ガングリフォン・ムック(仮)

名作ゲーム、ガングリフォンシリーズについて考察するブログです。他のゲームも時々語ります。更新不定期。

第三次世界大戦戦後史・番外編⑥ イスラエル国防軍と第五次中東戦争

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 当ブログで掲載している仮想戦記の番外編第6弾。今回は仮想戦記第三弾「第三次世界大戦戦後史③中東戦役」中で展開される第五次中東戦争とその当事国となったイスラエル軍南アフリカ軍、アラブ諸国側のAWGSに関する設定を新たに書き起こしてみました。ご興味ありましたら是非ご一読下さい。

 
*本稿はゲームアーツの3Dシューティングゲーム、「ガングリフォン」シリーズの内容を元にした架空戦記の番外編です。これ以前の内容については「架空戦記」カテゴリから閲覧することが出来ます。基本的に「GUNGRIFFON THE EURASIAN CONFLICT」から「GUNGRIFFON BLAZE」までの設定に準じていますが、一部に筆者のオリジナル設定も含まれていますので注意して下さい。
 また、本稿の内容は「第三次世界大戦戦後史・番外編 戦後のAWGS開発史」内の文章と一部重複する箇所がある他、現在の筆者の考えに基づき一部の設定を変更した箇所もありますが、ご了承下さい。

 

 

 

 

 

 

イスラエル国防軍と第五次中東戦争

 

イスラエルにおけるAWGS開発の試み

 戦後になって新たにAWGSの開発に参入した国で最も目を引く国の一つがイスラエルである。小国であるイスラエルは元来、その国土の縦深の狭さや兵士の人命を重視する観点から重装甲の戦車戦力を重視しており、AWGSの導入には後れを取っていた。しかし、元々無人兵器の開発技術に長けていることもあり、戦後にはアメリカの協力を得ていち早く無人型AWGSビットヴァイパーを完成させるなど、本格的なAWGS開発に必要な技術的素地は十分に整っていた。
 大戦を通してAWGSの有効性が立証された戦後になると、イスラエルはいち早くアメリカから供与されたM15とM16に独自の改良を施してジェリコダビデとして戦力化。機甲旅団の対戦車大隊や機甲偵察中隊に配備して実戦運用する一方、このデータを基に研究開発を続け、アメリカの協力も得て独自のAWGS開発計画をスタートさせた。
 戦車開発で実績のあるイスラエルは特に構造の似ている多脚型の開発に血道を上げ、2019年に六脚型のメギドを開発したのを皮切りに歩兵戦闘車的存在である四脚型のサウル、アラブ諸国から鹵獲したロシア製BMX‐19ヤーシリツァを改造したミュルメクスと、続々と独自のAWGSを送り出した。
 取り分けて世界の注目を集めたのがメギドの強化型であるメギドMKⅡ(ハル・メギド)である。この機体はメギドのコンセプトである重装甲・高火力を更に推し進め、砲塔に巨大な張り出し型の増加装甲を装着することで防御力を向上させる一方、主砲を140㎜低反動滑腔砲に変えることで南アフリカ製エレファントと並ぶ攻撃力を持つこととなった。
 これらの機体は2021年5月に始まった第五次中東戦争で本格的な実戦を経験し、アラブ軍の猛攻を跳ね返す原動力となった。

 

メギドとネフシュタン

 イスラエルにとって建国以来最大の危機となった第四次中東戦争は、アラブ諸国との戦いで常に優勢を誇ってきたイスラエル軍の常勝無敗神話に終止符を打ち、数々の苦い教訓を与えることとなった。

 特に開戦直後、シナイ半島正面での戦いでイスラエル軍戦車部隊がエジプト軍歩兵の装備するソ連製の対戦車ミサイルによって撃破された一事は世界各国の軍事関係者に衝撃を以て迎えられ、オールタンク・ドクトリンの限界が示されると同時に、陸戦の王者である戦車の価値そのものにまで疑問が投げ掛けられる結果となる。

 しかし、緒戦における失敗を除けば戦争全般を通してイスラエル軍戦車部隊は終始アラブ側に対して優勢を保っており、依然として戦場における戦車の価値が失われたわけではなかった。戦後、戦車不要論が頻りに叫ばれる中でイスラエル軍はこれらの戦闘データを詳細に分析し、戦車一辺倒のオールタンク・ドクトリンへの反省から機甲旅団の編制をより諸兵科連合を意識したものに変更する一方、対戦車ミサイルへの防護力を高めた複合装甲や第三世代型戦車であるメルカバを開発し、機甲戦力の強化・維持に努めた。イスラエル軍第三次世界大戦終結後までAWGSの導入に余り積極的でなかったのも、こうした戦車戦力重視の軍事ドクトリンを如実に反映した結果だったと言える。

 

 実際、それまでに戦われた数度の中東戦争の結果を見れば、AWGSよりも戦車戦力を重視したイスラエル軍の判断は一先ず正しかったと言えるだろう。狭い国土故の縦深の浅さから国境地帯に張り付いて長時間の防衛戦をこなす必要のあるイスラエル軍にとって、車高が高く装甲も薄いAWGSよりも、戦車の方がより適した装備であったのは間違いない。

 これは特に、ネゲブ砂漠が広がるイスラエル南部においてよく当てはまる。中東最大の戦車戦力を有するエジプトと国境を接し、身を隠す物とてない砂漠において求められるのは、何よりもまず厚い装甲と長時間の戦闘にも耐えられる継戦能力であり、その点では戦車は非常に適した兵器であった。

 

 そのイスラエルで急速にAWGS開発の機運が高まった要因としては、2005年のAFTA締結と2015年のエジプト政変の二つが挙げられる。建国以来、度々イスラエルの後ろ盾となって支援に回ってきたアメリカが国際社会から離脱したことで、イスラエルを取り巻く国際環境に大きな変化が起こったのである。

 取り分けてイスラエル政府にとって懸案だったのは、アメリカの軍事的プレゼンスがなくなることによる中東諸国の動向であった。イスラエルはその建国以来、周囲を囲むアラブ諸国を相手に何度となく軍事衝突を繰り返してきた歴史があり、アメリカの軍事的プレゼンスがなくなればアラブ諸国の侵攻を招く可能性があったのである。この予測は2015年2月の第三次世界大戦の勃発とそれに伴うエジプト政変によっていよいよ現実味を増すこととなる。

 この大戦の切っ掛けとなった北アフリカの戦いにおいて、エジプトは同盟を結んだ中国・APC軍と共にPEU・リビア軍と戦ったが劣勢に追い込まれ、国土の荒廃を恐れたエジプト政府は降伏を決意する。しかし、エジプト政府の行動を予期していた中国政府は軍部の右派勢力を抱き込んでクーデターを起こし、臨時政府を樹立させて強引に戦争継続を発表させてしまう。結局、PEU側の足並みの乱れもあって北アフリカの戦いはAPC・エジプト連合軍の勝利に終わったが、この際にエジプトに成立した右派政権はイスラエルとの平和条約を破棄し、強硬路線へと転換していたのである。

 第四次中東戦争以来、実に半世紀近くに渡ってアラブ側との大規模な戦争が起こらなかったのは、イスラエル南部と国境を接するエジプトがイスラエルと平和条約を結んで融和政策を取っていたことが大きかったが、その前提が崩れた以上、再度の軍事衝突は時間の問題となった。

 

 危機感を覚えたイスラエルは、地域大国として台頭し始めていたトルコや南アフリカ・OAUと接近して関係を強化する一方、仇敵であったリビアに多少旧式化したメルカバMkⅡ戦車を輸出して関係改善を図るなど、中東諸国の切り崩しを図る。*1

 また、最悪の場合には単独で中東諸国と対峙することも考え、軍備の増強にも力が入れられた。メルカバ戦車をはじめとする現行装備の急速なアップデートが図られる一方、新型兵器であるAWGSの導入に向けた動きも俄かに本格化していく。

 

 この際、イスラエル軍内部でAWGSの有効性に逸早く注目し、その導入を積極的に提唱していたのがイスラエル陸軍のイツハク・エイタン中佐であった。エイタン中佐は当時、陸軍の戦車部隊に所属していたが、各国で普及が進むAWGSの有効性を理解する数少ない人間の一人でもあった。

 エイタン中佐は特に山岳部が広がる北部やヨルダン渓谷が存在する東部などでの運用を想定して慎重に要求性能を見極めた結果、同国での運用には不整地踏破性に優れ、車高の高さも抑えられる多脚型こそがもっとも適していると結論付けた。また、多脚型AWGSはその構造が戦車に似ているため、メルカバ戦車の開発などで実績のあるイスラエルにとって開発のハードルが低いこともこれを後押しする要因となった。

 

 幸いにも、第三次世界大戦中はエジプトとリビアが争っていたために中東諸国が一致団結してイスラエルを攻撃することはなかった。戦後もアメリカが国際社会に復帰してその軍事的プレゼンスを回復させたこともあり、深刻な軍事的脅威に晒されることはなかったが、その間もイスラエル政府が周辺国に対する警戒を解くことはなかった。イスラエル軍は戦後にアメリカから供与されたM15とM16を改良してそれぞれジェリコダビデとして戦力化すると、その運用データを基に独自の研究を続けて国産AWGSの開発計画をスタートさせたのである。

 

 この計画に基づいて開発されたのが六脚型のメギドと四脚型のサウルであった。メギドは同じ六脚型であるイタリア製リットリオが不整地踏破性能を追求したのとは対照的に、重装甲、高火力を追求した重装型のAWGSで、その重量と六脚型特有の安定性を活かした精密射撃で敵を一方的にアウトレンジすることを目指した、メルカバ戦車と同じ思想の基に作られたAWGSであった。

 六脚型という複雑な歩行システム故に機動力の低下は免れなかったものの、不整地踏破性能自体は高く、いかなる地形でも踏破することが出来た。歩行時にも常に安定した姿勢を保てることから四脚型では不可能な行進間射撃を可能としており、その射撃精度も非常に高かった。また、六本ある脚部の内、二本までの被弾なら自走可能など、生存性も配慮された機体であった。

 一方、四脚型のサウルは小回りの利かないメギドをサポートするために開発された歩兵戦闘車的存在であり、比較的小型の機体ながらも厚い装甲と高い不整地踏破性能を兼ね備えていた。

 このメギドとサウルの成功で自信をつけたイスラエル軍は、シリア軍から鹵獲したロシア製BMX‐19を改良したミュルメクスやメギドの改良型であるメギドMkⅡを続々と開発し、一躍AWGS先進国の仲間入りを果たすことになる。

 これらの機体は完成後続々と前線部隊へと配備され、2021年に勃発した第五次中東戦争において初の実戦を経験することとなった。特に山岳地帯の多い北部戦線ではその高い不整地踏破性能を活かして迂回作戦を実施し、押し寄せるシリア軍機甲部隊に苦戦する機甲旅団の窮地を救って戦線の崩壊を食い止める活躍を見せた。 

 

 このように大戦終結から僅か5年の内に多数の国産AWGSを送り出してその技術力の高さを証明したイスラエルだったが、大戦を通じて戦術面に劇的変化をもたらした第二世代型AWGSの開発では遅れを取っていた。これはエイタン中佐率いる開発陣がその国情に合致した多脚型の開発を優先したこともさることながら、後ろ盾となっていたアメリカが中東諸国を刺激することを嫌い、VW‐1の輸出や技術提供に消極的であったことも大きな理由だった。

 しかし、戦後になってフォルクスパンターのような安価な第二世代型AWGSが普及してくると、いずれ中東諸国が第二世代型AWGSを保有するのは確実な情勢となり、これに対抗するための第二世代型AWGSの調達は急務となった。*2

 実際、第五次中東戦争勃発の時点でサウジにはアメリカから供与された少数のVW‐1が配備されていた他、ヨルダンも限定的な三次元機動が可能なハイランダー二脚歩行戦闘車を実戦投入しており、イスラエル側もその動きに神経を尖らせていた。幸い、この時にはパイロットの訓練不足もあってこれらの機体が大きな戦果を挙げることはなかったものの、もし万全の状態で投入されていたらイスラエル側にとって大きな脅威となっていた可能性は高かったのである。

 

 十分な技術力と工業基盤を持つイスラエルが時間の掛かる自主開発の道を諦めて南アフリカ製ボスファルクの導入を決定したのも、こうしたイスラエル側の危機意識を反映したものであった。

 南アフリカ国防軍が第五次中東戦争で初めて実戦投入した第二世代型AWGSであるボスファルクは、すでに初陣となったワディ・ラムの戦いで湾岸諸国軍の戦車部隊を一掃する活躍を見せており、その性能はイスラエル側も高く評価していた。また、前線での整備性に優れた簡易な構造や生存性の高さはイスラエルの国情にも良く合致しており、競合するHIGH‐MACSやヤークトパンターと比べてよりイスラエル軍向きの機体であることも評価を上げる理由となった。

 南アフリカとの良好な関係やライセンス契約によってパーツの調達などに障害が出ないことも後押しとなり、イスラエル軍はボスファルクの採用を決定。独自の改良を施した上でネフシュタンとして制式化し、数度の性能試験とパイロットの操縦訓練を経て2023年6月までに第35空挺旅団に所属する第5174対戦車中隊(通称ナジャ)に22機が配備され、実戦配備テストが開始されることになる。

 ネフシュタンはその後、2023年9月にゴラン高原におけるシリアとの軍事衝突で初の実戦を経験したのを皮切りに数々の紛争で活躍。2024年1月にはイラク南部の原子炉破壊作戦にも投入され、タムーズ近郊に空挺降下した第5174対戦車中隊のネフシュタン16機がイラク軍の守備隊を排除、建設中の原子炉を破壊することに成功する。

 しかし、イスラエル軍にとってネフシュタンはあくまで暫定的な中継ぎ装備と認識されており、第二世代型AWGSの自主開発の道が完全に閉ざされていたわけではなかった。陸戦の新たな主役となりつつある第二世代型AWGSの開発技術の取得は、周辺国に対する軍事的優位を維持し続けなければならないイスラエルにとって喫緊の課題でもあったのである。

 このため、イスラエル軍技術陣はネフシュタン導入後も独自に第二世代型AWGSの概念研究を続け、ボスファルクの開発をリードしたフレデリック・バーロウ元南アフリカ国防軍中佐*3の助言も受けつつ新型機の模索を続けた。その成果は後にイスラエル初の国産第二世代型AWGSとなるネフシュタンMkⅡとして結実することになるが、それはもう少し先の未来の話である。

 

第五次中東戦争の勃発

 21世紀に入って以降の急速なブロック化の波が第三次世界大戦を誘発したとするならば、第五次中東戦争はその波から置き去りにされた国々によって引き起こされた戦争だったと言うことが出来る。

 大戦勃発前夜、中東諸国はその複雑に絡んだ宗教や政治上の利害から一致団結した行動が取れず、強力な地域機構を持てずにいた。このことはアメリカに代わって二大勢力となったAPCとPEUに付け入る隙を与え、それぞれエジプトとリビアに肩入れした両者の争いから世界を巻き込む大戦の口火を切ることとなる。

 しかし、APC・PEUの両者共に戦火の無用な拡大は望んでおらず、戦争が限定戦争の形態を取ったこともあってエジプトとリビアを除く中東諸国の多くは戦火を免れることが出来た。このことは結果的に戦後の国際社会における中東諸国の発言権を増すことに繋がり、豊富な石油資源を背景とした石油戦略によって国際秩序に新たな勢力を示しつつあった。

 

 その中東諸国同様に大戦の戦火を逃れ、国力を温存したもう一つの勢力がOAUである。OAUはAPCやPEU、AFTAに先んじて成立したアフリカ大陸全域をカバーする巨大な地域機構であったが、アパルトヘイトを行っていた南アフリカを盟主としたことからその結束は弱く、先の大戦では加盟国であるエジプトとリビアがそれぞれAPCとPEUの支援を受ける形で争っていた経緯があった。しかし、その両国を除けば大規模な戦火を免れたこともあり、戦後は一転してアメリカに代わる覇権の確立を目指して中東進出の機会を窺っていたのである。

 

 この両者の関係が対立に発展するまでにそれほど時間は掛からなかった。南アフリカの野望に警戒心を強めた中東諸国は、OAU内部の反南アフリカ勢力に資金を供出して内部からその結束を揺さぶる一方、イスラム圏に属する北アフリカ諸国と連携して南アフリカの封じ込めを図る。北アフリカ諸国は歴史的にも文化的にも中東諸国との関係がより深いこともあり、OAUの勢力伸長を阻む最大の要因ともなっていたのである。

