ガングリフォン・ムック(仮)

名作ゲーム、ガングリフォンシリーズについて考察するブログです。他のゲームも時々語ります。更新不定期。

第三次世界大戦戦後史・番外編④年表

本ブログで連載している仮想戦記の年表を作ってみました。何分、軍事の知識に乏しい人間が書いているので内容は滅茶苦茶ですが、おかしなところは脳内補完しつつ読んで頂けたら幸いです。まぁ、筆者はこういう設定遊びが好きなんですね。ご興味のある方は是非ご覧ください。

 

*本稿はゲームアーツの3Dシューティングゲーム、「ガングリフォン」シリーズの内容を元にした架空戦記の内容を基にした年表です。これ以前の内容については「架空戦記」カテゴリから閲覧することが出来ます。基本的に「GUNGRIFFON THE EURASIAN CONFLICT」から「GUNGRIFFON BLAZE」までの設定に準じていますが、筆者のオリジナル設定も多数含まれていますので注意して下さい。

*また、本稿は未整理の部分も多く、将来的に加筆・修正されることもあります。ご了承下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

注釈

 

黒:初代からブレイズまでの原作の設定。正史。

橙:仮想戦記『中印衝突』の内容。

青:仮想戦記『ロシア崩壊』の内容。

赤:仮想戦記『中東戦役』の内容。

水:仮想戦記『ブレイズ・ウォー』の内容。

灰:仮想戦記におけるオリジナル設定。

 

2002年

 

2003年

 

2004年

 

2005年

 

2006年
  • 2足歩行マシン、各種作業場で活躍。
  • 5月、PEU軍設立。
  • 6月、アジア太平洋共同体(APC)結成。
  • 8月、第二次中越紛争勃発
  • 9月、APC軍設立、ベトナム懲罰戦に出兵。
  • 11月、PEU軍、編制・装備統一プログラム開始

 

2007年
  • 10月、アメリカ陸軍、AWGS(装甲歩行砲システム)計画開始

 

2008年
  • 4月、自衛隊装甲歩行戦闘車SH計画開始。
  • 11月、PEU軍共通歩行マシン構想トライアル開始。

 

2009年
  • 4月、自衛隊SHの一次試作車発注、公式テスト実施。
  • 7月、アメリカ陸軍AWGSの2脚型はUD・LP社(旧FMC社)/ビィッカース社製、4脚型はGD社製に決定。
  • 8月、アメリカ陸軍、第2世代型AWGS計画開始。
  • 9月、『戦場の王者となりえる兵器とは?』論文、JDW誌発表
  • 12月、MDM社、HIGH‐MACSの概念設計開始。

 

2010年
  • 1月、自衛隊SHに小松製作所/キャデラック・ゲージ社、三菱重工/GM社/クラウス・マッファイ社両者の機体に決定。
  • 3月、アメリカ2脚型AWGS後継車両、陸軍と海兵隊独自の開発を決定。
  • 5月、アメリ海兵隊、陸軍のM15・M16を採用。トライアルに敗れたキャデラック・ゲージ社は独自に開発・研究を続行し、この時に参加した機体が後のスケアクロウの母体となる。
  • 8月、MDM社、HIGH‐MACS計画開始。
  • 10月、日本外人部隊創設。

 

2011年
  • 1月、自衛隊、第2世代の装甲歩行戦闘車新SH計画開始。
  • 4月、HIGH‐MACS計画、自衛隊の公式計画に格上げ。
  • ロシア陸軍、IMR‐X歩行戦闘工兵車の部隊配備開始。
  • ドイツ陸軍、ティーガーの部隊配備開始。
  • ルノー社AUTRUCHEの生産開始
  • 9月、PEU軍共通歩行マシン構想トライアル開始。

 

2012年
  • ロシア陸軍、BMXの部隊配備開始。
  • ドイツ陸軍、パンターの部隊配備開始。
  • イタリア陸軍、リットリオを山岳部隊に配備開始。
  • ロシア陸軍、IMR‐XG歩行戦闘工兵ミサイル車の部隊配備開始。
  • イギリス空軍、航空基地防衛用にバリアントの部隊配備開始。
  • 中国軍、12式装甲歩行車の部隊配備開始。*1
  • 6月16日、HIGH‐MACSのプロトタイプが座間研究所で完成。
  • 7月、ロシア軍、第二世代型AWGSの開発計画をスタート。
  • 9月3日、北海道で実戦配備テスト実施。
  • 10月17日、座間研究所で最終テスト実施。
  • 11月12日、日本外人部隊はHIGH‐MACSを12式装甲歩行戦闘車として制式化。翌日、富士演習場にて高官、官僚を集めたデモンストレーション開催。

 

2013年

 

2014年
  • 中国軍、13式装甲歩行車と14式装甲歩行車の部隊配備開始。
  • 3月18日、 第501機動対戦車中隊、北海道千歳にて創設。
  • 10月24日、HIGH‐MACSⅡ、ロールアウト。運用試験のため、完成した3機の内1機を第501機動対戦車中隊へ配備。
  • 日本外人部隊、第1空中機動師団新設。

 

2015年
  • 2月、オーストラリア陸軍、アームスコー社製エレファント採用。
  • 2月8日23時15分。第501機動対戦車中隊はリビア砂漠でリビア・PEU連合軍を襲撃。PEU軍は演習中だったために大損害を受ける。この襲撃により翌日、PEU軍はAPC軍に対して正式に宣戦を布告。
  • 同時刻、付近の砂漠で偵察中だったフレデリック・バーロウ少佐*2率いる南アフリカ軍の一隊がこの戦闘を目撃。
  • 2月9日、開戦。第501機動対戦車中隊、APC軍のリビア侵攻の先鋒を務める。同日、第504機動対戦車中隊、北海道千歳にて創設。
  • 2月12日、第501機動対戦車中隊、シジバラーニの淡水化プラントの邦人救出作戦に投入される。
  • 2月14日、カッターラ窪地でAPC軍敗北。第501機動対戦車中隊は撤退するAPC軍を援護する。
  • 2月16日、スエズ運河攻防戦。第501機動対戦車中隊はPEU軍北アフリカ軍団と激戦。同時刻、紅海経由で運河に侵入し、イスマイリア軍港を占拠したPEU軍を第503機動対戦車中隊が急行し撃破。戦闘はAPC軍の勝利となるが、PEU軍にスエズ運河を封鎖され事実上の敗北。
  • 2月23日、エジプト降伏。同日、ロシア軍のウクライナ併合作戦開始。リビアのトゥブルクに駐在していたPEU軍・北アフリカ軍団司令部が謎のミサイル攻撃により壊滅。
  • 2月24日、PEU軍、北アフリカから撤退開始。
  • 2月27日、02時23分。吹雪の中、アレキサンドリア港のPEU軍残存部隊はAPC軍の猛攻を受け、部隊は全ての武装を放棄しヨーロッパへ撤退。
  • 2月28日、APCとPEUは停戦に合意。
  • 3月、ドイツ軍降下猟兵旅団にフォルシルムヤークトパンターの部隊配備開始。
  • 3月26日、ウクライナ援護のため、APC軍、ハリコフに空挺降下。第501機動対戦車中隊、作戦に参加。
  • 4月、タイ陸軍、コラートの実戦配備テスト開始。
  • 4月10日、ウクライナ旧首都キエフをPEU軍が占領。
  • 4月20日、第502機動対戦車、PEU軍の待ち伏せ攻撃によりノボシビルスクで全滅。同日、第102機甲師団ノボシビルスクで初陣を飾るが、ノボシビルスクは陥落。
  • 5月7日、第502機動対戦車中隊、急遽再編成。APC要人を乗せた航空機がコラ半島で事故を起こし、第502機動対戦車中隊が救援に向かう。
  • 5月15日、ウランバートル東南100キロでAPC・PEU両軍激突。APCの敗北に終わる。
  • 5月16日、モンゴル独立、PEU加盟を宣言。
  • 5月24日、第503機動対戦車中隊、チベット・ラサを攻撃。チベットAPCからの独立阻止に成功。第503機動対戦車中隊は作戦終了後、ベトナム軍の北進を阻止するため、中華人民共和国広東省のコワンチョウへ向かう。*3
  • 5月30日、第501機動対戦車中隊、長城京包線防衛線において壊滅。
  • 6月3日、第502機動対戦車中隊、内蒙古自治区のロケット基地に残された核弾頭回収に投入される。
  • 6月11日、チベット独立宣言。
  • 6月28日、ベトナム軍、中国領進攻。貴州省のナンニンで第503機動対戦車中隊は中国軍の援護に入り、ベトナム軍の中国進攻は一時的に回避する。
  • 7月11日、中国で内戦勃発。第503機動対戦車中隊、反乱した第103機甲師団へ攻撃を敢行。
  • 7月23日、オーストラリア、APC離脱宣言。
  • 7月30日、第504機動対戦車中隊、オーストラリア懲罰軍としてオーストラリア・ノーザンテリトリーダーウィンに派遣、空港を占領する。しかし、士気の低さからこれ以上の進攻は実行されず、3日後に中国戦線への配置転換のため撤退。
  • 8月7日、AFTA、APCへ宣戦布告。
  • 8月13日、連雲港にアメリ海兵隊を主力とするAFTA軍上陸。第504機動対戦車中隊は西方のツァオチョワンへ撤退。
  • 8月14日、第504機動対戦車中隊、タイアンへ移動する第103機甲師団を護衛するため、ツァオチョワンで追撃するAFTA軍と激突。作戦終了後、第504機動対戦車中隊はチーナンに向かう。
  • 8月17日、第504機動対戦車中隊、AFTA軍の橋頭保である連雲港に空挺降下し、APC軍の後退援護を行う。多大な戦果を挙げつつも戦力を半減する。
  • 9月2日、AFTA軍、同盟を結んだイギリスからヨーロッパ侵攻を開始。北欧・ベネルスク諸国はPEUからの離脱を宣言。同日、PEU軍の混乱に乗じ、中国軍は長城京包線を安定させることに成功。この作戦に協力、強襲の先鋒を務めた第502機動対戦車中隊は戦力不足により壊滅状態となる。*4
  • 9月9日、第504機動対戦車中隊、APC軍の黄河を渡っての後退を支援。
  • 9月12日、第504機動対戦車中隊、AFTA軍に投降。
  • 9月16日、AFTA、APCの無条件降伏を受諾。日本政府は外人部隊の解散を決定。装備は米軍が接収。中国軍の武装解除開始。沿岸州の部隊では順調に進んだが、内陸部はチベットベトナムとの紛争を理由に拒否し難航。
  • 9月22日、ライン河での戦いに敗北し、ドイツはAFTAに全面降伏。
  • 9月25日、百霊廟にてAFTA軍主導の各種AWGS運用試験実施。
  • 10月9日、AFTA軍、ロシアの首都モスクワ占領。
  • 10月10日、PEU軍残党過激派がウラル山脈の戦略ロケット基地を制圧。AFTA軍占領下のモスクワは同基地より核攻撃を受けて壊滅。
  • 10月12日、AFTA軍、戦略ミサイル基地奪回作戦を成功させる。ロシア軍、無条件降伏を受諾。アメリカ、第三次世界大戦終結を宣言。ロシア軍の武装解除開始。
  • 10月24日、ロシア共和国、サンクトペテルブルグに遷都を決定。旧共産党派は、軍のバックアップにより、放射能汚染の残るモスクワを首都とする新政府、ロシア連邦の樹立を宣言。内戦勃発。
  • 10月末、治安維持を理由にロシア共和国軍の再武装開始。
  • 11月1日、PEU、APC解消。
  • 11月1日、アメリカ主導により新ヨーロッパ連合(GEU)発足。重い戦後賠償と食料不足から反米感情は爆発寸前。ドイツ・イタリアでは賠償金支払いの手段として兵器の輸出に力を入れる。また、アメリカ・AFTA軍がヨーロッパ・アジア諸国から押収した兵器が第3世界へ大量に流出。
  • 11月、インド軍、AWGSの導入計画を発表。ロシア製BMXが有力候補に躍り出る。パキスタンも対抗し、中国製13式の導入を検討。

