砲になった」というものがある。16式の基本武装である連射型GUN(105㎜低反動滑腔砲)の発射音の軽さや低威力を嘆く言葉である。

 

実際、この「豆鉄砲」の威力は低く、正面からだと戦車を倒すのに5、6発は必要になる。旧作の主役機である12式や12式改の基本武装であるGUN(105㎜低反動滑腔砲及び120㎜低反動滑腔砲)は戦車を一撃で倒せていただけに*30、これにはがっくり来た旧作ファンも多かったらしい。

 

しかし、ここまでの考察を見て来た方ならば主砲の威力が抑えられた理由も想像は着くだろう。「便利過ぎる機能は時に面白みを奪ってしまう」というGGBの仕様変更に貫かれた大原則が、主砲にも適用されたのである(イフェクトグッズの仕様はこの限りではない)。

 

考えてみると、戦車を一撃で倒せる旧作のGUNは少々威力が過多であったという気がする。勿論、旧作のゲームシステムにはその方が都合が良かったのだろうが、どのような状況、方向からでも一撃で戦車を倒せる主砲というのは余りにも強力過ぎるし、リアリティがない。

 

時代遅れの戦車ならばともかく、第三世代以降の先進国のMBTが、しかも正面装甲に120㎜砲の直撃を受けて一撃で沈むとは考えにくい。筆者は常々、現実の戦車を本当にシミュレートするとしたらGGBのエレファント並みの装甲と火力がなければ嘘だろうと思っているのだが、少なくとも戦車を倒すのに5,6発の弾薬が必要な豆鉄砲の方がこの面ではリアルになっていると感じる(現実の戦車は恐らくエレファント以上に強力な存在であろう)。

 

勿論、戦車の装甲を抜けるかどうかは砲の性能や諸所の条件にもよるわけだが、旧作のHIGH‐MACSが正面からでも戦車を一撃で倒しているのが「リアル」で、一撃で倒せなくなったら「リアルではない」とは思わない。むしろ、HIGH-MACSの本来の運用法を考えれば三次元機動や地形といった要素を駆使して戦車を屠る方が理に適っている。

 

音響や砲声に関しては個人の感覚もあるので何とも言えないが、一般的に「リアルではない」とされてきたブレイズは、実はそのプレイ感覚や細部を見ると旧作より遥かに「リアル」になっているのではないだろうか?

 

確かに、GGBの主砲の威力は低い。しかし、前述の攻撃ボーナスと組み合わせれば連射型GUNでも戦車を一撃で倒すことは可能だ。敵の弱点部位である上面装甲さえ撃ち抜けば良いのである。

 

その為の手段は豊富に用意されている。ジャンプを駆使した空中からの攻撃、高所からの攻撃、ズーム機能を駆使した狙撃、ローラーダッシュを駆使して接近し、背の高さを活かして上面装甲を撃ち抜くなど、プレイヤーの工夫と腕次第でいくらでも威力の低さをカバー出来る。

 

与えられた機能をフルに駆使して正確に敵の弱点部位を狙い撃てば、戦車どころか敵のAWGSですら数発で倒せるようになる。ヒントはそこら中に転がっている。要はプレイヤーがそこに気付くかどうかなのだ。

 

例えばポルタヴァに登場するストゥームティーガーである。この敵は装甲が硬く、動きも素早い為に倒しにくい難敵であるが、戦場で時折停止することがある。この瞬間に一気に敵に近づき、車高の低い敵の上面装甲に豆鉄砲を撃ち込めば数発で倒せてしまう。

 

GAが巧みだなと思うのは、プレイヤーが自然にそういう行動を取るようにワザと隙を作っている点だ。ストゥームティーガーが時折足を止めることは追い回していればすぐに気付くし、四脚型特有の車高の低さに気付くのもそれほど時間は掛からない筈だ。 敵の弱点部位を狙うことは弾薬の節約にも繋がる為、プレイヤーはついつい敵に接近したくなる。

 

正にこれがミソだ。主砲の威力の低下や部位判定の導入といった要素が、ごくごく自然に接近戦を行うようにプレイヤーを誘導しているのである。そしてこれはレーダーをなくし、クロスコンバットを奨励するゲームデザインとも見事に合致している。

 

これは実に上手い工夫だと言わざるを得ない。こうした新しいアクションを押しつけがましいチュートリアルで教えるのでもなく、無粋な強制戦闘で教えるのでもない。プレイしている内に、プレイヤー自身が気付くように作ってある。敵の動きが、戦場の地形が、それを教えてくれるのだ。

 

と同時に、旧作にはなかった「敵の弱点部位を狙う」という新しい感覚を戦闘に持ち込むことで、戦闘をより白熱したものに変えている。GGBでプレイヤーが手に入れたのは狙撃という便利な遠距離攻撃の手段だけではない。互いに敵の弱点部位を狙い合う、より白熱した接近戦をも手に入れたのである。

 

こうした感覚は旧作、特に初代の接近戦には明らかになかったものである。

 

初代では極力敵に近づかないのがセオリーで、前述のように距離に関係なくGUNでも一発二発で敵を沈められたことから、敵が視界に入ると同時にギリギリの距離から攻撃して倒してしまうのが非常に有効な戦法だった。これは難易度が上がるほどそうで、補給ヘリという限られた補給手段しかない為に被弾を抑える慎重な戦い方が求められた。

 

勿論、高機動型の敵との戦闘は必ずしもこの限りではないのだが、第一世代型のAWGSや戦車は移動速度が極端に遅かったり、停止しているものも多かった為、これらの戦法が強かったのである。

 

また、その高機動型の敵にしても戦闘エリアの境界線上ギリギリで待ち伏せ、出現と同時にATMなどで撃破してしまうのが有効な戦法であり、特に連雲港やウェイファンのブルータルクラブなどは撃ち漏らすと処理が大変なことから半ば鉄則の戦術であった。これは接近戦をすることのメリットがほとんどなかったことを示唆していると思う(RPをばら撒きながらの突進と言う荒業もあるにはあったが)。

 

一方、全体的に敵が高速化したⅡでは初代よりも近距離戦が多発するようになった。特に、ストゥームティーガーやヤークトパンターといった高機動型の敵は耐久力も高い上に被弾すると回避行動も取ってくる為、容易にプレイヤーの懐に飛び込んで来て旋回戦を行うようになった。

 

これに合わせてプレイヤー機もジャンプの性能強化やVTGの導入によってより接近戦に対応し易くなっており、この点ではⅡは初代よりも積極的な攻めのゲームに転換していたと言える。敵機が撃破された後に誘爆する仕様が実装されたのも、初代に比べて接近戦を意識したゲームデザインが成されているからこそだろう。*31

 

しかし、GGBにおける接近戦はこのⅡに比べてもよりアグレッシヴなものである。これには機体の挙動がスピーディーになったことやジャンプの挙動の変化などいくつかの理由があるが、前項で見たようなATMの仕様の変化も一因だと思われる。

 

旧作では高機動型の敵の出現位置に待機し、戦闘エリアに入るか入らないかくらいの位置でATMなどの強力な武装によって早期の内に撃破してしまうのがセオリーであることは既に述べた。この点はGGBも変わらないのだが、前項でも見たようにATMの誘導能力が低下している為、高機動型の敵を早期の内に撃破するのが難しくなった上に(ただし、空中からのRPなどは依然として有効)、そもそもATMが基本武装ですらなくなっている。

 

加えて主砲の威力も低下した結果、高機動型の敵に近づいてその弱点部位を積極的に狙うクロスコンバットの必要性が俄然高まっているのである。前述のストゥームティーガーやブルータルクラブはその最たるもので、追い掛け回して足を止めた瞬間を狙い、上面装甲を撃ち抜くのは弾薬消費を抑える上でも早期の内に撃破する上でも有効である。

 

考証的には少々怪しいとされてきたショットガンの存在も、こうしたクロスコンバットを奨励するGGBの方向性を示していると思う。拡散する散弾を当てることによって敵との距離が近いほど大ダメージを与えるショットガンが実装されたことは、GGBの戦闘が敵との間合いや位置取りといった旧作にも増して複雑な要素を内包し始めたと同時に、前作にも増して接近戦の取り回しが良くなったことを物語っている。

 

これは第一世代型のAWGSや装甲車両にも同じことが言える。チベットに登場する13式やティーガーギリシャのレオパルド3、ポルタヴァに登場するリットリオなど、いずれも車高の低い敵だが、上面装甲を狙えば弾薬の消費を抑えられる為、これまで以上に敵機に肉薄する場面が増えた。この点では旧作以上に戦闘に駆け引きやメリハリが生まれ、決まりきった戦術が通用しなくなったことでプレイヤーの判断がより重要になっている。

 

例えば、ギリシャで大量に登場する三両一組の戦車小隊は敵の砲撃をかわしながら接近し、上面装甲をテンポ良く抜いていくと僅か三発で倒せる。逆に、歩兵戦闘車小隊の機関砲は単発の威力こそ戦車の滑腔砲に劣るが避け辛く、集中砲火を浴びて結果的に大ダメージを食らう為、近づかずに中遠距離から倒した方が良いというように、敵によって柔軟に対処を変える必要がある。旧作ではこの二つに対する対処方法にさほど差はなかった。

 

恐らく、これは狙撃モードという便利な遠距離攻撃の手段とのバランスを取った結果ではないかと思う。レーダーの項でも述べたように、視界の広がったGGBの戦場で狙撃モードは非常に有効な攻撃手段である。しかし、これでレーダーが搭載されていたり、武装が強力過ぎれば(それこそGUN一発で戦車を倒せるなら)単なる射的ゲームにしかならない恐れがある。

 

