ガングリフォン・ムック(仮)

名作ゲーム、ガングリフォンシリーズについて考察するブログです。他のゲームも時々語ります。更新不定期。

BIOHAZARD4とBLAZE、何がゲームを引っ張るのか?

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ここ何週間か、ガングリを脇に置いてずっとバイオハザード4をやっていた。切っ掛けはバイオ3のリメイクが発売されたことで、動画サイトに上がるプレイ動画を見て久々にやりたいなと思い、夜、寝る前に酒でも飲むように少しずつチビチビ進め、結局プロフェッショナルを4周もしてしまった。ハンドガン縛りとかナイフ縛りなどの高等プレイが出来るほどの腕はないので色んな武器を使いながら進めることになるのだが、久々にプレイしてやはり名作だなという想いを新たにした。

 

少し昔語りをすると、筆者が初めて触れたバイオは初代バイオのディレクターズカット版だった。もともと筆者はホラー系のゲームが苦手で、普通だったら高い金を出してまでプレイするようなことはないのだが、友達がプレイしているのを横目で見ていてつい自分でもやりたくなってしまい、親にせがんで買ってもらったのだった。

 

初代バイオの何が自分の琴音に触れたのか?

 

それは端的に言うと、作品の放つ「雰囲気」だったと思う。或いは、「匂い」と言ってしまっても良いかも知れない。バイオは自分の苦手なジャンルのホラーゲームである。しかし、それはそれとして優れたゲームであることには違いない。子供ながらにそんな確信があった。

 

何よりも自分の心を捉えたのはゲームの舞台となる洋館のデザインだった。アメリカ中西部の片田舎、その郊外にひっそりと佇むあの洋館は、初代バイオの極上の恐怖を表現する最も偉大な舞台装置だったと思う。

 

廊下の先から聞こえてくるゾンビのうめき声。

突然、窓を割って飛び込んでくるケルベロス

狭い通路をひた走ってくるハンター。

それらの恐怖をより引き立たせる固定視点。

 

そのリメイク版に付された「そこを歩くという恐怖」というキャッチコピーそのままに、初代バイオは曲がり角の先に何が待っているのかを想像させることでプレイヤーに極上の恐怖体験を与えてくれたが、それもあの洋館のデザインなくしては成しえなかったはずだ。

 

至る所に飾られた美術品や調度品、プレイヤーを苦しめるトラップ、適度に難しいパズル、良く練られた攻略ルート、そしてそれらをまとめるセンスの良さ。それらが作り上げる、張りつめるほどの極上の「雰囲気」こそが、幼い自分を苦手なホラーゲームへと駆り立てた最大の理由だった。

 

続編の「2」の警察署やそれ以降のシリーズの舞台にも魅力的な部分は勿論あったが、初代の洋館に匹敵する濃密な「雰囲気」を持った舞台は、「7」のベーカー邸が登場するまで存在しなかったのではないかと筆者は思う(ちなみに筆者は「7」未プレイだ。あんなもの怖くてとてもプレイする気が起きないので、他人様の動画をおっかなびっくり観るのが関の山だ)。

 

だからか、2以降はシリーズから徐々に離れていった。最近リメイクされた「3」や「ベロニカ」、「アウトブレイク」や「0」も、ほとんど興味をそそられなかった。2の時点で内容がややマンネリ化しつつあるのは感じていたし、あの「洋館」の雰囲気を超えるような舞台は早々現れないだろうと、そこまではっきり思っていたわけではないが、何となくそれが分かっていたのだと思う(初代の「リメイク」版は流石に気になったが、自分の持っていないハードで発売されたのでお預けとなった)。

 

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初代バイオハザードの舞台となる洋館。画像はリメイク版のものだが、秀逸な演出やカメラワーク、不安感を煽る音楽が組み合わさることによってオリジナル版も相当に怖い。初代バイオの隠れた主役である。

 