 

2016年
  • 3月18日、日本政府、自主的に憲法改正
  • 4月9日、イスラエル軍アメリカから受領したM15ランドクラブとM16をそれぞれジェリコダビデとして制式化。
  • 4月15日、イギリス陸軍、WAH‐64の更新としてアメリカ製VW‐1の導入を決定。
  • 4月18日、南アフリカ・アームスコー社、クランプファルキー自走ロケット砲システムの開発に着手。
  • 4月22日、ハワイ平和条約、日米安全保障条約調印。
  • 5月6日、国連憲章改正、新国連スタート。
  • 5月14日、世界各地の紛争が激化。国連は日本にPKOへの参加を要請。
  • 5月、南アフリカ軍、空中機動部隊の新設を決定。第二世代型AWGSの配備計画を開始。
  • 5月29日、日本政府は自衛隊カンボジアに派遣するも、貧弱な装備により任務を遂行できないだけでなく、壊滅的被害を受ける。
  • 6月7日、日本政府は日本外人部隊の再設立の許可と、禁止されていた第2世代のAWGS兵器の開発・生産の許可を国連に要請。
  • 6月20日、前大戦中に開発されつつも、お蔵入りとなっていた試作HIGH‐MACSが次期主力機として制式化され、生産・配備が決定。
  • 7月21日、インド軍、主力AWGSとしてロシア製BMXを選定。更に、火力支援用として南アフリカ製エレファントを、山岳部隊向けにイタリア製のリットリオをそれぞれ選定し、配備計画に着手する。
  • 7月28日、パキスタン軍、中国製13式装甲歩行車の配備を決定。
  • 7月31日、イタリア・ベスビオ火山が噴火。
  • 8月、タイとシンガポールが新型AWGSの共同開発計画を立ち上げ。
  • 8月14日、イスラエル軍、新型AWGSの開発計画に着手。
  • 8月20日、イギリス陸軍、第16空中強襲旅団の航空連隊にVW‐1の配備開始。
  • 9月8日、スイス軍、独自のAWGS開発計画を立ち上げる。
  • 9月25日、日本外人部隊再設立。
  • 9月、アメリカ陸軍、VW‐1の後継機開発計画を開始(後のHIGH‐MACSV)。
  • 10月2日、9式装甲歩行戦闘車の改良計画スタート。
  • 10月18日、北海道帯広にて第501機動対戦車中隊再編成。
  • 10月21日、同中隊に16式装甲歩行戦闘車両12機が配備される。
  • 10月30月、第501機動対戦車中隊、グァム・アンダーソン空軍基地でアメリカ軍と合同で上陸演習を行う。
  • 11月2日、インド軍、BMXの配備開始。
  • 11月18日、中国政府、パキスタン軍及びバングラデシュ軍に13式の供与を開始。
  • 11月19日、メキシコでM8.3の大地震発生。
  • 12月2日、西インド諸島・モンブレー火山噴火。

 

2017年
  • 2月7日、イギリス軍、M16をベースにした新型AWGS開発計画をスタート。
  • 3月2日、ロシア軍、頓挫していた第二世代型AWGSの開発計画を再スタート。
  • 4月26日、9式装甲歩行戦闘車改の実戦配備開始。
  • 6月11日、アメリカ国防総省DARPAが次世代AWGSの開発計画に着手。
  • 6月24日、南米・ブラジルに異常気象による豪雪で大被害。寒さに慣れぬ国民はパニックに状態に陥り犯罪が多発。政府機能も麻痺。
  • 7月、南アフリカ空軍内部に空軍特殊作戦部隊発足(後の南アフリカ空軍特殊空挺コマンド連隊)。
  • 8月1日、スウェーデン軍、独自のAWGS開発計画に着手。
  • 8月29日、ロシア、ウクライナに対して本格的侵攻を開始。
  • 9月3日、日本外人部隊・第501機動対戦車中隊はPKOとしてウクライナ・ボルタバ市街に派遣され、ウクライナ軍の撤退と市民の避難を援護。
  • 10月25日、イギリス軍、バリアントの改良計画をスタート。
  • 11月17日、ギリシャとトルコの継続的な紛争が全面戦争に移行。国連はトルコ側の一方的侵略と判断し、ギリシャに派兵を決定。先鋒として日本外人部隊・第501機動対戦車中隊と再編された第1空中機動師団をアテネに派遣、トルコ軍との戦闘開始。
  • 11月30日、中国・ロシアが軍事同盟を締結。
  • 12月1日、中国は前大戦で独立を果たしたチベットを電撃的に再占領。

 

2018年
  • 2月9日、チベット解放のため、日本外人部隊チベット占領軍司令部のあるラサへ派遣。ラサを解放しチベットの独立を回復。
  • 2月16日、フィリピン・ピナツボ火山大噴火。災害救助と再編成を行うべく第501機動対戦車中隊は、チベットからフィリピンの米軍クラーク空軍基地に移動中タイ北部上空でベトナム軍の攻撃を受け、輸送機の1機が撃墜。同中隊はベトナム軍と交戦なるも、被害を最小に止めて撤退に成功。
  • 4月23日、富士山噴火。富士演習場壊滅。東海・関東に大被害。太平洋側の交通が不通のため日本の経済が東西で分断。日本経済に深刻な影響。
  • 6月、オーストリア軍、新型AWGSの開発に着手。
  • 7月11日、OAU軍は機構内の反南アフリカ勢力の一掃に成功、中東支配を目指しエジプトに侵攻を開始スエズ運河が抑えられ、不通となる。
  • 8月15日、経済の大動脈であるスエズ運河を解放するため、中継地となっているイスマイリア軍港を奪回するべく日本外人部隊はエジプトのカイロから出撃し、奪回に成功。
  • 9月、国連、南アフリカに対して経済制裁を発動。武器禁輸措置によってドイツからのヤークトパンター輸入が難しくなった南アフリカ軍は第二世代型AWGSの自主開発計画をスタートさせる。
  • 9月、長期間雨の降らなかったモンゴルで大規模な山火事が発生。火は3ヶ間も消えず、国土の1/4を焼失。火事は隣接する中国やロシアの山々にまで及ぶ。
  • 9月、タイとシンガポールが共同開発したハヌマン偵察歩行車が完成。タイ陸軍で部隊配備開始。
  • 10月3日、北海道帯広にて、第502機動対戦車中隊再編成。
  • 10月9日、大西洋上で発生した超大型ハリケーンアリシアが北米を直撃。穀倉地帯に大打撃を受ける。
  • 11月、日本外人部隊の斥候中隊及び対戦車小隊に18式歩行指揮通信車が配備開始

