ガングリフォン・ムック(仮)

名作ゲーム、ガングリフォンシリーズについて考察するブログです。他のゲームも時々語ります。更新不定期。

サバイバルモードは本当になくなったのか?ケープカナベラルという特異点

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ブレイズへの批判点としてよく挙げられるものの一つに、Ⅱで人気だったサバイバルモードをはじめとする多彩なモードが削除され、シナリオモードのみになってしまったというものがある。ついでに言うと、従来なら演習ステージに含まれるはずのステージまでがシナリオに組み込まれ、それを含めても全6ステージというボリュームの少なさもプレイヤーの大きな失望を買った理由だと思う。

 

サバイバルモードのことを知らない人のために一応書いておくと、このモードは一定時間内の間、特定の目標を護衛しながら戦場にランダムで現れる敵増援を延々と倒し続け、制限時間内にどれだけ多くの敵を倒せたかを競うモードである。護衛目標が破壊されるか、自機が破壊されるか、制限時間が来るかのいずれかの条件でステージ終了となり、より良い成績を出せばランキングを更新することが出来る。

 

もっとも、記録を更新したからと言って何か隠し機体が使えるようになるとかそういうことはなく、ただ純粋に破壊数を競うゲームなのだが、これが中々面白かった。

 

ウラジヲストク、バレンツ、ヘジャス、リレハンメルとある4つのステージはどれも特徴のあるステージで、AIのアルゴリズムによって管理される増援のタイミングがシナリオモードとはまた違った体験を与えてくれる。おまけに使える機体はシナリオモードの12式改以外にも前作の主役機である12式やヤークトパンターパンター、ブルータルクラブにエレファントといった敵のAWGS、90式やメルカバといった戦車からツングースカといった自走対空砲、果てはアパッチやホーカムといった攻撃ヘリまで使えるという大盤振る舞いで、挙動の違う個々の兵器を使うのは中々楽しかった。

 

また、環境を用意する敷居は高かったものの、通信モードで友達と協力プレイを行うことも可能であり、戦車とヘリの共闘が行えるなど、遊びの幅がとにかく広かった。正直言って、これ単体でもゲームになるくらいの魅力があったわけである。

 

かくいう筆者もこのサバイバルモードを大いに楽しんだ一人で、12式を使ってウラジヲストクを良くプレイしていた。協力プレイも何度かやったものの、その当時の感動というのはちょっと言葉では言い表せない感じがあった。

 

であるから、これがブレイズになって削除された時にショックを受けた古参ファンの気持ちは理解出来た。筆者は案外あっさり「そういうことなら」で済んでしまったのだが、シナリオ、演習、サバイバル、通信対戦と4つもあったモード(通信観戦まで入れると5だろうか)がシナリオモード一本のみに絞られたのだから流石に「あれ?どうしちゃったの?」という気持ちにはなった。

 

おまけに、サバイバルモードや演習ステージまで含めると全14ステージもあったⅡから一転、半分以下の全6ステージまで減ってしまったのを見ると、「何かおかしいな」という想いがムクムクと湧いてきた。

 

もっとも、実際にプレイすると実は一つ一つのステージの作り込みが旧作に比べて格段に進化している上に、新しいゲームシステム、仕様と見事に絡み合って旧作以上の濃密なゲーム体験を提供していることが分かったので、個人的にはプレイすればするほど不満は消えて行った。

 

全6ステージというステージの少なさも、個々のステージのリプレイ性が高いので体感的にはそこまで減った感じもしなかった。ブレイズのステージ数は確かに少ないが、繰り返しプレイに耐えるという意味で言えば旧作と同等か、それ以上であり、特にギリシャとポルタヴァはシリーズ全体を通しても屈指の良ステージではないかと思うくらいに良く出来ていると筆者は思う。

 

また、実はそのステージの作りをつぶさに見て行くと、サバイバルモードの蓄積が随所に活かされているのではないかと思う時がある。

 

