ガングリフォン・ムック(仮)

名作ゲーム、ガングリフォンシリーズについて考察するブログです。他のゲームも時々語ります。更新不定期。

第三次世界大戦戦後史④ブレイズ・ウォー

 仮想戦記第4弾。二年近くに渡って続いたアメリカ内戦が終結し、合衆国の復活が宣言された。しかし、それは平和の到来を意味しなかった。内戦によって穀倉地帯の大半が壊滅したアメリカは、食糧を確保するべくその強大な軍事力を以て海外侵攻を繰り返し、遂に中国・APCの解体を目論む。

 しかし、その利己的な姿勢は中南米諸国のAFTAからの離脱という事態を招き、アメリカの裏庭は大混乱に陥る。中国政府はアメリカの侵攻を遅らせるべく、中南米諸国を支援することを決定。再び日本外人部隊に出撃が命じられ、正義なき戦争へと投入されることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

ブレイズ・ウォー

 

アメリカ大陸の戦い》

 

日本のダンケルク

 2021年12月8日、アメリカ・カリフォルニア州エドワーズ空軍基地。

 

 ユーラシア・アフリカの二大陸で戦火が巻き起こっている頃、北米大陸では世界を混乱の渦に陥れる発端となったアメリカ内戦が尚も進行していた。

 2020年2月に始まった内戦は当初、北部連邦と西部連邦、南部盟邦による三つ巴の戦いとなったが、密かに日本と同盟を結んだ西部連邦による攻撃でパール・ハーバーの太平洋艦隊司令部とNORAD基地を相次いで喪失した北部連邦は、南部との二面作戦を嫌って西部連邦に対して同盟を提案する。しかし、西部連邦側はこれを拒否し、北部と南部の戦いに対してはあくまでも中立の姿勢を貫くことを宣言したため、両者は一時的な休戦協定を結ぶことで合意した。

 この時を境に、戦いの主戦場は北部と南部が国境を接する東海岸側に移ることとなる。両者の戦いは保有する部隊の質・量共に優れる北部優勢の内に進み、州境とゲティスバーグの戦いでの勝利によって勢いに乗った北部連邦軍が大挙して南部諸州に侵攻する事態となった。

 そして2020年7月17日、北部連邦は南部盟邦の首都テキサス州・ヒューストンを攻略し、南部諸州をその支配下に置くことに成功する。しかし、北部の支配を良しとしない南部盟邦の残党がフロリダからキューバベネズエラといった中南米諸国へと亡命して破壊活動を続けたため、南部諸州の治安が不安定化する要因ともなった。

 

 このアメリカ内戦の余波は国際情勢にも大きな影響を与えずにはおかなかった。北部と南部の戦闘が継続している間にも、中国・ロシア・インド・GEUなどが次々にアメリカのGPS規制を破って独自のGPS衛星を打ち上げており、北部連邦の戦略的優位は揺らいでいた。また、日本と同盟を結ぶ西部連邦も未だ健在であり、パール・ハーバーの太平洋艦隊司令部を抑えていたことから、中国やロシアといった反米的な国家の跳梁を許すことともなった。このため、北部連邦は通信・情報の独占を狙い、軌道上の衛星を破壊するために開発されたサテライトキラーの打ち上げを画策する。

 サテライトキラーの打ち上げ成功は、即ち北部連邦による世界支配を意味する。この事態に対し、北部連邦との対決を避けられなくなった西部連邦は密かに同盟を結ぶ日本に協力を要請し、サテライトキラーの破壊を目論む。

 そして2020年8月5日、この要請に従って国籍マークを消した第501機動対戦車中隊が出撃し、ケープカナベラル宇宙基地を奇襲。その強力な防衛網を掻い潜り、サテライトキラーを搭載したスペースシャトル(通称ダック)を撃破することに成功した。

 

 北部連邦はサテライトキラー襲撃の直後から事件の裏に西部連邦と日本政府がいることを掴んでいたが、西部連邦に対して即座に開戦することはなかった。これは制圧したばかりの南部に北部諸州の民衆の生活基盤を移す必要があったこともさることながら、南部盟邦の残党が各地でテロを起こして治安を悪化させており、その鎮圧を優先したためと、西部連邦側も依然として強力な軍事力を保持していたためである。
 しかし、北部連邦はその間にも着々と西部侵攻の準備を進めており、サテライトキラーの破壊から約8か月後の2021年5月には西部連邦に休戦協定の破棄を一方的に通告。テキサス州に集結させた大部隊を以て西部連邦領のニューメキシコ州コロラド州に侵攻した。
 一方、対する西部連邦も北部連邦側の動きを予測して防衛態勢を整えており、戦力を結集して防衛戦を展開した。互いに世界最強の米軍同士ということもあり、戦いは一進一退の激しいものとなった。

 西部連邦はリオ・グランデ川を第一次防衛線、グランドキャニオンを第二次防衛線として北部連邦軍の猛攻によく耐えた。 西部連邦支援の為に派遣されていた第501機動対戦車中隊と第502機動対戦車中隊も敵の補給路の襲撃を繰り返し、その侵攻を遅らせる原動力となった。

 しかし、数の上で優勢な空軍と陸軍の精鋭・第82空挺師団と第101空挺師団、更には新型兵器V‐MACS*1無人スケアクロウ*2までをも投入した北部連邦軍の猛攻は圧倒的であり、戦線は徐々に後退。同年10月までにリオ・グランデ川の第1次防衛線は破られ、モニュメント・バレーにおける戦いで決定的敗北を喫したことから、戦況は一気に西部連邦不利に傾いていく。

 

 圧倒的物量と航空優勢を以て進撃する北部連邦軍に対し、日本外人部隊は奮戦を続けた。第501及び第502機動対戦車中隊は北部連邦軍の後方補給路に対する襲撃を繰り返し、その進撃を遅らせることに貢献。10月にはグルームレイク空軍基地に取り残された要人救出任務に投入されるなど、獅子奮迅の活躍を見せた。

 が、こうした小さな勝利では戦局そのものを覆すことは出来ず、11月半ばになって遂に日本政府から日本本土への撤退が指示される。すでに敗色濃厚となっていたアメリカ西部連邦政府もこれを容認し、残存した西部連邦軍の一部を撤退援護に投入することを了承。西部連邦軍のC‐130やC‐17、C‐5、民間輸送機までをも借用しての一大撤退作戦が始まることとなった。

 一方、これまでの戦いで機動対戦車中隊に幾度となく煮え湯を飲まされてきた北部連邦軍は、雪辱を晴らすべく急進撃でエドワーズ空軍基地に迫る。これに対し、第501及び第502機動対戦車中隊と援護の西部連邦軍は奮戦。日米両国のHIGH‐MACSが空軍基地内を縦横無尽に走り回り、突入してきた北部連邦軍のAWGSや戦闘車両群を次々に破壊していった。

 両隊は本土から飛来した航空自衛隊と西部連邦空軍の支援の下、味方部隊を無事エドワーズ空軍基地から日本本土へ撤退させ、同隊も戦域を離脱することに成功する。この見事な撤退戦によって日本外人部隊は貴重な戦力を温存すると同時に、北部への降伏を良しとしないアメリカ西部連邦軍のHIGH‐MACSパイロット多数を受け入れることとなる(国際問題となることを恐れたため、表向きは戦死扱い)。


 そして2021年12月12日、ロサンゼルスを制圧して勢いに乗る北部連邦軍は、進撃速度を落とさずに侵攻を続け、遂に西部連邦の首都サクラメントを陥落させる。同日中に北部連邦政府メンバーを中心とする連邦政府が樹立され、世界に対して合衆国の復活が宣言された。こうして二年近くに渡って続いたアメリカ内戦は終わりを告げたのである。