 

 しかし、2017年になるとこうした状況にも変化が訪れる。機構内の反対勢力を一掃した南アフリカがOAU軍を率いてエジプトに侵攻し、経済の大動脈であるスエズ運河を制圧したのである。先の大戦で疲弊していたエジプト軍には南アフリカを主体とするOAU軍の侵攻を食い止める力はなく、不意を突かれた中東諸国も効果的な支援を行うことが出来なかった。 

 この際はアメリカ・日本を主体とする国連PKO部隊の活躍もあって早期の内にスエズ運河が解放されたものの、中東諸国に南アフリカ・OAUの脅威をまざまざと刻み込むこととなり、各国の間に急速に連帯の機運が醸成されていくこととなる。

 

 しかし、このスエズ危機の余波は思わぬ結果を生み出すこととなる。再度のOAU軍の侵攻に備えて連携強化を図る一方、旧PEU諸国から最新型のAWGSなどを導入して装備の近代化を進めていく中東諸国を脅威と捉えたイスラエル南アフリカ・OAUと接近し、中東諸国に対抗する構えを見せたのである。 

 

 すでに述べたように、イスラエルは最大の後ろ盾であったアメリカが2005年にAFTAを結成して国際社会から離脱して以降、敵対的な中東諸国の中で孤立し、安全保障上の深刻な脅威に晒されていた経緯があった。そのイスラエルアメリカに代わるパートナーとして関係の深いトルコや南アフリカ・OAUと接近し、中東諸国の動きを牽制しようとしたのも故なきことではない。

  しかし、そのOAUと中東諸国の対立の構図が明確になるに連れて、イスラエルと周辺国との関係も急速に緊張の度合いを深めていく。その建国以来、数度に渡って軍事衝突を繰り返してきたイスラエルアラブ諸国の関係は、南アフリカ・OAUという新勢力の登場によって新たな段階へと移行したのである。

 

 一方の中東諸国にとっても、イスラエルは疎ましい存在であった。これまでの軍事衝突で度々敗北してきたこともさることながら、中東でも随一の軍事力を誇るイスラエル南アフリカ・OAUが連携した場合、中東諸国にとって大きな軍事的脅威になることは明らかだったからだ。 中東諸国は対決姿勢を強めるイスラエル側の動きに呼応して国境の部隊を増強。早期の内にイスラエル軍の戦争遂行能力に打撃を与え、南アフリカ・OAUの中東進出を阻むことで一致を見る。

 これを後押しするように2020年1月にはアメリカ内戦が勃発し、アメリカは再び国際社会から離脱した。イスラエルの強力な後ろ盾であったアメリカの軍事的プレゼンスが事実上消失したことで、中東諸国は後顧の憂いなくイスラエルに侵攻するチャンスを得たのである。

 

 こうして第五次中東戦争の舞台が着々と準備されていったが、中東諸国による本格的な侵攻は翌年の5月まで繰り越されることになる。これは中東諸国の首脳陣が慎重にアメリカ内戦の進行を見極めていたことと、2021年3月に勃発したロシア・トルコ間の戦争の動向を注視していたためであった。

 そしてアメリカ北部連邦と西部連邦の内戦が再開され、ロシア・トルコ間の戦いが下火になった2021年5月、中東諸国は遂にイスラエル侵攻を開始した。その主力はイスラエルと国境を接するエジプト、シリア、ヨルダン、レバノンの四か国で、サウジアラビアUAEアラブ首長国連邦)、オマーンなどの湾岸諸国と、モロッコリビアチュニジアなどの北アフリカ諸国の支援も受けて三方からイスラエルに侵攻を開始した。

 

 これに対し、イスラエル側は精鋭の機甲戦力を以て防衛戦を展開。メルカバMk2戦車やジェリコ、メギドといった重装甲のAWGSを前線に張り付けて敵軍の侵攻を良く防いだ。航空戦力の優位もあり、イスラエル軍は開戦当初こそ戦いを有利に進めた。

 しかし、アラブ連合軍は第四次中東戦争時の戦訓を参考にロシア製のBMX‐30や2S6Mツングースカ、イギリス製のバリアントといった対空兵器で強力な対空防衛網を構築し、侵入してくるイスラエル空軍機を次々に撃墜。イスラエル空軍の動きを封じる作戦に出る。

 相次ぐ損害を受けてイスラエル空軍は数日の内に出撃を控えるようになるが、 空軍機の消耗と共に戦局は次第にイスラエル軍不利に傾いていく。イスラエル軍はそれでも各所で健闘を見せていたが、数の上では圧倒的優位を誇る中東諸国の前にジリジリと押され、防衛線は徐々に後退。北部から南下して来た共和国親衛隊と第4及び第9機甲師団を主力とするシリア軍機甲部隊によってゴラン高原を奪回される事態に陥った。

 一方、東からはイギリス製のチャレンジャー2戦車やバリアントMk2、ハイランダー二脚歩行戦闘車を装備したヨルダン軍第3機甲師団と、その精鋭部隊である第40機甲旅団がヨルダン川を超えてイスラエル領に侵攻。南からもアメリカ製のM1A2/3戦車と中国製の13式装甲歩行車を装備したエジプト軍機甲部隊がシナイ半島を渡ってイスラエル領に侵攻し、ガザ地区に迫っていた。イスラエル第四次中東戦争以来の危機に陥ったのである。

 

 この危機的状況に、イスラエルは関係の深いトルコに支援を要請する。しかし、ロシアとの戦いで中東諸国の支援を必要としたトルコは表立ってイスラエルを支援することは出来ず、侵攻にも消極的な非難声明を出すに留まった。

 焦ったイスラエル政府はここにきて南アフリカ・OAUに支援を要請し、中東地域への軍事介入を求めた。OAUの盟主である南アフリカは過去にイスラエルから核兵器開発で協力を受けたこともあり、冷戦時代から浅からぬ関係を持っていた。

 当の南アフリカ政府にとってもこの要請は望むところであった。南アフリカ政府は中国・APCとの戦争終結直後から中東侵攻の準備を進めており、既にスーダン国内に部隊を集結させつつあったのである。イスラエルの支援要請は、南アフリカ・OAUにとって中東侵攻の絶好の口実となる。

 こうして2021年6月、中東の紛争解決を名目に南アフリカアンゴラ、ナイジェリア、エチオピアケニア等を主力とするOAU軍がスーダンからエジプトに侵攻。貧弱な国境防衛部隊を破ってナイル川沿いに北上し、一路カイロを目指した。これに先立って対APC戦でも活躍した南アフリカ空軍特殊コマンド空挺連隊と陸軍の精鋭第44落下傘旅団を主力とするOAU軍の緊急展開部隊がエジプトに一足早く侵攻し、南部の主要都市であるアスワンに空挺降下。エジプト軍の駐留するアスワン・ハイ・ダムを抑えて主力部隊の侵攻を支援した。

 

 OAU軍の侵攻をある程度予想していたエジプト政府は、精鋭の機甲師団を主力とする防衛部隊をカイロの南約130kmのベニ・スエフ近郊に展開して首都防衛の構えを取る。この機甲師団アメリカ製のM1A2/3戦車を装備した重装部隊で、兵器の性能だけで言えばOAU軍と互角以上に渡り合えるだけの能力を持っていた。しかし、先の大戦と2018年のOAUによるスエズ侵攻で部隊の損耗が激しく、実際の稼働率は半数を割る状態であった。

 中国・APCとの戦いを潜り抜けて来たOAU軍にとって、弱体化したエジプト軍は敵ではなかった。OAU軍は南アフリカ陸軍砲兵部隊のG6ライノ155㎜自走榴弾砲による準備砲撃を皮切りに、ドイツ製のレオパルド3戦車と南アフリカ製のTTD戦車で武装した機甲部隊を以て進撃。そのやや後方からはイタリア製サティロスやルーイカット装甲車を装備した軽装部隊が進出し、更に上空からもAH‐2ロイファルク対戦車ヘリを主力とする南アフリカ空軍の航空部隊が主力部隊の突破を支援した。

 このOAU軍の猛攻にさしものエジプト軍機甲部隊も押し込まれ、戦線は徐々に後退。更に、後方から現れたエレファント部隊の砲撃が始まるとエジプト軍の戦車やAWGSは次々に撃破され、隊列を乱して潰走した。

 ベニ・スエフの戦いで勝利したOAU軍は瞬く間に防衛線を突破して首都カイロを占領すると、そのまま進撃速度を落とさずにスエズ運河を制圧。更にシナイ半島北東部に進出してイスラエル侵攻中のエジプト軍主力(第3軍)の背後を突き、これを破ることに成功する。こうしてOAUは短期間の内にイスラエルとの連携に成功したのである。エジプト政府は既に首都を地中海沿岸のアレキサンドリアに移転させていたが、カイロとスエズ運河の制圧で降伏を迫られたも同然だった。

 一方、南からの脅威がなくなったことで息を吹き返したイスラエルは、北部戦線に兵力を集中させての大反攻を企図。精鋭の第7機甲旅団と第188機甲旅団を中核とする機甲部隊を先頭にゴラン高原に突撃し、エジプト軍の崩壊で浮足立つシリア軍を破って国境まで押し戻すことに成功する。更に、シリア軍の劣勢を受けて撤退を開始したヨルダン軍をヨルダン川東岸まで猛追し、航空戦力による猛爆撃を加えて壊滅的損害を与えたのである。

 

 この事態に対し、アラブ側も黙って手をこまねいているわけではなかった。エジプト・ヨルダン両政府の救援要請を受けて、サウジアラビア領内に集結していた湾岸諸国の合同軍がシナイ半島に向かって進撃を開始する。その主力はサウジアラビア軍とUAE軍が誇る精鋭の機甲旅団で、エジプト軍と同じM1A2/3やフランス製のルクレール戦車を多数配備した強力な部隊であった。

 一方、シナイ半島のOAU軍主力も進撃を再開し、イスラエル領を通過してヨルダン南部に侵攻。ワディ・ラム近郊に進出して進撃を続けるアラブ連合軍を迎え撃った。

 

 この戦いに先立ち、ヨルダン・サウジアラビア国境上空では両者の空軍による航空戦が展開されていた。制圧したエジプト国内の空軍基地に集結していたOAU空軍は、ミサイルの傘がなくなったことで自由に行動出来るようになったイスラエル空軍と協力してアラブ側の連合空軍と交戦。西側諸国の最新鋭の戦闘機を揃えたアラブ側はOAU空軍の戦力を上回っていたが、パイロットの技量に優れるイスラエル空軍の活躍によって戦況はOAU・イスラエル軍側に傾きつつあった。

 両者の空軍による空中戦が展開している頃、地上でも両軍の主力部隊が激突していた。巨大な山塊の前方に布陣したOAU軍に対し、アラブ連合軍は主力の機甲部隊を前面に出して突撃した。アメリカ製のM1A3やイギリス製のチャレンジャー2、フランス製のルクレールといった湾岸諸国の保有する高性能な戦車を武器に、発展途上国が多い為にやや性能に劣ると考えられたOAU軍戦車部隊を正面から撃滅しようとしたのである。

 しかし、先のエジプト戦でも既に見られたように、実際にはOAU側の戦車部隊はそこまで貧弱なものではなかった。確かに発展途上国の軍には旧ソ連製の旧式戦車を主体とする部隊も存在したが、OAU軍の主力である南アフリカ軍が各機甲連隊に第四世代型のレオパルド3を配備していた上、エチオピアケニア、ナイジェリアといった他の国々もOAU軍の共通戦車構想に基づき第三世代戦車に相当する南アフリカ製TTDの導入を進めていた(レオパルド2に相当する性能と考えられた)。また、エジプト軍から鹵獲した大量のM1A2/3戦車を戦力化していたこともあり、戦車戦力の差はアラブ側の思っている程には大きなアドバンテージとはならなかった。むしろ、戦力に大きな開きがあったのは両軍のAWGSの性能であった。

 

 ヨルダン南部で両軍が激突する少し前、OAU軍はエジプトの紅海沿岸からIl‐76輸送機の編隊を出撃させ、密かにサウジアラビア領内に部隊を送り込んでいた。ここで重要な働きをしたのが先の戦いでも活躍した南アフリカ軍の空挺コマンドと第44落下傘旅団落下傘対戦車大隊であった。両隊はヨルダン南部で戦うOAU軍の主力を支援する形でアラビア半島に空挺降下し、交戦状態に入ったアラブ連合軍の背後を急襲した。

 この戦いには従来型のフォルクスパンターSAVに混じって新型の第二世代型AWGSである南アフリカ製ボスファルクも投入されていた。フォルクスパンター同様、ボスファルクもヤークトパンターの設計を流用して開発された機体であったが、武装や装甲といった基本性能の面で廉価版のフォルクスパンターを遥かに超える性能を有しており、ヤークトパンターに乗り慣れた元降下猟兵旅団のパイロット達にとっても非常に扱いやすい機体であった。

 これに対し、アラブ連合軍が装備するのはフランス製のAUTRUCHEやイギリス製のバリアント、ロシア製BMXといった軽量型の第一世代AWGSが多く、第二世代AWGSは一機も配備されていなかった(サウジアラビアが少数のヤークトパンターを導入していたが、パイロットが訓練不足で三次元機動に慣れていなかったこともあり、消耗を恐れて後方に配置されていた)。また、AWGSの運用も稚拙そのもので、戦術も十分に確立されていなかった為、三次元機動を駆使する第二世代AWGSに対応することなど不可能に近かったのである。アラブ連合軍は戦車戦力こそ強力であったものの、先の大戦で登場した第二世代AWGSが戦局に与える影響の大きさを十分に理解していなかった。

 

 アラブ連合軍は後方からの予期せぬ奇襲にパニックに陥った。空挺コマンドのボスファルクはその高い三次元機動力を活かしてトップアタックを仕掛け、アラブ連合軍の戦車やAWGSに反撃のチャンスすら与えずに撃破していった。そこにロシア式の逆噴射ロケット方式で同時に降下した第44落下傘旅団落下傘対戦車大隊に配備されたフォルシルム・パンターの攻撃も加わり、アラブ連合軍は悲劇的な状況に追い込まれた。

 戦いは一方的なものとなった。アラブ連合軍は前方から迫りくるOAU軍のレオパルド3やエレファント部隊に蹂躙され、後方から現れた空挺部隊のボスファルクやフォルシルム・パンターに挟撃されて壊滅し、僅かに残存した部隊も東へと向かって敗走を始めた。戦いの後に砂漠に残されたのは、夥しい数のアラブ連合軍の兵器の残骸であった。

 

 この時点で中東地域にOAUに敵対する勢力はなくなったと言って良かった。カイロとスエズ運河を占領されたエジプト政府は既に虫の息同然であり、シリア軍とレバノン軍はイスラエル軍の猛反攻を受けて撃退され、逆にイスラエルの侵攻に備えなければならない状態に追い込まれていた。ヨルダンはOAU軍に紅海を望む要衝アカバを抑えられて屈服寸前となり、頼みの綱のサウジアラビアや湾岸諸国も国内の防衛に手一杯で、とてもエジプト政府を救援する余力は残っていなかった。

 戦意を挫かれたエジプト政府はイスラエル・OAUと単独で停戦合意を結び、早々に戦線から離脱してしまう。エジプト政府のこの行動は他の中東諸国の士気を大いに下げることとなり、各国は勝手に撤退を始めてしまう始末だった。こうして戦争はなし崩し的にイスラエル・OAU側の勝利に終わった。

 中東諸国はイスラエルとの停戦に合意したものの、OAU側は平和維持軍として引き続き中東に部隊を駐留させることを決定。各国に莫大な駐留費を負担することを要求し、中東諸国がこれを拒否するとスエズ運河を封鎖した上、各地の油田に部隊を送って占領するという暴挙に出る。中東諸国はここに来て遂に中国・APCに支援を求め、戦争は新たな段階へと移行することになる。

 

 この後、南アフリカ・OAUは中東の支配を目論んで戦争を継続し、ヨルダンを制圧。中東諸国の盟主を自認するサウジ領内深く侵攻して中東諸国を屈服寸前まで追い込むことに成功するが、離脱したイスラエルに代わって同盟を組んだイラクの領土的野心に振り回された挙句、その強大化を恐れたイランの参戦を招き、戦いは泥沼化。この間にも北部連邦の意を受けたイギリスとPEUが中東情勢への介入を宣言してリビアに部隊を上陸させたため、OAU軍はエジプトまで撤退するもエル・アラメインの戦いにおいて一敗地に塗れ、中東侵攻作戦は失敗に終わることとなる。