 

2019年
  • 1月10日、南アフリカ陸軍第44落下傘連隊、二個連隊を増強して第44落下傘旅団に改編。
  • 2月21日、北方領土択捉島)で日本とロシアの企業が共同開発していた天然ガス施設に、協定を一方的に破棄してロシア軍が侵攻。
  • 2月24日、事態を重く見た日本政府は第502機動対戦車中隊を派遣。施設に拉致されていた邦人技術者の救助に成功。日本政府の迅速な対応に国民は拍手。
  • 3月10日、パプアニューギニアラバウル火山噴火。
  • 3月12日、南アフリカ空挺コマンド、新型機完成までの繋ぎとしてフォルクスパンターSAVとフォルシルムパンターを受領。
  • 3月15日、南アフリカ陸軍第44落下傘旅団にフォルシルムパンターの部隊配備が開始。
  • 4月、激化するPKO任務に対処するため、12式装甲歩行戦闘車改の生産を再開。
  • 4月、旧式化した12式の近代化改修が開始。日本外人部隊保有する12式は順次改修作業を受ける。
  • 4月18日、イギリスで新型AWGS・ハイランダーのプロトタイプがロールアウト。運用テストが開始される。
  • 5月6日、イスラエル軍、メギドとサウル歩行戦闘車を制式化。部隊配備を開始。
  • 5月12日、スウェーデン軍、ボルボ/BAE社製のフロッシュを制式化。実戦配備が始まる。
  • 5月14日、スイス軍、バルフンドをベースとした工兵用AWGS・アインハンダーの部隊配備を開始。
  • 6月、コンゴ動乱南アフリカ空挺コマンド、コンゴ政府軍を支援する形で反政府軍の鎮圧に投入され、初陣を飾る。
  • 7月、アメリカ次世代AWGS開発計画、トライアルでGD/MG社案が勝利。MDM社は独自に研究を続行。
  • 8月、ロシア軍がカモフ社案の新型第二世代AWGSをKa‐75ヴァンピールとして制式化(アメリカ軍におけるコードネームはバルチャー)するも、資金難から生産数はごく少数に止まる。
  • 9月、相次ぐ火山噴火が原因の異常気象による寒冷化で、カナダの国民多数が土地を捨て、アメリカへと逃げ込む事態に。
  • 9月17日、アメリカ政府はカナダ難民の受け入れを拒否。国境に殺到する難民と出動した州軍が衝突。死者数十名に及ぶ事態に。
  • 10月5日、イギリス陸軍、ハイランダーの部隊配備開始。
  • 10月16日、スーダンエチオピアエリトリアの広い範囲で巨大地震南アフリカ空挺コマンド、災害救助に投入される。
  • 10月、秋の異常寒波により北米の穀倉地帯が壊滅。アメリカ市民の南下が始まる。
  • 11月2日、ロシア軍、新型の多脚型AWGSをBMX‐19ヤーシリツァとして制式化するも、資金難から当初の計画よりも大幅に配備数を縮小。配備されなかった機体は中東諸国へ輸出される。
  • 11月22日、食料不足と治安悪化に頭を悩ませていた南部諸州は、北部の人々の流入を防ぐため州兵を出動させて南北の州境を封鎖。北部諸州の非難が高まる。
  • 12月19日、ブラジル軍、エンゲサ社の開発した水陸両用型AWGSラーナを採用。アマゾン軍の機械化騎兵旅団に配備開始。
  • 12月27日、GD/MG社製V‐MACSの試作機が完成。XVV‐1の名称が与えられる。

 

2020年

 