 

 しかし、内戦がアメリカにもたらした被害は甚大だった。内戦中も進行していた急激な寒冷化により北部諸州の人口は激減し、経済活動は停滞。多くの人口が南部に流入した結果、治安も極度に悪化し、人々は食糧を求めてデモや暴動を繰り返した。そして年明けを待たずに南部諸州で南部盟邦残党過激派による同時多発テロが発生し、アメリカ国内は混乱を深めていく。

 何よりも深刻だったのは農作物への影響だった。寒冷化による農地の減少もさることながら、内戦の影響で農地が破壊されたり、農民が土地を放棄して逃げ出した結果、農作物の収穫量が激減し、深刻な飢餓が発生したのである。内戦における戦死者を遥かに上回る餓死者が出る異常事態に、アメリカ国民は悲嘆に暮れた。内戦がアメリカにもたらしたのは、破壊と飢餓だけだったのである。

 

 そのアメリカに誕生した新政権にとっての最重要課題は何よりも食糧の確保であった。しかし、相次ぐ異常気象もあって中南米諸国の食糧生産は戦前と変わりないかそれを下回る低い水準で推移しており、問題の解決を加盟国に求めることは不可能だった。

 アメリカ政府はここに来て先の大戦と同じく武力を以て海外に侵攻し、食糧を確保することを画策。PEUがロシアと中東の紛争処理に忙殺され、OAUが崩壊寸前となった今、唯一の敵性勢力として残る中国・APCの解体を図るべく中国との対決姿勢を強め、年明け早々には「自由の憲兵」を称して世界秩序の再建を宣言。中国政府に対してAPCの解体とチベットを含む各少数民族自治区の解放という、中国側が到底呑み込めない要求を突きつける。

 中国政府はこの要求が開戦の口実に過ぎないことを理解していたが、アメリカの軍事力に対抗する術はすでになかった。先の大戦で海空軍力の大半を喪失していた上、インド、ロシア、中東と連戦続きで国内も大きく疲弊していた。頼みの綱のAPCにしても中国の都合で再結成されたに過ぎず、アメリカの宣戦布告と同時にAPCを離脱する国が続出するであろうことは先の大戦からも明らかだった。

 中国政府は外交を通じて少しでもアメリカの侵攻を遅らせる策に出るが、食糧問題がその背後にある以上、アメリカがその矛先を変える可能性は限りなく低かった。

 

 一方、表向きは内戦への不介入を表明しつつ、西部連邦と結託していた日本政府もまた、その対応に苦慮していた。北部連邦出身者で占められたアメリカ新政府は、日本による一連の内戦への介入を快く思っておらず、日本政府を非難してこれまで西部連邦が行っていた食糧援助の打ち切りを通告してきたのだ。更に、APCに加盟しながら裏で西部連邦との秘密協定を結ぶ二重外交をしていたこともAPC各国からの強い批判に晒され、日本は国際的に孤立することとなる(もっとも、実際には中国は日本の二重外交を知りつつ、黙認していたのだが)。

 

 こうした問題山積の中で、事件は起こった。

 

 2022年3月15日、新首都ダラスで演説中の北部連邦出身の大統領が、南部盟邦残党の過激派に暗殺されたのである。更なる混乱を嫌った民意によって内戦の危機こそ回避されたものの、その代わりに生まれたのは一国主義を掲げる右派政権であり、アメリカは自国の利益を最優先として突き進んでいくこととなる。

 

 そして大統領の暗殺から一か月後の2022年4月、アメリカ新政権は南部盟邦の残党が多く逃れたとされるキューバに残党の引き渡しを要求。キューバ側が主権を盾にこれを拒否するとピッグス湾から海兵隊を上陸させて瞬く間に首都ハバナを制圧し、親米派の傀儡政権を樹立させてしまう。これにより南部盟邦残党の多くは逮捕され、アメリカ国内の治安は一時的に回復したが、同じAFTA加盟国への一方的な軍事介入は中南米諸国の間に燻る根強い反米感情を刺激することともなった。

 

 5月になると事態は更に悪化の一途を辿った。頻発する火山噴火の影響によって寒冷化が更に進行し、厳しい寒気が南部諸州にまで達するようになったのである。異常気象による季節外れの雪がカリフォルニアやテキサスの南部に降り積もると、寒さを逃れるように州民がメキシコ国境に殺到。メキシコ当局が国境を封鎖したことから小競り合いが起こり、双方に死傷者が出る流血の事態に発展した。

 アメリカ政府はこれを受けて軍を動員し、自国民の保護を口実にメキシコ北部に侵攻。一帯を占領すると、あろうことか居留地を設けて自国民の入植を進めてしまう。メキシコ政府の非難に対し、アメリカ政府はあくまでも緩衝地帯を設けるためのものであり、一時的な措置に過ぎないと表明するが、それが将来的な寒冷化の進行を見越した併合であることは誰の目にも明らかであった。

 

 平和を望む人々の思いとは裏腹に、合衆国の統一は世界に新たな惨禍を巻き起こす不吉な前兆でしかなかったのだ。

 

パタゴニア降下作戦

 2022年7月、パタゴニア平原・ラスラハス。 

 

 再び「自由の憲兵」を宣言したアメリカがそのパートナーとしてまず目をつけたのがオーストラリアだった。世界的に食糧生産が危機的状況にある中でオーストラリアは例外的に豊作続きであり、APCとも局外中立を条件に距離を置いていたが、アメリカ政府はこのオーストラリアと同盟を組むことで食糧問題の解決に目途をつけると共に、対中国・APC戦の前線基地としようとしたのである。

 これはオーストラリア側にとってもメリットがあったため、同盟はスムーズに結ばれた。これまでは地理的な要因からAPCとの経済的結びつきを強めていたものの、前大戦の経緯から国内には根強い反中・反APC感情が残っており、高圧的な中国政府がいつ局外中立を破って侵攻してくるか予断を許さない状況だったのである。アメリカ・AFTA軍が国内に駐留してくれれば、中国・APCに対する抑止力になるというのがオーストラリア政府の思惑であった。

 

 しかし、この同盟は中国をはじめとするアジア諸国を刺激せずにはおかなかった。世界最大の人口を抱える中国を筆頭にアジア各国の食糧事情はいずれも危機的状況にあり、国家の運営に支障を来すほどの深刻な飢餓が恒常化されていた。そのアジア諸国にとってオーストラリアからの食糧輸出は生命線に等しく、オーストラリアがアメリカ・AFTAとの関係を強めることは到底座視出来ないことだったのである。

 それは食糧援助の打ち切りで国内の餓死者が急増していた日本も同様だった。ここでオーストラリアからの食糧輸入が断たれれば、国家そのものが破綻する危険性すらあったのである。こうした日本の事情を見透かしたように、アメリカは日本にも外交の手を伸ばす。アメリカは前大戦時のイギリスのように日本を来るべき中国侵攻の橋頭保とするべく、食糧援助の再開と引き換えに同盟の締結を迫ったのである。

 

 こうして着々と対中国包囲網が準備される中、当の中国政府の動きは鈍かった。アメリカによる中国侵攻が近づいていることは中国政府も理解していたが、インド、ロシア、中東と連戦を続けてきたこともあって国内は大きく疲弊していた。昨年6月以降の国内騒乱こそ人民解放軍の投入によって終息に向かったものの、各少数民族自治区では依然として独立の火種が燻り続けており、対立するインド・ベトナムが国境で睨みを利かせていることもあって大規模な軍事行動は難しい状況だった。そこに来た米豪同盟締結と日米同盟復活の兆しは、すでに厭戦気分が蔓延している他のAPC加盟国だけでなく、中国国内ににも大きな動揺を広げていたのである。