それは例えばケープカナベラルである。このステージは序盤のステージということもあって難易度が抑え目であり、それこそやる気になれば1、2分でステージをクリア出来てしまうほどの簡単なステージだが、筆者はこれまでこのステージを余り好きではなかった。理由は単純明快で、正に「簡単過ぎる」からである。

 

制限された区画内を周回するだけのVW‐1、適当に現れて消えるM19A1、M16A1、いずれもかつて連雲港やタンチェンで見せたような凶悪さはなく、破壊目標であるスペースシャトル・ダックも狙撃で遠距離から倒せてしまう。恐らく、シリーズを通してもクリアするだけならこのステージ程楽なステージはないというほど、簡単過ぎるのである。

 

もっとも、HELLモードになると必ずしもこの限りではないのだが、弾薬やジェリカンが各所に豊富に用意されていることもあり、余程の油断でもしない限りまず作戦失敗に陥ることはない。

 

これは演習ステージであるグアムに続く序盤のステージであるということもあるのだろうが、ブレイズ特有の仕様であるアイテムボックスを楽に収集出来るステージを設ける必要があったことも関係しているのだろう。アイテムボックスが気軽に収集出来ないとシステムが死んでしまう可能性もあり、稼ぎ用のステージとしては難易度をそこまで高く出来なかったというのはこれはありそうな話である。

 

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ブレイズのケープカナベラル。ステージの各所に設けられた区画内の建物やコンテナにはアイテムボックスやイフェクトグッズが豊富に隠されており、「稼ぎ」の場として利用される。

 

ただし、それもクリアするだけならという条件がつく。もしクリアするだけではなく、ハイスコアを更新することを目標にした場合、このステージは全く別の顔をプレイヤーに見せることになる。

 

このステージの任務は破壊目標であるスペースシャトル・ダックと三機のVW‐1の破壊であるが、裏を返せばそれらを破壊しなければ任務は終了しないということでもある。これを利用してダックを残しておき、制限時間ギリギリまで敵を破壊するのがハイスコアを狙うセオリーだ。

 

そしてこうした遊び方を推奨するように、実はケープカナベラルには延々と敵増援が登場し続ける。ステージの三方から増援のM1A3やM16、M16A1、M19A1、非戦闘車両の六輪トラックがランダムに出現し、戦場を横切っていくのである。

 

こうしたステージは旧作にはなかった。旧作では大抵の場合、タイムテーブルに沿って増援が到着するだけで、それらの増援を破壊した後にも現れ続ける敵はいなかったし、そもそも作戦時間が長いものが多く、全ての敵を撃破するまで終了しないステージや、味方がエリアを撤退するまで終了しないステージが大半だった。

 

が、ケープカナベラルはそれらとは全く違う。先ほども書いたように、速攻でクリアしたければ1、2分で終えられる。だが、ハイスコアを狙うなら制限時間一杯まで戦うことも出来る。つまり、ケープカナベラルは自分で作戦時間を調節出来る非常に稀有なステージであるということが出来ると思う。これは旧作にはなかった類のステージである。

 

例えば、旧作のハリコフやキエフも作戦時間を調節すること自体は出来た。終盤に増援として登場するパンターを放置して破壊しなかったり、或いは最初から戦場にいる敵を放置し続ければいいだけである。それだけでクリア時間は若干でも伸びる。だが、逆に言えばそのパンターが登場するまでは作戦を終了させることが出来ないということでもあり、それまでは作戦を遂行しなければいけないわけだ。

 

が、ケープカナベラルはもっと自由だ。1、2で速攻クリアしてもいいし、敵の攻撃を受け過ぎてピンチになったらダックを破壊してもいい、制限時間ギリギリまで粘ってもいい。ハリコフやキエフに比べても広いスパンの時間内で、そのプレイ方法を選択出来るのである。

 

そしてハイスコアを狙った場合、プレイヤーはステージを走り回って出現し続ける敵増援を倒し続けるわけであるが、この時に最も必要になってくる技術は少しでも弾薬の消耗を抑える技術である。ステージ上には豊富な弾薬があり、オプショナルウェポンも持ち込めるとは言え、適当に弾をバラ撒いていたらあっとういう間に弾が尽きてしまう。