実を言うと、「4」が発売された時も筆者はバイオシリーズに戻らなかった。その頃にはバイオシリーズに興味をなくし、違うゲームにうつつを抜かしていたのだ。「4」をようやくプレイしたのは発売からそれなりの年月が経った後で、どうして買おうと思ったのかすらいまいち良く思い出せないのだが、気付いたら棚に並んでいたという感じで手元にやって来ていた。

 

そんなわけで大した期待もなく始めた「4」だったが、意外や意外、これが面白かった。TPS視点への移行と一新された操作法、一挙に強化されたアクション要素、あらゆる面でフルモデルチェンジを果たしたその斬新な内容に一気に引き込まれてしまった。

 

もっとも、当時からそのゲームライクな作風に対しては賛否両論があり、「これはバイオではない」、「バイオと考えなければ名作」といった意見も多々あったようだ。実際、「4」になってからの改変で初代の持っていた「恐怖感」や濃密な「雰囲気」が作品から失われていたのは事実ではあったが、筆者としてはそのゲームライクに割り切った作風には好感が持てた。

 

例えば主人公であるレオンの目的である。

 

それまでのシリーズではゾンビが溢れる洋館や街からの「脱出」が目的であり、巻き込まれた状況から如何に「生還するか」が大きなテーマだった。

 

が、バイオ4ではこれが完全に逆転し、さらわれた大統領の娘アシュリーを「救出」するために敵の本拠地に乗り込むという、古典的な英雄譚のそれへと変更されているのである。言ってみれば、バイオ4は「魔界村」への先祖返りであり、魔族にさらわれたプリンセスを助けに向かうアーサーの変奏だということが出来るわけだ。

 

そしてこの点で言うと、バイオ4の物語はそれほど複雑でも難解でもない。物語そのものに関して言えば、初代や2、或いは他のシリーズ作品の方がもっと複雑だし、脚本に力を入れた「リベレーションズ」の方がドラマの見せ方という点でもより現代的だという評価を与えても良いかも知れない。

 

キャラクターの造形もそれほど深みのあるものではない。

 

見るからに悪役然とした教祖サドラーにしてからが、その目的は自身とその教団による「世界の支配」であり、何とも時代錯誤の感が否めない。この点で言うと、スケールは小さくともBOWの実戦テストのために仲間を洋館に引き込んだウェスカーや自身のウイルスに執着したバーキン、アンブレラから監視員として派遣された非情なるニコライの方がより説得力のある悪と言えるだろう。

 

AKIRA」に登場する超能力者達の如き風貌を持つ領主サラザールにしても、実際には孤独な心をサドラーにつけ入れられただけの二十歳の若者で、代々の頭首が封印してきたプラーガを掘り起こして最後には自らもそれに取り込まれてしまった悲哀の人だ。

 

クラウザーやエイダこそレオンとの因縁がらみで面白いキャラになってはいるが、「4」をプレイしただけではその関係については想像を巡らせるしかない。

 

アシュリーは流石に連れ歩いたり自身が操作する場面もあるので段々感情移入してくるものの、それとて「さらわれたお姫様」のポジションを越えることはないし、ルイスにしても「時折フラッと現れる協力者」という定型を超えてはいなかったと思う。

 

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アシュリー誘拐の黒幕、オズムンド・サドラー。他のシリーズよりも中世的な世界観が採用されているせいか、彼のファッションも他の悪役に比べてどこか時代錯誤な感が否めない。彼の目的は古城から掘り返された古代からの寄生体「プラーガ」による世界支配であった。

 

繰り返すが、バイオ4の物語はそれほど複雑でもないし、難解でもない。細々とした設定の謎はあるにせよ、物語の大筋としては「さらわれた大統領の娘を救出しにいく」という分かり易い前提があり、あくまでもそれを超えることはない。各々のキャラクターの立場も分かり易い定型に落ち着いており、特に悪役サイドに関してはそれが言える。