 

 中国・APCの崩壊は時間の問題と思われたその時、思いもよらない事態が起こる。異常気象や火山噴火によって世情不安が続く中南米諸国で暴動やクーデターが多発し、先のキューバ侵攻やメキシコ侵攻から来る反米感情の高まりもあってAFTAを離脱する国が続出し始めたのである。

 5月にコロンビアとベネズエラエクアドルなどが相次いでAFTAを離脱したのを皮切りに、6月にはチリとペルー、アルゼンチンもこれに続き、混乱に乗じて係争地帯であるイギリス領フォークランド諸島に侵攻すると、少数のイギリス軍守備隊を排除して島々を占領してしまったのである。

 7月になると南米の大国ブラジルでも政変が起こり、反米政権が誕生。アルゼンチン国境にほど近いフォス・ド・イグアスで中南米諸国による会議を開催し、AFTAからの離脱とSAU(南米連合)の結成を宣言してアメリカに対抗する構えを見せたのだ。かねてから反米感情を募らせていた他の中南米諸国もこれに同調したため、南米全体に反米化の波が波及することとなる。

 

 アメリカの裏庭とも称される中南米の混乱は、アメリカ政府にとって到底見過ごせない事態だった。これまではアメリカの植民地的立場に甘んじてきた中南米諸国が独立すれば巨大な市場を失うことになる上に、キューバ危機のように中露などの反米的な国々と結びついてその安全保障を脅かす可能性すらあったのである。

 危機感を覚えたアメリカ政府は「民主化」を名目に直ちに中南米諸国への軍事介入を宣言し、対中国・APC戦に投入する予定だった部隊を急遽南米に派遣することを決定した。

 

 これは中国政府にとって千載一遇の好機だった。アメリカの裏庭である中南米諸国の多くは亜熱帯に属し、その広大なジャングルと複雑な地勢はゲリラ戦に適していた。さしもの米軍もこの攻略は楽なことではなく、各国と連携してアメリカを中南米に釘付けにすることが出来れば中国本土への侵攻を遅らせることも可能だった。中国政府はベトナムとの戦いで得た経験をもとに、アメリカを第二のベトナムに引きずり込もうとしたのである。

 

 中国政府は直ちにAPC軍を派遣することを決定し、南米諸国の支援に動き出す。その尖兵として選ばれたのが日本外人部隊であった。中国政府は大規模な派兵に耐える余力のない他のAPC加盟国の代わりに、日本に兵力の供出を求めたのである。「中南米には多くの日系人がいるために日本の部隊は受け入れられ易い」という中国側の説明は勿論建前であり、実際には西部連邦との結託で国際的立場の悪くなった日本に対する懲罰的意味合いが大きかった。

 兵力を供出する余力がないのは日本も同じであったが、オーストラリア同様にアメリカとの同盟を疑われていたこともあり(実際、同盟締結直前まで交渉は進んでいた)、他の加盟国からの疑念を払拭する必要からも日本外人部隊中南米派遣が即時決定された。日本政府としてはアメリカとのこれ以上の対立は望むところではなかったが、アメリカの軍事的プレゼンスが期待出来ない現状では中国・APCとの関係を優先するしかなかったのである。こうして日本外人部隊は再び正義なき戦いを強要されることとなり、中国の政治将校の監視の下、アルゼンチンへと向かった。

 

 国民の熱狂の赴くままにAFTAからの独立を宣言したアルゼンチンだったが、その戦争計画自体は周到に準備されていたものだった。フォークランド諸島近海には数多くの油田が眠っていることもあり、アルゼンチン政府はかねてからその占領を狙っていたのである。

 イギリス政府は直ちに空母機動部隊を派遣して奪還に動いたが、アルゼンチン軍は先の第一次フォークランド紛争における経験を活かして航空機からの対艦ミサイルによる攻撃でイギリス海軍の艦艇数隻を沈めるなど、緒戦において優位に戦いを進めた。

 しかし、逆襲に燃えるイギリス海軍の猛攻によって時間の経過と共に撃墜される機体が続出し始め、アメリカの支援もあって開戦から一か月後にはイギリス側に制空権を明け渡すこととなった。これ以降、連日の空爆によってフォークランド諸島に上陸したアルゼンチン軍部隊は孤立し、補給もままならない状態に置かれることとなる。

 

 勢いに乗ったイギリス軍はアルゼンチン本土へも攻撃の手を広げ、海軍の動きを支援するためにパタゴニア平原ラス・ラハスにあるレーダー施設の破壊を目論む。このレーダー施設はフォークランド諸島における戦いの結果を左右する重要な施設であり、これを破壊すればアルゼンチン軍の能力を大きく削ぐことが出来た。

 その攻撃の任に選ばれたのはシベリアと北アフリカで活躍した陸軍の精鋭・第16空中強襲旅団の航空連隊で、本格的な反攻作戦の開始に備えて6月末にはフォークランド諸島から6000㎞離れた英領アセンション島に入っていた。

 そして7月11日の夜半、同隊はイギリス軍司令部からの命令を受け取ると直ちに出撃。16機のHIGH‐MACSとエアランダー(空挺部隊向けに改修されたハイランダー*3をこう呼ぶ)を搭載した8機のC‐17グローブマスターⅢがアセンション島の飛行場を飛び立ち、イギリス空軍の戦闘機と空中給油機の支援を受けつつパタゴニア上空に到達、高度30mの高さで積み荷を降ろした。16機のVW‐1とエアランダーはLAPESで地上に降下すると、最大戦速でレーダー基地に向かった。

 一方、イギリス側の動きを察知したAPC南米派遣軍司令部(ブラジリア)もブエノス・アイレス近郊で待機していた第503機動対戦車中隊に出撃を命令。パタゴニアの平原に空挺降下させ、レーダー施設を守備するアルゼンチン軍の支援に向かわせる。

 

 大西洋からの猛烈な風が吹き荒れる中、戦いは幕を開けた。レーダー施設を守備するアルゼンチン軍守備隊には先の大戦で鹵獲したドイツ製パンターやフランス製AUTRUCHEが配備されていたが、AWGSの運用経験が乏しいこともあり、効果的な運用を行えずにいた。また、イギリス軍の装備するHIGH‐MACSやエアランダーといった新世代のAWGSと交戦した経験がないことも災いし、戦闘は一方的なものとなっていた。

 また一機、また一機と成す術なく撃破されていくアルゼンチン軍のAWGS部隊。イギリス軍の先頭を行くVW‐1がアルゼンチン軍の防衛線を突破し、レーダー施設をその射程に収めんとしたその時であった。第503機動対戦車中隊を搭載した数機のC‐17グローブマスターⅢと電子戦支援機が戦場上空に姿を現した。

 戦場上空に達するや直ちに空中から自由落下で降下していく16機の16式。最初に降下した内の一機が、空中からの正確な狙撃でレーダー施設に狙いをつけていたVW‐1のマニュピレーターを吹き飛ばす。更に続けて降下した後続の機体がピンポイント狙撃でVW‐1の胴体に風穴を開ける。

 爆散するVW‐1を尻目に続々と地上に降り立った16式。それに殺到する後続のVW‐1とエアランダ―。精鋭同士の戦いは激烈を極めたが、機動対戦車中隊のパイロット達は同型機であるHIGH‐MACSの猛攻を受けながらもこれを撃退することに成功。無事、レーダー施設を守り抜くことに成功する。