その狙撃モードにしても、部位判定の導入によってダメージ判定が細分化されたことから命中させるにはそれなりの技術が必要で、万能というわけではない。が、上記のような明確なメリットを接近戦に与えることで遠距離戦一辺倒になることを避け、積極的なクロスコンバットを促してバランスを取っている点は特筆に値する。

 

狙撃モードを活かした遠距離戦と、機動力を駆使した近距離戦。GGBはその二つのバランスを丁寧に取ることで、より深みを増した戦闘を実現しているのである。この辺りの進化は普通にプレイしていると気付きにくいが、実はレーダーの廃止と同じかそれ以上に大きなものであったと言える。

 

このように、主砲の威力が低下した結果がゲームにどのような変化をもたらしたかを丹念に見て行くと、その調整の意図が見えてくる気がする。

 

実際、質量センサー同様に「豆鉄砲」もそれほど悪い武器ではない。連射速度はGUN以上でヘリなどの高機動型の敵にもこれ一本で対応可能な上(旧作ではMGやVTGに切り替える必要があった)、部位判定の導入と攻撃ボーナスの倍増で戦車だって上面装甲を狙えば一発で倒せるので、使い方次第では実質GUNと同等かそれ以上の火力を出せる。

 

主砲の威力が低いのならば、それを補うにはどうしたら良いのか考える。工夫する。そこにこそ、ゲームの本当の面白さはある。GGBは主砲の威力を抑えることでプレイヤーの技術や工夫が介入する余地を増やし、ゲームとしての面白さを何倍にも拡大している。*32ただ弱体化したのではなく、明らかな意図を持った調整の跡をそこにしっかりと感じる。

 

これはGGBという作品そのものにも言える。GGBはプレイヤーの判断や工夫、操縦技術を活かす幅がシリーズの中でも最も大きい作品だけに、プレイヤーの関わり方が非常に重要になってくる。「豆鉄砲」と呼ばれる連射型GUNが使い方次第で戦車でも一撃で倒せる強力な武器に早変わりするように、GGBもプレイヤーのコミットの仕方次第で違った表情を見せてくれる作品ではないかと思う。

 
こうして見ると、ジャンプやマップ、部位判定の導入、ATMの仕様、主砲の威力の調整など、どれをとってもGGBはかなり考えられて調整されているのが分かると思う。出た杭は打つ式の単純な弱体化は一切ない。作品のコンセプトを実現する為に、あらゆる仕様が他の仕様との兼ね合いを考えながら実に丁寧に調整されている。
 
それは前述した質量センサーや狙撃モード、増援の仕様のどれをとってもそうで、それらがバラバラにならずに一つのコンセプトを形成している点は間違いなくGGBのゲームとして優れている部分である。
 
そしてこれが重要なことなのだが、これらの改良は間違いなく旧作の蓄積の上に成り立っている。
 
初代からはその基礎的なゲームデザインと「隠れながら撃つ感覚」というコンセプトを、Ⅱからはランダム増援やサバイバルモードの仕様、強化された敵のAIや挙動をそれぞれ継承し、それらを更に発展させた上で高いレベルでまとめている。ジャンプの挙動変更も、部位判定の導入も、ランダム増援の仕様も、全ては旧作で行われてきた試行錯誤と蓄積なくしてはあり得なかっただろう。
 
一般的にはシリーズの方向性を大きく変えたと言われることの多かったGGBだが、その細部を具に見て行くと、実際にはシリーズの諸要素を丁寧にまとめ上げた正統派とも言うべき側面も見えてくるのである。
 
だから、レーダーや補給ヘリの廃止という決断も、単にライトユーザーの取り込みを狙った結果でもなければ旧作ファンを蔑ろにした結果でもなく、作品のコンセプトを実現する為の、丁寧な思考の積み重ねの上に行われた合理的判断に基づいていると筆者は考える。
 
次項ではGGBの評価を分けたもう一つの大きな要因であるだろう、補給ヘリの廃止とアイテム制の導入について考察する。
 
イフェクトグッズが支えるリアルな戦場

「戦争はいつだって非現実的なものさ。戦争が現実的であったことなど、ただの一度もありゃしない」 荒川茂樹

 

 考えてみると、ガングリは初代の頃からあらゆる仕様を厳密に取捨選択して来たタイトルであった。初代の暗視装置なんて今でもかなり良いシステムだったと思うのだが、Ⅱではこれをあっさり切って*33支援砲撃にし、GGBではその支援砲撃すらバッサリ切って狙撃モードにした辺りにそれがよく表れている*34

 

ガングリは常に変わり続ける作品でもあった。GGBに比べれば似ていると言われることの多い初代とⅡだって厳密に見ればあらゆる面が違う。それは機体の挙動から武装の選択、暗視装置の有無、画面の彩度、補給の形態やATMの仕様、敵のAIに至るまで、何から何まで違うと言って良い。

 

だから、GGBにおける数々の改変も驚くには当たらないのだろう。レーダーがなくなろうが、補給ヘリがなくなろうが、支援砲撃がなくなろうが、夜間ステージが多い割に暗視装置がなかろうが*35、驚くには当たらない。何のことはない。ガングリフォンとはそういうゲームなのだ。

 

ガングリは仕様にこだわらない。時々のハード性能と相談しつつ、作品のコンセプトに沿って採用の是非を決めるだけだ。前の作品で成功したからと言って、無条件に次の作品にも採用されるとは限らない。コンセプトを実現する為に必要なら残されるし、必要ないなら捨てられる。レーダーも補給ヘリもその例外ではない。

 

しかし、それらの決断の裏には常に意図がある。恐らく、補給ヘリが廃止されてアイテム制に移行したのは攻略ルートを解放することだけが目的ではなく、ゲームスピードを上げることも大きな目的であったと思う。

 

実際にGGBをプレイした後で初代をプレイしてみると分かるが、ゲームスピードがかなり遅く感じられ、全体にのんびりとした印象すら受ける。これには増援のタイミングの設定など様々な要因があるが、最も大きな要因はやはり補給ヘリの存在であると思う。

 

改めて説明するまでもないだろうが、補給ヘリで補給する際にはヘリの降下ポイントに向い、ヘリの近くで機体を制止させる必要があった。この方式だとヘリまで向かう時間と補給そのものの時間で多くの時間を取られる上、補給中はほとんど行動出来ないという制約も生んでしまっていた。これが戦闘に切れ目を生じさせ、プレイヤーの体感するゲームスピードを低下させる大きな要因になっていたと思う。

 

また、ミッションによってはエリア内の敵を掃討した後も全ての増援が現れるまで随分待たされるものもあり、これもゲームスピードを遅く感じさせる要因の一つであった。ハリコフの終盤に登場するパンター部隊や、タートン終盤に空挺降下で侵入してくるヤークトパンター三体がそれに当たるのだが、ゲームに上達してくるとこれらの敵が出現する遥か前にエリア内の敵を一掃出来てしまう為、待ちぼうけの時間が多くなってしまっているのだ*36

 

これはシリーズ最初の作品故の増援タイミングの練り込み不足もあったのだろうが、同時に強敵との戦闘を前に十分な補給時間を設けることも大きな理由だったと思う。補給ヘリの存在はステージの構成にも大きな影響を与え、引いてはゲームスピードそのものを抑える役割を果たしていたと考えられるのだ。

 

この点で言うと、GGBは遥かにゲームスピードが速い。一度に登場する敵の数も遥かに多く、その出現タイミングにもほとんど切れ目がない。次から次に現れる敵増援に対処する為、必然的に戦っている時間も長くなる。

 

これに加えて、GGBでは索敵や補給も自分で行わなければいけないことから、旧作にも増して常に忙しく動き回ることを求められる。その上、敵の出現方向もランダム性を増していることから、プレイヤー自身の判断を求められる場面も非常に多くなっており、これによって体感的なゲームスピードがかなり速くなっている。待ちぼうけの時間どころか、息つく暇もない程だ。*37

 

このスピーディーなゲーム展開を実現出来たのは明らかにアイテム制の功績である。補給ヘリを待っていては回復が追いつかないし、何よりもスピード感を殺してしまう。より激しい戦闘とよりスピーディーかつランダムな展開が実現されたGGBのシステムは、その場で即座に回復可能なアイテム制でなければ成立しない。これを従来の補給ヘリで支えるのは不可能なのだ。

 

GGBの評価としてよく言われるものに「反射神経を求められるゲームになった」とか「アクション性が増した」というものがあるが、その理由はこの辺りにあるのだろう。補給ヘリの存在の有無が、ゲームの形態にも大きな影響を及ぼしているのだ。

 

この違いは思いのほか大きくて、スポーツに例えて言うなら野球とバスケットボールくらい違う。かたや攻守がはっきりと分けられたターン制ゲームの極みとも言える野球と、かたやリアルタイムに攻守が目まぐるしく変わるバスケットボール。どちらのスポーツが好みかは人それぞれだが、より現代的なのはバスケットボールだろう。

 

また、アイテム制の導入はその一般的な評価とは裏腹に、実は作品のリアリティを高めることにも貢献している面があると思う。

 

前項でも触れたように、GGBは旧作以上に激しいクロスコンバットが起こる為に被弾率が上昇しており、ダメージの増加スピードも早い。加えて敵の攻撃も激しく苛烈で、一撃の重みが旧作とは比べ物にならないほど上がっている。

 

これはGGBを最高難易度のHELLでプレイしてみればよく分かる。もともと難易度の高いシリーズではあるが、HELLのシビアさも相当なもので、下手をすればミッション開始から数秒で撃破されることも珍しくない、正に地獄の難易度である。*38


初代同様、戦車も歩兵戦闘車も侮れない強敵であり、正面から闇雲に突っ込むのは自殺行為だ。戦車の主砲にボコボコにされ、歩兵戦闘車の機関砲に追い立てられるのがHELLなのだ。当然のことながら、敵のAWGSや対空車両の放つATMは全弾回避が基本。冗談抜きに一発の被弾が命取りになる。

 

ところが、ウクライナではこれが四方八方から飛んで来るのだから笑えない。エジプトに登場するエレファントの140㎜滑腔砲に至っては、一発で体力の7,8割を持っていくのだから笑うしかない。その威力は直撃時の強烈なバイブレーションと共にプレイヤーの心にトラウマを残すこと間違いなく、エレファントの砲口が光ると同時にテレビの前で反射的に頭を下げる癖がついてしまったプレイヤーは自分だけではあるまい(あるまい)。*39

 

20tという重量制限からせいぜい装甲車程度の装甲しか確保出来ないHIGH‐MACSにとって、高火力兵器で埋め尽くされたGGBの戦場は辛く厳しいフィールドである(現実にはもっと厳しいだろう)。下手をすればエレファントの主砲一発で即死するような世界であり、この点で言うとGGBは旧作以上にリアルな戦場をシミュレートしているとも言えるのである。

 

だが、ここで考えてほしい。

エレファントの主砲を食らって即死するゲームは本当に良いゲームと言えるのだろうか?