 

しかしながら、これらの点はバイオ4という作品において欠点ではないと筆者は思う。物語はシンプルだが、だからこそ力強い。古典的ではあるが、王道だ。それぞれのキャラクターは複雑な背景や内面を持ってはいないが、だからこそ下手な芝居や長大なムービーでゲームの進行を邪魔しない。

 

バイオ4の物語はゲーム部分と密接に連動していて、プレイヤーはゲームを進める内にこの地で起こった異変に気付いていく。

 

山間の村から湖、古城、そしてその地下へと進むに連れ、プレイヤーはサラザール家の領地全体がとある教団に乗っ取られたこと、そこには若き領主ラモンがその居城の奥深くから掘り出し、封印を解いた「プラーガ」と呼ばれる未知のウイルスが関わっていること、そしてこの地で数百年に渡って繰り広げられてきたサラザール家とロス・イルミドナス教団の暗闘と、最終的に教団側がそれに勝利を収めた事実を知ることになる。

 

つまり、バイオ4の本当の物語とは作品の背景に隠されたサラザール家と教団との暗闘の歴史にこそあり、サラザールの領地が如何にしてこのような状況に陥ったのかという、謎を解くことにこそあったのだと思う。

 

考えて見ると、初代バイオも「この洋館は一体何なのか?」、「なぜこのような状況が発生したのか?」という、謎を解くための物語でもあった。それは続編の「2」にしても、他の作品にしても同様である。「この事件はなぜ起きたのか?」という、現在ある状況の根源を解き明かすことにこそ、シリーズの物語の核があった。

 

 ラクーンシティ全体を覆った災禍の根源にアンブレラとウィリアム・バーキンの暗闘があったのと同じように、バイオ4の物語の根源にはサラザール家とロス・イルミドナス教団の暗闘があり、プレイヤーはゲームを進める内に隠された大きな物語の存在に気付いていくこととなるわけだ。

 

この大きな物語がしっかりとしているから、バイオ4の物語に筆者は不満を感じない。五十の坂をゆうに超えてそうなおっさんがとってつけたような「世界の支配」という時代錯誤な目的を目指しても全然構わない。サドラーの目的が何であろうと、それは作品の出来にほとんど影響を与えないのだ。

 

この点において、実は「バイオらしくない」と言われたバイオ4はしっかりとバイオハザードの類型に位置している作品と言えると思う(むしろ、ドラマの見せ方にこだわった「リベレーションズ」の方が筆者には異端に感じる)。

 

なるほど、バイオ4から変わったシステムや要素は数多いし、敵も一新された。敵が銃器やダイナマイトを使ったり、倒すとアイテムを落としたり、不自然な場所にタイプライターが置いてあったり、謎の武器商人がエリア毎に配置されていたり、なぜかステージの各所に射的場があったり、旧作に比べてゲームライクな改変が至る所に及んだのは確かだ。

 

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後半の孤島に登場するガトリング軍曹。銃器を扱うクリーチャーは既に「3」の時点でネメシスが存在したが、「4」では後半に大量に登場し、こうした点も恐怖感が薄れている要因になっている。こうした点も「ゲームっぽくなった」部分の一つと言えるだろう。

 

ステージによってはトロッコに乗って脱出を図る「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」のパロディみたいな場面もあるし、そのトロッコの前に敵が飛び降りてトロッコに撥ねられるという、最早どこからどう見ても笑わせにきているとしか思えない部分も多々存在することは認めよう。筆者もプレイしていて思わず吹き出すこと多々だ。

或いは、ダイナマイトを手に駆け寄ってきた敵が足を撃たれて転倒し、そのまま味方の集団を巻き込んで自爆したり、味方の集団の中に爆弾を投げ入れて爆殺したり、そんなお馬鹿な姿を見てニヤニヤしてしまうのも認めよう。