 

  この結果を見れば、APC参戦前の時点でイスラエル政府が早々に中東諸国と停戦して戦いから離脱したのは賢明な判断であったと言う他ない。これは後のOAUの敗北を予想したからというよりも、すでに中東諸国との戦いで疲弊したイスラエルにはこれ以上戦闘を継続する余力がなかったためと、中東諸国の敵意を必要以上に買うのは得策ではないという現実的判断が背景にあった。

 事実、この敗北によって南アフリカは急速に求心力を失い、OAUが事実上の瓦解に追い込まれる一方、戦場となった中東諸国もまた戦火によって莫大な経済的損失を被り、各国間の連帯にも大きな綻びが生じていた。互いに覇権を競った南アフリカ・OAUと中東諸国が共倒れとなり、戦闘終結に道筋を着けたAPCとPEUも紛争の事後処理に忙殺される中、中東情勢は大戦前と同じ不安定な状況に逆戻りすることとなり、それは結果的にイスラエルを利することに繋がったのである。

 イスラエルは戦後、この勝利に驕ることなくAPCとPEUの仲介で疲弊した中東諸国との関係改善を図る一方、軍備の回復と強化に努め、あらゆる手段を駆使して国家存亡の危機に備えることになる。平和の代償はあまりに高く、その維持は更に難しい。そのことを彼らほど知っている国家はこの地上にはない。

 

 

 

付記:第五次中東戦争

 

アラブ側から見た第五次中東戦争

 

アラブ諸国の戦争計画とその破綻

・第五次中東戦争とそれまでの中東戦争が異なるのは、それがイスラエルとの軍事的緊張によってもたらされたものではなく、むしろ戦後の国際社会で強大化しつつある南アフリカ・OAUの中東進出を背景としたところにある。

 アフリカの玄関口であるエジプトを通って中東へと進出し、戦後の国際社会の中で覇権を確立しようという南アフリカの目論見は、すでに2018年のエジプト侵攻で現実化していた。この時は日米主体のPKO部隊の活躍もあってOAU軍は早期の内に撃退されたものの、もしエジプトがOAUの強い影響下に置かれ、スエズ運河が制圧され続けていたら、中東諸国だけでなく世界全体にとっても大きな脅威となることは確実であった。

 

 アラブ諸国としては出来るだけ早期の内にエジプトを救援する体制を作ることが急務であり、そのためには親南アフリカ・OAU寄りの姿勢を取るイスラエルを放置しておくわけにはいかなかったのである。つまるところ、第五次中東戦争におけるアラブ側の戦争目的はあくまでもイスラエル軍の戦力及び戦争遂行能力に打撃を与え、OAUの中東進出のための橋頭保となることを防ぐことにあり、真の敵は南アフリカ・OAUであった。

 その前哨戦としてのイスラエル侵攻に際して、アラブ側が立てた計画は概ね次のようなものであった。

 

イスラエルと国境を接するエジプト、シリア、ヨルダンが中核となってイスラエル本土に侵攻。イラクや湾岸諸国も小規模の部隊を派遣し、これを支援する。他のアラブ諸国も資金援助やイスラエルに対する経済封鎖を行って侵攻を支援する。

イスラエル軍(特に空軍)を消耗させ、早期の内にその戦争遂行能力に打撃を与える。

③戦況次第では湾岸諸国の機甲部隊や空軍機も投入し、先に侵攻した部隊を支援する(湾岸諸国の主力戦車は西側諸国の第三世代型が多く、戦力的にはイスラエル軍の戦車部隊とも互角に渡り合えると考えられた)。

リビアやチャド、アルジェリア、モロッコを始めとする北アフリカ諸国はエジプトに部隊を派遣し、OAUの侵攻に備えた防衛体制を確立する。

 

 これらに加えて、海上でも湾岸諸国が紅海の入り口であるバブ・エル・マンデル海峡とチラン海峡を封鎖し、イスラエルへの船舶の入港を阻止。イスラエルを徹底的に締め上げる態勢が確立されていた。

 また、アラブ諸国の軍はその豊富なオイルマネーによっていずれも西側の第三世代戦車や最新型のAWGSを配備しており、過去の中東戦争に比べて兵器の性能差がほとんどなくなっていたこともアラブ側の攻勢を後押しする要因となった。

 

 しかし、アラブ側は開戦序盤こそ連携してイスラエルを追い詰めたものの、その内情は必ずしも一枚岩ではなく、その兆候はすでに南アフリカ・OAUの参戦前から顕著に表れてもいた。

 まず④に関してだが、これは隣国のリビアがエジプトとの対立関係を理由に派兵を拒否した上に、他国の部隊の通過も認めなかったため、エジプトの防衛体制の確立は遅れに遅れた。また、リビアと対立するチュニジアが部隊の派遣を渋ったこともこれに拍車を掛けた。これはアラブ側にとって大きな痛手であった。

 また、①のイスラエル侵攻も序盤こそ奇襲の効果もあり、ゴラン高原を一時的に奪取するという痛撃を与えることに成功したものの、イスラエル軍機甲部隊の激しい抵抗や動員体制が確立したことなどもあって徐々に押し返されてしまう。

 ②に関しては成否半ばした。対空型のAWGSや自走砲を組み合わせた防空コンプレックスが功を奏し、イスラエル空軍機を多数撃墜することに成功したものの、被害を恐れたイスラエル軍が空軍機の出撃を見合わせたことから、逆に戦力を温存させる結果になってしまったのである。

 そして③だが、南アフリカ・OAUのエジプト侵攻と共に湾岸諸国はサウジ国内に集結させていた機甲部隊を進撃させ、ヨルダン南部からイスラエル領内に侵攻する手筈を整えていた。しかし、この動きを予想していた南アフリカ・OAU軍は密かに対岸のエジプトから空挺部隊を送り込み、ワディ・ラムの戦いで湾岸諸国軍を包囲・殲滅したのである。

 

 こうしてアラブ側の戦争計画は破綻し、エジプト救援の望みは潰えた。ベニ・スエフの戦いで敗北し、カイロとスエズ運河を占領されたエジプト政府が独断で降伏を決定したことにより、梯子を外された格好のアラブ諸国は各国が勝手に部隊を撤退させることとなり、戦争はなし崩し的にイスラエル・OAU側の勝利に終わることとなる。

 この際に行われた停戦交渉でも、アラブ側の対応は国によって分かれた。近隣のシリアやヨルダンが徹底抗戦を叫ぶ一方、湾岸諸国は早期の内にイスラエル・OAU側との和平を模索した。議論の末に、アラブ側はイスラエルとの停戦には合意する一方、南アフリカ・OAU側の厳しい賠償金の要求や駐留経費の負担といった条件には反発し、戦争はイスラエルが離脱した形で継続することとなった。

 

 しかし、この時点でアラブ側の士気は大きく落ちており、OAUに対抗するだけの力はなかった。戦争中盤になると、勝ち馬に乗ろうとしたイラク南アフリカ・OAUと同盟を組んでクウェート、サウジの油田地帯を制圧する一方、その強大化を恐れたイランが中国・APCの要請に基づいてイラクに宣戦布告してペルシャ湾が封鎖されるなど、事態は混乱。

 戦争終盤にはリビアを始めとする北アフリカ諸国がPEUと同盟を組み、南アフリカ・OAU軍の背後を突くためにエジプトに進撃、まかり間違えばエジプトを舞台にAPCとPEUが再び激突する寸前まで行った。 

 このようにアラブ側の結束が保たれたのは開戦序盤のごく僅かな期間に過ぎず、その連携も極めて拙いものに終始した。特にエジプト降伏後は各国共に自国の利益を優先した勝手な行動が目立ち、湾岸諸国も自国の防衛に手一杯で他国の救援にも消極的な姿勢を取るなど、その結束は余りにも頼りないものだった。

 

 こうしたアラブ側の結束の緩さにも助けられて、南アフリカ・OAUは中東地域を制圧する目前まで行った。世界経済の大動脈であるスエズ運河を抑え、エジプトからヨルダン、イラクにまで至る広範な地域の油田地帯とペルシャ湾を抑えた。もしイスラエルが戦争を継続していたら、或いはイラクとの連携がもっと上手く行っていたら、結果はまた違ったものになったかも知れない。

 しかし、いずれにせよこのような重要地域をアメリカが座して明け渡す筈はなく、北部連邦の意を受けたイギリス・PEUと、西部連邦の意を受けた日本・APCの参戦によって南アフリカ・OAUの野望はその勢力ごと打ち砕かれることになったのである。

 

アラブ各国の思惑と動向

 

エジプト

・アフリカの玄関口にして世界経済の大動脈であるスエズ運河を領有するエジプト。その地政学的価値から、第三次世界大戦序盤の北アフリカの戦いにおいて主要な戦場となることになった。

 2015年2月の政変以来、中国の支援を受けた軍部の右派勢力が政権を握っていたものの、前大戦の戦火と2018年のOAU軍の侵攻によって国力は大きく低下しており、かつてはアラブ諸国最強を謳われた陸軍機甲部隊も消耗が激しかった。

 第五次中東戦争開戦時には精鋭の第3軍を主力にイスラエル領内に侵攻したが、イスラエルの要請を受けてスーダンから侵攻して来た南アフリカ・OAU軍の進撃を食い止め切れず、カイロが陥落。エジプト政府はアレクサンドリアに首都機能を移転させていたものの、スエズ運河を制圧・渡河したOAU軍がイスラエル侵攻中の第3軍の背後を突き、これを包囲・殲滅させると、これ以上の国内の荒廃を恐れて早々に降伏してしまう。降伏の決定は他のアラブ諸国にも一切通知がなかったため、アラブ側の士気を大きく下げることとなった。

 また、この際にエジプト軍の主力戦車であったアメリカ製のM1A2/A3戦車が多数OAU軍に接収され、その戦車戦力を強化してしまうという皮肉な事態が起こっており、エジプトの降伏は軍事的にもアラブ側にとって大きな痛手となった。

 戦後は新たに誕生した民主政権の下、国土の復興が急がれているが、その政情は不安定であり、軍部の影響も依然として強い。

 

シリア

・第五次中東戦争におけるアラブ軍の主戦力として活躍したシリア。その戦力も機甲部隊を中心とした強力なものであり、一時は前線のイスラエル軍部隊を撃破してゴラン高原を奪回するほどであった。しかし、OAUの参戦を受けてイスラエルが反攻を開始すると一転守勢に転じ、イスラエル軍がシリア領内に逆侵攻してダマスカス近郊まで迫る事態となった。

 関係の深いロシアから多数の兵器を購入、或いは供与されており、戦車やAWGSもロシア製のもので占められていた。

 

サウジアラビア

湾岸戦争後、長らく国内にアメリカ軍の駐留を認めていたサウジだったが、そのアメリカが2005年に国際社会から離脱して撤兵すると、軍事的空白が生まれることとなった。特にペルシャ湾岸沿いの油田地帯への領土的野心を隠さないイラクを警戒したサウジは、湾岸諸国の結束を訴え、独自の地域機構の創設に奔走した。しかし、この試みは複雑な政治対立や宗派間対立もあって失敗に終わり、各国は緩やかな連帯を望むことになる。

  こうした状況に変化をもたらしたのが2018年に起こったスエズ危機であった。OAUによるエジプト侵攻とスエズ運河の占領という事態に、南アフリカ・OAUの脅威を認識したアラブ諸国は急速に連帯を深め、対イスラエル強硬政策で一致していく。

 しかし、いざ第五次中東戦争が始まると、アラブ側の足並みは徐々に乱れを見せ始め、サウジの指導力にも限界が見え始まる。中国・APCの支援を要請したは良いものの、戦火の拡大と共に戦争への姿勢も消極的なものとなり、イラク軍がミサイルを乱発して都市部への攻撃を開始すると降伏を決意し、外交団を送る寸前までいくなど、戦意・士気共に大きく低下した。

 

イラク

多国籍軍による猛攻を受けて敗北した湾岸戦争後、イラクは長期に渡る経済制裁によって国内が疲弊し、その軍事力も長らく回復することがなかった。しかし、アメリカがAFTAを締結して国際社会から離脱すると、俄かに風向きが変わった。アメリカに代わって二大勢力となったAPCとPEUのパワーゲームが中東で繰り広げられたからである。この際、中国・APCとの関係を深めて軍備の強化を図る宿敵イランに対し、イラク旧宗主国であるフランスや関係の深いロシアが加盟するPEUと結託し、急速に軍事力を回復させていくことになる。

 第五次中東戦争開戦前の時点で、イラク政府は対イスラエル戦に部隊を送るなど、協力的姿勢を示していた。しかし、OAUの参戦によってアラブ側の敗色が濃厚となると、勝ち馬に乗るべくOAUと同盟し、隣国のクウェートサウジアラビアに立て続けに侵攻、油田地帯を制圧するという暴挙に出る。

 しかし、この行動は他のアラブ諸国のみならず、イラクの強大化を恐れる隣国のイランを刺激せずにはおかず、中国の要請を受けたイラン軍の侵攻を招くこととなる。大兵力を動員して奇襲を掛けたイラン軍に対し、イラク側は防戦一方となり、南部の要衝バスラを占領される事態となる。

 

 海への出口を抑えられたイラク側は、スカッドミサイルをイランや他のアラブ諸国の都市に発射して戦火を拡大する作戦に出る。これは特に湾岸諸国の戦意を低下させるのに役立ったが、こうしたなりふり構わない軍事行動は結果的に自身の首を絞めることとなり、アメリカ北部連邦の意を受けたイギリス・PEUの参戦を招き、OAUの敗北の原因を作ってしまった。

 イランとの戦いは第五次中東戦争終結後も続き、中東の火種として残ることになった。周辺国の敵意を買って再び孤立したイラクは、核兵器製造に手を出すが、イスラエル軍空挺部隊の攻撃によって阻止されている。

 

 

 

第五次中東戦争におけるAWGSの運用とその戦術

 

AWGS、その有効性と実態

・第五次中東戦争は前大戦同様に参戦国の多くが多数のAWGSを投入して争った、全く新しいタイプの戦争であった。特にイスラエルは一国における運用車種としてはもっとも多い9種を投入し(ピッドヴァイパーを含む)、積極的なAWGSの運用が目立った。一方、アラブ側もBMX‐30やバリアントといった対空型のAWGSを効果的に組み合わせて強力な防空網を形成するなど、戦術面ではイスラエル側に優越する場面も見られた。

 だが、前大戦がそうであったように、この第五次中東戦争においても戦場の主役は依然として戦車であった。これは中東地域の戦場の大半が砂漠であることにも起因しており、遮るものも少なく、地平線まで見渡せる砂漠においては車高が低く、厚い装甲と強力な砲を持つ戦車の優位性は圧倒的であった。

 逆に車高が高く、装甲も薄いAWGSにとって砂漠は過酷な環境であった。特に二脚型AWGSは車高の高さから被発見率が高く、被弾投影面積も大きいために敵の先制攻撃を許す可能性が非常に高かった。二本の脚で車体の重量を支える関係上、敵戦車はおろか装甲車の装備する大口径砲に耐えるだけの装甲を施すことも不可能であり、先制攻撃を受けることは即死に繋がる危険を秘めていた。また、その車高の高さをカバーするための遮蔽物そのものが砂漠には少なく、この点でも二脚型は非常に不利な戦いを強いられた。

 これに比べると、支える脚部の多さから重量制限に余裕のある多脚型の場合はいくらか条件は良かったが、これとて戦車ほどのアドバンテージがあるわけではなかった。二脚型に比べて低い車高と厚い装甲、より強力な火砲を搭載出来るとは言え、不整地踏破性能以外のほぼ全ての性能で戦車に劣っているため、敢えて運用するメリットは少なかった。また、装甲が施しにくい脚部が車体の外に飛び出ている配置の関係上、被弾投影面積も戦車よりも大きく、脚部への被弾が即行動不能になる危険性をも秘めていた。砂漠の戦いで戦車と正面から対峙出来るのは、同じ戦車を除けば対戦車ヘリか第二世代型AWGSに限られるのである。

 

 実際、数多くのAWGSを投入したイスラエル軍ですら、アラブ側への反攻の主力となったのはメルカバシリーズをはじめとする戦車部隊であり、その厚い装甲と強力な火砲、迅速な機動力なくして勝利はなかったのが実態であった。AWGSは機甲戦力に数えられる兵器ではあるものの、その装甲は装甲車程度が限界であり、戦車のように強引に戦線を押し上げるような戦いには向いていなかったのである。