 

即死まで行かずとも、7,8割の体力を削られた状態ではほぼ詰んだも同然であり、ゲームクリアは難しい。ダメージを受けても徐々に体力が減っていく仕様でなかったら、*40或いは、即座に体力を回復出来るジェリカンがマップの各所に置かれていなかったら、それこそ針の穴に糸を通すような慎重な立ち回りを求められる地味なゲームとなったことだろう。

 

しかし、それは本当にGAが作りたかったゲームなのだろうか?

 

ここで冒頭に挙げたツイートを思い出して頂きたい。

 

レーダーを逆手に取って盛り上げるギミックは幾らでも可能だったのだが(言及されている面のほかGG2リレハンメルもそう)、レーダーを殺すためには森が必要で、森があるとローラー走行できない。これがGGBで目指した面白さと決定的に相容れず、レーダー機能廃止に至った、のかもしれない

 

何しろ、キエフノヴォシビルスクでは「走る快感! 撃つ快感! 飛ぶ快感!」の3つのうちひとつが死ぬ(死んでいた)わけだから。

 

ここで言及されているように、ガングリフォンという作品は「隠れながら撃つ感覚」という、リアルな戦場をシミュレートしようというコンセプトを掲げる一方で、「走る快感!撃つ快感!飛ぶ快感!」を前面に押し出した、3D空間を自由自在に動き回れる楽しさも目指していたのである。

 

敵の主砲一発で大ピンチに陥るかも知れないという恐怖感が支配する戦場に、もし体力を即座に回復してくれるジェリカンがなかったら、この快感は恐らく死んでしまう。その身をさらけ出すジャンプなど誰も使わなくなるだろう。遮蔽物の陰に隠れてチマチマ敵を狙撃していく慎重なプレイスタイルが最適解となり、それこそ戦車ゲームと何ら変わらなくなってしまう。別に戦車ゲームが悪いわけではないのだが、それはGAがガングリフォンという作品で目指した方向性とは微妙に異なるのだ。*41

 

ゲームアーツが製作したRPGグランディア」シリーズで世界観や設定デザインを手掛けた小林治*42は、宮路氏の訃報に接してツイッター上でこうツイートしている。

 

 

ここで言及されている「気持ちよくないと駄目だ」という言葉がどのような文脈で語られたかは推測するしかないのだが、宮路氏がゲームを制作する上で「快適な操作性」や「気持ちよさ」を大事にしていたことは窺えると思う。*43

 

この発言を聞く限り、遮蔽物の陰に隠れてチマチマ敵を狙撃していく慎重なプレイスタイルは一つのスタイルとしてはあり得ても、それのみを追求していたわけではなく、上記のような「三つの快感」を目指したスタイルも大事なコンセプトの一つだったと考えられるのだ。

 

敵の主砲一発で大ピンチに陥るかも知れないというリアリティと、戦場を自在に走り回る快感。この相反する二つの要素を両立させつつ、ゲームとしての面白さも追及するという難題をクリアするには、その場で即座に回復や補給が行えるアイテム制という「大いなる嘘(フィクション)」が必要だったのだろう。*44

 

これに限らず、GGBにおいて採用された多くの仕様やシステムはアイテム制抜きでは成立しない。恐らく、アイテム制の導入はライトユーザーにおもねった結果でも妥協の産物でもなく、GGBの目指したコンセプトや進化したシステムを支える為の「代償」だったのではないかと思う。

 

少し昔に流行った漫画の台詞に「等価交換」という言葉があるが、その言葉通り何かを得る為には何かを犠牲にしなければならない。GGBはアイテム制という「大いなる嘘(フィクション)」と引き換えに、実はそれ以上の「リアリティ」や「進化」を得ていたとは言えないだろうか?

 

我々ファンはつい、「初代はリアル」で「GGBはリアルではない」という従来の考えに囚われがちであるが、「フィクション」と「リアル」の関係はそう単純なものではない。押井守の映画ではないが、自分の考える「リアル」とは何なのかを一旦立ち止まって考えてみる必要があると思う。

 

洞窟はなぜ生まれたのか?

「しかし分からねえな。一体なんのために」 榊清太郎

 

また、前述したようなマップの広大化もアイテム制の導入を後押しした一因ではなかったかと思う。何度も言うように、ブレイズの大きな特徴の一つはPS2のマシンパワーによって旧作の何倍もの広がりを得た広大なマップだ。もしこのマップ上に旧作同様、敵味方の兵器と建物しか配置されていなかったとしたら、随分寂しい印象を受けるゲームになったことだろう。

 

各所に補給ポイントを設けてアイテムを配置することはプレイヤーを走り回らせることに繋がるし、マップの広がりを存分に活かすという意味でも非常に有効な手段だ。勿論、ヘリ制でもゲームは十分に成立しただろうが、広大なマップを活かすという意味ではプレイヤーが自由に動き回ってアイテムを取得していくスタイルの方がより合っていると言えるのかも知れない。

 

こうしたことを見るにつけ、ひょっとするとGAは広大なステージを自由に動き回ることを推奨するような「探索感」を付与したかったのではないかと思う時もある。この「探索感」というワードは前述したソウルシリーズでもフューチャーされていた非常に重要な要素であったが、プレイヤーが自ら動き回り、ステージを探索して様々な「発見」をしていく感覚はGGBにも垣間見える。

 

それはアイテムの置かれた補給ポイントだけでなく、前述したような地形の利点や新しいルートを発見することも「発見」に含まれる。「こんなところにも行けるのか」、「あんなところにも上れるのか」、「あの崖から狙えば素早く敵を倒せるぞ」など、こういった感覚も一つの「発見」であり、それは例えばチベットの滝を上るルートであったり、エジプトの崖の上の狙撃ポイントに見て取れる。思ってもみなかった新しい攻略ルートを発見する楽しさは旧作にもないではなかったが、マップの立体感が増したブレイズではそれがより高まったと言える*45

 

GGBの目玉の一つであるフィールド上に存在する建物やオブジェクトが破壊出来る要素も、こうした方向性に基づくものだろう。これらのオブジェクトは前述したような遮蔽物としても使用出来る一方、補給アイテムや得点アイテムが隠されており、戦略性や探索感を強める一つの要素になっている。

 

実を言うと、この建物を破壊出来る要素は初代の頃から既にあり、GGBでいきなり実装されたものではない。それは初代のハリコフに出てくる風車や(ポルタヴァにも同様の風車が出てくる)ノボシビルスクに出てくる小さな家屋(或いはテント?)、連雲港の回転するレーダーなどがそれに該当する。或いは、Ⅱのヘジャスで防衛目標として登場する巨大なレーダーもその内に含めても良いのかも知れない。

 

勿論、これらのオブジェクトから補給アイテムやら得点マークが飛び出すわけではないので破壊する意味はほとんどなかったわけだが、GGBのウリであるオブジェクトの破壊要素が実は初代の頃からあったことは抑えておくべき点だろう。これまで見て来たように、GGBで採用されたあらゆる要素は「突然変異」の結果ではなく、「順当な進化」の結果だった可能性があるのである。

 

こうした「探索する楽しさ」というのは前述のソウルシリーズで特に顕著であるが、これは3D空間の強みを最大限に活かし、プレイヤーにフィールドを隅々まで歩いてもらう上でも有効な方法なのだろう。「スーパーマリオ64」(1996年)*46が先鞭をつけ、その影響を受けたであろう「ロックマンDASH」(1997年)*47や「キングダムハーツ」(2002年)*48などによって一般化していく3D空間を自由自在に動き回れる3Dアクションゲームの影響は、ジャンルは違えどブレイズのスタイルにも何らかの影響を及ぼしていたと見るのが自然である。

 

こう考えると、多くのファンが首を傾げたであろうチベットギリシャの洞窟*49といった謎要素も説明が着く気がする。実を言えば、筆者自身もあの洞窟の存在に関しては長年理解に苦しむところがあったのだが、「3D空間を最大限に活かそう」、「3D空間を隅々まで歩かせたい」、「探索感を付与しよう」というゲームデザインの観点から見ると、あの洞窟の存在はそれほど違和感がない(あの洞窟がガングリのゲームシステムと本当にマッチしているかはこれまた別問題だが)。

 

ここでもう一度冒頭のツイートを引用したい(何度も引用して申し訳ないのだが、このツイートの指摘はそれだけ的を射ているのである。)。

 

何しろ、キエフノヴォシビルスクでは「走る快感! 撃つ快感! 飛ぶ快感!」*50の3つのうちひとつが死ぬ(死んでいた)わけだから。とは言え、GGBはせっかくステージが広くなったんだし、もうちょっと何とかならなかったのか、と思わないでもない