 

 しかし、この戦いに勝利したのはイギリス側だった。パタゴニア平原で激闘が続いている頃、フォークランド諸島ではイギリス軍が東フォークランド島への大掛かりな上陸作戦を敢行。数隻のアルビオン揚陸艦から発艦したM15A1*4がアルゼンチン軍守備隊の背後から奇襲を行っている隙に、別の地点から上陸した別動隊がフォークランド諸島の首都であるスタンリーを奪回することに成功していたのである。

 

 この時点でアルゼンチン側の劣勢は決定的なものとなっていたが、APC軍の到着とSAU諸国の支援もあり、アルゼンチン軍は崩壊を免れた。また、スタンリーを奪還した当のイギリス側にとっても状況は決して楽観視出来るものではなかった。本土から1万3000㎞、フォークランド攻撃の拠点となっているアセンション島からでも6000km以上離れた南大西洋での戦闘継続はイギリス側にとって重い負担となっており、長い補給路とそれを支える兵站を維持し続けるのにも自ずから限界があった。

 また、国際世論を味方につけられた先のフォークランド紛争と違って今回は中南米諸国がアルゼンチン側についていることもあり、アメリカ以外の国の支援を受けられないことも不利な点だった。*5加えて、南半球では7月は冬に当たり、大時化によって荒れた海と異常気象から来る猛烈な寒気が海上のイギリス軍を苦しめていた。

 

 こうしたイギリス側の事情を見越した中国政府は、APC軍の更なる増派と支援とを引き換えにアルゼンチン政府に戦闘の継続を求める。中国政府はイギリスが苦境に陥ればアメリカが支援に乗り出すと踏んでおり、少しでもアメリカ軍の戦力を中南米に釘付けにすることで中国本土への侵攻を遅らせる腹積もりだったのである。

 このような中国政府の強い意向と国民の世論にも押され、アルゼンチンは戦争の継続を宣言。他の中南米諸国からの支援もあってアルゼンチン側がその士気を急速に回復させていくのに対して、イギリス側は戦争終結の道筋を着けられぬまま、いたずらに時間だけが過ぎていった。

 

 イギリスがフォークランドでの戦いに忙殺されている頃、ブラジルでもブラジル・APC軍とアメリカ軍の激闘が続いていた。 

 7月にAFTAからの離脱を表明したブラジルに対し、アメリカはすぐさま軍事介入を強行。第二艦隊を主力とする強力な海上戦力を以て開戦から数日の内にブラジル海空軍の戦力を撃滅して制海権を握ると(ブラジル海軍の誇るクレマンソー級空母サン・パウロも奮戦を見せるも、数日の内に轟沈)、港湾都市サルヴァドールバイーア)沖に展開して海上封鎖を実施すると共に、内陸部の軍事施設に対して洋上から巡航ミサイルで攻撃を行った。

 この攻撃で民間人にも少なくない被害が出たため、ブラジル政府はジュネーブ合意で禁止された都市部への攻撃に当たると抗議するも、アメリカ政府は「あくまでも軍事施設に対する攻撃である」とこれを一蹴。海上封鎖を継続してブラジルの降伏を待つ一方、ガイアナベネズエラといった近隣の国々へも巡航ミサイルによる攻撃を敢行してSAUからの離脱を迫った。

 

 イギリス政府とは対照的に、アメリカ政府は戦況の見通しに楽観的な予測を持っていた。アメリカと中南米諸国との間には元々大きな軍事力の隔たりがある上、イギリスと違って本国と戦場の位置が近いこともあり、戦闘の継続に支障はなかった(先に制圧したキューバ港湾施設を拠点として使用出来たことも大きかった)。

 また、結成されたばかりのSAUの結束が弱いと考えられていたことも、アメリカ側の戦況分析を甘くする要因だった。アメリカ政府は海上封鎖を続ければブラジルは早期の内に降伏し、連鎖的にSAUは崩壊するだろうという予測を立てていたのである。

 しかし、このアメリカ政府の予測は見事に裏切られることとなる。アメリカ海軍による洋上からのミサイル攻撃は各国の激しい反発を招き、逆にその戦意を高める結果となったばかりか、ブラジル支援の動きを加速させることに繋がったのである。

 

 ここに来てアメリカ政府は方針を転換し、早期の内にブラジルを屈服させることを決断。本来の予定を繰り上げて、ブラジル東部沿岸部と北部アマゾン方面の二方向からのブラジル本土侵攻作戦を開始する。

 2022年8月2日の早朝、主戦線である東部沿岸部から第1海兵遠征軍を主力とする海兵隊が大規模な上陸作戦を敢行し、海上からの強力な支援を受けつつ港湾都市サルヴァドールバイーア)を制圧して橋頭保を築く。

 北部アマゾン方面からは第3海兵遠征軍を主力とする部隊が侵攻を開始し、河口の港湾都市ベレンを制圧。更に陸軍の精鋭、第82空挺師団と第101空中突撃師団も相次いで内陸部に空挺降下し、アマゾネス州の州都マナウスへと迫った。

 アマゾン川の河口に停泊した揚陸艦から大挙して押し寄せる海兵隊のM15A1とスケアクロウ。空からはC‐17グローブマスターⅢの編隊が飛来し、積み荷のVW‐1とM14エアランダー*6を続々と降下させていく。降下するAWGSの中には、5月に実戦配備テストを開始したばかりのVW‐2(HIGH‐MACSⅣ)*7の姿もあった。

 迎え撃つのはブラジル・アマゾン軍団の機械化騎兵旅団で、ラーナやリットリオといった多脚型AWGSの高い不整地踏破性能を活かして巧妙な待伏せ作戦を行い、米軍の侵攻を遅らせていた。

 一方、ブラジル支援のために派遣されたAPC・東南アジア諸国の合同部隊も奮闘を見せていた。東南アジア部隊の主力であるコラートやハヌマンは、厳しい寒気に見舞われたシベリアでこそ機械トラブルから満足な働きが出来なかったものの、本国の地勢によく似た亜熱帯のアマゾンでは存分にその性能を発揮することが出来たのである。

 

 この戦いには第502機動隊戦車中隊も参加しており、16式や12式を駆って米軍の新鋭機であるVW‐2やVW‐1と互角に渡り合った。前世紀から続く森林伐採と焼き畑によって木々が消失し、枯れ木の目立つジャングルの中を、枯れ葉を舞い上げながら疾駆する16式と12式。残された木々も敵味方の砲火によって砕かれ、米軍機のナパーム弾が辺りを火の海へと変える。

 火は数週間に渡って燃え続け、アマゾンの木々の過半が消失した。破壊された無数の艦艇や車両から流れ出た燃料で真っ黒になったアマゾン川の中で、両軍の戦いはいつ果てるとも知れず続いた。

 

 ブラジル生まれのHIGH‐MACSパイロットは、死の森へと変貌したアマゾンのジャングルを見て、戦争のもたらした惨禍の余りの大きさに恐怖した。

 残された僅かな利権と土地を巡る争いが自然環境を破壊し、更に人類の生存圏を狭めていくという皮肉な現実を前にして、一人の兵士に出来ることはただ絶望することだけだった。この戦いは中東の戦いなど比較にならない、人類最悪の環境破壊の一つとして記憶されることになる。

 

《太平洋の戦い》

 

輸送列車防衛

 2022年10月、アリス・スプリングスの南約300㎞、チャンドラー。

 