だが、これらの改変は物語同様、決してバイオ4の欠点ではないと筆者は思う。これらの改変によってバイオ4は明らかにそれまでのシリーズ作品よりも自由度の高いゲームとなり、何段もランクの高い作品になった。あらゆる面でパワーアップしたゲームとしての面白さが、物語の力に拠らない強い力を作品に与えることになったのだ。

このフルモデルチェンジは結果的に大成功だった。その割り切り方、舵の切り方、思い切りの良さは特筆に値するし、それらの改変はシリーズの未来を考える上で絶対に必要なことだった。それは以降のシリーズ作品の大半が「4」のTPS視点を踏襲し続けていることからも明らかだろう。これらのことは、バイオハザードシリーズがそれまでの物語主導のゲームから、ゲーム主導のゲームへと切り替わったことを示してはいるのだと思う。

 

それはプレイヤーの操作するキャラがレオンからアシュリーに代わるアシュリーパートにも良く現れている。アシュリーパートではレオンパートのTPS視点から旧来の固定視点に、操作方法もラジコン操作に変わり、恐怖感を高める演出がなされている。プレイヤーは突如切り替わった視点とラジコン操作に苦闘しながら、か弱いアシュリーを使ってクリーチャー達の魔の手を掻い潜らなければならないのだが、これはゲームシステムと連動した秀逸な演出と言えるだろう。

 

この演出が「2」のクレア編におけるシェリーパートのそれと根本的に異なるのは、視点や操作方法といったシステムそのものが切り替わっていることだ。「2」のシェリーパートはあくまでもキャラが戦闘能力のない幼い少女シェリーに切り替わるだけで、ゲームシステムそのものに大きな変更はなかった。

 

シェリー編ではそのシステムが丸ごと変わり、視点も操作方法もまるで別のゲームとなる。TPSという新しいシステムを採用した「4」に突如挟まれる旧作の固定視点とラジコン操作は、秀逸な演出であると同時に秀逸なセルフパロディでもあり、シリーズが辿ってきた道を再確認させてくれる。それはまるでゲーム自体が自己言及をしているようでもあり、作品の中に内在する強烈な自意識を感じさせる。バイオハザードシリーズはフルモデルチェンジを果たした「4」という作品において初めて、自意識に目覚めたのかも知れない。


今回プレイしていて改めて思ったが、バイオ4はシリーズの中でも特に面白い作品の一つではないかと思っている。雰囲気や恐怖感といった点で他の作品に譲る部分は数あれど、ゲームとしてのポテンシャルが他の作品を圧倒していると筆者は思う。

 

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やはり孤島に登場するクリーチャー、リヘナラドール。その驚異的な再生能力によって多少のダメージでは倒すことの出来ない強敵で、本作屈指のホラー担当である。終盤になるとポイント、ポイントで現れ、本作がホラー作品であることを思い出させてくれる。ゲームライクな作りになったとは言え、この辺りのバランスは良く考えられている。

 

さて、そろそろ「お前は何で長々とバイオ4の話をしてるんだ?ここはガングリのブログだろう?ガングリの話をしろ!」と痺れを切らしてくる方も出てくるかも知れないので、ここらで本題に移るとしよう(まだ前置きだったんですよ?)。

 

筆者がどうしてこれほどバイオ4の話を熱心にしているかと言うと、バイオ4とブレイズの境遇がちょっと似ているなと思ったからである。

  

どちらも共に「それまでのシリーズ作品らしくない」と言われつつも、「ゲームとしては良作」という評価を受けたという点において、この二つの作品には共通するものがある。

 

例えば敵からアイテムが出現するようになったこともその一つだろう。

 

「4」までのバイオハザードシリーズでは基本的に倒した敵からアイテムがドロップするということはなかった(一部例外もある)。が、「4」ではあらゆる敵からアイテムがランダムにドロップする仕様となり、お金や武器の弾丸を落とすという、どことなくRPGを彷彿とさせる要素が追加された。これらのアイテムは倒した敵の身体の上に現れ、敵の死体が消えた後もステージ上で光り続ける。 