この、「せっかく広くなったステージを何とかするために」アイテム制や洞窟があったのだとしたら、どうだろう?何度も言うように、補給ヘリ制でもゲームを成立させることは可能だったかも知れない。が、これだけ広大化したステージの中に建物や敵が点在しているだけだったら、せっかくの広大な空間も持ち腐れになってしまう。

 

アイテム制が百点満点の正解であったかはひとまず置くとして、クリエイターの側からすればついつい広大なステージにアイテムを散りばめたくなってしまう気持ちは分からないでもない。これも広大なステージを活かす一つの方策であったような気はする。

 

我々ファンはつい、「リアルな軍事シミュレーター」という初代ガングリフォンが作り上げたイメージで作品を見てしまうからブレイズにおいて行われた数々の改変が理解出来なくなるが、当時のゲームデザインの潮流からするとその多くはむしろ理解し易い。ジャンルは違えど同じ3D空間を動き回るゲームである以上、ブレイズがその影響から全く自由であった筈はない。これを「ゲームっぽくなった」と否定的に解釈するのか、それとも「自らの殻を破り、進化しようとしていた」と肯定的に解釈するのかは人に拠るだろう。

 

 しかし、そのいずれの解釈を取るにせよ、筆者自身はブレイズがシリーズの一つの到達点であることに変わりはないと考えている。それはこれまで見てきたように、ブレイズにおいて行われた数々の改変が丹念な思考の上に積み重ねられた合理的なものであり、間違いなくシリーズの集積してきた遺産の上に成り立っていると思うからだ。

ブレイズは当時のゲームの流行を無定見に取り込んだのではない。「隠れながら撃つ感覚」という、シリーズの背骨とも言うべきコンセプトを実現する為にそれらを取り込んでいる。ゲームに限らず、文学でも絵画でも映画でも良い作品にはまず良いコンセプトがあるものだが、ブレイズもその例外ではない。ブレイズは決して技術に踊らされてはいない。優れたコンセプトによって技術を統御している。

 

だが、この方向性を信頼する理由は他にもある。それは、このブレイズの示した方向性の先に別の可能性を思い浮かべるからでもある。

 

筆者は本稿の前半において「ブレイズはノンリニアなゲームへの転換を図ろうとしていたのではないか?」という、少々飛躍の過ぎる推論を述べたが、*51マップの広大化や増援システムの深化、探索感の増大といった要素を見るにつけ、その方向に向かう要素は揃いつつあったと思う。

 

勿論、ガングリフォンという作品のゲームシステムを考えれば完全なノンリニア化などはあり得ない。ガングリフォンのゲームとしての魅力は良く練り込まれた増援システムにある以上、完全なノンリニア化、オープンワールド化は難しかっただろう。

 

しかし、前述したような限定されたセミオープンワールド化なら十分あり得たのではないかと思う。そしてその萌芽はブレイズという作品の中にいくつも見えるように思うのだ。この点で言うと、ブレイズと旧作はそのゲーム空間に内包するものが決定的に違う。ブレイズには次世代のゲームを予見するような多くの種子が、その内に脈々と息づいているのを確かに感じる。

 

こうして見ると、ブレイズは旧作の集積の上に立ちながら尚、そこに甘んじることなく貪欲に新しい可能性を追い求めていたとは言えないだろうか?前作の「Ⅱ」が初代に比べて大幅なボリュームアップを果たし、サターン二台を繋いだ通信対戦や協力プレイといった意欲的な試みをいくつも実現していたように、ブレイズもまた進取の気鋭を失わずに新たな要素をいくつも取り込もうとしていたのではないか?

 

このことはゲームアーツという企業のカラーにも良く表れていると思う。何せ初代の時点でセガサターンの性能を限界まで引き出したと言われる技術屋集団である。自身、天才的なプログラマーであった宮路武氏を中心としたガングリフォン制作スタッフにとって、停滞やマンネリという言葉ほど無縁なものはなかった筈だ。当時発行された様々な文献に掲載されたスタッフのインタビューを読むと、更にこのことが良く分かる。

 

ゲームアーツさんと聞くと、シルフィードのようなポリゴンゲームが得意という印象がありますが?

宮路:正直なところ、ポリゴンゲームは作ってはいましたが、これまでのゲーム機は性能が低かったため、自由に動き回れる3Dゲームを作れなかったのです。*52

 

―ゲームの内容としては、かなりマニアックなものだと思うのですが、企画段階でマーケティングを含めかなり冒険だったのではないですか?

林田*53●「この企画が進み始めた頃、次世代機と言われるセガサターンプレイステーションがデビューして、CD-ROMマシンが出そろいつつある時期だったんですよ。でも当時はサターンで、早く画面を動かすなんて考えにくい状況で、逆に言えば早く動かすことで技術力を見せることが出来た。そんな時だから会社的にも新ハードの性能をフルに使ったものを、多少売りにくい商品でも実験的に製作しようという機運がありました」*54

 

マシンスペックの不足を訴える言葉が頻出するのが印象的であるが、特に林田氏のインタビューを読むと、ガングリフォンシリーズは技術屋集団ゲームアーツの技術実証車的な側面を持った、言わばF1カーのような作品だったことが窺える。だから、その時点での最先端の技術を惜しみなく投入し、進取の気鋭を持って変化し続けていくことはガングリが生まれた時からの宿命であったのかも知れない。

 

他の作品が二、三作を使ってすることを、ガングリはたった一作で成し遂げてしまう。シリーズの基盤を作った初代、意欲的で実験的な試みをいくつも盛り込んだⅡ、それらを継承しつつ、システムを一新したブレイズ。そのいずれもが、その時々の持てる技術を最大限投入して作られた、12式改にも似たテストベッドであったと見ることも出来ると思う。

 

多くの人気シリーズが作品を重ねるごとに停滞し、マンネリ化する中で、ガングリフォンシリーズはいずれもその弊害を免れている。むしろ、その変化の早さが仇になったのではないかとすら思うほどだ。変化のスピードが早過ぎて、ファンの方がそのスピードについていけなかったと言ったら言い過ぎだろうか?

 

こうしたGGBにおける大幅な仕様変更が、従来言われて来たようなライトユーザーを取り込もうという商業的な意図のみによって行われたとは思えない。もし本当にライトユーザーの取り込みを図りたかったのなら、むしろレーダーは残した方がよりユーザーフレンドリーであった筈だし、ここまで大幅な改変をする必要はなかったようにも感じられる。従来通りのシステムにした方が開発に掛かるコストも抑えられただろうし、何より古参ファンの受けも幾分良かっただろう。

 

勿論、筆者は当時のGAの経営的事情や商業的な意図については多くの情報を持っていないので推測するしかないのだが、当時の社長である宮路洋一氏*55のいくつかの発言を見ると、当時の状況やゲームアーツの制作姿勢の一旦が窺えるように思う。2019年8月3日に行われた講演会でも下記のような発言を残している。

 

ゲームアーツで好きなゲームを作っていたが、資金繰りに追われるなど、自由に作る難しさがあった。しかしお金はなくなるけど作品は残る。苦労した作品は覚えている。いい作品を苦しみながら作るのはゲーム遊ぶより楽しい」*56

 

www.gamepres.org

 

GGBの開発にあたってはカプコンと提携していたこともあり、一定以上の商業的な成果が求められていた可能性は十分にある。それがイフェクトグッズやオプションボックスの実装に繋がったのは恐らく事実なのだろう。

 

ただ、これまで見てきたようにイフェクトグッズの存在がGGBのゲームバランスと絶妙にリンクし、その新しいシステムを支えていることは見逃してはいけない点だろう。イフェクトグッズの導入が仮に商業的な理由で行われたにせよ、それがおざなりなやっつけ仕事でもなければ妥協の産物でもなく、ゲームとしての内実を進化させていることは改めて指摘しておきたい。

 

6 ガングリフォンとは何か

 

後退した演出とアンビバレンツな評価

スタンドアローンで制御不能な兵器などナンセンスだからな」 荒川茂樹

 

別にレーダーや補給ヘリが悪かったわけではない。二つともSS時代のシステムには必要なものであり、演出としてもリアルで、ガングリが多くの支持を獲得する上で重要な要素だったのは間違いない。或いは、少し仕様を変えれば先に挙げたような弊害をクリアした上で採用することも出来たかも知れない。*57

 

ただ、それはファンがシリーズに習熟し、ハードがPS2に移行した時点でなくても良いものになったのだと思う。ガングリがゲームとして進化し続けるなら、自転車の補助輪と同じくいずれは外さなければいけなかった。その結果がアイテムやらオプションボックスだったというのがファンの心情を逆撫でしたわけだが、進化の為には必要な試みだったとも言える。

 

設定や演出的にはともかく、ゲームデザインで考えると従来型のレーダーや補給ヘリは足枷になりつつあったと見ることも出来ると思う。最初はプレイヤーを助け、導く存在ではあったのだが、時が経つに連れてゲームの面白さや可能性に制限を掛ける「過保護な親」のような存在になっていったとは考えられないだろうか。

 

レーダーは敵の位置を知らせることでプレイヤーの判断する機会を奪い、補給ヘリは降下地点や到着時間が固定されていたことで攻略ルートを狭め、ゲームスピードを制限していた。この二つの枷を外し、 よりアクティブに、よりスピーディーに、ガングリフォンという作品をより自由に飛躍させたいという気持ちを持つのは、ゲームを作る側とすれば当然であったと思う。

 

不幸なのは、なまじ初代のリアルな世界観や演出が素晴らしかった為に、ファンの側はそれを足枷だとは思っていなかったところにあると思う。GA的にはむしろ、「面白いゲーム」を再現するところに心血を注いでいて、レーダーや補給ヘリすらいつでも切れる要素の一つでしかなかったにも関わらず、だ。

 

恐らく、初代があれほどリアルで硬派な世界観になったのはGAが目指していた方向性というよりも、世界観や設定を一挙に手掛けた岡田厚利氏のカラーによるところが大きかったのではないか。