 これはイスラエル軍の主力AWGSとして運用されていた六脚型のメギドや、南アフリカ軍のエレファントですらそうであった。メギドはその脚部の多さから砲塔前部こそ戦車に匹敵するだけの装甲を確保していたものの、装甲の施しにくい脚部は戦車砲弾に耐えることはまず不可能であり、その脚部の多さから来る機動性の不足もあって、むしろ待ち伏せを基本とした防御的兵器としての性格が強かった。

 一方、その名の通りの規格外の巨体を誇るエレファントは、装甲と火力の点で戦車並みの性能を有しており、メギドと違って脚部前面の装甲も厚かった。しかし、その高過ぎる車高と低い機動力は数キロ先からでも容易に発見出来るほどであり、一歩間違えれば敵の対戦車ミサイルの良い的になりかねなかった。

 事実、エレファントの威力がもっとも強力に発揮されたのは戦争終盤に起きたエル・アラメインの戦いとスエズ運河攻防戦であり、共にOAU軍側が強力な防衛陣地を形成していたのが特徴である。

 エル・アラ・メインでは広大な地雷原の後方に配置されて、スエズ運河では運河の中に車体を隠して砲塔だけを出してエレファントは戦った。この戦法は弱点である車高の高さをカバーしつつ戦えるのでAWGS全般に有効な戦術であったが、強力な140㎜滑腔砲と厚い装甲を持つエレファントでは特に効果を発揮することとなった。

 エル・アラ・メインでは地雷原がそれほど有効に機能しなかったためにPEU軍の突破を許してしまったものの、世界最大の対戦車壕とも言われるスエズ運河においてはエレファントを装備するOAU軍は頑強に抵抗し、APC軍の突破を食い止めることに成功したのである。

 このように、AWGSの中でももっとも重装甲と言われるエレファントとメギドですら正面から戦車と戦うのは不利であり、戦車の代わりになるわけではないということは留意しておく必要がある。

 

 これらのことを総合すると、やはりAWGSをもっとも有効に使える局面はその高い不整地踏破性を活かした奇襲であるという結論に辿り着く。

 この点で言うと、戦争序盤のワディ・ラムの戦いは第二世代型AWGSの威力がもっとも発揮された戦いの一つであったと言うことが出来る。この戦いで同国初の国産第二世代型AWGSとなるボスファルクを駆って戦いに臨んだ南アフリカ空挺コマンドは、フォルシルムパンターを装備した第44落下傘旅団と共にヨルダン南部ワディ・ラムの砂漠地帯で味方の機甲部隊と交戦中の湾岸諸国軍の後方に空挺降下し、瞬く間に壊滅状態に追い込んだのである。

 味方との挟撃作戦とは言え、その威力は絶大であった。降下すると同時に一気に敵の戦車部隊に接近した16機のボスファルクは、敵が気付く前に空中に舞い上がり、上空からの射撃で敵の戦車を次々に撃破していった。突如の奇襲に慌てた湾岸諸国の戦車部隊は混乱の極みとなり、敵の三次元機動に対応出来ず、同士討ちも多発。僅か数十分の間に西側の第三世代戦車を含む数百両の装甲車両が破壊されたのである。アラブ側の連携不足や戦車兵の技量不足を差し引いても、その戦果は第二世代型AWGSの威力を知らしめるのに十分なものであった。

 しかし、生き馬の目を抜くような熾烈なAWGS開発競争の前に、そのボスファルクの優位も長くは続かなかった。戦争も終盤になると、日本の16式やドイツのヤークトパンターⅢといった最新鋭の第二世代型AWGSが続々と投入されたからである。特にドイツのヤークトパンターⅢの空中機動力はボスファルクのそれを遥かに上回る異次元のものであり、南アフリカ空挺コマンドはエル・アラ・メインの戦いにおいて一敗地に塗れることとなった。

 もっとも、この敗戦は必ずしもボスファルクの評価を下げることには繋がらなかった。戦後になると、イスラエル軍は独自に収集していた第二世代AWGSの戦闘データを詳細に分析し、アラブ側の戦車戦力と対峙することの多い自軍にとっても第二世代型AWGSは有効な兵器になり得ると判断。ボスファルクの前線での整備性や生存性の高さを高く評価し、ネフシュタンとして制式採用を決定、独自の改良を加えて空挺部隊に配備を進めていくことになる。

 

 一方、アラブ側のAWGSの運用にも特筆すべきものがあった。特にエジプト軍がBMX‐30高射機関砲やバリアントといった対空型のAWGSとツングースカを組み合わせて作り出した強力な防空網は、出撃してきたイスラエル空軍機を多数撃墜し、その行動を大きく制限して開戦序盤のアラブ側の優勢を作る上で非常に大きな役割を果たした。これは第四次中東戦争において用いられた「ミサイルの傘」のAWGS版であったが、高度に発達した対空火器によって強力な防空力を発揮した。

 また、バリアントの装備する62口径76㎜砲は地上目標に対しても有効であり、二脚型AWGSとしては比較的厚い装甲を持っていることも相まって簡易の移動砲台として使用されることが多かった。そのバランスの良い性能からアラブ側、OAU側の双方ともに採用していた国が多かったこともあり、バリアント同士が砲撃戦を演じる場面も少なくなかった。

 特に南アフリカ軍はバリアントを効果的に使用し、エル・アラ・メインの戦いとスエズ運河攻防戦の二つの戦いでエレファントと共に投入し、押し寄せる敵軍に猛烈な砲火を浴びせた。

 第五次中東戦争におけるこれらのAWGSの運用例は、結局のところこの世に万能な兵器など存在せず、諸兵科連合こそが肝要であるという基本原則を再確認させることとなった。かつての戦車がそうであったように、一つの兵器が単独で戦えるほど現代の戦場は甘くはない。複数の兵科や兵器が互いに連携し、サポートし合ってこそ、その威力は十全に発揮される。それは戦車もAWGSも例外ではないのだ。

 

 

 

第五次中東戦争関連年表

 

2021年
  • 5月2日、南アフリカ空挺コマンド、ボスファルク16機を受領。
  • 5月16日、アメリカ北部連邦、西部連邦との間に結ばれた休戦協定を破棄。テキサス州から西部連邦領内に侵攻を開始。
  • 5月22日、エジプト・シリア・ヨルダンを中核とするアラブ連合軍が三方からイスラエルに侵攻。イスラエル軍は開戦当初こそ戦いを有利に進めたが、アラブ側のミサイルの傘によって航空戦力を損耗。次第に劣勢に立たされる。
  • イスラエル政府はトルコに支援を求めるが、ロシアとの戦いで中東諸国の支援を必要としたトルコは直接的な支援を行わず、消極的な非難声明を出すに止まる。
  • トルコに見切りをつけたイスラエル政府は南アフリカ・OAUに援助を要請。これに応えてOAU軍がエジプトと国境を接するスーダンに集結を開始。
  • 6月3日、トルコ政府がロシア・PEUとの停戦を発表すると同時に、PEUへの加盟を宣言。中国・APCはトルコ政府を非難するも、グルジアアゼルバイジャンも同日中に停戦に合意。ウクライナもロシアに併合された地域の返還を条件として停戦に合意し、戦いから離脱する。
  • 6月5日、ウクライナ国内に残っていた第503機動対戦車中隊は空路で撤退。途中、同隊を乗せたC‐17輸送機がトルコ軍機の追撃を受ける一幕もあったが、トルコ軍機は同隊の通過を黙認。
  • 6月7日、壊滅した第502機動対戦車中隊、千歳で再編。相次ぐ戦闘で16式だけでは定数を満たせなかったため、多少旧式化した12式(近代化改修型)を受領して即時シベリアに派遣される。
  • 6月9日未明、南アフリカ空軍空挺コマンドがエジプト南部のアスワンに空挺降下。陸軍の第44落下傘旅団と共にアスワン・ハイ・ダムを制圧し、OAU軍主力の侵攻を支援する。
  • 6月10日、OAU軍の主力部隊がスーダンからエジプトに侵攻。カイロの南約130kmのベニ・スエフ近郊に展開したエジプト軍機甲師団を破り、進撃速度を落とさずにカイロを電撃的に占領。更にスエズ運河を渡ってイスラエル侵攻中のエジプト軍の背後を突き、イスラエルとの連携に成功する。
  • 6月13日、南からの脅威がなくなったことで息を吹き返したイスラエル軍、北部に戦力を集中しての一斉反攻に転じる。精鋭の第7、第188機甲旅団を主力とするイスラエル軍はシリア軍を破ってゴラン高原まで押し戻す一方、撤退するヨルダン軍に怒涛の航空攻撃を加えて敗走させる。
  • エジプト、シリア、ヨルダン救援のため、サウジアラビア領内に集結したアラブ湾岸諸国軍がヨルダンに向けて進撃開始。
  • 6月14日、第502機動対戦車中隊、東南アジア諸国の合同部隊と共にシベリア鉄道襲撃作戦に参加。一時的にPEU軍の展開を遅らせることに成功するも、PEU軍の主力がノボシビルスク近郊に到達。ノボシビルスク攻防戦開始。
  • 6月20日、北京で食糧の配給を求めていたデモ隊と当局の小競り合いが大暴動に発展。鎮圧のために人民解放軍が投入されるも、一部の部隊が民衆側についたことから事態は緊迫。騒乱は中国国内の各自治区にも飛び火し、これに呼応するかのように敵対するインド・ベトナムも国境に部隊を集結して不穏な動きを見せたことから中国全土に混乱が広がる。
  • 6月、混乱は前線の中国・APC軍にも伝染し、ノボシビルスク前面の防衛線に乱れが生じる。これを好機と見たPEU軍は全線で攻勢を展開し、防衛線の突破を図る。これに対し、PC軍総司令部はノボシビルスクの保持は不可能と判断。全軍にイルクーツクまでの撤退を指示すると同時に、日本外人部隊に殿を命じる。
  • 6月26日、PEU軍がノボシビルスクを奪還。撤退するAPC軍を追って執拗な追撃戦を行い、日本外人部隊の第101機甲師団を壊滅させる。
  • 6月28日、オムスクから逃れていたロシア連邦軍の残党がカザフスタンセミパラティンスクを制圧。ロシア国内から持ち出していた移動式核ミサイルをサンクトペテルブルグに向けて発射し、ロシアは無政府状態に。APCとPEUを含むあらゆる外国勢力のロシアからの即時撤退を要求。
  • 6月29日、事態を重く見たPEUとAPCは一時的な停戦に合意。更なる核ミサイル発射阻止のため、PEU・ドイツ軍の第26降下猟兵旅団とイギリス軍の第16空中強襲旅団が直ちにセミパラティンスクに急派される。両隊は激闘の末に残された三発の内二基を抑えることに成功するも、あと一歩のところで残る一基がAPC軍占領下のウラジヲストクに向けて発射されてしまう。
  • 7月、ヨルダン南部のワディ・ラム近郊でOAU軍とアラブ湾岸諸国軍が激突。アラブ軍は機甲戦力の質でやや上回っていたが、新型の第二世代型AWGS・ボスファルクを装備した南アフリカ空挺コマンドとフォルシルム・パンターを装備した南アフリカ陸軍第44落下傘旅団の奇襲を受けて大混乱となり、壊滅。残存した部隊も東へと敗走していった。
  • 7月14日、APCとPEUは正式に停戦に合意。両軍のロシアからの撤退と同国の混乱収拾に向けて協力することで一致。
  • 7月16日、ドイツ軍降下猟兵旅団にヤークトパンターⅢの実戦配備が始まる。
  • 7月、中東諸国はイスラエルとの停戦に合意するも、OAU軍は引き続き中東平和維持軍として駐留することを決定。各国に莫大な賠償と駐留費の負担を要求し、アラブ側がこれを拒否するとスエズ運河を封鎖、各地の油田などを接収するという暴挙に出る。
  • 7月、中東諸国はAPCに援助を要請。中国はこれに応じて蘭州軍管区第15空挺軍の1個空挺師団の派兵を決定。日本もシベリアから帰還した第503機動対戦車中隊と、新設された第504機動対戦車中隊を第2空中機動師団として再編して中東に派兵することを決定した。尚、日本の中東派兵に際してはアラブ諸国アメリカ西部連邦による財政援助が行われた。
  • 7月、OAU軍はサウジ沿岸部に対する破壊工作を敢行。石油精製施設やレーダー網を破壊する。
  • 8月、中国の空挺師団と日本外人部隊第2空中機動師団がサウジ入りし、キング・ハリド軍事基地に駐留する。
  • オーストラリア、アメリカ西部連邦の要請を受けて中東への派兵を決定。域外協力としてAPC軍と連携。
  • 8月、OAU、中東諸国に圧力を掛けるため、インド政府にインド海軍によるペルシャ湾封鎖を依頼するも、拒否される。
  • 8月、OAUの外交団が密かにイラク入り。戦後のクウェート併合とサウジアラビアの油田地帯の一部割譲と引き換えに自陣営への取り込みを図る。イラク側はこれを受諾し、OAUと秘密協定を締結。
  • 8月22日、OAU軍、ヨルダンの首都アンマンに向けて進撃を再開。アラブ軍は救援の動きを見せるも、イラクが領内の通過を拒否したことから救援が遅れる。
  • 8月23日、第503機動対戦車中隊、ヨルダン救援のためにカラクに派遣されるも数に優るOAU軍の進撃を食い止めることが出来ず、カラクは陥落。時を置かずしてアンマンも占領され、ヨルダンは降伏する。
  • 8月30日、ハワイ・キラウェア火山が噴火。
  • 9月2日、OAU軍がサウジアラビアに侵攻。同日、突如としてイラク軍がクウェートに侵攻。第504機動対戦車中隊がクウェート市に急派されて市民の脱出を援護するも、クウェートは占領される。
  • 9月7日、サカーカの戦い。サウジ領内に侵攻したOAU軍とAPC・アラブ連合軍がジャウフ州・サカーカで激突。戦いは熾烈を極めるも、イラク軍のクウェート侵攻で戦力を分散させられていたAPC軍は劣勢に回り、OAU軍の勝利に終わる。第503機動対戦車中隊は殿として味方部隊の撤退を援護するも、激闘によって戦力を半減。
  • イラク軍がサウジ領内に侵攻。ペルシャ湾沿いに進撃し、油田地帯の制圧を目論む。
  • 9月11日未明、中国政府の要請を受けたイランがイラクに奇襲攻撃。大軍を以て三方からイラク領内に侵攻し、シャトル・アラブ川を渡河して南部の要衝バスラ占領を目指す。サウジ侵攻中のイラク軍はクウェートから本国へと撤退。
  • バスラの戦い。OAU軍はイラク軍支援のために空挺コマンドをバスラに派遣。APC軍も中国と日本の空挺部隊をバスラに送り込み、両軍の間で激闘が展開される。勝利したのはAPC・イラン連合軍。
  • リヤドに向かって進撃中のOAU軍が進路を変更。イラク軍の崩壊を食い止めるべく、イラク領内に進撃する。
  • APC・イラン連合軍とOAU・イラク連合軍がバクダッド南のウル近郊で激突。両軍ともに多くの損害が出て戦況は膠着化。APC・イラン側はバスラに撤退し、バスラを保持したままイラク側を封じ込める作戦に出る。
  • APC側の戦力補充が本格化。サウジ・ダーラン空港に日本外人部隊の第102機甲師団が到着したのを皮切りに、中国軍の1個装甲師団と東南アジア諸国合同部隊の1個機械化歩兵旅団、西部連邦の意を受けて域外協力として派兵されたオーストラリア軍の精鋭第1機甲連隊などが続々とサウジ入り。
  • イラク軍、テヘランに向けてスカッドミサイルを発射。イラン側もこれに対抗してバクダッドに向けてミサイルを発射したため、ペルシャ湾が事実上封鎖される。イラク側は更に湾岸諸国の都市に向けてもスカッドミサイルによる無差別攻撃を実施し、湾岸諸国の士気を挫く作戦に出る。
  • アラブ諸国の戦意低下を防ぐため、第503及び第504機動対戦車中隊がイラク領内南部でスカッド狩りを実施。
  • 戦火の拡大によって経済に大打撃を受けたアラブ諸国は降伏を決意。中国・APC側には伏せたまま、OAU占領下のカイロに外交団を派遣する。
  • 9月、突如としてPEUが中東情勢への介入を宣言。同盟を結んだリビアに先遣隊としてフランス外人部隊の第2外人落下傘連隊と第1外人騎兵連隊、イギリス軍第16空中強襲旅団航空連隊を派兵。
  • 9月27日、アリューシャン列島のシシャルディン火山が噴火。相次ぐ火山の噴火で寒さが引かなくなり、アメリカ南部と西部の食糧生産に深刻な影響を与える。
  • 10月4日未明、南アフリカ空挺コマンドと南アフリカ陸軍第44落下傘旅団がエジプトからリビア領空に侵入。首都トリポリを奇襲し、政府庁舎の制圧を目論む。両隊は市街の南に展開していたフランス外人部隊に大損害を与えて一時は市街中心部を制圧するが、リビア大統領警護隊とイギリス軍第16空中強襲旅団航空連隊の奮戦によって作戦は失敗に終わり、南へと撤退。OAU側の先制攻撃を受けてPEU各国の世論は沸騰し、北アフリカ派遣軍の大幅な増強が決定される。
  • 同日、PEU側の行動を受けてOAU軍総司令部は戦略を変更。サウジに侵攻中のOAU軍主力を後退させ、エジプトの守りを固める方針に切り替える。
  • 10月25日、リビアに駐留していたPEU軍の戦力補充が完了。PEU・リビア連合軍はリビア国境からカイロを目指して進撃を開始する。一方、OAU側はアレクサンドリアの西100㎞のエル・アラメインに地雷原を構築して敵を迎え撃つ作戦に出る。
  • 10月27日、エル・アラメインの戦い。PEU・リビア連合軍とそれを迎え撃つOAU軍がエル・アラメインで激突。激戦の末にPEU・リビア連合軍が勝利をおさめ、OAU軍は東へと撤退。
  • 同日、APC・アラブ連合軍がシナイ半島からエジプト領内に進入するも、スエズ運河を守備するOAU軍部隊の頑強な抵抗に阻まれて進撃をストップ。第503機動対戦車中隊がエジプト本土側に空挺降下してOAU軍守備隊の排除に成功するも、貴重な時間を失う。OAU軍は運河沿いにスエズ港に撤退。
  • 同日、北部連邦軍リオ・グランデ川防衛線に対して猛攻を仕掛け、これを突破する。
  • 10月28日、PEU軍がカイロに進軍。APCとPEUの当局者間で合意が結ばれ、協力してエジプトからOAU軍を排除することで一致。
  • 10月30日深夜、OAU軍主力部隊、エジプト南部からスーダンへと撤退。これを受けてイスマイリア港に籠るOAU軍部隊も包囲軍に投降する。
  • 同日、アリゾナ州モニュメントバレーで北部連邦軍と西部連邦軍が激突。第501機動対戦車中隊も西部連邦軍の支援に投入されるも、北部側の勝利に終わる。
  • 10月31日、アスワン・ハイ・ダムに籠る南アフリカ空軍空挺コマンドのパイロットが日本のHIGH‐MACSとの対決を要求。APC軍はこれに応じて第504機動対戦車中隊の12式改一機とパイロット一名を緊急輸送。ダムの突堤部で両者の決闘が行われる。 勝利したのは日本の12式改。
  • 11月12日、APC・PEU・OAU三者の首脳がカイロで会談。正式に停戦に合意し、緊張緩和に向けた努力を行うことで一致(カイロ合意)。