 アマゾンの戦いはアメリカ軍の勝利に終わった。敵の圧倒的航空優勢の中、ブラジル軍とAPC軍は良く健闘したものの、質・量共に優れるアメリカ軍の進撃を阻むのは容易ではなく、アマゾンの奥地へと撤退した。一方、バイーアベレンマナウスを陥落させて勢いに乗ったアメリカ軍は、急進撃で首都ブラジリアへと迫る。

  対するブラジル軍は尚も果敢なゲリラ戦を継続し、米軍の侵攻を遅らせるべく各地で抵抗を続けていたが、制海権と制空権を共に敵に握られている現状では降伏は時間の問題だった。海上封鎖を続ける米英艦隊を排除する術は、ブラジルにもAPCにもなかったのである。

 

 アメリカがここまで中南米諸国の攻略にこだわった背景には、各国をその政治的支配下に置いて巨大な市場を維持するという経済的理由と、本土に近い地域に敵性勢力を作らないという安全保障上の理由の他にもう一つ理由があった。

 それは水の確保である。灌漑のために大量の水を消費する経済性優先の大規模農業が原因で、アメリカ国内の地下水源は近年急激に枯渇が進んでいた。そこに追い打ちを掛けるようにして起こった寒冷化は、国内のインフラの寸断と南部諸州への人口の集中をもたらし、深刻な水不足を引き起こしていたのである。

 そこでアメリカが目をつけたのがアマゾンの水資源だった。アマゾンの大河から生み出される大量の水を確保し、水の安定的な供給を回復させたいアメリカ政府にとって、中南米地域に反米勢力が乱立することは絶対に認められないことだったのである。

 しかし、結果としてアマゾンにおける戦いはその木々を焼失させ、深刻な水質汚染を招くこととなった。

 

 中南米で激闘が続いている頃、南太平洋では新たな戦端が開かれようとしていた。中国が他の加盟国に圧力を掛けてオーストラリア懲罰軍を編成し、ノーザンテリトリーダーウィンに派遣したのである。

 中国政府にとって南米の戦いはあくまでも支作戦に過ぎず、日本外人部隊中南米諸国がどれほど善戦しようとも、いずれは海空軍力に優る米英連合軍が勝利を収めるのは時間の問題と見ていた。中国政府としてはアメリカが中南米に茎付けになっている間に早期にオーストラリアを屈服させ、アメリカへの食糧輸出を断つことでアメリカ政府に揺さぶりを掛ける腹積もりだったのである。 

 

 これに先立つ9月12日の未明、北海道の千歳で戦力の補充に当たっていた第501機動対戦車中隊に出撃命令が下った。目標はアメリカ太平洋艦隊司令部のあるパール―・ハーバーで、太平洋艦隊司令部を制圧してAPC軍主力のオーストラリア侵攻を支援することが目的だった。

 同中隊は二年前にも西部連邦の要請を受けて太平洋艦隊司令部を制圧した経験があり、今回の作戦も表向きにはその実績を買われての抜擢とされていた。が、これが中国政府による懲罰の意味合いが強い任務であることは誰の目にも明らかであった。

 しかし、日本政府に選択の余地はなかった。同中隊もこの捨て身の特攻作戦を承諾し、数機のC‐17に分乗して北海道の千歳から飛び立つ。幸運なことに、日本政府は先の内戦で国内に亡命した西部連邦の関係者から太平洋艦隊司令部の機能が未だ完全に復旧しておらず、その防空網にも抜け穴が存在することを伝えられていた。

 航空自衛隊APC空軍機の援護を受けつつパール・ハーバー近海に到達した同中隊は、事前に知らされていた防空網の穴をすり抜けて高高度から降下を開始。降りしきる雨の中、滑空翼を展開しつつ太平洋艦隊司令部の直上に空挺降下した。

 突如上空に現れた16機の16式の姿に、アメリカ軍の守備隊は慌てた。先の内戦時の経験から基地内には厳重な防衛体制が敷かれてはいたものの、その防衛体制への過信が、逆に防空網の穴をすり抜けて来た同中隊の奇襲効果を高めることになったのである。

 更に、この奇襲に合わせて航空自衛隊APC空軍機による航空爆撃が開始され、空中から発射された空対地ミサイルが太平洋艦隊司令部を直撃したため、奇襲の効果は何倍にも跳ね上がった。

 

 恐慌を来すアメリカ軍を尻目に、空中を舞う16式は次々にクラスター爆弾を空中発射。地上に展開した米軍の車両や航空機を次々に破壊していく。更に、地上に降り立った機体が二機一組でそれぞれ基地内を疾走し、陽動を掛ける。

 捨て身の特攻作戦とは言え、作戦計画そのものは極めて周到に準備されていた。同中隊は作戦開始当初から司令部の制圧が難しいことを悟って攻撃目標を艦艇や航空機に絞っており、特にニミッツ級原子力空母であるユナイテッド・ステーツ*8エンタープライズ*9の撃沈を第一目標として作戦行動を取っていた。太平洋戦争時の日本海軍が真珠湾攻撃を行った際、空母機動部隊を取り逃がしてしまった経験を教訓にしたのである。

 

 もっとも、同中隊は戦場監視機からのデータリンクによって事前に湾内の艦船の位置を掴んではいたが、曇天のために目視での確認が困難であり、場合によっては目標が変更される可能性もあった。幸運なことに、この時は同中隊の降下と共に雲の切れ目から覗いた陽光が湾内に停泊中のユナイテッド・ステーツの姿をはっきりと浮かび上がらせたため、同中隊は目標の正確な位置を掴むことが出来た。

 目標発見の報告と共に、降下中の16式数機が直ちに機首をユナイテッド・ステーツに向け、航空機を満載した甲板上に空中からクラスター爆弾やロケットポッドを雨霰と浴びせ掛けた。更に、甲板上に降下した別の二機が艦橋や格納庫に近距離から105㎜滑腔砲と30㎜ガトリング砲の砲弾を撃ち込むと、破壊された航空機から出た火の手が弾薬庫に引火して誘爆。ユナイテッド・ステーツは瞬く間に爆炎に包まれた。

 それとほぼ時を同じくして、近くに停泊していたエンタープライズからも火の手が上がった。上空を飛行する航空自衛隊のF2支援戦闘機から放たれた対艦ミサイル数発が、続けざまに船体に直撃したのである。そこに追い打ちを掛けるようにして別の16式数機が降下して来て、艦の上空を通過しつつその甲板上に猛攻撃を浴びせ、エンタープライズの艦橋を粉砕した。

 攻撃開始から十数分ほどで二隻の空母を大破に追い込む、正に大戦果であった。この時点で攻撃は大成功を収めたと言って良かったが、同隊は敵が奇襲のショックから立ち直っていないこのチャンスを最大限に活かすべく、敵司令部に向かって疾走した。

 

 一方、先行して基地内に降下していた16式も停泊していた艦艇や地上に駐機した航空機を破壊しつつ、敵司令部へと迫っていた。しかし、この頃には米軍も奇襲のショックから立ち直りつつあり、迎撃に出て来たM16やM19、スケアクロウの群れとの戦いで徐々に撃破される機体が続出。上空から支援していたAPC空軍機も飛来した敵の戦闘機に撃墜され、取り逃がした敵の対地攻撃機が上空から攻撃を開始したこともあり、同中隊は一気に劣勢に陥ってしまう。

 それでも第501機動対戦車中隊は精鋭の名に違わぬ戦いぶりを見せ、一機でも多くの敵を破壊せんと暴れ回った。弾薬が切れても敵の武装を奪って戦闘を続け、群がる敵の車両群に攻撃を加え続けた。