 

自身、生粋のミリオタであることを公言している岡田氏は、BEE‐CRAFT*58の面々とAWGSのデザインを練り上げ、スタッフを自衛隊の火力演習に連れて行って耳で砲声を覚えさせる一方、自ら詳細に練り上げた第三次世界大戦史やHIGH‐MACSの開発史を執筆するなど、メカデザインから効果音、世界観や設定に至るまで幅広く関わり、ガングリフォンコンプリートファイルのインタビューにおいて「もう一人のディレクター」と紹介される程の徹底したこだわりぶりを見せた。*59

 

この岡田氏の影響が初代のカラーを決定づけた面は多分にあると思う。初代の制作時点では未だ世界観が固まっていなかった為に岡田氏の影響力が強く、インターフェイスや音響に至るまで軍事シミュレーターのようにリアルに描かれることになった。しかし、初代の設定や土台を利用出来るようになったⅡ以降は岡田氏の関わる部分が減り、相対的に宮路氏やGAのカラーがより強く出るようになったことでシミュレーター色が薄れ、「ゲームっぽく」なっていった。こう考えると色々合点がいくように思う。*60

 

実際、一般にゲームっぽくなったと言われることの多いGGBだが、その前作にあたるⅡの時点で既に「ゲームっぽくなった」という声も一部のファンの間では聞かれていた。それは初代に比べて派手な配色の兵器であったり、*61やや後退したようにも見える砲弾の表現であったりしたわけだが、初代の時点で浮かび上がった問題(高過ぎる迷彩効果によって敵AWGSの視認が困難、砲弾の弾道や着弾が分かりづらいなど)を解決していく過程で、あらゆる部分で既にゲーム的な合理化が進んでいた。

 

それは多彩なモードや通信対戦・協力プレイの実装、プレイヤーのリプレイをOP映像に採用するといった数々の実験的な試みにも表れている。ストイックとも言える初代から一転、Ⅱはユーザーフレンドリーな改良を重ねつつ、ゲームとしての遊びの幅を広げる方向に明らかにシフトしていた。それはGAがあくまでもゲームメーカーであることを考えれば自然な成り行きであり、ゲームとしての進化を考えるのは至って当然のことであった(もっとも、部位判定の導入を始めとするいくつかの点を見ると、単純に「ゲームっぽくなった」とも言い切れない面もあるのだが)。

 

だから、初代があれほどリアルになったのは岡田氏と宮路氏、或いはGAの絶妙なバランスの上に生まれた偶然の産物だったと見ることも出来るのではないか(偶然と言ったら流石に言い過ぎだが、あそこまでのものになるとは思っていなかったという気はする)。それはリアルな軍事シミュレーター風の作風からよりゲームライクな作風へと変わっていったシリーズの辿ってきた道にも表れている。

 

もし、あの初代のテイストが企画当初から狙っていたものであったのなら、もっとそれを深めていく方向性も当然あった筈なのに、実際にはそうなっていない。それはやはり、あの方向性が岡田氏のキャラクターや熱意によるところが大きく、またそれだけの自由裁量を与えられた初代だからこそ可能だったということを示しているのではないかと思う。初代に漂う、ある種の作家性すら感じさせるあのテイストは、そうでもなければ中々出てこない代物だ。

 

そしてそれは「ガングリフォン」という作品にとっては幸運でもあり、また呪いでもあったという気がする。初代の作り上げた世界観やイメージが余りにも魅力的であった為に、そこにゲーム的な要素が流入することや大胆な変革を拒否するような土壌を作り上げてしまったのだと思う。

 

勿論、岡田氏をスタッフとして招いたのはディレクターである宮路氏だろうし、彼自身も熱心なサバイバルゲーマーであったから、ミリタリーベースのリアルな世界観を作ろうという方向性はある程度以上に共有はしていた筈だ。実際、それが岡田氏に協力を求めた狙いでもあっただろう。

 

だが、宮路氏のベースはあくまでもプログラマーにある。岡田氏の目指すリアルな軍事シミュレーターのようなテイストを実際に形にすることも出来るが、それが最終的な目標ではなかったに違いない。より優れたプログラムを組み、より面白いゲームを作ること。その方向に彼の関心はあったのではないか。

 

岡田氏と宮路氏という、「二人のディレクター」の間に横たわるこの微妙な差異が、以降のシリーズの作風の変化へと繋がったのではないか。岡田厚利という「もう一人のディレクター」の作家性に寄るところが大きいと思われる初代の作風を、「GAが目指す方向性だ」と誤解してしまったところに、このシリーズとファンの関係の悲劇があるのかも知れない。

 

こうした初代の持つ硬派な世界観やリアルな雰囲気に心打たれたファンにとって、レーダーや補給ヘリの存在はゲームシステム以上の何かであったのは間違いない。この二つを奪われたSS時代からのファンが、GGBに強い拒否反応を示したのは決して理由のないことではなかったように思う。

 

そしてこの点に関して言えば、GA側にも過失がなかったとは言えない。特に、補給ヘリの代わりに導入されたイフェクトグッズやオプションボックスは演出的には遥かに後退していると言わざるを得ず、シリーズが培ってきたリアルな世界観やプレイ感覚と重大な乖離を引き起こしているのは見過ごせない問題である。

 

ガングリは元来、決して演出の下手なシリーズではなかった。補給ヘリは言うに及ばず、作品ごとに変わる自機の挙動や仕様の変更を「主役機が交代したから」という設定の内に回収していたり、GGBでレーダーがなくなったのも「アメリカがGPSの利用を規制したから」という(少々強引だが)理由付けをきちんとしている点などを見ると、ゲームシステムと設定の間に極力破綻が生まれないように配慮しているのが窺える。

 

当然、イフェクトグッズやオプションボックスにも「事前に空中投下された補給物資」という設定が付与されているのだが、では「クルクル回っているのはなぜなのか?」という部分に関しては「プレイヤーが分かり易いように」という、極めてゲーム的な理由しか見当たらない(勿論、この工夫自体は理解出来ないわけではないのだが)。

 

これは他のグッズも同じで、記章マークもトラップの爆弾も、「なぜ記章マークがあるのか?」、「なぜ手榴弾みたいな形の爆弾が戦場に落ちているのか?」、「敵の戦車は自分よりも大きな爆弾をどこに隠していたのだろう?」といった疑問がムクムクと浮かんでくるのだが、恐らくこれはツッコむだけ野暮というものだろう。残念ながら、GGBは設定との綻びを繕う努力を明らかに放棄している。

 

それが悪いと言っているのではない。それがこれまでのシリーズとの明確な違いであると言っているのだ。

 

これまで見てきたように、ブレイズはそのプレイ感覚に限って言えば実は旧作よりも余程リアルになっている面があるのだが、このイフェクトグッズとオプションボックスが悪目立ちする為にそれらの美点が覆い隠され、リアルに感じられなくなってしまっているのだ。リアリティを売りにしてきたシリーズにとって、この弊害はかなり大きい。

 

また、ゲームシステム上仕方がないとは言え、補給の形態もやや後退しているのは否めない。機体の回復は巨大なジェリカンを取ると同時に行われ、弾薬の補給も武装ごとに補給する選択式だったⅡから一転、アイテムを取ると同時に一括補給される仕様に戻っており、この点では旧作に比べて考える必要性も薄れてしまっている(勿論、これまで見てきたようにブレイズのゲームシステムを支える為には致し方ない、トレードオフな点でもあるのだが)。

 

演出面に限って言えば、補給ヘリの方が遥かに優れていたと思う。システム的には上記のような問題もあったが、補給や回復といった行為をリアルな世界観の中に違和感なく溶け込ませる上で非常に優れた演出であると同時に、補給ヘリを守ったり、降下ポイントを確保する必要が出たことはゲームとしての戦略性にも繋がっていた。そしてそれが初代やⅡの大きな魅力でもあったことは否定しようがない。

 

勿論、GGBはそれだけ割り切ったからこそ新しい方向性を提示出来たと言えなくもない。実際にイフェクトグッズやオプションボックスの導入でゲームとしては進化している面もあるので、この方向が間違いだったとは思わない。

 

が、面白いゲームとリアルな世界観は決して両立しないものではなく、トレードオフの関係でもない。そのことを何よりも教えてくれたのは、ガングリ自身であった筈なのである。だからこそ、この演出には批判が噴出したのだと思う。

 

それは旧作に比べて明らかにトーンが落ちたストーリーにも言える。旧作であれほど魅力的だったストーリーは影を潜め、悲惨な自然災害や小規模な紛争が頻発する年表は見ていて心躍ることもなく、唐突に語られる日本の人口三割餓死という鬱設定もやや浮いてしまっている。時間軸がブツ切りのミッション形式もこの印象に更に拍車を掛ける。

 

GGBはフィジカル的には凄まじい進化を遂げ、ある面ではリアルになってさえいるのに、その魂はどこかに置き忘れてきたかのように感じる。肉体と精神がどこか分裂しているのだ。そしてそれが余りに深い断裂を作品にもたらしていることは認めざるを得ない事実である。

 

この作り手側と受け取り手側の作品に抱くイメージや姿勢の差が、GGBの評価を難しいものにした最大の原因であったと思う。勿論、GGBを評価をする声も当時からないではなかったが、それはあくまでも「ゲームとしては」という前提付きであり、「ガングリフォンとして」認める声は少なかったように思う。

 

ただ、それでも筆者自身はGGBを初代やⅡと並ぶ傑作だと思っている。それも多くの人が言うような「ゲームとしては」ではなく、「ガングリフォンとして」だ。その仕様や雰囲気は大分変ったが、それでもGGBには紛れもなく初代やⅡにも共通する、「これぞガングリフォンだ」と感じさせるものがあると思っているのだ。それは大袈裟に言うならば、ガングリフォンという作品の本質ということになると思う。