 

この改変はそれまでのバイオシリーズのゾンビが何体倒そうと何も出さず、ハーブや弾薬の管理が厳しく制限されていたことを考えるとかなり大きな改変だったと言えるだろう。

 

ご存じのように、ブレイズでも同様のことが起こった。倒した敵のAWGSや車両から体力回復用のジェリカンや武器の弾薬、武装やパーツの入ったアイテムボックスなる四角い箱が現れ、ステージ上でクルクル回るのだ。時にはトラップとして巨大な爆弾が現れ、不用意に近づいたプレイヤーに大被害を与えることすらあった。

 

このアイテム制への仕様変更がガングリファンの神経をどれだけ逆撫でしたかは改めて言うまでもないだろう。筆者は「そういう仕様ならそういう仕様で」と割合簡単に受け入れてしまったクチなのだが、初代やⅡで鳴らしてきた古参ファン達からすれば到底受け入れられない要素だったことは間違いない。

 

PS2にハードを変えたブレイズにはカプコンも関わっているのだが、筆者などはこうしたアイテムボックスやアイテム制のアイデアはどちらかと言えば「カプコンぽいな」と思ってしまったりするのだが、これらの仕様変更の陰にカプコンの影響があったのかは定かではない。

 

しかし、以前に筆者が書いたブレイズの記事を読んでいただければ分かる通り、アイテム制はブレイズの目指した方向性と非常にマッチする仕様であり、その安直な外見とは裏腹にゲームとしての面白さを高める上で非常に大きな役割を果たしていたのもまた事実だ。補給ヘリでは支えきれなかったより激しい撃ち合いを表現する上で、アイテム制の功績は大きいものがあったと言わざるを得ない。

 

このアイテム制に関わらず、ブレイズにおけるあらゆる改変は明らかにゲームとしての面白さを何倍にも引き出していたし、筆者はゲーム部分に関して言うならばブレイズを最高傑作と言ってしまっても差し支えないとさえ思っている。

 

ブレイズはバイオ4と同様、ゲームライクな方向へと舵を切ることでゲーム主導型のゲームへと転換したのだと思う。

 

実際、ブレイズはそのストーリーや演出面に関して言うなら初代やⅡから大きく後退していたのも事実だ。アイテムボックスの導入や悲惨な世界観と明るいノリのゲーム部分の乖離は、ブレイズ党を自認する筆者ですら相当な違和感を覚えたものだったし、熱量の減ったストーリーには物足りないものも感じる。人によってはコミカルになったAWGSの挙動や軽くなった武装の発射音を嘆く向きもあるが、それも故無きことではないと思う。

 

が、それらのことを考慮しても尚、ブレイズにおけるゲーム部分の進化は特筆に値するものがあったと思う。PS2のマシンパワーによって実現した立体的なステージ構成と、新たに実装された狙撃システムやジャンプの仕様変更、部位判定の導入はシリーズのレベルを間違いなく何段も高いレベルに引き上げたし、それらが混然一体となって一つのコンセプトを形成していたのはブレイズの明らかな長所であった。

 

ブレイズをつかまえて「ゲームっぽくなった」という批判をする人は多いが、筆者はこの批判は当たらないと思う。「ゲームっぽくなった」のは事実だが、そのゲームライクな方向性への転換がバイオ4同様、良い方向に出ている面もある。ガングリフォンシリーズの魅力がリアルな世界観や雰囲気にあったことに異論はないが、そこから外れてゲームライクな方向に舵を切ったブレイズの到達した地点は、「ゲームとしては良作」などという言葉で括られる程度のものではない。

 