 攻撃開始から一時間後、上空を飛び回る対地攻撃機から放たれた空対地ミサイルが抵抗を続けていた最後の16式に直撃したところで戦いは終わった。破壊した艦艇二十数隻(内、空母二隻大破)、航空機は二百数十機、車両に至っては三百両余りを破壊するという大戦果であった(ただし、これは第501機動対戦車中隊が発表した数字で、実際の戦果はこの半分程度だった)。

 

 しかし、攻撃を実行した第501機動対戦車中隊もこの戦いで全ての戦力を失い、壊滅。太平洋艦隊司令部制圧の任務も失敗に終わったが、攻撃目標を艦艇と航空機に絞っていたこともあり、第7艦隊の動きを封じてアメリカの反撃を遅らせるという当初の作戦目的自体は達成されたと言って良かった。

 当のアメリカ側にとっても、第7艦隊が受けた損害の大きさは予想外であった。特に、新造したばかりの空母ユナイテッド・ステーツエンタープライズが行動不能となったことは大きな痛手であり、このことは中国本土への攻撃のみならず、オーストラリアでの戦いにも影響を与えずにはおかなかった。第501機動対戦車中隊の捨て身の猛攻が、アメリカ政府の戦争計画に大きな狂いを生じさせることになったのである。

 

 こうして第501機動対戦車中隊がその身と引き換えに稼いだ貴重な時間を、中国政府は無駄にする気は毛頭なかった。中国・東南アジア諸国の軍を主力とするオーストラリア懲罰軍はAPC海空軍の支援を受けて北海岸のダーウィンに上陸すると、貧弱な防衛部隊を破って直ちに首都キャンベラを目指して南下を開始した。

 予想される米空母機動部隊の反撃を避けるため、APC軍主力部隊は北海岸のダーウィンから南海岸のアデレードまでを結ぶオーストラリア縦断鉄道(通称「ザ・ガン」)に沿って進撃させる。対するオーストラリア軍も精鋭の第1機甲連隊を主力とする防衛部隊を北上させ、APC軍の南下阻止を図る。

 両者はオーストラリア縦断鉄道の中継点となるアリス・スプリングス郊外、エアーズロック付近で激突した。M1戦車を主力にM16やAUTRUCHE、エレファントなどで武装したオーストラリア軍は兵器の質でAPC軍をやや上回っており、祖国防衛の念に燃えて良く健闘したが、数的劣勢を覆すことは出来ずに敗北。アリス・スプリングスAPC軍の手に陥落した。

 

 一方、パール・ハーバーへの奇襲とアリス・スプリングスの陥落は南米への介入で忙殺されていたアメリカ政府に衝撃を与えた。アメリカ政府としてもオーストラリアをAPCに奪われるのを見過ごすわけにはいかなかったため、南米に派遣する予定だった精鋭の第101空挺師団を急遽オーストラリアに送り込む。

 更に、日本の攻撃で損害を受けた第7艦隊の穴を埋めるべく、東太平洋に展開する第3艦隊及び第5艦隊の艦艇をオーストラリア近海に向かわせる。*10また、宗主国であるイギリスも支援を申し出て、膠着状態となったパタゴニア戦線から海軍の艦艇数隻と第16空中強襲旅団を引き抜いて急遽オーストラリアに送り込む。

 対する中国政府も加盟国に圧力を掛け、すでに制圧したダーウィンから続々と増援部隊をオーストラリアに上陸させる。日本にも更なる兵力供出が求められ、北海道の帯広で戦力の補充に当たっていた第504機動対戦車中隊が再びオーストラリアに派遣されることが決定。同隊は8月にロールアウトしたばかりの新型試作機(後に23式装甲歩行戦闘車として制式化)*112機を含めた補充機数機を受領すると、 C‐17輸送機に搭載されてアリス・スプリングスに向かった。

 

 その戦場までの地理的な近さや空母二隻の喪失といったいくつかの要因も重なり、オーストラリアの戦いはAPC軍優勢の内に進んでいた。海上からの支援を受けられないだけでなく、戦場の遠さから軽装部隊中心の編制にならざるを得ない米英軍に対し、APC側は東南アジア方面から最短距離で重装備の部隊をオーストラリアに送り込むことが出来たのである。

 また、広大なオーストラリア大陸を縦断するオーストラリア縦断鉄道を抑えていることも戦略上有利な点であった。北海岸のダーウィンから鉄道を使うことで、部隊と物資を速やかに内陸部に輸送することが出来たのである。

 このままの速度でAPC軍が南下すれば、南部の都市アデレードの陥落は時間の問題であったが、これを座視している米英軍ではなかった。シドニーに置かれたアメリカ・オーストラリア派遣軍司令部は、重装備の部隊が到着していない現状ではAPC軍と正面から戦うのは不利と判断。オーストラリア縦断鉄道に対する奇襲攻撃を繰り返し、本国からの増援部隊到着までAPC軍の進撃を遅らせる戦略に出る。APC軍がシベリアでロシア・PEU軍に対して採ったのと同じ戦術を用いたのである。

 

 この作戦を担当したのは米陸軍第101空挺師団とイギリス陸軍第16空中強襲旅団の航空連隊に配備されたHIGH‐MACS部隊、そして新たに本国から増派された機動戦闘旅団のV‐MACS部隊で、アリス・スプリングスの南約300㎞に位置するチャンドラー・マーラ間で物資を満載した列車に襲撃を繰り返した。

 森と吹雪で覆われたシベリアと違い、見渡す限りの荒野が続くグレートビクトリア砂漠では奇襲効果も薄まるため、本来は攻撃側にとっては不利な条件下であった。が、米軍が装備するVW‐2はその高いステルス性能と高度なデータリンクによって地形を巧みに活かし、神出鬼没の奇襲攻撃を可能としたのである。

 また、機動戦闘旅団に配備されたM22スコーピオ*12も大いに活躍した。スコーピオンはアメリカ内戦で実戦投入されたV‐MACSであるVV‐1キマイラの改良型で、車両形態時の高速機動を活かして逃げる貨物列車に追いすがった。広大なオーストラリアの大地はV‐MACSを運用する上で理想的な条件が整っており、その高い機動力を存分に発揮することが出来たのである。 

 

 これに対し、APC軍側も手をこまねいてるわけではなかった。ダーウィンに置かれたAPC・オーストラリア派遣軍司令部は、列車を囮にV‐MACS部隊を誘い出して壊滅させることを画策。日本外人部隊の第504機動対戦車中隊と東南アジア諸国の部隊が作戦の実施に当たった。

 その罠に嵌まったのが新設されたばかりの米陸軍機動戦闘旅団のV‐MACS部隊だった。9月27日、同隊はマーラ近郊で輸送されてきた貨車に攻撃を仕掛けて迎撃され、大損害を受けたのである。

 普通の貨物車の如く巧妙に偽装された貨車には、戦闘準備を終えたAWGS・戦車・対空車両を満載、機動戦闘旅団の攻撃と同時に偽装を解いて、猛攻撃を開始したのだ。更に、沿線上の砂地に潜って待ち伏せていた中国軍の無人型AWGS土竜*13も接近してきた敵機に自爆攻撃を敢行し、V‐MACS部隊は壊乱状態となる。これはかつてシベリアでPEUが採った戦術を下敷きに、APC軍が独自の手法を加えて敢行した作戦であった。

 この戦いにはイギリス軍の第16空中強襲旅団の航空連隊も参加していたが、英軍は前大戦時のシベリアの経験から慎重にこの罠を見破り、被害を最小限に抑えることが出来た。

 

 こうしてオーストラリアを舞台にAPC・AFTA(実質的にはほぼ米英豪軍)両軍による激戦が繰り広げられている頃、アメリカ西海岸のカリフォルニア州サクラメントではアメリカ政府と日本政府の高官による非公式の会談が行われていた。