 

では、「ガングリフォンの本質とは何か?」などという大上段に構えた議論を始めると途端に怪しい方向に行きそうだが、この部分にも触れておかないと片手落ちになってしまうので敢えて触れる。

 

ここからは完全な私見になるが、それは「リアルな世界観」でも「詳細な設定」でもなく、ましてや廃止されたレーダーでも補給ヘリでもない。勿論、それらがいらないものだと言っているのではない。ただ、逆にそれらがあればガングリフォンになるのか?と言われれば、そうではない筈である。それは、それらを復活させたアライドストライクの評価が今一つ上がらなかったことを見ても分かるだろう*62

 

そのASと同じようにレーダーと補給ヘリを復活させ、有志によって制作された「HIGH-MACS Simulator」*63は対照的にファンの評価も高いが、ASの例を見れば分かるように、レーダーや補給ヘリを復活させたこと「だけ」が評価された理由ではなかった筈である。そうした意味で言うと、「レーダー」も「補給ヘリ」もガングリフォンという作品を構成する一つの要素ではあっても、絶対に不可欠なものではなく、本質ではないと思うのだ。

 

では、筆者の考えるガングリフォンの本質とは何なのだ?勿体着けずにさっさと言えコノヤローという声が聞こえてきそうなので言わせていただくと、それは開発初期のコンセプトである「隠れながら撃つ感覚」という言葉に込められた、もっと別の意味であると思う。

 

「ガングリらしさ」とは何か?

「ああ、きっと大丈夫さ。二課育ちはたくましさが信条だからね」 シバシゲオ

 

これを上手く言い表す言葉は中々見つからないのだが、以前にとあるゲーム批評祭に送り、見事に撃沈された拙稿の一文にそのヒントがあるかも知れないので引用したい。これはGGBの、特に「隠れながら撃つ感覚」を進化したマップや地形の観点から説明しようと試みた文章だが、もしかしたらガングリの本質の一端を説明してくれるかも知れない。こういう文章だ。

 

ブレイズはたった一発の被弾が命取りになる戦場の厳しさを見事に表現している。一発の重みが厳しいからこそ、それを回避するための行動にも意味が出てくるし、自然、行動も慎重になる。プレイヤーが考えることを求めてくる。

 

敵の攻撃は激しく苛烈だが、理不尽ではない。自身が気をつければ回避することが可能であり、対処方法はステージの中にきちんと用意されている。このプレイ感覚には昨今流行の死にゲーにも通じるものがある。

 

 最初はすぐ撃破されてしまうが、何度もトライする内にヒントが見えてくる。敵の砲弾が砂丘に着弾して噴煙を上げるのを見れば、地形を盾にすることが自然に理解される。自然に回避行動を取るようになる。次第に自分の動きが洗練されていくのが分かる。これは新鮮な驚きである。

 

 ブレイズは決して反射神経ありきのSTGではない。縦横無尽に暴れまわる無双プレイもランボープレイも許容しない。続々と現れる敵の増援をいなし、撤退する味方を援護し、ボロボロになりながらミッションを達成しても、あなたに与えられる報酬は何もない。「これがガングリフォンなのだ」という、胸の高鳴り以外には。

 

我ながらスカした文章で、今読むと本当に恥ずかしい。特に最後の一文などはたまたま仕事から早く帰って来た親父と一緒に観るハメになった石破ラブラブ天驚拳*64並みに恥ずかしいものであり、選考で落とされるのも至極当然なのだが、結論の部分に関して言えば現在でも考えに変わりはない。

 

「胸の高鳴り」とはつまり、達成感のことである。この「達成感」というワードはここ何年かのゲームシーンで注目を集めた言葉だが、その先駆け的存在となった名作RPGデモンズソウル」のプロデューサーを務めた故・梶井健氏*65はインタビューでこう述べている。

 

「ゲームをする楽しさ・・・・・・つまりゲームで得られる快感というのは、クリアしたあとのご褒美だとか、そういうものではないという意識が、私や宮崎さん*66のなかにありました。プレイを続けながら徐々にプレイヤー自身が上達していく、その過程こそが楽しいんだ!という考えを共有していました。そういうゲームは最近では少なくなってしまったので、今そのような作品を作ればきっとニーズがあるはずだという気持ちもありました」*67

 

この言葉はそのままガングリフォンという作品にも当てはまると思う。

 

HIGH‐MACSという架空のロボットを乗りこなし、徐々に操作に習熟していく快感。最初は前進も後進もままならなかったのに、プレイする内に自然と偏差射撃やスライド移動、果ては砲塔旋回まで使いこなしてしまうようになっている不思議な驚き。それらの磨き上げた操作技術でクリア不能にも見えた困難なミッションを達成する喜び。

 

続々と現れる敵の増援をいなし、撤退する味方を援護し、ボロボロになりながらミッションを達成した時、初めて感じることの出来る達成感。優れたゲームが与えてくれる報酬はそれらをおいて他にないと思う。

 

しかし、それも優れたコンセプトあってこそである。

 

「隠れながら撃つ感覚」という、シンプルながらも卓越したコンセプトをバトルテックサバイバルゲームの中から見つけ出し、それを高めていった宮路氏や岡田氏らGAスタッフの先見性なくしてそれはあり得なかった筈である。これだけは他人が容易に真似することの出来ない、 替えの効かない部分ではないかと思う。

 

GGBという作品の中にはそのプレイ感覚が脈々と受け継がれている。

 

包囲機動を展開するトルコ軍の猛攻から友軍を援護しつつ丘を登る時、押し寄せるロシア軍の波状攻撃から味方のヘリを守る為に戦場を駆け回っている時、初代の連雲港やⅡのタンチェンをプレイしていた時と同じ熱い感覚が蘇ってくる。

 

続々と現れる敵の増援をいなし、撤退する味方を援護し、ボロボロになりながらミッションを遂行するこの感覚は、ガングリフォン以外では到底味わえない感覚である。

 

GGBはそこに新しいものを加えた。シリーズが示したコンセプトを丁寧に見つめ、掘り下げることで、その感覚を何段も高いレベルに引き上げた。「隠れながら撃つ感覚」という初期のコンセプト目指してブレることなく突き進み、それを遂に実現した。

 

初期のコンセプトを忘れて迷走を続けるシリーズが多い中で、GGBはその一般的な評価とは裏腹に、実は愚直に初期のコンセプトを追求し続けた稀有な作品でもある。このことを評価しないわけにはいかないと思う。

 

それでも尚、こう言う人もいるかも知れない。

「それじゃあ、お前はあの四角い箱や弾丸がクルクル回る戦場が良かったと思うのか?」と。

 

これについては正直、首を捻らざるを得ない部分もある。アイテム制にはアイテム制の良さがあるので断固ヘリ制に戻すべきだとまでは思わないが、もしシリーズが続いていて、尚且つアイテム制を継続するのであれば演出面では何かしらのフォローが必要だったとは思う。

 

ただ、こうしたいくつかの瑕疵は認めつつも、それでも筆者はこれからもブレイズをプレイし続けるだろう。そして先の質問にはこう答えたい。

「クルクル回る箱や弾丸くらいで駄目になるほど、ガングリはヤワではない」と。

 

ガングリフォンという作品の本質はそこにはない。

筆者はそう思っている。

 

 

 

 

 

終わりに

 

ガングリフォン・ブレイズ」は名作ゲーム、ガングリフォン・シリーズの三作目にあたる作品で、発売されてから今年で丁度20年になります。しかし、従来のシリーズから大きく様変わりした雰囲気やシステムの変更、ボリューム不足などが祟り、この20年間、本作への評価は何とも微妙なものでした。

 世に「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉がありますが、「ブレイズへの道は地雷で舗装されている」という名言が(私の中で)生まれるほど、発売当時の「ガングリフォン・ブレイズ」に対するファンの風当たりは強いものがありました。

 その評価は古参のファンほど厳しく、それこそ初代原理主義とも言うべき鬼軍曹の前でそれを言おうものなら「外人部隊の風上にも置けぬ奴」と鉄拳制裁を食らい、対戦会からはハブかれ、購入したばかりのエアガンの標的にされて追い立てられ、それこそ「あいつはブリキ缶だぜ」とディスられ、「君の階級章は飾りかね?」と煽られ、「あなたには失望させられました!」と失望され、「アンソニーセガール、ご飯よ~!アンソニー?アンソニー?!アンソニーっ!!」とお母さんに怒られてしまいます(最後以外全部嘘です)。

 ことほど左様にブレイズファンに対する世間の風当たりは強く、ブレイズ好きを公言することはイエスブッダの歩いた道にも似た茨の道であり、またダンテの歩いた煉獄を進むが如き試練でもあり、楽園を追放されたサタンが神に挑んだ戦いの如くでもあり、ガングリフォン界隈では中々に憚られることでした(多少、オーバーに言いました)。

 

 ですが、近所の長崎屋の玩具屋さんで定価の6980円で購入して全財産が吹っ飛んでからの20年間、折に触れては古いPS2を引っ張り出し、古い酒に口をつけるが如くチビチビとプレイし続けて分かったことは、「不思議と飽きないな」ということです。

 自分はギリシャ裏とウクライナ表が好きで、素の16式や9式などを使ってよく遊んでいるのですが、この二つの面を回しているだけでも延々遊べてしまうのです。20年間ずっとです。私が少々偏屈なゲーマーであることを差し引いても、これは驚くべきことです。「そんな古いゲームを20年間やってるお前に一番驚くよ」という声が聞こえてきそうですが、コスパが最高なのは私が保証します。

 この間、ゲーム機の世代はPS2からPS3PS4と変わり、時々の話題になったゲームや気になったゲームも遊んできましたが、それでも何かの度に思い出してはブレイズをプレイしていました。というのも、ブレイズの代わりになるゲームが見つからなかったからです。