 

そうなると、一定時間ごとに一発ずつ補給されるメインウェポンのみで戦うわなければならなくなり、好成績は望めない。戦車に近づいて上面装甲を撃ち抜き一発で撃破する、M16やM19A1も出来るだけ上面装甲を狙って少ない弾薬で破壊するといった工夫が必要になってくるわけだ。

 

破壊目標を敢えて残し、弾薬の消費を極力抑えつつ敵増援を破壊し続ける。ケープカナベラルでハイスコアを目指す場合の感覚は明らかにサバイバルモードのそれに似ていると思うのは筆者だけだろうか?

 

そしてこの特徴は実はケープカナベラルだけではなくて、チベットやエジプトにも現れている。この二つのステージも実はケープカナベラルと同じく、ある程度自分で作戦時間を調節出来るステージであり、サバイバルモードにやや似ているステージなのだ。

 

特にチベットの方はよく似ていて、このステージも破壊目標である4機のティーガーと4機の13式、3機の砲台を破壊すれば速攻でクリアすることも可能だが、いずれか1機でも放置しておけば制限時間一杯まで粘れるという点は共通している。

 

筆者は大抵の場合、耐久力に恵まれ、配置的にも都合の良い滝側から数えて二つ目のティーガーを残すようにしているが、ステージの各所から際限なく現れる13式やコラート、ヘリを倒し続けて得点を重ねる感覚は確かにサバイバルモードに通じるものがある。

 

また、エジプトもこの傾向があるステージだ。このステージの破壊目標は4機のエレファントと3機のヤークトパンターⅡ、一基の基地ゲート、「ブレイン」と呼ばれる一棟の司令塔だが、これらのいずれかを放置しておけば制限時間一杯まで粘ってハイスコアを狙える。放置するのは大抵の場合、攻撃手段のないブレインになるわけだが、この間、やはりステージの三方から増援のバリアントやツングースカが出現し続け、軍港を取り囲む崖の上から攻撃し続けることが可能だ。

 

この三つの内、特にサバイバルモードに近いのはケープカナベラルだろうか。チベットもやや違いが、破壊目標がより多いため、ハイスコアを狙うのがよりシビアになっている。また、エジプトはシナリオモードの特徴とサバイバルモードの特徴を融合させたかのような試みが行われており、これも興味深い点だ。

 

そして残るギリシャとポルタヴァにも実はサバイバルモードの特徴は活かされていると思う箇所が随所にある。

 

実を言うと、ギリシャとポルタヴァはどちらも護衛目標が存在し、それが撤退するまで援護し続ける典型的なタイムテーブルに沿って進行するミッションのため、サバイバルモードとはやや感覚が異なる。出現する増援もほぼ固定で、無制限に登場する増援はいない。

 

だが、その割にはこの二つのステージのリプレイ性は高く、何回プレイしても飽きないところがある。というのも、この二つのステージは敵の増援の出現する方向やタイミングに僅かなランダム性が設定されているために、何度プレイしてもその都度体験が微妙に異なってくるからだ。

 

特にポルタヴァはこの傾向が顕著で、前半の平野における戦いでは比較的狭い戦域に多方面から増援が現れ、プレイヤーと味方部隊に襲い掛かってくる。この内、BMX-30やツングースカ、ストゥームティーガーの出現方向は毎回ランダムで変わり、そのパターンも機種によっては3パターン程にもなる。

 

このランダム増援の仕様自体はⅡで既に採用されていたものの、2パターンに抑えられていた。ポルタヴァではこれが1つ増え、よりランダム性が増したわけだ。ギリシャも出現方向のパターン自体は2パターンに抑えられているものの、その頻度が多くなっているため、その組み合わせの違いでプレイヤーは毎回異なる判断を求められ、結果的に飽きが来にくくなっているのだ。

 