 アメリカ政府はこの席上、日本政府に対して食糧援助の再開と引き換えに同盟の締結を求めたのである。これには中南米、オーストラリアと戦線の拡大によってアメリカ軍の兵站が逼迫していることもさることながら、来るべき対中国本土侵攻作戦を見据えて太平洋地域への橋頭保を確保し、少しでも敵性勢力を減らしておきたいという思惑もあった。

 この時点で中南米諸国は未だアメリカに対する敵対姿勢を捨てていなかったが、両者の間に圧倒的な軍事力の開きがあることもあり、戦いは一方的なものとなっていた。海上封鎖が続けばいずれ脱落する国々が出てくることは必至であり、このまま肩入れを続けても日本にとってメリットはなかった。

 また、先の攻撃で大損害を被った第7艦隊の穴を埋めるために引き抜かれた第3及び第5艦隊の艦艇もオーストラリア沖に接近中であり、これらが残存した第7艦隊の艦艇と合流すればアメリカ海軍はすぐにでもオーストラリア近海での作戦行動が可能な情勢であった。

 APC諸国は先の大戦海上戦力の過半を喪失しており、日本や中国も含めて海軍は再建の途上にあったため、一度第7艦隊による攻撃が始まればオーストラリア派遣軍はオーストラリア大陸で孤立し、撃滅されるのは火を見るより明らかだった。


 日本政府に選択肢はなかった。国内の食糧危機は既に何年も前から深刻なレベルに達しており、国民の三割が餓死していた。その状況はこの数年で更に悪化しており、命綱であった西部連邦の食糧援助が打ち切られた今、食糧援助の一刻も早い再開が不可欠だった。しかし、それは同時に国外に展開している日本外人部隊を危機に陥れることを意味する。

 

 苦慮の末に日本政府はアメリカ政府との安保条約再締結とAPCからの離脱を決断する。日本政府の発表直後、オーストラリアに展開していた第504機動対戦車中隊が味方のAPC軍からの攻撃を受けて壊滅。ブラジルに展開していた第502機動対戦車中隊もブラジル軍に包囲され、投降を余儀なくされる。アルゼンチンに展開していた第503機動対戦車中隊はオーストラリアへの配置転換のために太平洋上を飛行していたため、難を逃れることが出来た。


 更に、中国空軍を主力とするAPC連合空軍による日本本土への攻撃が開始される。敵の攻撃をある程度予想していた航空自衛隊は奮戦したが、前大戦で航空戦力の過半を喪失していたこともあり、空自の対空警戒網を突破した中国軍機が本土に到達。海上自衛隊の基地や沿岸部の港湾施設を中心に爆撃が行われ、民間人にも少なくない被害が出た。これに対し、日本政府はジュネーブ合意違反であると抗議したが、中国政府は「あくまでも軍事目標に対する攻撃であり、合意の範囲内である」と一蹴した。

 

 しかし、APC軍の攻撃もここまでだった。米海軍第3・第5艦隊の艦艇を編入して再編された第7艦隊がオーストラリア近海に現れると同時に、タイやシンガポール、フィリピン、インドネシアをはじめとする東南アジア諸国が一斉にAPCからの離脱を宣言したからである。そもそもが中国の圧力で再結成された組織だけに、その崩壊もまた早かった。

 本国の混乱はオーストラリア大陸APC軍にも伝染した。情報が錯綜する中、ダーウィンAPC・オーストラリア派遣軍司令部は必死に本国との交渉に当たっていたが、南下してきた米第7艦隊の艦艇による巡航ミサイル攻撃を受けて壊滅。指揮系統を失った現地部隊は大混乱に陥り、各国の部隊が勝手に撤退を開始し、それを阻止せんとする中国軍との間で戦闘が展開されるという、本末転倒な事態が引き起こされた。この混乱の隙を突き、米英豪軍は一挙に反撃に出る。

 一路北海岸のダーウィンを目指し、撤退するAPC軍。雪辱に燃え、急進撃で猛追するAFTA軍。両者はアリス・スプリングス近郊のエアーズ・ロック付近で再び相まみえた。戦力的には両者の力は互角であったものの、すでに指揮系統を失ったAPC軍は烏合の衆と化しており、その士気は極めて低かった。

 戦いは一方的なものとなった。先の戦いで自ら機動対戦車中隊を排除してしまっていたこともあり、APC軍は敵のHIGH-MACS部隊に対抗する術を持たなかったのである。米英軍のHIGH‐MACS部隊は瀕死の獲物にたかるスカベンジャーのようにAPC軍の車両群に襲い掛かり、破壊した。

 何とか戦場を離脱し、ダーウィンまで逃れた部隊も無事では済まなかった。近海に展開していたAPC連合海軍の輸送艦第7艦隊の攻撃を受けて撃沈されたため、海を渡る手段を失ったAPC軍は市内に孤立。艦載機による猛攻撃を受けて、被害が続出したのである。

 そこにアリス・スプリングスから猛追して来たAFTA軍が現れた。本国からの増援を受けて戦力を強化していたAFTA軍は、自軍の損耗も恐れずにダーウィン市街に突入。APC軍を散々に打ち破り、海に追い落とした。

 こうしてオーストラリアの戦いはAFTA軍の勝利に終わり、APC軍は全ての重装備を放棄して本国に撤退。残存した部隊も27日までに制圧され、オーストラリア大陸における全ての戦闘は終結した。

 

 もっとも、この戦いに真の勝者はいなかった。戦闘終結から一週間後の10月25日、太平洋上で発生した超大型サイクロン「オリバー」がオーストラリア南東部の穀倉地帯を直撃し、壊滅させたのである。APC軍とAFTA軍の戦闘はオーストラリア大陸の中央部を中心に展開されたため、穀倉地帯への被害は最小限に抑えられていた筈だったが、全ては徒労に終わった。

 これによって世界的規模の飢餓が引き起こされ、各地で大量の餓死者が出る事態となった。中南米諸国からの輸入がストップしていたこともあり、当のアメリカでも深刻な飢餓が発生し、餓死者が路上に溢れ出た。

 この世界的規模の災禍を前にして、日本と東南アジア諸国は共同でアメリカ・中国間の調停に乗り出すが、オーストラリアの穀倉地帯が壊滅したことで国民に明確な戦果を示す必要に迫られたアメリカ政府はこれを拒否。中国に対して挑発的な無条件降伏を要求し、中国がこれに反発して拒否すると、中国本土侵攻作戦の開始を宣言して空母機動部隊による猛攻撃を開始したのである。

 アメリカ内戦から始まった戦火は収まるどころか、更に強い炎となって世界を焼き尽くしていくことになるのである。

 

ブレイズ・ウォー

 2023年3月17日、北極圏、アラスカ・旧戦略ミサイル基地。

 

 オーストラリア大陸での戦いに勝利したアメリカは、その手を緩めることなくアジアでの戦いを進めていった。増援を受けて再編された米海軍第7艦隊は、鞍替えした東南アジア諸国の支援も受けながら中国近海に到達。空母に満載した艦載機による中国本土への航空攻撃を開始し、先の大戦で弱体化した防空軍を早々に撃滅して制空権を握った。

 この時点でアメリカはいつでも中国本土への侵攻が可能になっていたが、アメリカ軍の本土上陸作戦は中々開始されなかった。これはアメリカ軍の莫大な攻撃力を支える物資の補給を待つためでもあったが、同時に自軍の犠牲を最小限にするためでもあった。