 

2023年
  • 2月、イラク・イラン間の紛争が再燃。

 

2024年
  • 1月2日、イスラエル軍イラク南部タムーズで建設中の原子炉破壊作戦を敢行。第35空挺旅団に所属する第5174対戦車中隊が出撃し、これを破壊する。

 

 

 

イスラエル軍機甲旅団の編制(2021年5月時点)

戦車大隊×3(メルカバMkV

戦闘工兵大隊×1

偵察中隊×1(サウル歩行戦闘車、ダビデ歩行戦闘車)

対戦車中隊×1(メギド)

信号中隊×1 

 

 

 

機体解説

*第五次中東戦争イスラエルとアラブ以外にもOAUやAPC、PEUといった各勢力が参加したが、APCとPEUの兵器に関しては重複する箇所も多いため解説は割愛する。

 

イスラエル国防軍


メギド(イスラエル・ミリタリー・インダストリーズ/ラファエル)

イスラエルが戦後に開発した六脚型AWGS。同じ六脚型ながら機動性を追求したリットリオに対し、重装甲を追求した対照的な機体となっている。
 武装は120㎜低反動滑腔砲と六脚型にしては控えめだが、リットリオのそれよりも砲身長が長く、初速を高めた強力なタイプである。六脚型の特性である射撃時の安定性の高さから行進間射撃が可能で、高性能なFCSにより高い命中率を発揮する。
 砲塔は圧延鋼板の全溶接構造で、特に被弾の多い砲塔前面には複合装甲を採用。砲塔は避弾経始が良く考慮された良好な形状をしており、被弾投影面積も少ないものになっている。また、六本ある脚部の内、二本までなら破壊されても自走可能となっており、生存性も高い。


メギドMkⅡ(IMI/ラファエル)

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・メギドで得られたデータを基に重装甲、高火力を更に押し進めた改良型。旧型との最も大きな違いは極端に大型化した砲塔で、全周囲に複合素材の増加装甲を取り付けて装甲防護力を強化している。これは特に歩兵の持つ対戦車ミサイルRPG対策を意識したもので、ラファエル社製のAPS(アクティブ防護システム)も標準装備されている等、徹底した生存性の向上が図られている。主砲も新開発の140㎜低反動滑腔砲に換装されており、AWGSの中ではエレファントと並び最強クラスの火力を有している。
 しかし、これらの改良によってただでさえヘビー級の重量が更に増加することとなり、その機動力はAWGSの中でも最低クラスのものになってしまった。もっとも、狭い国土の防衛戦を想定した運用の性格上、イスラエル軍ではあまり問題にされていない。



ジェリコ(IMI/ラファエル) 

イスラエルアメリカから供与されたM15ランドクラブに独自の改良を加えた機体。基本性能は通常型のランドクラブと変わらないが、砂漠での運用を考慮して防塵用のフィルターが各部に装着されている。
 また、歩兵のRPG攻撃を想定して砲塔や車体の周囲に増加装甲と柵状装甲を追加したのに加えて、ラファエル社製のAPSを標準装備するなど、徹底した防御力の強化が図られている。

 

ネゲブ(IMI/ラファエル)

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右がM19ブルータルクラブ。ネゲブのベースとなったのは脚部にコンバットタイヤを装備した高機動型のA1タイプである。

イスラエルアメリカから供与されたM19A1ブルータルクラブⅡに独自の改良を加えた機体。基本的には同一の機体だが、砂漠での運用を考慮して各部に防塵用フィルターを装着している他、イスラエル製のリアクティブアーマーを装備することで防御力の向上を図っている。


ミュルメクス(IMI/ラファエル)

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イスラエルがアラブ側から鹵獲したロシア製BMX-19を改造し、独自の改修を加えた機体。外観上の大きな特徴であった半円状のカクタス装甲が取り外され、その代わりに傾斜した増加装甲が装着されている為、印象が大きく異なる。
 主砲こそ105㎜滑腔砲(30㎜ガトリング砲とも)にダウングレードされているものの、これは敵を欺くダミーである。実際の主武装は車体後部に装備されたラファエル社製の四連装スパイクミサイルNLOSで、砂に潜って敵を待ち伏せ、射程外から撃破するタンクキラーとしての運用が本来の用途である。その最大射程は25㎞にも達し、砲兵的な運用すら可能となっている。
 この機体はイスラエル軍機甲旅団の砲兵連隊や対戦車中隊などに配備された。



サウル歩行戦闘車(IMI/ラファエル)

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・メギドとペアを組むことを前提に開発された四脚型AWGS。小回りの利かないメギドをサポートする、戦車に対する歩兵戦闘車的存在。ティーガーに似た連結システムを持ち、小柄ながら高い不整地踏破性を持つ。また、砲塔と車体前面に複合装甲を採用している為、生存性も高い。固定武装は30㎜機関砲のみとなっているが、オプションとしてKEMやグレネードランチャーも装備可能。
 この機体はイスラエル軍機甲旅団や機械化歩兵師団の偵察中隊、機械化歩兵大隊に配備された他、その完成度の高さから南アフリカ軍でも採用されている。

 

サムソン(IMI/ラファエル)

・市街戦能力を強化したサウルの改良型で、従来型の砲塔の代わりに遠隔操縦式の無人砲塔を装備している。砲塔に搭載された20㎜機関砲2門と7.62㎜同軸機関銃、砲塔側面に装備されたATMによって全周囲からの攻撃に即座に反撃出来る能力を持つ。車体はサウルのものをほぼそのまま流用しているが、全周囲に柵状装甲やバー状のスラットアーマーを装備しているため、敵歩兵のRPG攻撃などに対する防御力は大きく向上している。

 

ネフシュタン(IMI/IAI)

イスラエル南アフリカから取得したボスファルクに独自の改良を加えた機体。砂漠での運用を考慮して機体各部に防塵フィルターが追加されている他、コックピット周辺に追加装甲を施してパイロットの生存性向上を図るなど、イスラエルの国情に合わせた改良が行われている。また、オリジナルの不満点であったエンジンもアメリカ製の新型のものに変更されている他、対戦車戦闘を重視して武装も105㎜滑腔砲に換装されており、その総合性能はボスファルクⅡに匹敵すると考えられている。

 この機体は陸軍の精鋭・第35空挺旅団の第5174対戦車中隊(通称ナジャ)に配備された。

 

ネフシュタンMkⅡ(IMI/IAI)

イスラエルが開発した第二世代型AWGSで、ネフシュタンをベースに一から機体を再設計した新型機。第五次中東戦争における戦訓を参考に、より対戦車戦闘を意識したコンセプトが示されている。

 この機体は陸軍の精鋭・第35空挺旅団の第5174対戦車中隊(通称ナジャ)に配備された。

 

ダビデ歩行戦闘車(IMI/ラファエル)

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左がダヴィデのオリジナルであるM16。砂漠がちなイスラエルの地形に合わせて様々な改良が施されているが、基本性能に大きな差はない。

イスラエルアメリカから供与されたM16を改良した二脚型AWGS。基本はM16と大差ないが、乗員の搭乗する砲塔や頭部に増加装甲が施されている為、外観が多少異なる。防塵フィルターが各部に追加されるなど、砂漠での運用を考慮した改良が施されているのも大きな特徴である。
 この機体はイスラエル軍機甲旅団と機械化歩兵旅団の機甲偵察中隊や対戦車中隊などに配備された。

 

ビットヴァイパー(?)

イスラエルが開発した六脚型の小型無人AWGSで、砂漠の炎熱下でも壊れないAIの開発をアメリカに依頼して完成した。砂に潜行する能力を持ち、自機が破壊されると敵の近傍で自爆して被害を与える特徴を持つ。AWGSというよりはロボットに近い存在と言えるが、小国故の人口の少なさから兵士の人命が貴重なイスラエル軍にとっては非常に頼もしい戦力である。その高い完成度からイスラエルだけでなく、アメリカや南アフリカでも採用されている。

 

メルカバMkV(IMI)

イスラエルが開発した第四世代型戦車で、旧来のメルカバシリーズとは設計の異なる新型機である。レオパルドⅢが先鞭をつけた140㎜滑腔砲、小型砲塔という第四世代型戦車の特徴を継承しつつ、乗員の生存性や戦場での継戦能力を重視して敢えて車体前方にエンジンを配置するなど、随所にイスラエルらしい工夫が施されている。

 最大の特徴はその装甲防御力の高さで、新型の装甲素材の採用と各種防御システムの併用、第二世代型AWGSのトップアタックに備えて砲塔上面にリアクティブアーマーを装着するなどの工夫によって従来のメルカバシリーズ以上に高い生存性を実現している。将来的には追加装甲を施すことなども想定されていることから、現存する戦車の中でもっとも堅牢な車両の一つであると考えられている。

 また、AIコンピューターなどの高度な電子機器の搭載により、乗員の大幅な負担軽減がなされているのも大きな特徴である。

 

 第五次中東戦争ではイスラエル軍の主力として奮戦し、アラブ側の猛攻を撃退。祖国防衛の原動力となった。

 

南アフリカ国防軍及びアフリカ統一機構

 

ボスファルク/ボスファルクⅡ(ロイメック/デネル)

南アフリカが開発した第二世代型AWGS。ヤークトパンターをベースに開発されたことを除けば、他国の第二世代型AWGSと比べて設計が保守的でこれといった特徴はないが、南アフリカらしい実用的な機体となっている。

 オリジナルに比べて各部の構造が簡略化されているものの、装甲の形状を見直すことで生存性はむしろ向上している。特に、パイロットの登場する砲塔前面は装甲が厚くなっており、重点的な強化が施されている。これにより重量が増加しているが、技術的な問題から背部のガス・タービンエンジンを性能の劣る国産エンジンに変更した為、空中機動性はやや低下している。

 前線での整備性を考慮してマニュピレーターは装備されておらず、武装はスタブウイングに直接搭載する形式を採用。固定武装は右腕に90㎜低圧砲、左腕に30㎜ガトリング砲という左右非対称のスタイルになっているが、これは空挺コマンド独自のスタイルであり、他のパターンも自由に選択出来る。ヤークトパンター同様、状況に応じてKEMやロケットポッドも装備可能となっている。「ボスファルク」はアフリカーンス語でイノシシの意。

 ボスファルクⅡは不満の残ったエンジンをより高性能なものに換装した改良型で、他国の第二世代AWGSと比べても機動性の面で遜色がなくなっている。また、武装に105㎜滑腔砲を採用することで火力の増強も図られている。

 

 第五次中東戦争直前の2021年5月に南アフリカ空軍の精鋭である空挺コマンドに配備され、初陣となったワディ・ラムの戦いでアラブ湾岸諸国軍の戦車部隊を壊滅に追い込む活躍を見せた。その後も中東各地を転戦して戦果を挙げ続けるも、戦争終盤のエル・アラ・メインの戦いではPEU・ドイツ軍降下猟兵の装備するヤークトパンターⅢに撃破される機体が続出。アスワン・ハイ・ダムの決闘でも日本の12式改に敗れるなど、先進国の第二世代型AWGSと比べると性能面では今一歩及ばない部分もあるが、安価で堅牢かつ前線での整備性に優れている上に生存性も高く、南アフリカらしい実用的な機体となっている。戦後は逸早くイスラエルが採用を決定しており、その評価も上がりつつある。

 

フォルクスパンター/フォルクスパンターSAV(ポルシェ/クルップMak)

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・ヤークトパンターの構造を簡略化し、低コスト化を図った廉価版。正式名称はヤークトパンターAVだが、パイロット達が「AV」の呼称を嫌った為、輸出仕様の名称であるフォルクスパンターが通称となっている。

 基本構造はそのままに各部を簡略化することで生産性を向上させており、二基あったガスタービン・エンジンは一基に変更。これによる出力低下に対処する為、武装や装甲はグレードダウンされているが、安価に第二世代AWGSを手に入れられるメリットを考えれば十分魅力的な機体と言える。

 本機は本国のドイツ以外にもロシアやトルコ、南アフリカなどが採用し、自国の第二世代AWGS開発の参考にしたと言われている。

 フォルクスパンターSAVはデネル社製の改修キットを装着した南アフリカ軍仕様の特殊バージョンで、装甲防御力が僅かに向上している他、改良型の夜間暗視装置を搭載している。また、武装も右腕に90mm低圧砲、左腕に30mmガトリング砲という左右非対称のスタイルになっている。

 

 第五次中東戦争勃発の時点では新型のボスファルクに主力の座を明け渡していたが、南アフリカ空挺コマンドと共に中東各地を転戦。第二世代型AWGSの運用経験がないアラブ側を相手に多大な戦果を挙げた。

 

パンター/ストゥームパンター(ポルシェ/クルップMak)

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・ドイツが開発した二脚型AWGS。その高い完成度からPEU共通二脚歩行マシンにも選ばれた名機で、多少旧式化した現在でも各国が独自の改良を加えながら運用し続けている欧州の「標準AWGS」である。

 装甲は圧延防弾鋼板の全溶接構造で、全面に渡ってスペースドアーマーを採用。操縦席がある砲塔前面には複合装甲を採用し、乗員の生存性向上を図っている。武装はGAU-8アベンジャー30㎜ガトリング砲とKEMを装備。重量増加を抑える為にマニュピレーターは装備されておらず、武装は肩に直接マウントする方式となっている。