恐らく、このギリシャとポルタヴァはシナリオモードを順当に進化させたというだけでなく、サバイバルモードで磨かれたランダム増援やそのタイミングの蓄積が活かされているのだと思う。或いはそれは、AIのアルゴリズムの進化なのかも知れない。

 

さて、こうして見ると、実は「ブレイズからサバイバルモードがなくなった」というのは正確ではないという気がしてくる。恐らく、サバイバルモードはノボシビルスク同様に、ブレイズのステージ構成やシステムの土台部分に深く浸透していったのだと思う。一見するとモード数が減少したのでボリュームが減ったように見えるが、実は1ステージ辺りのプレイ体験の濃さはむしろ濃密になっているのだ。

 

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ブレイズのポルタヴァ。巧みに練り込まれた増援タイミングとランダム増援の豊富なパターンが織り成すロシア軍の猛攻はシリーズが培ってきた技術の結晶だ。

 

これらの工夫のお陰で、恐らくブレイズはプレイすればするほど不思議と不満が消えていくゲームであり、ボリューム不足をそこまで感じなくなる。一つ一つのステージ構成が非常によく練られているために、何度プレイしても飽きが来にくいし、武装や機体の選択によってそれは更に高められる。

 

しかし、ブレイズが素晴らしいのはそうした武装や機体の選択という、目に見える部分だけでリプレイ性を高めようとはしなかったところにあると思う。もっと深いゲームシステムの部分、その土台部分からきちっとリプレイ性を高める工夫がなされている辺りに、筆者はこのブレイズの良さがあると思う。

 

正直なところ、ブレイズという作品は誤解されてきたと筆者は思う。「ライトゲーマー向けだ」とか「海外向けに作られたのだ」とか、「新しい方向性を模索した」とか、良くても「ゲームとしては良作」という何とも消極的な評価に止まっている。それはこの20年間ずっとだ。

 

だが、筆者は実態はちょっと異なると思う。

 

今回のサバイバルモードの蓄積が活かされたであろうステージの構成もそうだが、筆者はブレイズで行われた改変は全て初代やⅡからの蓄積の上に活かされているものであって、極めて正統で順当な進化だったと思っている。それはレーダーの廃止に始まって狙撃モードや部位判定の導入、マップの立体感の向上、ジャンプした時のリアルな挙動、どれをとっても別に奇を衒ったわけでもなく、極めて真っ当な進化だ。

 

それはあの悪名高いアイテム制にしたってそうだ。あれが演出的に問題があるのは確かだが、「補給ヘリ以外の補給方法はないのだろうか?」と考えた時には当然あり得る選択肢だったはずだ。

 

以前にも書いたが、ガングリフォンという作品は常に変わり続ける作品であり、全ての仕様が変化してきたシリーズでもある。そこで優先されるのは「伝統」ではなく、何よりもプレイヤーがプレイした時の「楽しさ」や「快感」であったと筆者は思う。

 

初代で効果が高過ぎた迷彩を廃止し、空中からでも楽に命中させられるVTGを採用し、敵や機体の挙動を重くしてゲームスピードもやや抑えと、Ⅱの時点で既にあらゆる仕様が変わっており、プレイヤーがより「快感」を得やすい方向に進化していた。多くのファンはブレイズにおける変化の大きさに着目しがちだが、むしろⅡの時点で変革は始まっていたのである。

 

この意味で言うと、「ヘリ以外の補給方法は認めない」という姿勢は、実はガングリという作品の本来の姿勢からはほど遠いのではないかと筆者は感じる。むしろ補給ヘリという補給方法すら疑い、「もっと良い補給方法はないだろうか?」と模索するところにガングリフォンという作品の真のメンタリティはあると思う。

 

その結果がアイテム制であったというところには筆者も少し首を傾げるところもないではない。が、変化を恐れる姿勢はこの作品には似合わない。むしろ周囲をおいてけぼりにするほどの高い技術力と先進性でどんどん変化していく姿勢こそがガングリであり、ゲームアーツという企業の姿勢として相応しい。

 

