ガングリフォン・ムック(仮)

名作ゲーム、ガングリフォンシリーズについて考察するブログです。他のゲームも時々語ります。更新不定期。

タンチェンの砂、チーナンの霧、ノボシビルスクの音

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以前、筆者は「ノボシビルスクの鉄塔、アウジラの電線」という記事において、SS時代の作品における敵やオブジェクトの表示距離、視認距離の問題を指摘しつつ、その例としてノボシビルスクとアウジラを比較し、「ノボシビルスクは『吹雪』や『森』といった条件を敢えて設定することで表示距離や視認距離の短さをプレイヤーに感じさせない工夫をしていたのではないか?」と書いた。

 

つまり、「『吹雪』によって更に視界を落とし、『森』で見通しを悪くして視界を塞ぎ、出来るだけ敵やオブジェクトが表示されないことの違和感を減じようとしていたのではないか?」という推論だ。実際に開発サイドがそういう目的でステージを構成していたかは分からないが、比較したアウジラなどと比べるとその問題がかなり減じられていたのは確かであると。

 

その後、記事を読んで頂いたMさんから次のような指摘を受けた。

 

逆に、ノボシビルスクのようなステージが出なかったのは、ハードの限界がなくなったから、でしょうか・・・。

 

これは恐らく、「『ブレイズ以降のステージに』ノボシビルスクのようなステージが出なくなったのは」ということなのだろうが、実を言うと筆者も同じことを考えていた。

 

実際、『森』によるローラーダッシュの移動制限が廃止されたブレイズには、ノボシビルスクリレハンメルのような深い森に閉ざされたステージというのはないし、森や木々を障害としてを感じる場面も大分少なくなった。吹雪のような強い気象条件が設けられたステージもなく、視界に大きな制限を受ける局面もまずない(一部例外もある)。これらのことを考えると、確かにM氏の指摘する通りノボシビルスクのようなステージは一見するとなくなったように思える。

 

しかし、よくよく考えてみるとレーダーそのものが廃止されたブレイズのステージは全てのステージがノボシビルスク化した」とも言えるわけで、ノボシビルスクにおいて試みられた「索敵」という行為の重要性は、実はブレイズのシステムの深い部分に落とし込まれる形で継承されたと考えることも出来ると思う。

 

つまり、実はノボシビルスクはなくなったのではなく、むしろその子孫を最も多く残した、最も成功したステージの一つであったと言えるのではないだろうか?

 

これを傍証するように、続編のⅡにはこのノボシビルスクに良く似たステージが存在する。それは7面のチーナンだ。マップ中央部を貫く二本の橋と、その下の広大な水辺で構成されたこのステージは、実はその見た目こそ似ても似つかないが、ノボシビルスクと良く似たステージ構成になっているように感じられる。

 

気象条件が「霧」に設定されており、視界がやや悪いという共通点もさることながら、水辺に入るとローラーダッシュ不能になる、水辺に入った敵はレーダーに映らない(もっとも、映らないのはM15くらいだが)、橋の下の基底部は通行不能、橋の下に降りたらジャンプでしか戻れないなど、レーダーと移動に制限を受ける点も非常によく似ている。

 

そして「霧」という気象条件のために視認距離の問題も感じにくく、敵が見え辛いことに違和感が生じにくいのもノボシビルスクに似ている点だ。こうしてみると、チーナンはノボシビルスクの正統な後継者に見える。レーダーを無効化する水辺をゆっくりと歩いてくるM15ランドクラブと、森の中から補給ヘリに接近してくるパンターの姿はどこか重なるのだ。

 

子孫とは言えないが、キエフやタンチェンもノボシビルスクやチーナンと同じ工夫が見られなくもないステージの一つだ。ステージ構成などは全く違うものの、天候や気象条件が「夜間」や「黄砂」に設定されているために視認距離の問題がやや緩和されているようにも思えるのがその理由の一つだ。

 

特にキエフは夜間ということで視界の短さにそこまで違和感がないし、そもそも林立する建物によって敵やオブジェクトが隠されるために接近するまで見えないので、表示されていないことに気付かない場面が多い(狙ってやったかはともかく、結果としてそうなっている)。

 

もっとも、タンチェンに関してはただ単に気象条件のバリエーションとして設定しただけのような気もするし、そもそもノボシビルスクキエフ、チーナンの工夫だって視認距離の問題の解消のために行われたかは判然としないわけだが、似たような傾向が見られる点は指摘しておきたい(キエフについては建物と建物が密集する狭い区域での機体の操縦に慣れさせることが目的であった旨が説明書に書かれている)。

 