  • 1月11日、アメリカ・首都ワシントンに核テロ攻撃。大統領・議会・ペンタゴン他を一瞬にして失い、政府機能を喪失。同時刻、副大統領も暗殺。唯一の超大国アメリカは無政府状態に陥る。
  • 1月13日、アメリカ各州による緊急会談がニューヨークで行われる。会談は一週間も続いたが、先の難民問題もあり各州のエゴ、行政に対する不満などが絡み合い会談は決裂。アメリカは北部・南部・西部の3つのグループに分裂。
  • 1月、イギリス陸軍第16空中強襲旅団、空挺用のエアランダーの部隊配備開始
  • 2月、中国がチベットに侵攻し、併合する。インド政府は中国政府を厳しく非難するも、中国政府は内政干渉であると一蹴。
  • 2月12日、アメリカ北部・南部・西部各代表による3度目の会談も失敗に終わり、事態は州境の州兵の衝突から内戦にエスカレート。
  • 2月19日、アメリカ北部と南部の間で大規模な戦闘が勃発。
  • 2月23日、日本は不介入を声明。裏でアメリカ西部連邦との軍事協定を締結。
  • 2月28日、アメリカ西部連邦の要請を受けて、第501機動対戦車中隊は太平洋艦隊司令部のあるパールハーバーへ出撃。艦隊司令部の制圧に成功。
  • 3月4日、北部連邦が占領するNORAD基地を急襲し、制圧。この戦いで日本外人部隊は大被害を受ける。
  • 3月10日、北部連邦は西部連邦に対し同盟を提案。西部連邦はこれに応じず、北部と南部との戦闘には中立の立場をとると発表。
  • 3月11日、北部連邦と西部連邦との間で休戦協定が締結。
  • 3月、カシミール地方で中印両軍が衝突。インド軍の完勝に終わるも、中国と同盟を結ぶパキスタン軍が不穏な動きを見せたことから撤退。折からの豪雪もあって数日中に停戦が成立するも、インド政府はチベット亡命政府ダラムサラ)を受け入れて中国との対決姿勢を鮮明にする。
  • 3月、世界情勢の急激な悪化を受け、防衛庁は16式の強化・改良計画をスタート。MDM社は設計を一から見直した新型機を提案するが受け入れられず、独自に研究を続行。
  • 4月、ヨルダン軍、イギリス製バリアントとハイランダーの採用を決定
  • 4月、中国がアメリカのGPS規制を破って衛星を打ち上げ。ロシアやインドも追随して次々に衛星を打ち上げ、自国版GPSを立ち上げる。
  • 5月、ロシアがウクライナに侵攻。ウクライナ軍は東欧諸国やトルコ・グルジアなどの支援も受けて果敢に抵抗したものの、ドニエプル以東地域の大半を占領される。
  • 5月、ゴラン高原イスラエルとシリアが衝突。イスラエル軍によってシリア軍の装備するBMX‐19数機が鹵獲される。
  • 中国の主導でAPC再結成。経済的に密接な関係にある東南アジア諸国の他、深刻な食糧難に喘ぐ日本もこれに参加し、同盟を結ぶ西部連邦もこれを黙認。一方、反中感情の強いベトナムとオーストラリアは加盟を見送り、中国側も中立を条件にこれを認める。
  • インド、中国のインド包囲網に対抗するため、南アフリカ・OAUと同盟を締結。同月中にOAU軍がインド領内に派遣される(名目は平和維持軍)。南アフリカ空軍特殊空挺コマンド所属の第32空中対戦車中隊もニューデリーに到着
  • 6月、中国の圧力によってAPC軍が再編、パキスタン領内に駐留開始。日本も日本外人部隊の第503、504機動対戦車中隊を相次いで再編し(千歳)、パキスタンに派遣。
  • 7月17日、北部連邦は南部盟邦の首都、テキサス州・ヒューストンを攻略。南部盟邦は敗北し北部連邦の支配下に置かれる。北部の支配を嫌った南部盟邦残党は中南米諸国などに亡命。
  • 7月、オーストリア軍、シュタイアー・ダイムラー・プフ社製フサリア歩行戦闘車を制式化。部隊配備を開始。
  • 8月5日、北部連邦との衝突を避けられない西部連邦は、ケープ・カナベラル空軍基地のスペースシャトルに搭載されたサテライトキラーを秘密裡に破壊する。出撃したのは国籍マークを消した第501機動対戦車中隊。*5北部連邦は攻撃の裏に西部連邦と日本が関与していることを把握していたものの、支配下に置いた南部諸州への生活基盤の移動と南部盟邦残党の掃討を優先し、西部連邦との休戦協定を維持。
  • 8月13日、チベットの首都ラサで行われていた市民のデモが大暴動に発展。インド政府は中国政府を非難すると共に、チベット亡命政府の要請という形を取ってカシミール地方・アクサイチンに侵攻。OAUインド派遣軍もこれに随行し、アクサイチンを陥落させる。
  • 同日、中国の要請を受けたパキスタン軍がインド領内に侵攻して牽制を掛けるも、インド軍守備隊と背後に降下した南アフリカ空挺コマンド第32空中対戦車中隊の挟撃を受けて撤退に追い込まれる。
  • 8月14日未明、パキスタンのアボッターバードで待機していた第503機動対戦車中隊に出撃が命じられる。同中隊はカシミール地方を進撃中のインド・OAU軍の先頭部隊の頭上に空挺降下し、その進撃を一時的に食い止めることに成功する。
  • 8月22日、ヒマラヤ戦線の主力軍支援のため、南アフリカ空挺コマンドがラサに奇襲攻撃を敢行。防衛部隊を排除して一時的にラサを占領するも、第502機動対戦車中隊の反撃を受けて撤退する。
  • 新疆ウイグル自治区が中国からの独立を宣言。第502機動対戦車中隊がウルムチに急派され、独立支援のために派遣されていたインド軍空挺部隊と激闘を繰り広げる。新疆ウイグル自治区の独立は阻止されたものの、中国国内に動揺が広がる。
  • 8月、ドイツでヤークトパンターⅢのプロトタイプがロールアウト。実戦配備テスト開始。
  • 8月、イスラエル軍、メギドの改良計画を発表。保有する車両は順次MkⅡ型へと改修される。
  • 8月末日、ヒマラヤの厳しい気候と地形のために両軍の兵器にトラブルが続出。戦線は次第に膠着を始める。
  • 9月2日、トルコ軍、海兵隊用の新型AWGSにスウェーデン製のフロッシュを選定。
  • 9月20日、ヒマラヤ戦線の膠着打開のため、インド・OAU軍は東南アジアに第二戦線を開くことを決定。同盟を結ぶバングラデシュからのミャンマー侵攻を決定する。これを逸早く察知した中国政府は先手を打ってバングラデシュ領内へ逆侵攻することを決意し、APC軍をインド・バングラデュ領内に侵攻させる。第503機動対戦車中隊にも出撃が命じられ、チッタゴン沿岸部に空挺降下して主力軍の侵攻を支援する。
  • 9月21日、南アフリカで第二世代型AWGS・ボスファルクの試作機がロールアウト。
  • 9月24日、イラン軍、ブラジル製ラーナの採用を決定。
  • 9月26日、APC軍は主力部隊の進撃を支援するべくインパール、コヒマ、ディマプルに対する大規模な空挺作戦を実施するも、折からの強風もあって作戦は失敗に終わる。コヒマに降下した第502機動対戦車中隊は第102機甲師団と連携して一時コヒマを占領したものの、激闘で戦力を消耗したために保持は不可能と判断。独断でコヒマから撤退し、中国政府の抗議を受ける。
  • 10月1日、インド・OAU軍がミャンマーに逆侵攻。ミャンマー支援のため、東南アジア各国から増援が送られる。
  • 10月2日、中国政府、ベトナムに特使を送って両国の関係改善とAPC陣営への協力を要請するも、要請とは名ばかりの高圧的な態度にベトナム政府は態度を硬化させ、回答を拒否。
  • 10月17、バングラデシュの首都ダッカでクーデターが発生。親中国派のバングラデシュ国軍が臨時政府を樹立し、APCへの加盟とバングラデシュ領内に駐留するインド・OAU軍の即時撤退を要求する。インド・OAU軍はクーデターを非難し、南アフリカ空挺コマンドをダッカに急派すると共に、インド国境から大部隊をバングラデシュに侵攻させる。一方、APC軍も第503機動対戦車中隊をダッカに急行させると共に、チッタゴンで待機していた主力部隊にダッカへの進撃を命じる。
  • 10月20日ダッカ市街戦。インド・OAU軍と中国・APC軍、バングラデシュ国軍の三者が入り乱れての激戦が繰り広げられ、一般市民に多数の犠牲者が出る。戦いはインド・OAU軍の勝利に終わり、APC軍は東へと敗走。
  • 10月22日、チッタゴン丘陵の戦い。APC軍主力部隊の撤退を援護するべく、第503機動対戦車中隊はチッタゴン丘陵付近に展開したインド軍部隊と激闘を繰り広げる。同中隊は何とか味方の血路を切り開くことに成功するものの、西から猛追してきた南アフリカ空挺コマンドとの戦いで戦力を消耗し、壊滅。
  • ベトナム政府、インド・OAU軍への協力拒否を通告。これを受けてインド・OAU側にも足並みの乱れが出始める。
  • 超大型のサイクロンがバングラデシュを直撃。各地で河川が氾濫し、道路網が寸断される。これを好機と見たAPC軍は一転して攻勢に転じ、猛追して来たインド軍の先頭部隊に猛烈な反撃を浴びせる。同じ頃、ミャンマー国境でもAPC軍は攻勢に転じ、撤退するインド・OAU軍をチンドウィン川に追い落とした。
  • 中国・APC軍はヒマラヤ戦線でも攻勢に転じ、カシミール地方のアクサイチンを奪還。開戦前の領土を回復する。
  • 10月、インド・OAU、バングラデシュと中国・APCパキスタンの政府関係者がネパールの首都カトマンズで会合を持ち、正式に停戦に合意(カトマンズ合意)。
  • 11月、イスラエル軍、鹵獲したBMX-19を改造し、ミュルメクスとして制式化。
  • 12月、モンゴルで記録的な寒波。首都ウランバートルで行われていた親中派の政府に対するデモが暴動に発展し、騒乱状態となる。モンゴル政府は暴動鎮圧のために軍を出動させるも、市民に同情的な軍の一部部隊が市民側に回り、政府に対して反旗を翻す。
  • 中国、モンゴルの騒乱が内蒙古自治区に飛び火するのを恐れ、人民解放軍の投入を決定。モンゴル政府の要請という形をとってウランバートルに急派する。これに対し、モンゴルを中国との緩衝地帯としたいロシアもモスクワ軍管区の第106親衛空挺師団を急遽ウランバートルに派遣し、両者の睨み合いとなる。
  • 事態への対応に苦慮するモンゴル政府はGEUに調停を求めるが、結束の緩いヨーロッパ各国は一致した行動が取れず、対応はロシア政府に一任されることとなった。

 