そしてここに「隠れながら撃つ感覚」という、企画当初のコンセプトが出てくる。このコンセプトこそがガングリの骨子であったことは以前にも指摘したが、このコンセプトを追求したのも実はⅡではなくブレイズであり、そういう意味で言うとむしろブレイズは原点に立ち返った、最も正統派のガングリフォンでもあったはずなのである。

 

つまり、ブレイズは新しい方向性を模索したというよりも、その原点を真摯に見つめ直して初期のコンセプトをPS2という当時の最新のハードでやろうとした結果、ああいう作品になったという、極めて真っ当な作りの作品だったのではないかというのが筆者の推論である。

 

そしてこれは別に驚くべき結論でも何でもない。歴史上でも実は大きな変革や改革を行う人の思考というのは真っ当過ぎるくらいに真っ当過ぎることがほとんどで、何か変わったことをやろうとして変革が起こった例はむしろ少ない。

 

信長の天下統一事業だって世界の歴史の流れから見れば決しておかしなことではなく、中央集権へと向かう国家体制の構築はむしろ世界の潮流であったということが出来るし、それを引き継いだ秀吉や家康の支配体制の構築も信長のやろうとしたことを引き継ぎ、自己流にアレンジしたに過ぎない。その信長にしても、彼のやろうとしたことは更にその前にいた人々のやり方を踏襲したに過ぎない。

 

それは芸術の世界も変わらない。多くの作家は自分の見た作品や師事した作家の影響を受け、型を学び、そこから自分自身の型を見つけ出していく。誰の影響も受けず、誰の型も学ぶことなく作品を作る人間などまずいない。

 

奇を衒ったことをしようとする人ほど、実はオリジナリティに欠けているということは多い。むしろ、「自分は普通だ」とか「真っ当なことをしている」と思っている人の中にこそ、普通でないものや真っ当でないものが潜んでいる。

 

ブレイズという作品も実はそうだと思う。恐らく、ブレイズという作品はその見た目に反して、変わったことをやろうという意図は全くなかったと思う。むしろ、真っ当なことをやろうとした結果がブレイズではなかったのか。

 

その証左は作品の至る所に確認出来る。レーダーの廃止、補給ヘリの廃止、部位判定の導入、マップの立体化、ランダム性とリプレイ性の増加、多彩なモードの整理・統合。その細部をつぶさに見てきた今となっては、その全てが極めて正統な進化だと分かる。むしろこういった作品そのものに残るドラスティックな変革の跡にこそ、筆者は「ガングリらしさ」を感じる。

 

そしてこのことは以前にも紹介したブレイズのディレクターを務めた林田浩太郎氏の言葉にもよく現れている。

 

―ゲームの内容としては、かなりマニアックなものだと思うのですが、企画段階でマーケティングを含めかなり冒険だったのではないですか?

林田●「この企画が進み始めた頃、次世代機と言われるセガサターンプレイステーションがデビューして、CD-ROMマシンが出そろいつつある時期だったんですよ。でも当時はサターンで、早く画面を動かすなんて考えにくい状況で、逆に言えば早く動かすことで技術力を見せることが出来た。そんな時だから会社的にも新ハードの性能をフルに使ったものを、多少売りにくい商品でも実験的に製作しようという機運がありました*1

 

この言葉を見れば分かるように、ガングリフォンという作品はまずゲームアーツの技術力を実証するための技術実証車であり、コンセプトカーであり、フラッグシップとなるF1カーでもあったわけで、「技術力を見せる」という目的も大きかったわけだ。これは初代が当時まだ発売されて間もないセガサターンの性能を「100%引き出した」という逸話にも現れている。

 

これはPS2になって発売されたブレイズも同様だ。PS2のローンチタイトルとして最も初期の頃に発売されたタイトルの割には、確かにブレイズは良く出来たソフトの一本だ。PS2の発売に合わせたがゆえのボリューム不足はあったものの、そのゲーム内容にしても冒頭のOPムービーにしても決して後続のタイトルに見劣りするようなものではなかった。

 

これらのことを見た時、数々の改変がなされたブレイズという作品の内容と、ガングリがゲームアーツの技術を実証するための作品であるという事実は決して矛盾してはいないのだ。