さて、ではここでブレイズを見てみよう。M氏が指摘したように、ハード性能が向上したブレイズでは視認距離が一気に伸び、ノボシビルスクのようなステージは一見するとないようにも見える。レーダーが廃止されて全てのステージがノボシビルスク化したということはあるにしても、「視界」を阻む気象条件や移動を極度に制限する要素といったノボシビルスクの特徴が前面に現れたステージは確かに存在しない。

 

が、「気象条件」という面から考えると、実はいくつかのステージはノボシビルスクやチーナンのそれと似ているようにも感じられる。それは例えばチベットとエジプトである。

 

チベットは高山地帯ということもあり、ステージ全体に薄っすらと霧が掛かっている。ポルタヴァなどでも遠くの風景は薄く靄が掛かって見えるが、それらに比べてもチベットの風景はかなり霞んで見える。

 

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ブレイズのチベット。左の遠景が薄っすらと霞掛かっているのが分かると思う。これは他のステージよりも霧が濃いことを示している。

 

実はチベットの気象条件はブレイズのステージの中では最もノボシビルスクに近く、チーナンには更に近い。視認距離が一気に伸びたことと、狙撃時には遠距離の敵もはっきりと見えるのでそこまで感じないが、実はステージ全体に「霧」が掛かっているのである。

 

これはつまり、ハード性能の向上によって気象の表現そのものがより精彩になっているということなのだと思う。単に視界が効かないとか、単に遠景が見えないということではなく、もっと複雑で豊かな表情を持つようになったのではないか。これに比べると、ノボシビルスクやチーナンの気象表現は(ハード性能の限界があるので仕方ないとは言え)もっと幅のないものだったということが言えるかも知れない。

 

また、エジプトのスタート直後に上空を吹いている砂嵐も気象条件の一つと考えて良いだろう。実はエジプトの序盤はステージ全域に砂嵐が吹いており、視界が効かない場面が存在する。すぐに周囲のサティロスやビットヴァイパーとの戦闘に突入するので気付きにくいが、視界にも多少の影響を受けるのは間違いない。

 

さて、ではノボシビルスクのもう一方の特徴である「移動に制限を受ける」という観点から見ると、似たようなステージはあるだろうか?

 

実を言うと、これに当てはまるステージはブレイズには少ないように思う。そもそも、旧作でローラーダッシュを制限する役割を果たしていた「森」の機能はブレイズではなくなっており、プレイヤーの移動を阻害しなくなった。この「森」の移動に制限を掛ける機能が削除された背景については、 以前に書いたブレイズの考察記事でも紹介したN氏の指摘が当たっているように思うので、再び引用したい。

 

レーダーを逆手に取って盛り上げるギミックは幾らでも可能だったのだが(言及されている面のほかGG2リレハンメルもそう)、レーダーを殺すためには森が必要で、森があるとローラー走行できない。これがGGBで目指した面白さと決定的に相容れず、レーダー機能廃止に至った、のかもしれない

何しろ、キエフノヴォシビルスクでは「走る快感! 撃つ快感! 飛ぶ快感!」の3つのうちひとつが死ぬ(死んでいた)わけだから。とは言え、GGBはせっかくステージが広くなったんだし、もうちょっと何とかならなかったのか、と思わないでもない

 

ここでN氏が指摘するように、ローラーダッシュを制限する「森」の存在、或いはそれに類するような要素は、シリーズの中でも一際「走る快感!」に比重を置いたであろうブレイズの方向性とはマッチしなかった可能性がある。それゆえに、ノボシビルスクのようなあからさまな移動制限を行うステージはなくなったと見るのが自然である。

 

もっとも、移動を阻害する要素が全くないわけではなく、プレイヤーを妨害する地形の効果はむしろ増えている。その典型的なものがグアムやギリシャの海、チベットの滝つぼ、エジプトのスエズ運河といった各ステージに存在する「水域」で、一定の深さに機体が浸かると微量のダメージを受け続ける、RPGで言うところの「毒の沼」のような効果を持っている。これは旧作にはなかった移動を制限する要素と言えるだろう。

 

もっとも、それらの「水域」のほぼ全てがマップの端にあったり、そもそも攻略上は通行する必要がないものがほとんどのため、ノボシビルスクの「森」やチーナンの「水辺」のように移動に制限を掛ける場面はまず見られない。

 

もしブレイズにおいて移動を制限するものがあるとしたら、それはジャンプでなければ登れない崖や段差といった地形だろう。グアムの高台やチベットの滝、ギリシャの鉄橋、南北の崖、ポルタヴァの高台と川、エジプトの軍港を囲む崖、そんなところか。特にギリシャの鉄橋とポルタヴァの橋は特殊で、どちらも破壊可能なオブジェクト扱いのため、破壊されるとプレイヤーの行動に大きな支障を及ぼす。

 