 ブレイズが最高のゲームかどうかは分かりません。しかし、ブレイズがもたらしてくれる楽しさはブレイズ以外では味わえない、ブレイズには唯一無二とも言える魅力が備わっていて、昨今のロボゲーでも到達していない地平を見ていたのではないかーそう思わせるだけのポテンシャルがある作品だという想いは年々強くなっていきました(同時に年々友達も減っていきました)。

 そして一年前、このブレイズの魅力を何とか伝えたいととあるゲーム批評祭に批評を書いて送ったのですが、結果は見事落選。批評の何たるかも知らない人間の送ったものなので当然の結果ですが、それでも尚、この作品の魅力を伝えたいという気持ちだけは強く残りました(反対に友達は一人残らず消えました)。

 

 それからツイッターでガングリ関係の話題について呟くようになり、考察を続けました。それらの呟きには色々な反応を頂き、本稿のヒントになるようなリプライも沢山貰いました。

 本稿も昨年の11月頃にツイッター上でのやり取りをヒントに急いで書き上げた文章が元になっています。ところが、本稿のヒントを提供してくれた某N氏*68に「来週には見せられます!」と大見得を切ったは良いものの、書き進める内にああでもない、こうでもないと考えれば考えるほど深みにはまり、悪戦苦闘。年末には一旦完成していたものの、自信が持てずに中々発表できず、そのまま放置してバックレておりました(オイ)。Nさん、その節は本当にごめんなさい。余りにも予測が甘かったです・・・・・・orz

 とは言え、今年になってからまた少しずつ手を付け、細部を修正し、仮想戦記やゲーム化構想などにうつつを抜かしつつ(マテ)、やっとこさ発表に至った次第です。十分に時間を置いたことで、最初に書き上げたものよりは多少でもマシな文章になっていると良いのですが。

 

 正直なところ、自分の視点はガングリをゲームとして見る方に寄り過ぎているのかも知れないという気もするので、「いや、ガングリはシミュレーターじゃい!ボケェ!」という観点からの考察も見てみたい気がします。

 本稿では余り取り上げませんでしたが、有志のファンの方々によって開発された「HIGH‐MACS Simulator」はその一つの答えかも知れません。筆者自身は未プレイなので多くは語れないのですが、動画などで見る限り、その完成度の高さには驚かされるばかりです。というか、「やっぱこういう雰囲気のガングリも良いな~」と節操なく思っています。自分自身、リアルなシミュレーター路線が駄目だと思っているわけではないので、いつかこうした方向性からの考察にもトライしてみたいですね。

 ただ、個人的にはガングリフォンという作品は案外懐の深いところがあって、リアルなシミュレーター路線とゲームライクな路線と、そのどちらにも寄れる可能性を元々内包していたということだと思います。

 今回、本稿を書くに当たってはそのどちらの方向性が優れているのかではなく、個々の作品が何を目指していたのかを理解することを主眼としました。その中でも特にブレイズはまだ考察が不十分であり、ああした仕様が導入された経緯や理由も含めてまだ議論が十分に尽くされていないと感じたことも本稿を書いた理由でした。ブレイズに限らず、シリーズ作品の考察がまた活発になってくれると嬉しいですね。

 勿論、考察なんて難しいことを言わずとも、この作品にもう一度手を触れて遊んで頂き、「お前の言ってることを確かめてやろう!」と思ってもらえたら本稿の目的はほぼ達成されます。将来、このシリーズが再び陽の目を浴びる日が来るのかは誰にも分かりませんが、その時に作品の魅力を伝えられるのは実際にプレイし、それを深く楽しんだ人だけなのですから。

 

 拙い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 ツイッター上で議論に付き合ってくれた方、脈絡のない馬鹿話に「いいね」押してくれた方にも感謝を申し上げます。本稿を書くにあたってはそれらのやり取りから様々なヒントを貰いました。またよろしくお願いします(ペコリ

 

 

 

 


脚注

*1:BZという表記は余り見かけないが、ツイッターの字数制限対策の為に敢えてこれを使っていた。本稿においては以後、GGBで統一する。

*2:制作者のものとされる発言で、より正確には「レーダーばかり見るゲームになってしまったから」。以下のゲーム評価サイトに掲載されていた情報である為、出典や情報の正確性については不明。本稿ではあくまでも考察を進める為の叩き台として扱う。https://w.atwiki.jp/gcmatome/pages/331.html

*3:初代ガングリフォンのCMで使われた言葉である。

*4:確実なのは連雲港のブルータルクラブで、明らかに機体が見えるかなり前から警告音が鳴り、MGが飛んで来る。距離があり過ぎるのでほとんどは装甲に弾かれ、有効射ではないが。また、同じく連雲港のVW‐1もこちらの視認距離の外からGUNが飛んで来ている可能性がある。要確認。こちらは当たると結構痛い。

*5:より正確には効果が高過ぎたというべきか。迷彩効果恐るべし。

*6:ツクダホビーなどで活躍した伝説的ボードゲームデザイナー。初代ガンダムの世界観を再現した一連のボードゲームシリーズで有名で、それらは後にガンダムの世界観を再現した名作SLGギレンの野望」シリーズの原型になったという。「ガングリフォン」シリーズには1994年から参加し、世界観や設定、メカニック等をほぼ一人で手掛けたもう一人のディレクターと言うべき人物。

www.gundam.info

*7:2001年発行のグレートメカニック誌2号(双葉社)、119ページ

*8:当時株式会社ゲームアーツ開発部部長、後に独立してジー・モード社長。天才的なプログラマーで、中学生の時にはアスキーで活動を始めてプログラミングの本を書き、それをプロ志望者達が読んでいたとか、印税収入を受け取っていたなど、とにかく逸話に事欠かない人物。1985年、19歳の若さで兄の宮路洋一氏と共にゲームアーツを立ち上げ、「シルフィード」や「ガングリフォン」、「グランディア」といった数々の名作シリーズを生み出した。ゲームアーツを離れた後もソーシャルゲーム時代の到来を予見して逸早く携帯ゲームに参入するなど活躍していたが、2011年7月29日に45歳の若さで惜しまれつつ死去した。本作「ガングリフォン・ブレイズ」にはディレクターではなく、プロデューサーとして参加している。

*9:もう一つの原点、バトルテックに関しては知識不足の為、ここでは触れない。ただ、ここで言うバトルテックとは90年代前半にゲームセンターなどで展開された筐体型のゲームを指すらしく、8人までの同時対戦が可能な何とも先進的なゲームだったらしい。その複雑な操作系や砲塔旋回のアイデアを始め、ガングリフォンにも大きな影響を与えたことが確認出来る。別途、詳しい方のアプローチを待ちたい。

*10:日本の映画監督、小説家。アニメ、実写を問わずクオリティの高い映画作品を数多く発表しており、世界中にコアなファンを持つ。近年の代表作は「スカイ・クロラ」、「ガルムウォーズ」、「東京無国籍少女」など。1993年に発表した「機動警察パトレイバー2」はロボットアニメの傑作として高く評価されており、日本のPKO参加問題を取り扱ったその作風は「ガングリフォン」シリーズにも何らかの影響を与えた可能性がある。

*11:ガングリフォンコンプリートファイル(光栄)、126ページ

*12:デモンズソウルを始めとするソウルシリーズの生みの親。現フロムソフトウェア社長。

*13:正確にはごく少数が存在するが、性能がかなり抑えられている。

*14:一応どのステージも自由に動き回ることは可能なのだが、補給ヘリの降下ポイントを確保することも攻略上重要な為、攻略ルートもそれに従ったものにならざるを得ない。

*15:GGBの攻略本を紛失したので正確な条件は分からないのだが、恐らく上記の条件で間違いないと思う。これは他の敵にも採用されている可能性があり、逆にこれらの敵を倒さずに残しておくことで追加の増援を発生させないようにすることも出来る。

*16:ハリコフやキエフなど、敵の殲滅が目的のミッションではわざと敵を倒さずにおくことで作戦時間そのものを多少調節することは出来るが、新たな増援は登場しない為、スコア的には無意味。恐らくだが、ケープカナベラルやチベットの増援は作戦時間が終了するか作戦目標を破壊しない限り延々と出現し続ける筈である。

*17:正確にはイフェクトグッズ。本稿では時々に応じて両方を用いる。

*18:この辺りの事情はCMで「三つの快感」を押し出しながら、実際は割と繊細なプレイが求められた初代の売り方にも似ている気がする。歴史は繰り返す。

*19:16式のジャンプくらい飛躍し過ぎだ。

*20:ガングリフォンコンプリートファイル(光栄出版部)、54ページ

*21:一応、説明書内のキエフの解説を読むと、「画面の表示よりも、実際の機体の幅は大きい。そのために体が建物に引っ掛ったり、自機の弾が、手前の建物に着弾することがある。車体感覚をつかみ、冷静な対処をせよ(後略)」とあり、機体の操縦感覚を掴ませることがステージの目的だったらしい記述がある。実際には「隠れながら撃つ感覚」を再現する為にこのようなステージにしたのではないということなのかも知れないが、遮蔽物が最も多いステージであることもあり、このコンセプトを実現するには最適のステージでもあるということは指摘しておきたい。後述するブレイズにおける数々の改良を施した上でこのステージをプレイしたと想像したら、この意味が多少は分かるはずだ。

*22:攻撃力はGUNの半分ほどだが攻撃範囲が広く、空中からの攻撃ボーナスと合わさることで戦車でも一撃で倒せるようになる近接信管を採用した榴弾

*23:この仕様はファンには相当不評だったようで、プレイヤーの中には敢えてバック走行中にジャンプすることで前方への慣性を殺し、一時的な疑似ホバリング状態を生み出そうとした者もいたとかいないとか。