2021年
  • 1月、ウランバートル市内でデモ隊と政府当局の部隊が衝突。デモ隊に加担する軍部隊が政府軍側に発砲したことを受けてウランバートル郊外で待機していた中露両軍もウランバートル市内に突入し、大規模な戦闘状態に突入する。ウランバートル市街戦。
  • 同日、第502機動対戦車中隊は劣勢に陥った中国・モンゴル軍支援のためにウランバートル郊外の南の草地に空挺降下。ロシア軍の猛攻を退け、市内の中心部を制圧することに成功する。
  • ロシア軍、国境で待機させていた機甲部隊の投入を決定。貧弱な国境守備隊を破ってウランバートルに迫り、中露両軍の間で激闘が繰り広げられる。
  • 1月末日、折からのマイナス70度という異常な寒気によって両軍の兵器、人員にトラブルが続出。戦闘の継続そのものが難しくなったため、両者は一時的な停戦に合意した。
  • 2月、カムチャツカ半島の火山群が一斉に噴火。舞い上がった火山灰がシベリアから極東アジアに至る広範囲の地域で日照不足を引き起こす。折からの猛烈な寒波の影響もあり、シベリア東部の交通はストップ。経済も停滞する。
  • 2月末日、ロシア軍がウクライナに侵攻。前年に併合したドニエプル川以東の地域から侵攻を開始したロシア軍は、ウクライナの首都キエフを電撃的に陥落させ、全土の制圧を目指す。ウクライナ政府はクリミア半島セヴァストポリに首都機能を移転し、徹底抗戦の構えを取る。
  • トルコ政府はロシア政府を非難し、紛争への介入を宣言。セヴァストポリ空挺部隊を送ってウクライナ支援の姿勢を鮮明にする。
  • 3月4日、トルコ軍が大規模な反攻作戦を実施。無傷のトルコ海空軍による強力な支援の下、トルコ海兵隊クリミア半島に上陸してロシア軍の進撃をストップさせる。
  • ロシア軍はトルコ側の動きを封じるため、南部軍管区の数個師団をもってアゼルバイジャンに侵攻。バクー油田を制圧し、グルジア、トルコを経由してヨーロッパへと延びる石油パイプラインを抑える作戦に出る。
  • トルコ政府は早期の内にパイプラインを奪回するべく、ウクライナ政府を通じて中国・APCに援助を要請。密かにシベリアへの領土的野心を抱く中国はこれに応じ、両者の間に同盟が結ばれる。
  • 3月9日、中国第15空挺軍の空挺師団と第503機動対戦車中隊がロシア軍占領下のバクー油田に空挺降下。海側からの奇襲でロシア軍を撃破して油田を奪回するも、撤退するロシア軍は油田に火をつけるという暴挙に出る。
  • 北京で中国政府とシベリア各共和国の高官が秘密裡に会談。シベリア側代表が中国・APC軍のシベリア進駐を要請し、中国政府もこれを快諾。
  • 3月14日未明、中韓を主力とするAPC軍が突如ロシア極東部に侵攻。第502機動対戦車中隊もロシア太平洋艦隊司令部のあるウラジヲストクに空挺降下し、激戦の末にこれを制圧することに成功する。ウラジヲストク陥落の報告と同時にシベリアの各共和国が独立を宣言し、ロシア政府はパニック状態に陥る。
  • 同日、ロシア共和国の首都サンクトペテルブルグで旧共産党派の部隊によるクーデターが発生。政府庁舎の入るマリインスキー宮殿が襲撃されるも、間一髪のところで大統領は難を逃れ、クーデター部隊も来援した第103親衛空挺師団の猛攻を受けて鎮圧される。
  • 動揺はモンゴル領内のロシア軍にも伝染し、各部隊が独断で本国への撤退を開始する。中国・APC軍はこれを追って執拗な追撃戦を展開、撤退するロシア軍に甚大な被害を与えつつロシア領内に逆侵攻し、シベリア共同体軍との合流を果たす。
  • ロシア旧共産党派の部隊がオムスクで武装蜂起し、ロシア連邦軍を呼称。カフカス地方でトルコ・グルジア軍が攻勢に出てロシア軍を撃退、チェチェン・タゲスタン・イングーシの三共和国にも独立の動きが広がる。
  • 3月、APC各国は中国の要請を受けてシベリアに部隊を派兵。韓国の数個機甲師団とタイ・マレーシア・インドネシアシンガポールなどからなる東南アジア諸国の部隊が続々と派兵される。日本もインド戦で活躍した第101及び第102機甲師団を増派。
  • 中国、ヨーロッパ諸国の動きを封じるため、シベリア鉄道の要衝カザフ共和国に寝返りを打診。カザフ政府に圧力を掛けるため、アゼルバイジャンで待機していた第503機動対戦車中隊に出撃が命じられ、バイコヌール宇宙基地に降下してロシア軍施設を制圧する。しかし、これに反発したカザフ政府は態度を硬化させ、GEUへの同盟継続を決定すると共に、GEUに支援を要請する。
  • 4月12日、APC・シベリア共同体軍がシベリアの中心的都市であるノボシビルスクを陥落させ、ヨーロッパ各国政府に衝撃が走る。
  • 4月14日、GEU諸国が緊急会合。ロシア救援のためにGEUの解体とPEUの再結成、PEU軍の再編成を決定し、先遣隊としてドイツ軍の第26及び第31降下猟兵旅団とフランス軍の第11落下傘旅団、そしてイギリス軍の第16空中強襲旅団などからなるPEU軍空中機動部隊がシベリアに派遣される。
  • 4月20日、オムスクに向かって進撃中のAPC・シベリア共同体軍、ドイツ軍の第26降下猟兵旅団とイギリス軍の第16空中強襲旅団による奇襲を受けて大損害を受ける。第502機動対戦車中隊はイギリスのHIGH‐MACS部隊を相手に果敢に戦い、これを撃退するものの、ドイツ軍のヤークトパンター部隊の猛攻を受けて壊滅。第101機甲師団も甚大な被害を受け、APC・シベリア共同体軍は撤退を余儀なくされる。
  • ほぼ同時刻、ロシア連邦軍の制圧するオムスクにもロシア共和国軍が進撃。ロシア空挺軍の第7親衛空挺師団とフランス軍の第1驃騎兵落下傘連隊及びフランス外人部隊の第1外人騎兵連隊も攻撃に参加し、これを奪回することに成功する。ロシア連邦軍の部隊は甚大な損害を受けるも、南のカザフスタンへと辛くも逃れた。
  • 5月、エジプト・シリア・ヨルダンを中核とするアラブ連合軍が三方からイスラエルに侵攻。イスラエル軍は開戦当初こそ戦いを有利に進めたが、アラブ側のミサイルの傘によって航空戦力を損耗。次第に劣勢に立たされる。
  • イスラエル政府はトルコに支援を求めるが、ロシアとの戦いで中東諸国の支援を必要としたトルコは直接的な支援を行わず、消極的な非難声明を出すに止まる。
  • トルコに見切りをつけたイスラエル政府は南アフリカ・OAUに援助を要請。これに応えてOAU軍がエジプトと国境を接するスーダンに集結を開始。
  • 5月、南アフリカ空挺コマンド、ボスファルク16機を受領。
  • 5月、アメリカ北部連邦、西部連邦との間に結ばれた休戦協定を破棄。テキサス州から西部連邦領内に侵攻を開始。
  • 6月3日、トルコ政府がロシア・PEUとの停戦を発表すると同時に、PEUへの加盟を宣言。中国・APCはトルコ政府を非難するも、グルジアアゼルバイジャンも同日中に停戦に合意。ウクライナもロシアに併合された地域の返還を条件として停戦に合意し、戦いから離脱する。
  • 6月5日、ウクライナ国内に残っていた第503機動対戦車中隊は空路で撤退。途中、同隊を乗せたC‐17輸送機がトルコ軍機の追撃を受ける一幕もあったが、トルコ軍機は同隊の通過を黙認。
  • 6月7日、壊滅した第502機動対戦車中隊、千歳で再編。相次ぐ戦闘で16式だけでは定数を満たせなかったため、多少旧式化した12式(近代化改修型)を受領して即時シベリアに派遣される。
  • 6月9日未明、南アフリカ空軍空挺コマンドがエジプト南部のアスワンに空挺降下。陸軍の第44落下傘旅団と共にアスワン・ハイ・ダムを制圧し、OAU軍主力の侵攻を支援する。
  • 6月10日、OAU軍の主力部隊がスーダンからエジプトに侵攻。カイロの南約130kmのベニ・スエフ近郊に展開したエジプト軍機甲師団を破り、進撃速度を落とさずにカイロを電撃的に占領。更にスエズ運河を渡ってイスラエル侵攻中のエジプト軍の背後を突き、イスラエルとの連携に成功する。
  • 6月13日、南からの脅威がなくなったことで息を吹き返したイスラエル軍、北部に戦力を集中しての一斉反攻に転じる。精鋭の第7、第188機甲旅団を主力とするイスラエル軍はシリア軍を破ってゴラン高原まで押し戻す一方、撤退するヨルダン軍に怒涛の航空攻撃を加えて敗走させる。
  • エジプト、シリア、ヨルダン救援のため、サウジアラビア領内に集結したアラブ湾岸諸国軍がヨルダンに向けて進撃開始。
  • 6月14日、第502機動対戦車中隊、東南アジア諸国の合同部隊と共にシベリア鉄道襲撃作戦に参加。一時的にPEU軍の展開を遅らせることに成功するも、PEU軍の主力がノボシビルスク近郊に到達。ノボシビルスク攻防戦開始。
  • 6月20日、北京で食糧の配給を求めていたデモ隊と当局の小競り合いが大暴動に発展。鎮圧のために人民解放軍が投入されるも、一部の部隊が民衆側についたことから事態は緊迫。騒乱は中国国内の各自治区にも飛び火し、これに呼応するかのように敵対するインド・ベトナムも国境に部隊を集結して不穏な動きを見せたことから中国全土に混乱が広がる。
  • 6月、混乱は前線の中国・APC軍にも伝染し、ノボシビルスク前面の防衛線に乱れが生じる。これを好機と見たPEU軍は全線で攻勢を展開し、防衛線の突破を図る。これに対し、PC軍総司令部はノボシビルスクの保持は不可能と判断。全軍にイルクーツクまでの撤退を指示すると同時に、日本外人部隊に殿を命じる。
  • 6月26日、PEU軍がノボシビルスクを奪還。撤退するAPC軍を追って執拗な追撃戦を行い、日本外人部隊の第101機甲師団を壊滅させる。
  • 6月28日、オムスクから逃れていたロシア連邦軍の残党がカザフスタンセミパラティンスクを制圧。ロシア国内から持ち出していた移動式核ミサイルをサンクトペテルブルグに向けて発射し、ロシアは無政府状態に。APCとPEUを含むあらゆる外国勢力のロシアからの即時撤退を要求
  • 6月29日、事態を重く見たPEUとAPCは一時的な停戦に合意。更なる核ミサイル発射阻止のため、PEU・ドイツ軍の第26降下猟兵旅団とイギリス軍の第16空中強襲旅団が直ちにセミパラティンスクに急派される。両隊は激闘の末に残された三発の内二基を抑えることに成功するも、あと一歩のところで残る一基がAPC軍占領下のウラジヲストクに向けて発射されてしまう。