 

「ガングリらしさ」というものの根源をミリタリーテイストに求める方は怒るかも知れない。しかし、そのミリタリーテイストはあくまでも「テイスト」であって、ガングリという作品の一側面ではあっても、全てではない。「技術」というまた別の視点から見た時には、むしろブレイズはまことに「ガングリらしいガングリ」であったと言えるのではないだろうか。

 

ネットで情報を集めていると、時々「ガングリはもう初代のリマスターでも出してくれれば十分だ」という声を聞くことがある。また或いは、「初代のリメイクを出して欲しい」という声も。初代の素晴らしさは分かるし、どちらの気持ちも理解出来ないわけではないのだが、それらの意見を聞く度に、筆者は開発者でもないのに(お節介にも)忸怩たる思いになることがある。

 

「それでいいのだろうか?」と。

「どうせダメ元ならもっと貪欲に新しいものを求めてもいいのじゃないか?」と。

 

それならまだ可能性のありそうな別の会社に「作ってくれ」と頼む姿勢の方が筆者には共感出来る。出来ればその良さを理解してくれる会社の方が良いし、100%満足出来るものが上がってくるなどと思ってはいないが、「昔のままでいい」という姿勢は「ガングリらしさ」とは全く異なるものだと思うからだ。

 

ガングリは常に時代の先端を走ってきたタイトルであったと思う。 それはまだ3Dシューティングというジャンルが珍しかった時代に、あれだけの完成度を誇る初代を送り出した時からそうであった筈である。続くⅡではサバイバルモードや二台のモニターとハードを使った贅沢な通信対戦や協力プレイを実装し、貪欲に新しいことに挑戦していた。その根底には自身が天才的プログラマーであったディレクターの宮路武氏のカラーも大きく反映されていたのかも知れないが、どちらの作品も技術屋集団ゲームアーツの面目躍如たる先進性が感じられる。

 

それはブレイズも変わらない。PS2というマシンの力を借りて、グラフィックが綺麗になったり、フィールドが広がっただけがブレイズのウリではない。そのゲーム空間としての内実が骨太に進化している。ガングリフォンという作品を確実に次世代のレベルに引き上げている。これだけは疑いようのないことだ。

 

変化しないガングリはガングリではない。

 

ブレイズという作品に例えいくつかの瑕疵があったとしても、それだけは失ってはならいないものであった。そして少なくともブレイズはその姿勢だけは失っていなかったし、その変化も自らの原点をしっかりと見つめた堂々たる一歩だったと筆者は改めて思うのである。

 

 

 

*後日、久しぶりにケープカナベラルをプレイしてみた。すると、以前とは全く違う印象を持つことになった。何というか、「これはこれでまったりしてていいな」と思うようになった。HELLモードでプレイするとM19A1のATMやM16のGUNもそこそこ痛く、周囲をきちんと警戒する必要はある。そして何よりも、やはりブレイズからプレイするユーザーのことを考えたら入門編としては確かに最適なステージなのかも知れないとも思った。記事中では「余り好きではない」と書いているが、現在はその評価も変わりつつある。

 これは自分も含めてそうなのだが、長年プレイしているファンほど「ライトゲーマー向け」という言葉を否定的な意味で口にしてしまう。しかし、そうした目配せや配慮のなされたブレイズの姿勢は決して否定されるべきものではなかったようにも思える。新しい層を取り込まなければ、新しい世代に受け継がれなければ、どんな魅力的なタイトルもコンテンツも先細りしていく以外に道はない。

 HELLモードという古参ファンでも苦戦する本格派の難易度と、BLAZEAWAYのようにライトユーザーでも取っつきやすい難易度を併置するブレイズのユーザーフレンドリーな部分というのは、もっと評価されて然るべき部分だったのかも知れない。 ブレイズにおけるゲームアーツの試みは、果たしてどれほど理解されているのだろうか。

 

 

 

 

 

脚注

*1:グレートメカニック2、120ページ、2001年発行