*24:ギリシャパンター三機が駆け降りて来る崖にも登れる。Ⅱのカッタラ窪地では不可能だった

*25:カッタラ窪地やウェイファンなどは一見すると高低差があるように見えるが、高地の部分には侵入不可能なので、実際には高地に区切られた平面でしかない。東ウラルは高低差があるが、その実態は狭い通路が連続する迷路に近く、戦場としての高低差はない。GGBのそれに匹敵するマップがあるとしたら、チーナンやヘジャスのみではないかと思う。

*26:嘘だと思った方はGGBのソフトケースの右下を良くご覧になって頂きたい。

*27:タートンのエレファントも地上から近づくとかなり凶悪である。140㎜砲なのかATMなのか分からないが、物凄い速度で何かを連射してきて固められて死ぬ。

*28:ATMの速度について実際に計測したわけではないが、全速後退すれば追尾してくるATMが爆発するのを待つことが出来るくらいには遅くなっているようだ。

*29:勿論、初代のゲームバランスがダメだったということではない。むしろゲームバランスは良好だし、ATMに捕まったら即死というのもリアルと言えばリアルである。これは好みの問題もあるだろう。

*30:米軍のM1戦車だけは二発必要。

*31:ただ、前述のように初代もⅡもハード性能の制約から視認距離に問題を抱えていた為、全てが近距離戦闘と言えなくもない。

*32:勿論、アイテムなどで主砲の威力を調整することも出来るので、プレイヤー自身が自由に調整することが可能である。本稿では基本的に最上級難度のHELLモードを何も装備しない状態でプレイすることを前提として論を進めている。

*33:Ⅱは画面の彩度が高めに設計されており、夜間ステージでも相当明るいので暗視装置が必要なかった。

*34:正直言うと、非常に意識的に作られたであろうこのシリーズにおいて、この支援砲撃の要素だけは余り上手くいっていなかったんじゃないかと思うことがある。支援砲撃で敵を破壊するとプレイヤーの得点や撃破数にカウントされないので成績が下がるし、そもそも当て辛い。

*35:GGBの夜間ステージー特にウクライナのアナザーステージ等は相当敵が見え辛いのだが、あったらあったで昼間と変わらないという結論に至ったのかも知れない。

*36:特にタートンの方は長い。測ったことはないが、分単位で待つと思う。

*37:実際、長時間プレイしていると息が上がってくるような感覚になる。その分、旧作にも増して疲労も大きく、ゲームの根本的な部分が大きく変化しているように感じる。

*38:GGBは難易度を上げるほど自機の装弾数が低下し、敵の攻撃力や発射間隔、命中率などが上昇する。HELLにおける敵の射撃はローラーダッシュ中でも移動予測地点を捉えて当てて来るほど正確だが、最も簡単なBLAZEAWAYだと至近距離で棒立ちしていても明後日の方向に撃ちこむなど、明らかな差がある。本稿における考察は全てHELLを基準に進めている。

*39:これこそ「隠れながら撃つ感覚」というコンセプトが見事に達成されている証左である。

*40:GGBのHPの仕様は大ダメージを受けても即座に死ぬことはなく、ダメージを受けた分の体力が徐々に減っていき、それが0になった時点で撃破される仕様となっている。体力の低下中でも体力回復用のジェリカンを取った時点で体力の低下が止まる為、実質的な体力は見た目よりも多く、死ににくなる工夫がされている。この仕様は前述のブラッドボーンで採用されているものにも良く似ている。ちなみに、ブラッドボーンではダメージを負った際、輸血液という回復アイテムで体力を急速に回復させるが、これを「リアルではない」と言う人はいない。この辺りの演出に関してはブラッドボーンの方が世界観にもマッチしていて、違和感がないということだろう。

*41:一応フォローしておくと、9式のプレイ感覚は戦車ゲームに近く、16式やヤークトパンターとは全く違う動きを求められる為、これはこれで中々楽しいのだが。

*42:1964年生まれ。イラストレーター、メカニックデザイナー、アニメ―ション演出家、アニメーション監督。「グランディア」に参加したのを機にアニメーション分野に活躍の場を広げる。

*43:実際、GGBに限らずシリーズの操作性はどれも良好で、その操作系統も全てのボタンを使う複雑なものながらストレスが少ない。これはGGBも同様で、より直感的になった機体の操縦や狙撃モードへのスムーズな移行など、快適な操作性を実現しており、この点を不満に挙げる声は少ない。ちなみに、上記のツイートに名前が見える重馬敬氏は1960年生まれの小説家、ゲームシナリオライターで、シナリオ工房「月光」社長。「LUNAR」シリーズなどの制作に関わる。

*44:一応、事前に投下された補給物資という設定はされているし、旧作の補給ヘリだって厳密に言うとフィクションめいてはいるのだが、それに比べてもやはりゲーム的なガジェット感は強く残る。

*45:細かいところで言うと、チベットのトーチカ裏にある兵士用通路から奥の13式が狙えたり、グアムやエジプトの海の中にアイテムが隠されていたりと、様々な要素が隠されている。もっとも、後者のような要素がガングリのゲームシステムと本当にマッチしているかは疑問なところもあるのではあるが。

*46:奇しくも初代ガングリフォンと同じ発売年であり、その4年後の2000年にブレイズが発売されている。

*47:カプコンが1997年に発売した3Dアクション型のロックマン。商業的には振るわなかったが、名作として認知されている。ブレイズの製作に当たってはGAとカプコンが提携を結んでおり、そのせいか、イフェクトグッズやオプションボックスといった要素は何となくカプコンのゲームっぽいなという気がしなくもない。

*48:スクウェアが2002年に発売した3DアクションRPGファイナルファンタジーとディズニーキャラクターのコラボレーションで話題になり、人気シリーズとなった。初代キングダムハーツスーパーマリオ64の影響を大きく受けており、探索要素が特に強かった。

*49:チベットギリシャのマップには普通にプレイしているだけではまず気づかない洞窟が存在し、それぞれ補給品や高得点を稼ぐためのアイテムが隠されている。チベットには洞窟が二つ存在するが、その内の一つにはなぜかコラートが隠れており、一部のファンの間で密かな人気を呼んでいる。いや、筆者だけかも知れないが。

*50:初代ガングリフォンのCMで使われた言葉である。

*51:ガングリフォンの特徴である増援システムを見れば完全なノンリニア化などあるわけがないのだが、ここではゲームの幅を広げようとしたという意味でご解釈頂きたい。尚、オープンワールドの定義・解釈には色々あるが、ここではその議論が目的ではないので大雑把に使用するが、ご容赦願いたい。

*52:ガングリフォンコンプリートファイル、124ページ、光栄出版。

*53:林田浩太郎。株式会社ゲームアーツ第2開発部所属(当時)。ガングリフォンブレイズ制作ディレクター。

*54:グレートメカニック2、120ページ、2001年発行

*55:ゲームアーツ社長代表取締役、現ジークゲームズ代表取締役社長。18歳でアスキーで活動を始め、1985年に弟の宮路武アスキー時代の同僚達と共にGAを設立。2005年に同社を退社して以降も多くのゲーム作品の企画・開発に関わり、活躍している。

*56:ゲーム保存協会の主催で2019年8月3日に行われた特別講演「伝説のゲームクリエイターに聞く」第4弾における発言。

*57:実際、後に発売された「ガングリフォン アライドストライク」(以後AS)では対戦モードに限ってヘリの降下地点を選択出来るらしい。

*58:アニメーションや玩具関係のデザインを手掛けるデザイナー集団で、AWGSのデザインを担当。初代ガングリフォンには主に山田隆博氏、阿久津潤一氏、広部滋氏の三人が関わっており、山田氏はHIGH‐MACSと二脚型のデザインを、阿久津氏は多脚型のデザインを、広部氏はAWGSの歩行パターンをそれぞれ担当した。バンダイマスターグレードシリーズなども手掛けている。

*59:ガングリフォンコンプリートファイル、125ページ、光栄出版

*60:宮路氏もサバゲーにハマるくらいなのでミリオタには違いないし、岡田氏の参加前から20年後の近未来を舞台にリアルなロボットモノを作るという方向性はある程度決まっていたようである。ただ、ここまでリアルなものになったのはやはり岡田氏の影響によるものと見た方が妥当だろう。岡田氏の戦車好きは相当なもので、1983年から87年まで発行されたツクダホビーによる会報「オペレーション」内で「レオパルド2への道」という連載記事を執筆し、第1回から「装甲厚と貫徹力」と題した記事で飛ばしている。

legalalien.sakura.ne.jp

*61:初代に登場する敵の迷彩効果が高過ぎて見辛いという意見があった為、Ⅱでは全体に彩度が高く設定され、登場する兵器も通常あり得ないような派手な彩色のものも多い。個人的にはジャルタイに出てくる紫色のルクレールなんか好みではあるが。

*62:筆者はASについては未プレイなので多くを語るべきではないのだが、多くの人のレビューやブログ、動画などで確認する限り、色々と問題があると思わざるを得ない。世界観とか設定に関しては言わずもがな。

*63:有志によって制作されたガングリフォンのゲーム作品。初代に通じるようなテイストで作られた非常に硬派な作風で、ファンからの評価も高い。

*64:機動武闘伝Gガンダム最終回を参照のこと。

*65:当時SCEソニー・コンピューター・エンターテイメンツ)。

*66:宮崎英高。現フロムソフトウェア社長。

*67:なぜいまマゾゲーなの?ゲーマーの間で評判の”即死ゲーム”「Demon's Souls」(デモンズソウル)開発者インタビュー 4Gamer.net 3月19日記事

*68:ガングリ関係の有名なブログを運営されている方で、本稿を執筆するに当たってはこの方のブログの情報に助けられるところが大きかった。感謝します!