  • 7月、ヨルダン南部のワディ・ラム近郊でOAU軍とアラブ湾岸諸国軍が激突。アラブ軍は機甲戦力の質でやや上回っていたが、新型の第二世代型AWGS・ボスファルクを装備した南アフリカ空挺コマンドとフォルシルム・パンターを装備した南アフリカ陸軍第44落下傘旅団の奇襲を受けて大混乱となり、壊滅。残存した部隊も東へと敗走していった。
  • 7月14日、APCとPEUは正式に停戦に合意。両軍のロシアからの撤退と同国の混乱収拾に向けて協力することで一致。
  • 7月16日、ドイツ軍降下猟兵旅団にヤークトパンターⅢの実戦配備が始まる。
  • 7月、中東諸国はイスラエルとの停戦に合意するも、OAU軍は引き続き中東平和維持軍として駐留することを決定。各国に莫大な賠償と駐留費の負担を要求し、アラブ側がこれを拒否するとスエズ運河を封鎖、各地の油田などを接収するという暴挙に出る。
  • 7月、中東諸国はAPCに援助を要請。中国はこれに応じて蘭州軍管区第15空挺軍の1個空挺師団の派兵を決定。日本もシベリアから帰還した第503機動対戦車中隊と、新設された第504機動対戦車中隊を第2空中機動師団として再編して中東に派兵することを決定した。尚、日本の中東派兵に際してはアラブ諸国アメリカ西部連邦による財政援助が行われた。
  • 7月、OAU軍はサウジアラビアに対する破壊工作を敢行。石油精製施設やレーダー網を破壊する。
  • 7月、防衛庁、各国で出揃いつつある新型第二世代AWGSに対抗するため、16式の後継機計画をスタート。
  • 8月、中国の空挺師団と日本外人部隊第2空中機動師団がサウジ入りし、キング・ハリド軍事基地に駐留する。
  • オーストラリア、アメリカ西部連邦の要請を受けて中東への派兵を決定。域外協力としてAPC軍と連携。
  • 8月、OAU、中東諸国に圧力を掛けるため、インド政府にインド海軍によるペルシャ湾封鎖を依頼するも、拒否される。
  • 8月、OAUの外交団が密かにイラク入り。戦後のクウェート併合とサウジアラビアの油田地帯の一部割譲と引き換えに自陣営への取り込みを図る。イラク側はこれを受諾し、OAUと秘密協定を締結。
  • 8月22日、OAU軍、ヨルダンの首都アンマンに向けて進撃を再開。アラブ軍は救援の動きを見せるも、イラクが領内の通過を拒否したことから救援が遅れる。
  • 8月23日、第503機動対戦車中隊、ヨルダン救援のためにカラクに派遣されるも数に優るOAU軍の進撃を食い止めることが出来ず、カラクは陥落。時を置かずしてアンマンも占領され、ヨルダンは降伏する。
  • 8月30日、ハワイ・キラウェア火山が噴火。
  • 9月2日、OAU軍がサウジアラビアに侵攻。同日、突如としてイラク軍がクウェートに侵攻。第504機動対戦車中隊がクウェート市に急派されて市民の脱出を援護するも、クウェートは占領される。
  • 9月7日、サカーカの戦い。サウジ領内に侵攻したOAU軍とAPC・アラブ連合軍がジャウフ州・サカーカで激突。戦いは熾烈を極めるも、イラク軍のクウェート侵攻で戦力を分散させられていたAPC軍は劣勢に回り、OAU軍の勝利に終わる。第503機動対戦車中隊は殿として味方部隊の撤退を援護するも、激闘によって戦力を半減。
  • イラク軍がサウジ領内に侵攻。ペルシャ湾沿いに進撃し、油田地帯の制圧を目論む。
  • 9月11日未明、中国政府の要請を受けたイランがイラクに奇襲攻撃。大軍を以て三方からイラク領内に侵攻し、シャトル・アラブ川を渡河して南部の要衝バスラ占領を目指す。サウジ侵攻中のイラク軍はクウェートから本国へと撤退。
  • バスラの戦い。OAU軍はイラク軍支援のために空挺コマンドをバスラに派遣。APC軍も中国と日本の空挺部隊をバスラに送り込み、両軍の間で激闘が展開される。勝利したのはAPC・イラン連合軍。
  • リヤドに向かって進撃中のOAU軍が進路を変更。イラク軍の崩壊を食い止めるべく、イラク領内に進撃する。
  • APC・イラン連合軍とOAU・イラク連合軍がバクダッド南のウル近郊で激突。両軍ともに多くの損害が出て戦況は膠着化。APC・イラン側はバスラに撤退し、バスラを保持したままイラク側を封じ込める作戦に出る。
  • APC側の戦力補充が本格化。サウジ・ダーラン空港に日本外人部隊の第102機甲師団が到着したのを皮切りに、中国軍の1個装甲師団と東南アジア諸国合同部隊の1個機械化歩兵旅団、西部連邦の意を受けて域外協力として派兵されたオーストラリア軍の精鋭第1機甲連隊などが続々とサウジ入り。
  • イラク軍、テヘランに向けてスカッドミサイルを発射。イラン側もこれに対抗してバクダッドに向けてミサイルを発射したため、ペルシャ湾が事実上封鎖される。イラク側は更に湾岸諸国の都市に向けてもスカッドミサイルによる無差別攻撃を実施し、湾岸諸国の士気を挫く作戦に出る。
  • アラブ諸国の戦意低下を防ぐため、第503及び第504機動対戦車中隊がイラク領内南部でスカッド狩りを実施。
  • 戦火の拡大によって経済に大打撃を受けたアラブ諸国は降伏を決意。中国・APC側には伏せたまま、OAU占領下のカイロに外交団を派遣する。
  • 9月、突如としてPEUが中東情勢への介入を宣言。同盟を結んだリビアに先遣隊としてフランス外人部隊の第2外人落下傘連隊と第1外人騎兵連隊、イギリス軍第16空中強襲旅団航空連隊を派兵。
  • 9月27日、アリューシャン列島のシシャルディン火山が噴火。相次ぐ火山の噴火で寒さが引かなくなり、アメリカ南部と西部の食糧生産に深刻な影響を与える。
  • 9月末日、北部連邦軍アバディーン兵器試験場でスケアクロウの実戦配備テストを開始。
  • 9月、防衛庁、トライアルの末に次期第二世代型AWGSとしてMDM社案を選定。HIGH‐MACSVの開発が急ピッチで進められる。
  • 10月4日未明、南アフリカ空挺コマンドと南アフリカ陸軍第44落下傘旅団がエジプトからリビア領空に侵入。首都トリポリを奇襲し、政府庁舎の制圧を目論む。両隊は市街の南に展開していたフランス外人部隊に大損害を与えて一時は市街中心部を制圧するが、リビア大統領警護隊とイギリス軍第16空中強襲旅団航空連隊の奮戦によって作戦は失敗に終わり、南へと撤退。OAU側の先制攻撃を受けてPEU各国の世論は沸騰し、北アフリカ派遣軍の大幅な増強が決定される。
  • 同日、PEU側の行動を受けてOAU軍総司令部は戦略を変更。サウジに侵攻中のOAU軍主力を後退させ、エジプトの守りを固める方針に切り替える。
  • 10月25日、リビアに駐留していたPEU軍の戦力補充が完了。PEU・リビア連合軍はリビア国境からカイロを目指して進撃を開始する。一方、OAU側はアレクサンドリアの西100㎞のエル・アラメインに地雷原を構築して敵を迎え撃つ作戦に出る。
  • 10月27日、エル・アラメインの戦い。PEU・リビア連合軍とそれを迎え撃つOAU軍がエル・アラメインで激突。激戦の末にPEU・リビア連合軍が勝利をおさめ、OAU軍は東へと撤退。
  • 同日、APC・アラブ連合軍がシナイ半島からエジプト領内に進入するも、スエズ運河を守備するOAU軍部隊の頑強な抵抗に阻まれて進撃をストップ。第503機動対戦車中隊がエジプト本土側に空挺降下してOAU軍守備隊の排除に成功するも、貴重な時間を失う。OAU軍は運河沿いにスエズ港に撤退。
  • 同日、北部連邦軍リオ・グランデ川防衛線に対して猛攻を仕掛け、これを突破する。
  • 10月28日、PEU軍がカイロに進軍。APCとPEUの当局者間で合意が結ばれ、協力してエジプトからOAU軍を排除することで一致。
  • 10月30日深夜、OAU軍主力部隊、エジプト南部からスーダンへと撤退。これを受けてイスマイリア港に籠るOAU軍部隊も包囲軍に投降する。
  • 同日、アリゾナ州モニュメントバレーで北部連邦軍と西部連邦軍が激突。第501機動対戦車中隊も西部連邦軍の支援に投入されるも、北部側の勝利に終わる。
  • 10月31日、アスワン・ハイ・ダムに籠る南アフリカ空軍空挺コマンドのパイロットが日本のHIGH‐MACSとの対決を要求。APC軍はこれに応じて第504機動対戦車中隊の12式改一機とパイロット一名を緊急輸送。ダムの突堤部で両者の決闘が行われる。 勝利したのは日本の12式改。
  • 11月3日、第502機動対戦車中隊、要人救出のため北部連邦軍の迫るグルームレイク空軍基地に空挺降下。北部連邦軍の新型兵器、V‐MACS(後のVV‐1キマイラ)と初めて交戦。
  • 11月12日、APC・PEU・OAU三者の首脳がカイロで会談。正式に停戦に合意し、緊張緩和に向けた努力を行うことで一致(カイロ合意)。
  • 11月27日、日本政府は西部連邦領内の日本外人部隊に本国への撤退を指示。
  • 12月2日、第501機動対戦車中隊、エドワーズ空軍基地から撤退。
  • 12月4日、アメリカ北部連邦軍、西部連邦の主要都市ロス・アンジェルスを占領。
  • 12月12日、アメリカ北部連邦軍が西部連邦の首都サクラメントを制圧し、一年半に渡るアメリカ内戦が終結。合衆国の復活が宣言される。
  • 12月17日、 アメリカ新政府、テキサス州ダラスに遷都。
  • 12月18日、イラン・イラク間の紛争再発。
  • 12月21日、アイスランドの火山群が相次いで噴火。舞い上がった粉塵はヨーロッパまで到達し、航空機の運航が全面ストップ。
  • 12月22日、アメリカ新政権、日本が西部連邦と結託して内戦に介入していたことを非難し、食糧援助を停止。日本国内で餓死者が急増。APC各国からも厳しい非難を受け、日本は国際的に孤立する。
  • 12月25日、アメリカ軍、分裂していた軍の統合・再編成を開始。
  • 12月31日、アメリカ南部諸州で南部盟邦残党による同時多発テロが発生。死者多数。アメリカ新政権は南部諸州の取り締まりを強化し、国内の対立が深まる。
  • 12月、アメリカ軍、内戦で中止されていた次期第二世代型AWGSの開発を再開。