 脚部にコンバットタイヤを装備した高機動型のストゥームパンター空挺部隊用のフォルシルムパンターなど多彩なバリエーションがある一方、採用国に合わせた仕様変更も積極的に行われており、シリーズの中でも最も重武装と言われるスウェーデン仕様はオリジナルを遥かに超える性能を有している。また、戦後はその高い普及率を当て込んだ改修キット・ビジネスも展開されており、南アフリカ・デネル社製の改修キットを装着したスーパーパンターなどが特に有名である。

 ドイツ以外にもオランダ、デンマーク、ベルギーなどで採用されている他、戦後はスウェーデン、トルコ、南アフリカなども相次いで採用を決定した。

 

 第五次中東戦争では南アフリカ陸軍の精鋭である第44落下傘旅団と共に本機が多数投入され、エジプト侵攻からエル・アラ・メインの戦いまで戦争全般を通して活躍、アラブ諸国軍を度々窮地に陥れた。

 また、アラブ諸国やPEU北アフリカ派遣軍も同機を多数運用していた。

 

リットリオ(フィアット/OTTブレダ

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左がリットリオ。多脚型AWGSの中でも一際高い不整地踏破性能を持つ。

・旧PEU共通多脚型マシン構想に基づいてイタリアが開発した六脚型AWGS。トライアルではドイツのティーガーに敗れたものの、その高い不整地踏破性能から戦後に再評価が進んだ。

 装甲をアルミ合金製の全溶接構造とすることで大幅な軽量化を実現しており、六脚型の割に重量は軽く、機動力も高い。武装には低反動化した120㎜滑腔砲と長射程のL‐KEMを装備しており、十分な火力を有している。

 本機はイタリア陸軍の山岳部隊に配備されている他、戦後はロシアやトルコ、スウェーデン、インド、エチオピアなどでも採用されている。

 

 第五次中東戦争ではエチオピア軍などが運用し、エル・アラ・メインの戦いではカッタラ窪地を突破してOAU軍陣地を奇襲しようとしたフランス外人部隊のSUPERAUTRUCHEと交戦。南アフリカ空挺コマンドと共にこれを撃退する活躍を見せた。

 

ベリサリエリフィアット/OTTブレダ

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・イタリアが開発した四脚型AWGS。戦後の重い賠償金支払いの為、当初から輸出を前提に開発が進められており、同社製のリットリオに比べて構造の簡略化とコストダウンが図られている。

 リットリオとは対照的に平地での機動性を重視した機体で、コンバットタイヤを標準装備している。装甲はアルミ合金製の全溶接構造だが、砲塔前面には複合装甲を採用。被弾の多い脚部にもリアクティブアーマーを取り付けて生存性の向上を図っている。武装には120㎜低反動滑腔砲と小型KEMランチャーを搭載。

 輸出は好調であり、リビアエチオピアなどで採用された他、本国のイタリア陸軍でも配備が進んでいる。

 

 第五次中東戦争にも各勢力が投入し、その高い機動性とコストパフォーマンスについては評価された一方、車高の高さから狙い撃ちにされた機体も少なく、問題点も浮かび上がる結果となった。

 

サティロス(?)

・イタリアが開発した二脚型AWGS。背部に設けられたガスタービン・エンジンによって短時間ながらもジャンプが可能で、重量級特有の機動力不足をある程度解消している。三次元機動と言えるほどの代物ではないが、第一世代AWGSと第二世代AWGSの中間に位置するユニークな機体である。

 ややトップヘビー気味の為、武装はKEMとグレネードのみとなっているが、厚い装甲から来る防御力の高さが強み。ユニークな特徴を持つ本機は、本国イタリアの他に南アフリカエチオピア等が採用している。

 

 第五次中東戦争では本国のイタリア軍以外にも南アフリカ軍などが運用。ベニ・スエフの戦いやスエズ運河攻防戦で活躍した。

 

エレファント(アームスコー/ロイヤル・オードナンス・ファクトリー)

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右がエレファント。南アフリカが誇る超重量級AWGSである。

 ・南アフリカが開発した四脚型AWGS。装甲車両としては規格外の巨体を持ち、他を寄せ付けない高い火力と重装甲を誇る。

 アフリカ大陸での運用を前提に全天候下・全地形において単独で敵陣深く侵攻し、索敵・撃滅任務を行うことを想定している。その為、車内には長期間の任務にも耐えられるよう、食料や水などの生活必需品を搭載出来るスペースが設けられている。武装は140㎜滑腔砲と長射程のL-KEMを装備。南アフリカ製の主砲は現存するAWGSの中でもトップクラスの威力を誇り、毎分12発の発射が可能となっている。

 この機体は開発国である南アフリカとイギリス以外にも、地理的条件の似ているオーストラリアやカナダ、インド等でも採用されている。 

 

 第五次中東戦争では多数の機体が投入され、その巨体から繰り出される強力な140㎜滑腔砲の威力と共にアラブ諸国APC、PEU軍将兵を恐れさせた。南アフリカ・OAU軍を象徴する機体である。

 

レオパルドⅢ(クラウス・マッファイ?)

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・ドイツが開発した史上初の第四世代型戦車で、140㎜滑腔砲、小型砲塔といった後に続く第四世代型戦車のトレンドを作ると同時に、PEU軍の共通戦車構想に基づくトライアルでも勝利を収めた傑作車である。

 主砲にはラインメタル社製45口径140㎜滑腔砲を採用。これによる砲弾の大型化に合わせて自動装填装置を採用し、装填手を廃止して車長一名のみとすることで乗員スペースを減少させている。

 一方でサスペンションには伝統的なトーションバー式を採用するなど、ドイツらしいこだわりも見える。動力はレオパルド2と同じ1500Hpながら、容積が40%コンパクトなタイプのMB883エンジンを搭載しているため、全体的な重量増加が抑えられている。

 

 第三次世界大戦ではPEU・ドイツ軍の主力戦車として各地の戦いで活躍し、APC・AFTA両軍の戦車に対して終始優位を保ち続けた。戦後になるとドイツが重い賠償金支払いの手段として兵器の輸出に力を入れたこともあり、世界各国で採用の動きが進んだ。

 TTDに代わる主力戦車を求めていた南アフリカ国防軍もレオパルドⅢに着目し、TTDの強化型であるTTD2の自主開発計画案を蹴って採用を決定。南アフリカの国情に合わせた独自の改良を加えた上で、精鋭の第1機甲連隊をはじめとする各機甲連隊に配備した。このレオパルドⅢを装備した第1機甲連隊は第五次中東戦争において中東侵攻の主力を担い、西側の強力な戦車を多数保有するアラブ側の戦車部隊と激戦を演じることとなった。

 

TTD(アームスコー)

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南アフリカが90年代に開発した第三世代型戦車。「TTD」とは「Tank Technology Demonstrator(戦車技術評価車両)」の略で、当初は国内における戦車開発技術を実証することを目的に開発されていたが、性能試験の結果が良好だったことを受けて南アフリカ国防軍で制式採用されることとなった。*4

 開発直後は主砲こそ105㎜滑腔砲とやや非力であったが、これは南アフリカ周辺の国々が保有する戦車の装甲なら十分に貫徹可能なためで、携行弾数を増やして継戦能力を高めようとした結果である。後に大半の車両が120㎜滑腔砲に換装されたことで、先進国の第三世代型戦車と比べても遜色のない性能を有するに至った。

 OAU軍の共通戦車構想に基づくトライアルでも勝利を収めた本車は、南アフリカ以外のアフリカ諸国でも広く採用が進み、第五次中東戦争ではOAU軍機甲部隊の主力として各地の戦場に投入されることとなった。

 

TTD2(アームスコー)

南アフリカが開発したTTDの改良型で、砲塔や車体の一部を再設計することで大幅な性能向上を図った。当初はドイツのレオパルドⅢに対抗し得る性能を目標として開発が進められており、そのスタイルもアームスコー社製140㎜滑腔砲に小型砲塔という、多分にレオパルドⅢを意識したものであった。

 しかし、新型戦車の開発には莫大なコストや時間が掛かることもあり、リスクを回避したい南アフリカ軍上層部は計画の中止を発表。対抗馬であったレオパルドⅢを次期主力戦車として選定したため、僅か数輛のみが試作された幻の戦車となってしまった。

 

ルーイカット(ロイメック)

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南アフリカが開発した装輪装甲車で、威力偵察を主任務とする。装甲は圧延防弾鋼板の全溶接構造で、ロシア製の23㎜機関砲弾の直撃に耐えるとされる。その重量は28tにも達し、装輪装甲車としては比較的重い部類に入る。また、地雷で車輪が吹き飛ばされても2個までなら走行が可能な構造を持っているため、生存性が非常に高い。

 主砲には当初、携行弾数を増加させる目的から62口径76.2㎜ライフル砲が装備されていたが、後に輸出用として105㎜低反動滑腔砲を搭載したタイプも開発され、南アフリカ軍でも採用された。

 

 第五次中東戦争で投入されたタイプはほとんどが105㎜滑腔砲を装備したタイプで、中東侵攻の先駆けを務めた。

 

ZA‐35対空自走砲(ロイメック)

 ソース画像を表示

南アフリカが開発したルーイカットに35㎜連装機関砲装備の砲塔を搭載した対空自走砲バージョン。ルーイカットには他にも対空ミサイルを装備したルーイカットSAMや対戦車ミサイルを装備した対戦車型などの派生型が存在しており、南アフリカ軍以外のOAU加盟国でも広く採用されている。*5

 

 第五次中東戦争では航空戦力の弱い南アフリカ・OAU軍の防空の要として活躍し、その進撃を支えた。

 

G6ライノ(アームスコー)

南アフリカが開発した装輪式自走砲で、3軸6輪駆動の大型ランフラットタイヤで走行する。このため、全長10m、重量50tに及ぶ巨体にも関わらず、その路上速度は80㎞と非常に高速である。主砲はG5・155㎜榴弾砲で、毎分4発の発射速度で15分間の持続射撃が可能。車体は圧延防弾鋼板の全溶接構造で、20㎜機関砲までの直撃に耐える。また、地雷から乗員を守る構造が採用されいる他、長期間の作戦任務に耐えうる補給品を搭載するスペースが確保されているなど、随所に南アフリカらしい工夫が施されているのも大きな特徴である。

 先進国の最新式自走砲に比べるとやや見劣りする部分もあるが、安価で堅牢かつ高い機動性をバランス良く兼ね備えた実用的な兵器となっている。ちなみに、「ライノ」とはアフリカーンス語で「サイ」を意味する。

 

 第五次中東戦争では南アフリカ・OAU軍とアラブ諸国軍双方が本車を運用し、熾烈な砲撃戦を演じた。



クランプファルキー(アームスコー)

南アフリカが開発した自走ロケット砲システム。G6ライノ155㎜自走榴弾砲の車体を利用した大型の装輪式車両で、車体後部にロケット砲発射機を搭載した南アフリカ版MLRSである。MLRS同様、ロケット砲のみならず大型のミサイルやクラスター爆弾、散布式の地雷なども発射可能だが、コストが安価な分、精度や射程といった性能もそれなりに抑えられている。クランプファルキーとはアフリカーンス語で「ハリネズミ」の意。

 

 第五次中東戦争では南アフリカ・OAU軍が複数の車両を投入し、アラブ諸国側の部隊に大きな被害を与えた。散布式地雷の発射も可能で、エル・アラ・メインの戦いでは進撃してくるPEU・リビア連合軍を食い止めるために巨大な地雷原を構築する活躍を見せた。

 

AH‐2ロイファルク(デネル)

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南アフリカが開発した攻撃ヘリで、当時同国がアパルトヘイトによる武器禁輸措置のために攻撃ヘリの調達が出来なかったことから、フランス製SA330ピューマの改造機であるオリックス多用途ヘリをベースとして開発が進められた。先進国の攻撃ヘリと比べても遜色のない性能を有しており、安価で堅牢かつ航続距離も長いなど、コストパフォーマンスに優れた兵器だと言うことが出来る。

 

 第五次中東戦争では南アフリカ空軍の主力として地上部隊の侵攻を支援した他、サウジ沿岸部への攻撃作戦などでも活躍した。

 

アラブ諸国

 

13式装甲歩行車(北方工業公司

・中国がロシア製BMX歩行戦闘車をデッドコピーし、一部に改良を加えた機体。技術の遅れからオリジナルに比べてセンサーや砲塔が大型化しており、やはりデッドコピー品である武装も精度に問題を抱えている。装甲こそ圧延防弾鋼板の為にオリジナルより厚いが、その分だけ重量も増加しており、機動力が低下している。

 中国軍はこうした問題点を認識しているものの、敗戦とその後の国内の混乱から軍事力の更新は全く進んでいないのが現状である。もっとも、安価で大量配備がし易いことから中国以外にも採用している国は少なくなく、中国と関係の深いエジプトやパキスタンバングラデシュ、イラン等で配備が進んでいる。

 

 第五次中東戦争ではイラン軍がイラク侵攻作戦において多数の車両を投入したが、装甲の薄さからイラク軍の戦車部隊に苦戦を強いられた。

 

ハヌマン偵察歩行車(?)

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 タイとシンガポールが共同開発した偵察用AWGS。開発は車体と駆動系をタイが、内部の電装品などをシンガポールが分担して進められた。

 そのゴリラのような独特な歩行システムもさることながら、非常に小型かつ軽量なことも特徴の一つで、他のAWGSでは行動が制限される狭い空間でも行動可能な高い自由度を誇っている。装甲はアルミ合金製の全溶接構造で、状況に応じてロシア製のリアクティブアーマーを装着することで防御力を高める。固定武装は車体に直接マウントされた30㎜機関砲のみだが、オプションとしてKEMランチャーやグレネードランチャーを肩に装備することも出来る。

 コラートで得られた技術を基にユニークな新コンセプトを多数投入した本機は、アジアにおけるAWGS開発技術が習熟してきたことを示す好例として高く評価されている。

 

 第五次中東戦争ではイラン軍がイラク侵攻の際に使用しており、国境沿いを流れるシャトル・アラブ川を渡河してイラク軍部隊を奇襲した。


AUTRUCHE/SUPERAUTRUCHE(ルノー

・フランスが輸出市場を狙って開発した二脚型AWGS。ダチョウのような独特の歩行システムと軽快な機動性を持ち、コンバットタイヤを装備していない二脚型の中ではかなりの機動力を誇る。装甲はアルミ合金製だが、モジュラー装甲を採用している為、運用国の要望に合わせてよりグレードの高い装甲に交換することも可能となっている。

 SUPERAUTRUCHEはその改良型で、旧型との大きな違いは35㎜二連装機関砲を可動式としたことで、これにより砲身のみを動かすだけで一定の射角が取れるようになっている。

 サウジアラビアエチオピアなどで採用された後に、本国のフランス陸軍でも採用された。また、戦後はAFTA軍に鹵獲された機体が中南米諸国等にも流通し、アルゼンチンやチリなどで配備が進んでいる。

 

 第五次中東戦争ではサウジアラビア軍が多数の機体を投入し、偵察任務や対戦車戦闘で威力を発揮した。しかし、ワディ・ラムの戦いでは南アフリカ空挺コマンドの第二世代型AWGSであるボスファルクに太刀打ち出来ず、多くの機体が撃破されることとなった。

 

バリアント/バリアントMk2(アルビス

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・イギリスが開発した二脚型AWGS。偵察・火力支援、対戦車戦闘任務を遂行する為に開発された装甲歩行兵器である。駆動系はディーゼルターボエンジンで発電機を稼働させてリニア・アクチュエーターを動かす駆動システムを採用している。

 重量増に繋がるマニュピーレーターは装備されておらず、武装は直接砲塔にマウントするタイプとなっている。最も一般的な対空型の武装は35㎜KDA機関砲と62口径76㎜砲であるが、任務に合わせて様々な武装のバリエーションがある。

 対空型には対空レーダーが装備されていないが、これは航空機のステルス性が高まりレーダーの有効性が低下したことと、高価なレーダーを排してコストを抑える為である。

 バリアントMk2は優秀なバリアントの基本構造はそのままに、増加装甲の搭載で防御力を向上させた新型機である。これによる重量増に対処する為、エンジンもより高出力のものに変更されている。

 この機体は本国のイギリス陸軍以外にも、南アフリカやオーストラリア、ヨルダンなどが採用している。

 