この中でも筆者が特に注目したいのはポルタヴァの川とそれに掛かる一本の橋だ。このステージはマップのほぼ中央を流れる川によって南の平野と北の市街地に分かれており、ジャンプを使わない場合、或いはジャンプを使えない9式や13式でプレイする場合、二つのエリアへの行き来は橋を渡るか、川を渡るかのどちらかになる。

 

この内、橋の通行は便利な反面、通行出来る箇所が一か所しかないという制約がある。一方、川を渡るのはどこからでも行き来が可能な反面、川から上がる際に土手を登っていかなければならず、この土手の踏破が実は微妙に時間が掛かるという制約がある。これはローラーダッシュの有無に関わらず、全機種同様である。このため、16式やヤクパンならジャンプを切らさないような工夫が必要だし、9式や13式なら極力行き来を少なくする工夫が必要になってくる。

 

このポルタヴァの川はジャンプさえあればそこまで障害には感じないものの、一刻を争うような場面で且つジャンプがない状態だと地味に厄介な障害となって立ち現れてくる。平野側からだとステージ西側の崖下の土手がない地形と市街地の河岸に設けられた坂道(川から侵攻してくるリットリオやフォルクスパンターが上陸してくる場所)から楽に登れるのでそこまで不便は感じないが、素早く上陸出来る場所が二つに絞られるので、誤って川に落ちた際などにはそこそこのタイムロスになる。市街地側からともなると全ての河岸が土手のため、タイムロスは更に多くなる。ノボシビルスクやチーナンほどではないにせよ、確実に「移動の制限」の役割を果たしているわけだ。

 

このポルタヴァの橋と川には色々と未来への可能性を感じるポイントが多いのだが、それはさておき、ブレイズで地形の制限を認識する場面は他のシリーズに比べて大分少なくなっているように感じられる。勿論、他のステージの崖や段差といった地形もそれぞれ障害となるものはあるのだが、それらはいずれもジャンプがあれば何とかなるか、なくても問題ない場合がほとんどだ。

 

ただ、これは移動の制限を受ける場面がなくなったというよりも、「少なくなった」、或いは「違う形で制限を受けるようになった」と解釈した方がより実態に近いと思う。「森」ように分かり易い「制限」は少なくなったが、ポルタヴァの川の土手のような細かい表現に移り変わったということかも知れない。

 

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ブレイズのウクライナ・ポルタヴァ。見え辛いが、手前の平野と奥の市街地の間に川が流れており、そこの両岸が土手になっている。橋が落とされると、ジャンプ以外でのアクセスは少しばかり時間が掛かるようになる。

 

この「移動の制限」にⅡのヴォストーチナャ・リツァやバレンツをそこに含める向きもあるかも知れないが、あれは「機体の挙動」に制限を受けているのであって、必ずしも「移動」に制限を受けているわけではないという思うので、ここでは除外する。

 

こうして見ると、やはりノボシビルスクのようなステージは「なくなった」というより、ブレイズのあらゆる面に「深く浸透していった」と考えた方が妥当かも知れない。「RPGがその使命を終え、そのゲーム性がタンポポの種子の如く世にあまねいている」ように*1ノボシビルスクの雪もまたその使命を終え、ブレイズのフィールド奥深くに溶け出して豊かな地下水脈を形作っているのかも知れない。

 

実際、ノボシビルスクにはブレイズの核となるテーマが沢山詰まっている。「気象」、「地形」、「索敵」、「視界」、あらゆる要素を駆使して組まれたノボシビルスクのステージ構成は数あるステージの中でも一際よく練られており、何度プレイしても楽しいステージの一つだ。

 

まとめると、Mさんに対する回答としては「ノボシビルスクはなくなっていない」となる。そして「ハード性能の限界がなくなったから(ノボシビルスクのようなステージが)なくなった」というより、「ハード性能の向上によって更に精彩になったのだ」と言うことが出来ると思う。

 

そしてここにもう一つ、筆者が全く見落としていた要素があった。

 

次に紹介するツイートは前回のノボシビルスクの記事に対してD氏から頂いたリプである。

 

ノボシビルスクは、BGMをオフにしてヘッドホン着けてプレーすると、吹雪の向こうから接近してくるオットリッチの足音が聴こえるので、それに向けて有線ミサイルの照準を合わせて見えるまで待つのが好きです。 隠しコマンドでレーダーオフとかカーソルオフとかにもした覚えが。うふ。

 

そう、「音」だ。これについては筆者も全く意識していなかったのだが、確かにあのステージでは特に「音」が重要かも知れない。プレイヤー機にしろ敵機にしろ、森を通過する際には木々の枝を揺らす音がする。AWGSならば足音がするし、車両ならばエンジンの駆動音がする。これらの「音」を頼りに敵を探し出すという行為もまた、「索敵」という行為の重要な一部だろう。そしてそれに合わせたかのように、あのステージのBGMは非常に静かなものだったと気付く。

 