ブレイズは「ゲームとしては良作」という消極的な評価を超えて、もっと言ってゲーム主導型の作品に転換し得たのだと思う。リアルなストーリーや世界観、詳細な設定といったシリーズのウリが消えたのではなく、それらを必要としないほどにゲーム部分が圧倒的に進化したという、より積極的な評価を与えても良いのではないかと思っている。

 

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序盤の村で戦うレオンとガナード達の群れ。このエリアだけでも、プレイヤーは建物に籠城したり、敵の登ってくる梯子を倒したりと、非常に自由度のある行動がとれる。制限時間一杯まで逃げ回るのも自由なら、規定数まで敵を倒し続けるのも自由だ。あらゆる点でゲームライクな作りとなったバイオ4だが、出来ることが圧倒的に増えたことでゲームとしての面白さは格段にレベルアップした。

 

これは筆者の想像だが、もしゲームアーツの手によってシリーズが今も続けられていたら、その操作系統や基本システムはブレイズを踏襲したものになっていたと思う。

 

バイオ4がそれまでのラジコン操作からアナログスティックによるより直感的な操作に移行したように、ガングリもいつまでも前進・後退をボタンで切り替える操作系統ではいられなかったはずだ(オプションとして残すことは可能だった思うが)。

 

立体感を増したマップや部位判定、狙撃モードなどの評価の高かったシステムは当然、そのまま残されただろう。レーダーの廃止には賛否両論があったものの、システムとしては上手くいっていたので、個人的には是非残して欲しいところだ。

 

流石にアイテム制についてはあのままの形式で良かったのかは疑問の残るところであるが、さりとて以前の記事でも考察したように、補給ヘリ制に戻すことは可能だったかと考えると、これも疑問の残るところである。ゲームアーツのことだから何かしら上手い方法を考えてくれただろうと想像はするが。

 

以前の記事でも少し書いたが、筆者は「補給ヘリ」や「レーダー」は必ずしもガングリフォンの本質ではないと思っている。それらは作品のリアルな雰囲気を演出する上で大きな役割を果たしていたとは言え、数ある仕様の一つでしかなく、絶対に変えてはいけない部分ではないと思っている(さりとて、アイテム制が最良とは思わないが)。

 

ガングリフォンというタイトルが続いていくためには、いつまでも初代やⅡの焼き直しをするわけにはいかなかったはずだ。その中で、ブレイズという作品の目指した方向性は明らかに新しい可能性や地平を見せてくれるものだったし、また、それだけのポテンシャルを持った作品であったと思う。

 

「ゲームとしては良作」。多くのガングリファンが口にするこのブレイズ評の根底には「ガングリではない」という評価が込められているのだろうが、この言葉は同時に、シリーズが新たな段階へ入ろうとしていたことも顕していると筆者は思う。「リアルな世界観」や「重厚な雰囲気」が評価された初代から、「ゲームとしては良作」と評されたブレイズへと至るシリーズの変遷は、「世界観」や「雰囲気」といった要素からより根本的なゲームシステムの優位が確立されていくその一つの過程であったということが出来ると思う。

 

とは言え、このゲーム部分の優位が鮮明になった二作の明暗は明快に分かれた。

 

一方はフルモデルチェンジを図った名作として評価され、一方は「ゲームとしては名作」という評価こそ与えられたものの、遂にその血統たることを認められ得ず、シリーズは終焉した。元々の市場規模や作品自体のボリュームの差はあれど、何とも口惜しい話である。

 

しかしながら、「ブレイズという作品をどう評価するか?」という問題は、ガングリフォンという作品を考える上で非常に重要なことであり続けていると筆者は思う。

 

カプコンとタッグを組んでPS2で出されたブレイズは、単に初代の良さを忘れ、ライトユーザーの獲得を目指した作品に過ぎなかったのか?それとも、フルモデルチェンジを図ることで新しい方向性を模索した作品だったのか?シリーズ末期に咲いたブレイズという徒花は、今も大きな問いを残している。