 第五次中東戦争では多数の機体が投入され、BMX‐30高射機関砲や2S6Mツングースカと共に強力な防空コンプレックスを形成。イスラエル空軍の動きを封じ込める一方、76㎜砲の長射程を活かして地上戦でも移動砲台として活躍した。

 また、イスラエル側に立って参戦した南アフリカ・OAU軍もこの機体を運用しており、アラブ側の航空戦力に対する防空の要として活躍を見せ、その評価を大いに高めることとなった。

 

BMX歩行戦闘車/BMX-30高射機関砲(シャバリン設計局)

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 ロシアが開発した二脚型AWGS。小型・軽量を旨とするロシアらしい機体で、当初から空挺作戦を考慮して設計されている。装甲はアルミ合金製となっているが、全身にリアクティブ・アーマーを装着することで生存性の向上を図っている。武装にはZSU‐30機関砲とKEMを装備。日本のマニュピレーターは給弾等の各種作業に使う他、歩行時にはウェイトバランサーの役目も果たす。

 BMX-30は空挺師団の高射部隊用に改良されたタイプで、四基の対空ミサイルと対空レーダーを装備している。これによる重量増加に対処する為、リアクティブアーマーは取り外されている。

 コストパフォーマンスに優れることから戦後はインドや中東・アフリカ諸国を中心に広く普及が進んでおり、輸出市場でも成功を収めている。戦後は第三世界に広く普及し、AWGSのベストセラーとなりつつあるBMX。世界各地の紛争地域で使用されており、混乱する戦後の世界を象徴する兵器でもある。

 

 第五次中東戦争ではアラブ諸国の主力AWGSとして多数の機体が投入され、バリアントや2S6Mツングースカと共に強力な防空コンプレックスを形成。イスラエル空軍の動きを封じ込め、戦争序盤のアラブ諸国側の優勢を決定づけた。

 

BMX‐19ハンマーヘッドモロゾフ設計局)

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 ロシアが開発した四脚型AWGS。アメリカのブルータルクラブに刺激を受けたロシアが戦前から極秘に開発を進めていたもので、新機軸のコンセプトを多数詰め込んだ野心的な機体となっている。「ハンマーヘッド」はアメリカ軍によるコードネームであり、本来は「ヤーシリツァ(トカゲ)」が正式名称。

 最大の特徴は車体を前面を覆う半円状の巨大なカクタス装甲で、複合装甲と爆発反応装甲を組み合わせた特殊装甲により高い防護力を発揮する。武装は低反動140㎜滑腔砲と長射程のL‐KEMを装備しており、申し分のない攻撃力を有している。

 本機は評価試験において高い評価を得てロシア軍に採用されたが、敗戦後の混乱と資金難から少数が配備されるに止まっており、むしろ中東諸国等で輸出仕様型の採用が進むという逆転現象が起きている。

 

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 ATM発射時には発射機が立ち上がる。アメリカのM19を意識して開発されたため、スタイルも少し似ている。

 

 第五次中東戦争ではシリア軍が運用し、精強なイスラエル軍を相手にゴラン高原を奪回する活躍を見せている。

 

M14/ハイランダー二脚歩行戦闘車(UDLP/ビィッカース)

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左がM14のベースとなったM16。実際のM14はガスタービン・エンジンの搭載による重量増加に対処するため軽量化が施されており、装甲なども減装されている。

・イギリスが開発した二脚型AWGS。M16の車体をベースにガスタービンエンジンを搭載した新型機で、イタリアのサティロスと同じく限定的な三次元機動力を持たせることで機動力の向上を図ったユニークな機体である。空中機動こそ出来ないものの、サティロスよりも軽量な為、かなり高い位置までジャンプすることが可能で、ローラーダッシュによる助走と併用することで従来のAWGSでは越えられない段差や障害物でも難なく突破することが出来る。空中機動をオミットしたことで第二世代AWGSほど燃費が悪くないのもメリットである。

 装甲はM16と同じアルミ合金製だが、モジュラー装甲を採用している為、状況に応じてよりグレードの高い装甲に交換することも可能。武装もM16とほぼ同じものが扱えるが、軽量化された120㎜低反動ライフル砲が基本武装となっている。

 この機体はイギリス陸軍に採用された後、アメリカ陸軍でもM14として制式採用された。また、ヨルダンやサウジアラビ、クウェートなど、歴史的にイギリスとの関係が深い中東諸国でも採用の動きが広がっている。

 空挺部隊向けの改修を施したタイプはエアランダーと呼ばれ、一部の武装や装甲を変更するなどして軽量化が施されている。この機体はイギリス陸軍の第16空中強襲旅団に配備された。

 

 第五次中東戦争ではヨルダン軍の精鋭である第40機甲旅団が運用し、チャレンジャー2戦車と共にイスラエル軍を苦しめた。

 

EE-WG40ラーナ(エンゲサ)

・ブラジルがアマゾンの防衛用に開発した水陸両用AWGS。水上浮航能力を持ち、脚部による歩行と併用することで通常の車両では進入困難なアマゾンの複雑な地形を踏破することが出来る。

 開発に当たっては技術力の不足を補う為にドイツとフランスの協力を受けており、タイのコラートのように世界各国からパーツを調達して開発されている。エンジンはドイツ製、FCSはベルギー製、武装アメリカ製といった具合である。軽量化の為、装甲はアルミ合金製の全溶接構造、武装は30㎜チェーンガンと軽装となっているが、オプションとして小型のATMランチャーやグレネードなども装備可能となっている。

 この機体はブラジル陸軍アマゾン軍の機械化騎兵旅団に配備された後、アルゼンチンやコロンビア、イランでも採用された。

 

 第五次中東戦争ではイラン軍がイラク侵攻の際に使用し、国境沿いを流れるシャトル・アラブ川渡河作戦で活躍を見せた。

 

IMR‐X歩行戦闘工兵車(?)

・ロシアが工兵部隊向けに開発したAWGS。外観や歩行システムを含め詳しい情報は不明だが、モグラのように塹壕を掘り進むことが可能とされる。この機体はロシア軍の機甲工兵機材中隊に配備され、戦後になるとエジプトやシリア、イラクUAEなどの中東諸国でも採用された。

 

 第五次中東戦争ではイスラエルアラブ諸国共に多数の機体を投入し、特にスエズ運河攻防戦では塹壕を掘り進めて互いの陣地に味方部隊を近づける上で大きな役割を果たした。また、戦争中盤になるとOAU側に立って参戦したイラク軍がイラン軍の侵攻を防ぐために投入し、旧ソ連式の防衛陣地を構築するのに役立てるなど、幅広い活躍を見せた。

 

チャレンジャー2(ビィッカース)

・イギリスが開発した第三世代型戦車であるチャレンジャーの改良型。オリジナルのチャレンジャーと比べて外見上の変化は少ないが、砲塔を再設計している他、主砲が120㎜ライフル砲に換装されている。

 第五次中東戦争においてヨルダン軍が運用し、イスラエル軍メルカバMkVと砲火を交えた。

 

AMX‐56ルクレール(GIAT)

・フランスが開発した第三世代型主力戦車。先進国の第三世代型戦車の中ではもっとも後発だったこともあり、被弾しても修理・交換の容易なモジュラー装甲や、コンパクトな車体を可能とした小型のハイパワーエンジン、乗員の負担軽減を図る自動装填装置の導入など、最先端技術を詰め込んでいる。

 また、開発費の半分を占めるとも言われる高度なベトロニクス化も大きな特徴であり、高性能のFCSや電子機器を搭載した車両としても有名である。

 

 第五次中東戦争ではUAE軍の主力戦車としてワディ・ラムの戦いに投入され、OAU軍の戦車部隊を相手に戦いを有利に進めるも、南アフリカ空挺コマンドの第二世代型AWGSボスファルクの猛攻を受けて多数の車両が破壊された。


T‐10(?)

・ロシアが2007年に制式化した第四世代戦車。主砲は140㎜滑腔砲で、自動装填装置の採用で砲塔が無人化されている為、乗員は車長と操縦士の二名のみとなっている。セラミックを多用することでタービンの入り口温度を高め、燃焼をディーゼル並みに高めた新型のGTE‐1500ガスタービン・エンジンを採用しており、戦車としては最も高速な部類に入る。資料によってはPT5と呼ばれる場合もあるが、形状などから判断するに基本的に同一の戦車と思われる。*6

 

 第五次中東戦争ではシリア軍が多数の車両を投入し、アラブ側唯一の第四世代型戦車として開戦序盤の猛攻を支えた。特に北部戦線の主戦場となったゴラン高原ではイスラエル軍メルカバMkVと度々砲火を交え、熾烈な戦車戦が展開された。

 

M1A2/A3(ジェネラル・ダイナミクス

アメリカが開発した第三世代型戦車であるM1エイブラムスの改良型。A2型は湾岸戦争で問題となった夜間視察能力を向上させたタイプで、高度なベトロニクス化が施されている。A3型は主砲を長砲身の55口径長120㎜滑腔砲に換装し、攻撃力を更に向上させたタイプである。

 

 第五次中東戦争ではエジプト軍機甲部隊の主力として投入され、戦争序盤のイスラエル侵攻やベニ・スエフの戦いで奮戦した。しかし、前大戦における損害の大きさから稼働率が低下していたことや、エジプト政府が早々に降伏したこともあってさしたる活躍は出来ず、多数の車輛が南アフリカ・OAU軍に接収され、その戦力を強化する役目を果してしまう。

 

90式Ⅱ型戦闘兵車(北方工業公司

・中国がロシアの歩兵戦闘車BMP‐2をコピーした車輛で、水上での浮力確保のために全長を50㎝ほど延長しており、乗車定員も11名とオリジナルより1名多くなっている。Ⅱ型は通常型の90式の前面と側面にモジュール装甲を装着し、更に搭載ATMを換装した改良型である。

 

 第五次中東戦争では同車を中国から供与されたイランがイラク侵攻の際に使用しており、タイ製ハヌマンやブラジル製ラーナと共に国境沿いを流れるシャトル・アラブ川を逸早く渡河し、対岸のイラク軍部隊に痛烈な一撃を浴びせた。

 

2S6Mツングースカ(?)*7

・世界で初めて機関砲と対空ミサイルを組み合わせた画期的な対空自走砲で、近距離用の30㎜連装機関砲と遠距離用の対空ミサイルを使い分けることであらゆる航空機に対応することを可能としている。対空ミサイルの有効射程は最大で8㎞にも達しており、高性能なレーダーとFCSを駆使して目標まで誘導する。贅沢なシステム故に価格は跳ね上がってしまったが、その完成度の高さから各国の軍で採用されている。

 

  南アフリカ・OAU軍とアラブ諸国も採用国の一つであり、その両者が激突した第五次中東戦争においても多数の車両が投入された。特に戦争序盤にはアラブ側がBMX‐30高射機関砲やバリアント支援戦闘車両と組み合わせて強力な防空コンプレックスを形成し、イスラエル空軍機を多数撃墜する活躍を見せた。

 

2P140ウラガン(?)*8

旧ソ連が開発した自走多連装ロケット発射器で、トラックなどに搭載して運用することが可能。ロケット弾以外にも化学兵器弾頭や散布式地雷を発射可能で、ロケット弾の有効射程は最大で35㎞にも達する。

 

 前大戦ではPEU軍が運用し、北アフリカの戦いで撤退するAPC軍の前方に地雷を散布し、カッタラ窪地に追い込む活躍を見せた。戦後になるとロシアからアラブ諸国に多数の車両が輸出され、第五次中東戦争においてイスラエル軍機甲部隊に猛砲撃を浴びせた。

 

Mil‐24Dハインド(ミル設計局)

旧ソ連が開発した攻撃ヘリ。機体後方に武装した兵員を搭載するスペースがあるのが大きな特徴で、開発当初は歩兵を展開させてのヘリボーンが想定されていたが、歩兵を搭載すると機動力が鈍るため、後に純粋な攻撃ヘリコプターとして運用されるようになった。大規模な改修が行われたD型以降の機体は防御力も向上しており、生存性が高くなっている。

 

 第五次中東戦争では旧式化した機体をイラク軍が使用しており、突如参戦したイラン軍のシャトル・アラブ川渡河阻止のために複数の機体が飛来した。しかし、闇夜で敵の姿を視認することが出来ず、戦場上空で旋回しているところをイラン側のラーナが放った30㎜ガトリング砲によって撃墜された。

 

アジア太平洋共同体軍

12式装甲歩行戦闘車近代化改修型(マグドネル・ダグラス・三菱)

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・登場から10年近くが経ち、各国の新型AWGSに後れを取る部分も出て来た12式の性能向上を図った改良型。混同され易いが12式改とは別の機体であり、大幅な設計変更や改良はせず、あくまでも細部の形状変更や電子部品の換装などで性能向上を図ったマイナーチェンジ版である。

 最大の特徴はFCSを最新式のものに変更したことで、新型の16式とほぼ同じ武装を扱えるようになったことで汎用性が大幅に向上している。また、各部の形状変更や空力特性の見直し、新素材による軽量化といった数々の工夫により、旧型に比べて性能が20%ほど向上している。試験の結果も良好であり、日本外人部隊に配備された12式は順次このタイプに更新される予定となっている。

 

 第五次中東戦争ではアラブ側に立って参戦したAPC軍の主力として多数の機体が投入され、戦果を挙げた。尚、派遣に際しては中東の砂漠に対応した改良型エアフィルターへの換装などが行われた。

 

12式装甲歩行戦闘車改(マグドネル・ダグラス・三菱/防衛庁技術研究本部)

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・12式の改良型。12式の強化案として提示された二つのプランの内の一つで、武装やエンジン出力の強化をコンセプトとする重装型として開発された。改良部分を胴体と脚部に絞ることで開発期間の短縮を図ったことが功を奏し、大戦勃発前に日本外人部隊の第501機動対戦車中隊に配備され、その驚異的な性能を以て各地で多大な戦果を挙げることとなった。

 12式との最も大きな違いはエンジンをF400系のジェット・エンジンに変更したことで、滑空翼を大型化させるなどの改良もあって従来型を遥かに上回る空中機動性を獲得することに成功している。

 しかし、エンジンの高出力化はただでさえ悪い燃費を増大させることにもなり、装甲の僅かな隙間すら燃料タンクとして活用しようという開発側の努力にも関わらず、その最大行動時間は極めて短いものとなってしまった。

 また、FCSの強化で扱える武装が増えている他、射撃能力自体も向上しているなど、多分に実験機的な性格の強いテストベッドとして運用されていた向きもあり、コストパフォーマンスなどは度外視されていた。これによって機体価格が余りに高くなったこともあり、量産は2019年までされなかった。

 

 第五次中東戦争では日本外人部隊対戦車中隊の補給機として戦争終盤に投入され、一定の戦果を挙げる。アスワン・ハイ・ダムにおいて南アフリカ空挺コマンドのエースパイロット操るボスファルクⅡと死闘を演じ、これを撃破する。

 

16式装甲歩行戦闘車(マグドネル・ダグラス・三菱)

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・12式改と共に提案された12式の改良案の一つで、高出力・高火力を目指した12式改とは対照的に軽量化と汎用性を追求した機体となっている。大戦前から開発が開始されていたものの、設計を一から見直したことから開発は長期化。結局、試作機が完成したのは戦局劣勢となった終戦直前であり、その頃には防衛庁もこの機体に興味を失っていた為、倉庫の片隅で埃を被ることとなった。

 しかし、戦後になって国際社会に復帰した日本が国連PKOへの参加を決めると状況が一変。カンボジアPKO任務遂行中の自衛隊部隊が壊滅した事件を受けて再設立された日本外人部隊の主力機として選定され、世界各地でのPKO任務に投じられることとなった。

 最新型のFCSによって多彩な武装を扱える一方、装甲に新素材を用いることで軽量化を実現しており、12式を遥かに上回る高い空中機動性を誇る。その総合性能は12式改にも劣らぬほどで、C‐17輸送機に四機搭載出来るという輸送性の良さもあって空挺部隊向きの機体と言える。

 

 第五次中東戦争では日本外人部隊の主力として多数の機体が投入され、戦果を挙げた。制式化から5年の月日が経ってはいたものの、その高い空中機動性による優位は戦争終盤のヤークトパンターⅢの登場まで崩れなかった。

 

9式装甲歩行戦闘車改(キャデラックゲージ/小松製作所/防衛庁技術研究本部)

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図は通常の9式。改良型では背面のロータリーターボが小型化されている。