D氏はその上に隠しコマンドで更に制限を着け、レーダーはおろかカーソルまでオフにしてヘッドホンを着けてやるというのだから、いやはや筋金入りのノボシビルスクマニアである。ノボシビルスクでレーダーがないと敵の位置どころか自分の位置すら把握するのが困難な気もするが、ちょっとやそっとの難易度じゃ物足りないという人にはお勧めのプレイ方法だろう(筆者はハリコフでも迷子になった。DLS使えば良いのか?)。いずれこの「音」という観点からも記事を書いてみたいと思ったが、D氏の指摘で十分という気もする。

 

最後になるが、こんな風に他の人の楽しみ方を教えて頂けるというのは中々ありがたいことである。なぜなら、最終的にはゲームというのは自分でルールを作り出して遊ぶものだからだ。最高難易度をクリアするとか、クリア時間を競うだけがゲームではないし、それは数ある目標の内の一つでしかない。ゲームのルールは自分で作ればいいのであって、個々のプレイヤがー何を目標にしたって構わないのだ。

 

SKYRIM』や『GTA』に代表されるオープンワールドゲームの数々がそうであるように、『どのようにして遊ぶか?』という、プレイヤーの遊び方そのものを問うゲームが昨今は増えているが、恐らくずっとその前から、ゲームというのはもっと自由な楽しみ方を許容する文化であった筈である。個々のプレイヤーの数だけ、ゲームの楽しみ方はあると筆者は思う。それはガングリだって同様だ。

 

思えば、ガングリはⅡでサバイバルモードや通信協力・対戦モード、裏技で戦車やヘリまで使えるといった新要素を次々に盛り込み、ブレイズでは使える武装の数を一気に増やしつつ、アイテム制の導入やリプレイ性の向上で遊びの幅を広げる方向性を模索してきた。

 

しかし、シリーズの中ではもっとも遊びの幅が少なく見える初代にすらD氏のような多様な遊び方をしている人がいて、それを深く楽しんでいる人がいるということを見ると、ゲームはプレイヤーに対してどうあるべきなのかという問題について考えさせられる。

 

冨樫義博さんの漫画、「レベルE」の主人公のセリフにこんな言葉がある。

 

「面白いゲームとは創造主にさえ未知の喜びを与えてくれるものだ」

                      バカ=キ=エル・ドグラ

 

かの『Demons` Souls』の宮崎英高氏さえ、プレイヤーがその対人要素にドハマりして『道場』*2を開いたり、鬼ごっこのような対人戦*3を繰り広げることは予想外だったらしいが、それは逆説的に『Demons` Souls』が如何に優れたゲームであるかの証明にもなるだろう。

 

ゲームとは作り手の用意したものを遊ばされるものなのか?

それとも、作り手の用意したものを使ってプレイヤーが遊ぶものなのか?

 

勿論、筆者は後者の立場を取る。クリエイター達の用意してくれた作品の素晴らしさは勿論だが、プレイヤーは深く作品にコミットすることで、時にその作品の枠すら超えて新しいもの生み出せる可能性を持っていると思うからだ。そして恐らく、筆者がブレイズに惹かれる理由もまた、そこにあるかのかも知れないとD氏のリプを見て思った。前回の記事を書いて得た一番の収穫は、それであったかも知れない。

 

 

 

 

 

 

脚注

*1:ユリイカ2009年4月号の対談におけるゲームクリエイター飯田和敏氏の発言。44ページ、青土社

*2:城4や嵐1といったステージの要石の近くでプレイヤー同士によって繰り広げられる対人プレイのことで、それを主宰するホストによって呼ばれた青ファントムが侵入してくる黒ファントムと1対1の対人戦を行う形が主流。ゲームのルールやシステムとして実装されているわけではなく、あくまでもプレイヤーの中で育った文化のため、統一されたルールは存在しない。一般的には回復アイテムの仕様を禁じた「草禁止」が主流であるが、これとて互いの了解なくして成立するものではないため、結局俺ルールの押し付け合いになりがち。また、道場に見せ掛けてピンチになると多人数で黒ファントムを囲むなど、最早どちらが黒ファントムか分からない事態も続出した。

*3:『Demons` Souls』のステージは後のシリーズに比べて通行可能な部分が多く、流動性に富んでいた。このため、数的不利を強いられることの多い黒ファントムの側は広大なステージを縦横無尽に使って戦うことが多くなり、結果的にそれを追うホスト・青ファントム側と延々追いかけっこを繰り広げる事態が続出した。上手いプレイヤーになると本当によく逃げるため、追い掛ける内に分断されたホスト側が各個撃破されるなど、ランバ・ラルの如きゲリラ屋黒ファントムが多数現れた。開発サイドはこのような事態を苦々しく思っていたようだが、筆者も含めてプレイヤー側は大いに楽しんだ。