 

2022年
  • 1月7日、北部出身者中心のメンバーで構成された新政権への不満から南部諸州の治安が極度に悪化。食料不足や行政の失策もあってデモや暴動が頻発する事態に。
  • 1月22日、アメリカ、中国政府に対してAPCの解体とチベットを含む各自治区の独立承認を要求。中国側は内政干渉であるとして要求を拒否、アメリカとの対決姿勢を鮮明にする。
  • 1月、中国、イスラエル製ピッドヴァイパーをデッドコピーした小型無人AWGS、土竜の生産開始。
  • 2月7日、ニュージーランドの火山群が一斉噴火。第503機動対戦車中隊、災害救助に投入される。
  • 2月27日、オーストラリアがアメリカと同盟を締結。中国政府は局外中立を破ったとしてオーストラリア政府を非難。
  • 2月、ヨーロッパで猛烈な寒波。北欧・ベネルスク諸国をはじめ各国で交通がストップし、経済が停滞。寒波は南欧諸国にも及び、食糧生産に大きな打撃が出る。
  • 3月15日、北部連邦出身の大統領が遊説中のダラスで暗殺される。犯人は南部盟邦の残党過激派。
  • 3月19日、アメリカ新政権、南部盟邦残党が多く亡命するキューバに残党メンバーの引き渡しを要求するも、キューバ政府は主権を盾にこれを拒否。
  • 4月11日、アメリカ、キューバに軍事介入。ピッグス湾から上陸した海兵隊が首都ハバナを電撃的に制圧し、親米派の傀儡政権を樹立。南部盟邦残党多数を逮捕して治安回復を図る。中南米諸国は一斉に反発し、各国で反米感情が高まる。
  • 4月、内戦の影響で開発が滞っていたHIGH‐MACSⅣのプロタイプがロールアウト。アバディーン兵器試験場で実戦配備テスト開始。
  • 5月7日、相次ぐ火山噴火で寒冷化が急速に進行し、寒さを逃れたアメリカ国民多数がメキシコ国境に殺到。メキシコ当局が国境を封鎖したことから小競り合いが起こり、流血の事態に発展。
  • 5月12日、アメリカ軍、自国民の保護を名目にメキシコ北部に侵攻。一部地域を占領して国民の入植を進める。中南米諸国の反米感情は頂点に達する。
  • 5月、アメリカに反発したベネズエラとコロンビア、ボリビアエクアドルなどが相次いでAFTAからの離脱を表明。南米独自の地域機構の創設を目指し、各国に連帯を呼び掛ける。
  • 6月、異常気象による大雪に見舞われる南米でも火山性地震が頻発。国民はパニックに陥り、治安が極度に悪化。各国で軍部によるクーデターなどが頻発し、反米感情の高まりからAFTAを離脱する国が続出する。
  • 6月2日、アルゼンチンがAFTAからの離脱を宣言。係争地帯であるイギリス領・フォークランド諸島に再び侵攻し、中南米諸国もこれを支持。イギリスは即座に空母機動部隊の派遣を決定(第二次マルビナス戦争)。
  • 6月10日、フォークランド沖でイギリス軍とアルゼンチン軍が交戦。アルゼンチン海軍機の攻撃でイギリス海軍の艦艇数隻が撃沈される。
  • 6月末日、沖縄・座間のMDM社研究所でHIGH‐MACSVの試作機がロールアウト。性能試験の結果、問題点が多数見つかったため、急ピッチで改良が続けられる。
  • 7月3日、ブラジルがAFTAからの離脱を宣言。すでにAFTAを離脱していた中南米諸国と共にSAU(南米連合)の発足を宣言し、残る各国もこれに同調。
  • 7月4日、中国・APC、南米諸国の支援を決定。二重外交で国際的立場の悪くなっていた日本に多くの兵力供出が求められ、日本外人部隊が南米に派遣される。
  • 7月5日、アメリカ政府、南米の混乱収拾のため軍事介入を決定。
  • 7月11日、第503機動対戦車中隊、パタゴニア地方ラス・ラハスに空挺降下。同地のアルゼンチン軍レーダー施設破壊のために送り込まれたイギリス軍第16空中強襲旅団を撃退し、レーダー施設を守り切る。
  • 7月13日、アメリカ海軍第2・第4艦隊、ブラジル近海でブラジル海軍と交戦し、これを撃滅。
  • 7月15日、ブラジル海軍のクレマンソー級空母サン・パウロアメリカ海軍の艦艇数隻を撃沈するも、逆襲に燃えるアメリカ軍の猛攻によって数日後に撃沈される。
  • 7月17日、中南米諸国に対してアメリカ海軍による洋上からの巡航ミサイル攻撃が開始されるも、各国からの非難が集中。逆にその結束を強める結果に終わる。
  • 8月2日、 アメリカ軍、ブラジル本土侵攻作戦を繰り上げて開始。海兵遠征軍を主力とする大部隊が東部沿岸と北部アマゾン河口方面の二方向から上陸を開始する。
  • 同日、アメリカ軍第82空挺師団、マナウス近郊に降下。VW-2(HIGH‐MACSⅣ)が実戦投入される。APC・SAU連合とAFTA両軍の激戦によってアマゾン川は深刻な水質汚染を受ける。
  • 8月5日、SAUの要人を乗せた輸送機がギアナ高地上空で撃墜され、付近に墜落。第503機動対戦車中が出撃し、乗員の救助支援にあたる。 
  • 9月1日、中国、オーストラリア懲罰軍を編成してノーザンテリトリーダーウィンに派遣。日本にも兵力の供出が求められ、北海道・千歳で戦力の補充に当たっていた第504機動対戦車中隊の派遣が決定。同隊は試作段階のHIGH‐MACSV(後の23式装甲歩行戦闘車)2機を含む補充機数機を受領後、直ちにオーストラリアに派遣された。
  • 同日未明、第501機動対戦車中隊、アメリ第7艦隊の動きを封じるため、パールハーバーに奇襲攻撃。敵防衛部隊との激闘の末に大損害を受けて壊滅するも、第7艦隊の艦艇や航空機に多大な損失を与え、太平洋艦隊の動きを封じることに成功。
  • 9月5日、アリス・スプリングス近郊エアーズ・ロック付近でAPC軍とオーストラリア軍が激突。APC軍の勝利に終わる。
  • 9月9日、アメリカ、オーストラリアを救援するべく陸軍の精鋭第101空挺師団を派遣。更に、第7機動艦隊の穴を埋めるべく、第3、第5艦隊をオーストラリア近海に向かわせる。同日、イギリスもオーストラリア支援を表明。パタゴニア戦線から第16空中強襲旅団を引き抜き、オーストラリアに急派。
  • 9月13日、AFTA軍、オーストラリア縦断鉄道に対する奇襲攻撃を繰り返し、APC軍の進撃を遅らせる作戦に出る。攻撃を担当するのはアメリカ軍の第101空挺師団と新設された機動戦闘旅団、イギリス軍第16空中強襲旅団。
  • 9月27日、第504機動対戦車中隊、APC軍による待伏せ作戦に参加。奇襲を仕掛けてきたアメリカ軍V‐MACS部隊を壊滅させる。
  • 10月10日、アメリカ、日本に対して食糧援助と引き換えに安全保障条約の再締結を要求。国内の飢餓が危機的状況に陥っていた日本政府はこれを受諾し、APCから離脱。中国・APC各国の厳しい非難に晒される。
  • 同日未明、オーストラリアで作戦遂行に当たっていた第504機動対戦車中隊がAPC軍の攻撃を受けて壊滅。南米に駐留していた第502機動対戦車中隊もAPC・SAU軍に包囲され投降。日本本土に対してもAPC空軍の総攻撃が行われ、航空自衛隊の防空網をすり抜けた敵機が港湾部や都市部を爆撃。民間人に少なくない被害が出る。
  • 10月12日、アメリ第7艦隊がオーストラリア近海に到達し、東南アジア諸国が一斉にAPCからの離脱を宣言。ダーウィンに置かれたAPC・オーストラリア派遣軍司令部が第7艦隊巡航ミサイル攻撃で壊滅し、現地のAPC軍は大混乱に。
  • 10月16日、AFTA軍、本国へ撤退を開始したAPC軍をエアーズロック付近で捕捉。指揮系統を失ったAPC軍は統率を欠き、戦いはAFTA軍の勝利に終わる。
  • 10月17日、ダーウィンからアジアへと撤退しようとするAPC軍、追撃して来たAFTA軍の猛攻を受けて敗北。全ての重装備を放棄して本国へと撤退する。オーストラリアの戦いはAFTA軍の勝利に終わる。
  • 10月25日、太平洋上で発生した超大型サイクロン「オリバー」がオーストラリア南東部を直撃し、穀倉地帯が壊滅。世界的規模の飢餓を前に、日本と東南アジア諸国は米中間に停戦を求めるも、アメリカ政府はこれを拒否。
  • 11月2日、アメリカ海軍、中国本土に向けて空母機動部隊の艦載機や巡航ミサイルによる攻撃を加え、中国側の防空軍と防空網を壊滅させる。
  • 11月7日、インド軍が中国領カシミール地方に侵攻。ベトナム軍も中国国境に兵力を集結させ、る。
  • 11月13日、中国国内で内戦勃発。和平派の沿岸諸省を支援するため、アメリ海兵隊が連雲港に上陸を開始。第503機動対戦車中隊もこれに随行し、中国内陸部侵攻の先鋒を任される。
  • 11月15日、ベトナム軍が中国南部雲南省に侵攻、南寧を陥落させる。アメリカ政府はベトナム政府に撤退を勧告するも、ベトナム側はこれを受け入れず占領を継続。
  • 11月22日、アメリカ軍第82空挺師団とイギリス軍第16空中強襲旅団が南寧に空挺降下し、ベトナム軍の北侵を阻止。
  • 12月4日、第503機動対戦車中隊、北京攻防戦に参加。激戦の末に中国側の防衛線を破ることに成功するも、戦力を半減して壊滅。
  • 12月6日、AFTA軍が北京を攻略し、中国政府は降伏。アメリカの支援する和平派が政権を握る。中国とベトナム間の紛争は継続され、泥沼化(第三次中越戦争)。
  • 12月21日、太平洋沖でM9.2の超巨大地震。同時に発生した巨大津波が日本の太平洋岸やアメリカ西岸部にまで到達し、甚大な被害が出る。太平洋艦隊司令部のあるハワイも壊滅的被害を受け、機能を停止。
  • 12月24日、アメリカ政府、先般の巨大地震とオーストラリアの穀倉地帯壊滅により、日本への食糧援助は実行不可能と通達。日本国内の飢餓はますます深刻化。