・9式の改良型。PKO任務中の自衛隊部隊がカンボジアで壊滅した事件を受け、日本外人部隊の再創設と共に提案された抜本的な装備拡充案に基づき開発が進められた。

 最も大きな変更点は背面に装備されたロータリーターボの小型化で、駆動系をコンパクトにまとめたことで大幅な軽量化を実現。これにより装甲を維持したまま不整地踏破性能や機動力を向上させることに成功しており、総合性能が大きく向上している。

 米軍から返還された9式は順次改良を受け、日本外人部隊機甲師団の機甲偵察中隊斥候小隊及び空中機動師団の対戦車小隊に配備された。

 

10式装甲歩行戦闘車(三菱重工

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左が10式のオリジナルであるティーガー。高い不整地踏破性能を持った多脚型AWGSである。

 ・日本が米独共同開発のティーガーの製造権を取得してライセンス生産した機体。FCS等の電子部品を日本製のものに変更している以外にオリジナルとの大きな差はない。本来は自衛隊に配備されていたものだが、日本のPKO参加に伴って再創設された日本外人部隊に20輛が移譲された。

 

18式歩行指揮通信車(三菱重工

・日本が独自に開発した四脚型AWGS。AWGS部隊に追従する為に開発された歩行型の指揮通信車両で、内部に情報処理装置や通信機器を満載している。情報処理能力が高く、高度にネットワーク化されたデータリンクによって部隊の能力を底上げする。武装は自衛用の20㎜機関砲のみとなっている。

 この機体は日本外人部隊機甲師団対戦車大隊本部や斥候中隊本部に配備された。

 

13式装甲歩行車(北方工業公司

・中国がロシア製BMX歩行戦闘車をデッドコピーし、一部に改良を加えた機体。技術の遅れからオリジナルに比べてセンサーや砲塔が大型化しており、やはりデッドコピー品である武装も精度に問題を抱えている。装甲こそ圧延防弾鋼板の為にオリジナルより厚いが、その分だけ重量も増加しており、機動力が低下している。

 中国軍はこうした問題点を認識しているものの、敗戦とその後の国内の混乱から軍事力の更新は全く進んでいないのが現状である。もっとも、安価で大量配備がし易いことから中国以外にも採用している国は少なくなく、中国と関係の深いエジプトやパキスタンバングラデシュ、イラン等で配備が進んでいる。

 

14式装甲歩行車(北方工業公司

・中国が開発した六脚型AWGS。ベトナムカンボジアの国境地帯でのゲリラとの戦闘を想定しており、火力支援が主な任務となる。

 その構造はイタリア製リットリオの歩行システムをコピーした車体にアメリカ製のM198・155㎜榴弾砲を搭載しただけの至ってシンプルなものだが、技術の遅れから脚部が大型化してしまっている上、砲撃時には足をロックする必要があるなどの制約がある。

 安価で堅牢なことから戦後は採用する国も増え、地理的条件の似ている東南アジアや中南米などでも採用が進んでいる。

 

ディンゴ歩行戦闘車(ビィッカース/UDLP/ペニーア・エンジニアリング)

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左がディンゴのオリジナルであるM16。

・オーストラリア陸軍向けに改修されたM16の改良型。既存のA1型に増加装甲を追加して防御力を高めている他、エンジンの出力を強化するなど、オーストラリア大陸での運用を前提に様々な改良が施されている。

 この機体はオーストラリア陸軍機甲連隊の偵察中隊などに配備された。

 

 第五次中東戦争では域外協力という形でAPC軍に参加したオーストラリア軍第一機甲連隊の主力としてM1戦車と共に参戦。規模は一個連隊と少なかったものの、兵力不足に悩むAPC軍にとって貴重な戦力となった。

 

90式/90式改(三菱重工

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図は通常型の90式。

・日本が開発した第三世代型主力戦車。形状こそ第三世代型戦車の先駆けとなったレオパルド2と似ているが、自動的に目標をロックオンする高度なFCS・センサーなどを搭載しており、日本のハイテク技術が活かされている。

 90式改はその改良型で、各国の戦車に比べて軽い50tという重量からくる装甲防御力の弱さを補うために、砲塔と車体の前部に新開発された複合素材を装着しているタイプである。また、主砲も同じ120㎜滑腔砲ながらより砲身長が長く、威力の高いものに換装されており、日本外人部隊機甲師団に優先的に配備された。

 もっとも、これらの改修にも関わらず、前大戦ではPEU・ドイツ軍のレオパルドⅢに劣勢を強いられ、「ブリキ缶」と評された。

 

 第五次中東戦争では日本外人部隊機甲師団の主力として戦争中盤に投入され、先行して派遣されていた機動対戦車中隊と共に南アフリカ・OAU軍と戦った。

 

89式歩兵戦闘車三菱重工

・日本が開発した歩兵戦闘車で、90式戦車とペアを組むために開発された。歩兵戦闘車としては強力な35㎜機関砲と圧延防弾鋼板の全溶接構造による高い装甲防御力を兼ね備えているが、その分だけ価格も高価となってしまった。

 

 第五次中東戦争では日本外人部隊機甲師団の装備として多数の車輛が派遣され、90式をサポートした。

 

CH‐47チヌーク(ボーイング

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アメリカが開発した輸送ヘリで、武装した兵士55名を輸送出来る豊富なペイロードを持つ。また、外部に車両や貨物を吊り下げることも可能であり、様々な用途に対応可能である。

 日本外人部隊では補給部隊のヘリとして同機が多数配備されており、部隊の行動を下支えしている。

 

 第五次中東戦争でも現地に派遣された機動対戦車中隊の補給任務を一手に担い、その戦果を支えた他、イラク軍のクウェート侵攻においてはクウェート市民の救出・保護任務にも当たっている。

 

C‐17グローブマスターⅢ(マグドネル・ダグラス

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アメリカが開発した戦術輸送機で、海外での緊急展開に対応するべく開発された。C‐5やC‐141の高い搭載力と航続力、C‐130の前線離着陸能力を兼ね備えている。そのペイロードは72tで、武装した歩兵なら144名、主力戦車なら1輛を空輸可能である。

 日本外人部隊ではHIGH‐MACSのキャリアーとして同機を採用しており、16式なら4機を同時に空輸出来る高い搭載能力を持つ本機は同隊にとって欠かせない存在である。

 

 第五次中東戦争でも日本外人部隊の機動対戦車中隊を空輸するキャリアーとして活躍し、その戦果を支えた。

 

ヨーロッパ連合

*戦車などはアラブ側と重複するので割愛。

 

ヤークトパンターⅢ(ポルシェ/クルップMak)

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図は旧型のヤークトパンター

・ヤークトパンターの後継機。優秀な基本構造はそのままに各部をフラッシュアップし、軽量化と細部の形状変更、空力特性の見直しなどで総合性能を高めている。その基本コンセプトは日本の16式と共通するものがあり、FCSの強化で多彩な武装を運用出来るようになっている点も似ている。

 旧型との最大の違いはその空中機動性で、一連の改良と新型エンジンの搭載、脚部の形状変更によるジャンプ力の強化でHIGH‐MACS以上と言われた機動性に更に磨きが掛かっている。

 

 第五次中東戦争で初めて実戦投入された。初陣となったエル・アラ・メインの戦いではOAU軍の後方に空挺降下して駆け付けた南アフリカ空挺コマンドのボスファルクと交戦。圧倒的性能差でこれに勝利し、PEU軍の勝利を引き寄せた。旧型に比べて操縦性が余り変わっていないこともあり、前線のパイロットからの評価は高かった。

 

ヤークトパンター/ヤークトパンターⅡ(ポルシェ/クルップMak)

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・ドイツが開発した第二世代AWGS。そのコンセプトの類似からドイツ版HIGH‐MACSとも称されるが、HIGH‐MACSを凌ぐ高い機動性を誇る。

 マニュピレーターは装備しておらず、武装はスタブウイングに直接搭載する方式を採用している。30㎜ガトリング砲二門が固定武装だが、105㎜滑腔砲を装備したタイプも存在し、ATMやロケットポッドも装備可能となっている。

 この機体はドイツ陸軍の降下猟兵旅団などに配備された後、第三次世界大戦に投入されるも、パイロットが三次元機動に不慣れだったことから大した戦果を挙げることなく終戦を迎えた。しかし、戦後になると再評価が進み、トルコや南アフリカなど各国で採用されて後の第二世代AWGSの一つの潮流を形作った。

 ヤークトパンターⅡはその上位モデルで、総合性能が多少向上している。両腕に105㎜砲を装備したタイプが良く知られており、大戦中に一部のエースパイロットなどに支給された他、戦後もヤークトパンターの上位機種として世界各地に輸出されているようである。

 

 第五次中東戦争ではPEU・ドイツ軍降下猟兵旅団の主力として多数の機体が投入され、エル・アラ・メインの戦いではOAU軍の後方に空挺降下してPEU軍の勝利に多大な貢献をした。

 

VW‐1(マグドネル・ダグラス・三菱)

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・米軍仕様のHIGH‐MACS。後継機のVW‐2がステルス戦闘機並みに高価な機体になってしまったことから、数の上では未だ主力機の座に位置している。日本の12式に比べて多彩な武装が用意されていることから汎用性の面で僅かに優れており、米軍では今後も細かい改修や改良を続けながら運用を続ける方針である。

 戦後はアメリカ以外にもイギリス陸軍などで試験的に配備が進められており、AH‐64Wの更新として空中強襲旅団の航空連隊などに配備された。

 

 第五次中東戦争では北アフリカに派遣されたイギリス陸軍第16空中強襲旅団の二個航空連隊が同機を運用し、トリポリに奇襲攻撃を掛けた南アフリカ空挺コマンドと第44落下傘旅団を撃退。エル・アラ・メインの戦いでは敗走するOAU軍の前方に空挺降下し、PEU軍の勝利を決定づけた。

 

ティーガー/ストゥームティーガー(クラウス・マッファイ/GM

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左がティーガー

・ドイツとアメリカが共同開発した四脚型AWGS。旧PEU共通多脚歩行マシンにも選定された名機で、世界各国で採用された実績を持つ。日本でも三菱重工が製造権を取得してライセンス生産を行っており、10式歩行戦闘車として制式化された。

 最大の特徴は戦闘部と車体を連結するシステムであり、他のどのAWGSよりも高い不整地踏破性を発揮することを可能としている。主武装のラインメタル社製140㎜低反動滑腔砲は多脚型の中でも最も威力の高い武装の一つである。

 ストゥームティーガーは脚部にコンバットタイヤを装備した高機動型で、安定性の関係で通常型では行えなかった行進間射撃を可能にしている。

 

 第五次中東戦争では北アフリカに派遣されたPEU・ドイツ軍第5機甲擲弾兵師団が運用し、エル・アラ・メインの戦いなどで活躍した。

 

バルフンド・アインハンダー(モワク)

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 偵察用に開発された四脚型AWGSバルフンドに工兵隊向けの改修を施した車両回収車仕様。不整地における優れた姿勢制御を活かし、通常の回収車両では対応出来ない急斜面等での車両の回収や障害物などの除去作業を行う。

 車体上には名前の由来となった大きな一本のクレーンアームを装備しており、車両を回収する際などに使用する。車体前部に追加された二本のアームはドーザーブレードを装着しての塹壕構築や障害物の撤去作業等に使用出来る他、クレーンアーム使用時や歩行時に車体を支える為のリフトアームとしての機能も果たす。これらのアームは全て電気駆動式となっており、車体後部に増設された補助動力で駆動する。

 本格的な戦闘任務は考慮されていない為、武装は自衛用の20㎜機関砲のみとなっている(画像のモデルでは再現されていない)。

 

 第五次中東戦争ではPEU軍が使用し、エル・アラ・メインの戦いで地雷原の啓開や破壊された車輛の回収作業などに当たった。

 

マルダーⅡ(クラウス・マッファイ)

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・ドイツがマルダー1歩兵戦闘車の後継として開発した歩兵戦闘車。主武装のMK35/50Rh503自動カノンは砲身の交換のみで35㎜と50㎜の弾薬を発射出来る特殊な方で、歩兵戦闘車の中でも特に高い火力を有している。装甲は装甲鋼板の基本構造の上にモジュール化された増加装甲を装着したもので、被弾時の修理・交換が容易になっている他、将来的により優れた装甲素材が開発された場合にも対応出来るようになっている。

 

 第五次中東戦争では北アフリカに派遣されたPEU・ドイツ軍の第5機甲擲弾兵師団が運用。また、PEUに加盟したトルコ軍も同車を運用し、北アフリカに派遣した。*9

 

センタウロB1(イヴェコ・オートメララ)*10

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・イタリアが開発した装輪式装甲車で、戦車と装甲車の中間的な性能を持つ。主砲に105㎜滑腔砲を装備することで戦車と同等クラスの火力を有する一方、8輪駆動という贅沢な駆動システムから生み出されるその路上最高速度は105㎞にも達している。

 

 第五次中東戦争ではPEU・イタリア軍の車輛として北アフリカに派遣され、エル・アラ・メインの戦いなどに投入された。

 

PhZ2000自走榴弾砲(クラウス・マッファイ?)

・ドイツが開発した自走榴弾砲で、レオパルド1の車体を流用している。主砲はラインメタル社製52口径長の155㎜榴弾砲で、射程は通常弾で30㎞にも及ぶ。全自動装填装置を採用しているため、バースト射撃で10秒間に3発、持続射撃で毎分8発を発射出来る優れた砲撃能力を持つ。

 車体・砲塔は防弾鋼板の全容溶接構造で、砲塔上面にもリアクティブ・アーマーを装着しているなど、防御力も高い。

 

 第五次中東戦争ではPEU・ドイツ軍の車輛としてエル・アラ・メインの戦いに投入され、南アフリカ・OAU軍が構築した地雷原の啓開などで活躍した。

 

A129マングスタ(アグスタ

f:id:sitri:20210308131614p:plain・イタリアが開発した攻撃ヘリで、重量がAH64アパッチの半分という軽量を誇る。コストも安価だが、性能も平均的で、典型的な攻撃ヘリコプターであると評価されている。

 第五次中東戦争では北アフリカに派遣されたPEU・イタリア軍攻撃ヘリとして複数の機体が投入され、空から地上部隊を支援した。

 

Ka‐50ホーカム(カモフ設計局)

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・ロシアがアメリカのAH‐64アパッチに対抗するべく開発した対戦車ヘリ。アパッチに比べてより空戦応力に重きを置いた設計がなされており、機動力で上回っている。カモフ社得意の同軸二重反転ローターを採用しているためにテイル・ローターを必要とせず、その分だけ軽量で、生存性も高い。主武装は30㎜機関砲で、スタブウイングに対戦車ミサイルや空対空ミサイルを搭載可能となっている。

 

 本国のロシア以外にもドイツ軍降下猟兵旅団が採用するなど、PEU加盟国で広く普及している。第五次中東戦争でも多数の機体が投入され、地上部隊の行動を支援した。

 

 

 

 

 

脚注

*1:ガングリフォンⅡ』でリビア軍の戦車としてメルカバMkⅡが登場していたことを基にしたオリジナル設定。原作にはこのような記述はないので注意。

*2:フォルクスパンターはヤークトパンターの廉価版であり、ドイツが戦後の重い賠償金支払いの手段として各国に輸出していた。

*3:南アフリカ空挺コマンドの創設者で、空挺コマンドを率いて各地を転戦。第五次中東戦争での敗戦後は軍を除隊してPMCを立ち上げる一方、イスラエルの要請に応じて同国の第二世代型AWGS開発に携わった。これらの活動にはいずれも、イスラエル政府との関係を重視する南アフリカ政府の意向が働いていたと言われる。

*4:実際には二両が試作されるに止まった。

*5:現実には派生型は数輛の試作車を除けばいずれも生産されておらず、構想のみに終わっている。

*6:ただし、ガングリフォン・コンプリートファイルの設定をみるとPT5の主砲は135㎜滑腔砲となっているため、性能には若干の違いが見られる。

*7:正式な型式は2K22であるが、この仮想戦記では原作の設定に準拠してこちらの型式を採用することとする。これは他の兵器などでも同じである。

*8:正式な型式はBM‐27、或いは9P140であるが、この仮想戦記では原作の設定に準拠してこちらの型式を採用することとする。これは他の兵器などでも同じである。

*9:現実のマルダーⅡは計画自体がキャンセルされており、数輛の試作車のみが作られただけで終わった。

*10:資料によっては「チェンタウロ」と表記されることもあるが、ここではガングリフォン・コンプリートファイルの表記に従うこととする。