 

2023年

 

  • 1月2日ニュージーランドの火山群が一斉噴火。
  • 1月7日、トルコ、エルジェス火山が噴火。
  • 1月22日、首都ダラスで行われていた戦勝パレードの最中に民衆が暴徒化。当局との衝突から大暴動に発展し、アメリカ全土に騒乱が拡大する。国内の亀裂は決定的に。
  • 1月25日、アメリカ政府、全土に戒厳令を発令。
  • 1月27日、世界情勢の更なる悪化を受け、第501機動対戦車中隊が北海道の千歳で再編される。
  • 2月1日、HIGH‐MACSVの改修作業が全て完了し、23式装甲歩行戦闘車として制式化。即日、第501機動対戦車中隊に配備される。
  • 2月4日、北部の支配に反発する南部諸州が連邦からの離脱を宣言し、南部盟邦を復活させる。再度の内戦が勃発する。
  • 2月9日、北部連邦軍が南部諸州に侵攻。南部盟邦は正規の部隊に加えて多数の民兵組織も戦列に加わり、ミシシッピー川を防衛線として激しく抵抗する。
  • 2月12日、北部連邦軍カリブ海に艦艇を派遣して南部諸州の海上封鎖を敢行。イギリス海軍、北部連邦の要請を受けてカリブ海に空母機動部隊を派遣。
  • 2月14日、南部盟邦、北部に対抗するためSAUと同盟。PEUにも支援を要請し、秘密裡に軍事同盟を締結。
  • 2月16日、中越国境で中国軍とベトナム軍が衝突。
  • 2月21日、カシミール地方でインド軍とパキスタン軍が大規模な軍事衝突。事態は核戦争一歩手前までエスカレート。
  • 2月末、深刻な飢餓を受けてアフリカ全土で紛争が頻発。
  • 3月2日、イラン・イラク間の対立が再燃。ペルシャ湾が封鎖される。
  • 3月7日、メキシコ・SAU軍がアメリカ・ニューメキシコ州に侵攻。先年にアメリカ側に奪われたメキシコ北部の奪還を目論む。
  • 3月11日、南部盟邦軍、核汚染が残るワシントンを制圧。北部軍も奪回のために大部隊を派兵。
  • 3月14日、南部盟邦軍、アメリカ北部州での戦闘を有利に進めるべく、ドイツ軍に支援を依頼。これに応じて国籍マークを消したドイツ軍第26降下猟兵旅団がニューヨークに空挺降下する。北部に兵力を割く余裕のない北部連邦軍はイギリス軍に協力を要請。イギリス軍第16空中強襲旅団が急派され、放棄されたマンハッタン島で英独軍の激戦が繰り広げられる。
  • 3月15日、アメリカ政府、日本に支援と兵力の供出を要求。第501機動対戦車中隊の派遣が決定される。
  • 3月17日、北部連邦は内戦の長期化を恐れ、核兵器の使用を示唆。アラスカの旧戦略ミサイル基地を再稼働させ、南部盟邦に降伏を迫る。
  • 同日未明、北部連邦の援軍としてテキサス州に向かっていた第501機動対戦車中隊は、命令を無視して独断で航路を変更。アラスカの旧戦略ミサイル基地に空挺降下し、核ミサイルの発射を阻止する。

 

 

 

 

 

 脚注

 

 

 

*1:記載ミスの可能性?

*2:後の南アフリカ空軍空挺コマンド連隊の創始者。日本のHIGH‐MACS部隊と第二世代型AWGSの驚異的戦果に逸早く着目し、南アフリカ軍内部に同様の部隊を創設しようと奔走した人物。南アフリカ初の国産第二世代型AWGSであるボスファルクの開発にも携わり、現場のパイロットの声を吸い上げつつ、実戦的な機体を作り上げた。詳しくは別稿の「ボスファルクと空挺コマンド」を参照のこと。

*3:この年表の正史部分は『ブレイズ』の説明書に記載されている年表に準拠しているが、この部分の記述に関しては時系列が間違っている可能性がある。

*4:『ブレイズ』の説明書においては「AFTA軍と同盟を結んだイギリスヨーロッパ侵攻を開始」、「北欧ベネルスク諸国は」と記載されていたが、コンプリートファイルなどにおける描写とはやや食い違う内容と思われたことから、筆者の判断により修正した。

*5:『ブレイズ』の説明書の年表には「南部盟邦」と書かれているが、「西部連邦」の間違いと思われるために筆者の判断で修正した。これに限らず『ブレイズ』の年表の記述にはやや怪しい表現が多いため、筆者の判断でその都度表現を変更している箇所もあるが、大意は変わっていないと思われる。