 アメリカ政府は中国が弱体化したこの時を狙って国境を接するインドやベトナムが中国領に侵攻すると踏んでおり、そのタイミングで進撃を開始した方が自軍の犠牲を少なく出来ると考えていたのである。

 かくしてアメリカの思惑通り、時間の経過と共に中国と国境を接する国々が次々に動き出す。まずインドがカシミール地方の中国支配地域で軍事行動を起こしたのを皮切りに、ベトナムが国境に大部隊を集結させて中国南部に圧力を掛けた。中国は国境防衛のために兵力を分散させられ、国内の少数民族自治区でも俄かに独立の動きが再燃し始める。

 更に、中国政府内部でも抗戦派と和平派の対立が激しくなり、11月には上海で和平派の部隊が武装蜂起して中国を二分する内戦状態が勃発する。この絶好のタイミングでアメリカ軍による本土侵攻が開始されたのである。

 

 沖縄近海で待機していた米海兵隊第1・第3遠征軍を主力とするAFTA軍(名目上は)は、中国政府和平派の要請という形をとって中国沿岸部の連雲港に上陸。貧弱な敵の防衛部隊を破りつつ北上し、日本や中国沿岸部の港からの絶え間ない補給を受けて電撃的に北京を目指す。

 アルゼンチンから撤退して来た第503機動対戦車中隊もこれに随行し、アメリカへの忠誠を示す意味合いから北京攻略戦に投入される。同中隊は北京を防衛する中国軍部隊と激戦を繰り広げてその攻略に貢献するも、戦力の大半を失って壊滅。日本外人部隊の戦力を恐れたアメリカによる意図的な措置との見方もあったが、同中隊の壊滅によって日本は全てのHIGH‐MACS部隊を喪失することとなったのである。


 また、西ではインド軍がカシミール地方の中国支配地域を制圧。南からもベトナム軍が中国領に侵攻し、先の大戦では失敗に終わった南寧占領を果たした。勢いに乗ったベトナム軍はアメリカ政府の要請を無視して進撃を続け、更に中国領土を奪取しようとするが、第82空挺師団とイギリス陸軍の第16空中強襲旅団が投入されてその進撃を食い止めた。

 こうして中国は再び占領され、降伏を余儀なくされたのである。数日中に親米・和平派の政府メンバーを中心とする傀儡政権が樹立され、中国はアメリカの軍門に降った。

 

 この時点でアメリカに対抗出来る勢力はどこにもなかった。中国南部では尚もベトナム軍が撤退勧告を聞かずに居座り続け、アメリカ軍との間で小規模な交戦が発生していたものの、両軍共にこれ以上の戦闘の拡大は望んでいなかったため、状況は比較的コントロールされていた。

 アメリカに対して強硬姿勢を貫いていた中南米諸国も、後ろ盾となっていた中国・APCの崩壊を受けて戦意を喪失し、SAUから離脱する国が続出。抵抗を続けていたブラジルとアルゼンチンも相次いで降伏し、アメリカの軍門に降った。

  一方、再結成されたPEUは無政府状態となったロシアと中東の紛争処理で手一杯であり、OAUも先の敗戦で内部分裂を起こしていたため、いずれもアメリカと対抗する力はなかった。

 

 しかし、その当のアメリカにしても国力の衰えは隠せず、すでに覇権国家としての威光は失われつつあった。二年余りの内戦と急激な寒冷化の進行によって国土は荒廃し、国民の生活は逼迫。内戦とその後の海外侵攻で戦費は膨らみ続け、国内は史上最悪の恐慌に見舞われていた。

 それらを犠牲にして守り抜いたアマゾンの大河は戦闘によって汚染され、オーストラリアの穀倉地帯はサイクロンの直撃を受けて壊滅した。確保出来た食糧と水は余りにも少なく、犠牲は余りにも大きかった。アメリカに残されたのは破壊と飢餓、そして周囲の国からの敵意だけだった。

 

 戦勝をアピールするのに躍起の政府とは対照的に、国内の雰囲気は一様に暗かった。頻発するデモと暴動、深刻な配給の遅延、そして日に日に増え続ける膨大な失業者と餓死者の群れ。戦争の結果が露わになるに連れて民衆の不満は高まり続け、国内には不穏な空気が醸成されていく。そこから民衆の不満が爆発するまでに、そう時間は掛からなかった。

 

 2023年1月20日、首都ダラスで行われていた戦勝パレードの最中、政府に抗議するデモ隊と警察隊が衝突。当局がこれに発砲したことから瞬く間に大暴動へと発展し、多数の死傷者が出る流血の事態となる。首都の騒乱は国内各地にも飛び火し、北部連邦出身者で占められた現政権に対する不満や、内戦以来燻り続けていた各州間の対立なども絡んで歯止めなく拡大を続けた。
 アメリカ政府が全土に戒厳令を敷き、国内の緊張が頂点に達した時、事件は起こった。北部の一極支配に不満を募らせていた南部諸州が南部盟邦を復活させ、連邦政府からの離脱を宣言したのである。

 

 内戦における軍事的勝利を背景とした北部の支配は決して盤石なものではなかった。寒冷化した北部の住民をより温暖な南部へと移住させたことに始まる数々の強引な政策は、必然的に北部住民と南部住民の対立を生み、国内に深刻な分断を引き起こしていたのである。

 それらを力で抑えてつけていたのがこれまでの北部の支配だったわけだが、度重なる海外侵攻が不首尾に終わったことは、その権力の正統性に重大な疑念を生じさせずにはおかなかったのである。

 

 北部を中心とするアメリカ政府は南部の独立を認めず、すぐさま南部諸州に侵攻するが、連邦軍はこの一年余りの連戦で疲弊していることもあり、その動きは鈍かった。また、西部諸州をはじめとして南部に対して同情的な州も少なくなく、その足並みには乱れが生じていた。

 一方、再編された南部盟邦軍の士気は旺盛であり、正規軍以外にも多数の民兵組織を戦列に加えてその規模は膨らみ続けた。南部盟邦はミシシッピー川を防衛線として激しい抵抗を続け、北部軍(北部諸州は生活基盤を南西部諸州に移していたため、実際には南西部から攻勢を掛けていたが)に対して徹底抗戦の構えを取る。

 

 思わぬ苦戦に業を煮やしたアメリカ政府は、南米沖に展開していた第2艦隊で南部諸州の海上封鎖を図る。更に、同盟を組むイギリスにも支援を要請し、イギリス海軍の空母機動部隊が急遽カリブ海に向かう。

 一方、南部盟邦側はキューバ中南米諸国と同盟を締結。更に、PEUに支援を要請してイギリスの動きを牽制するよう依頼するが、PEU側は先のカイロ合意*14を盾にこれを断った。この時点でPEUは無政府状態となったロシアと中東における紛争の処理に忙殺されており、アメリカの内戦に介入する余力は到底なかったのである。

 

 もっとも、それはあくまでも表向きだけで、実際には両者は裏で軍事同盟を締結し、北部に対抗することを確認していた。食糧不足に悩むのは何もアメリカだけではなかった。寒冷化の影響もあってPEU域内でも飢餓は深刻化しており、早急な食糧確保が急務だった。PEUとしてはアメリカが動けない間に中東・アフリカ地域に進出し、その資源や市場を確保したいという思惑があり、そのためにはアメリカが分裂したままでいる方が都合が良かったのである。

 

 こうした背景もあり、PEUは密かにアメリカに部隊を送り込むことを画策。PEU軍の多国籍空中機動師団に所属するドイツ陸軍の第26降下猟兵旅団と第31降下猟兵旅団の降下猟兵大隊がこの任に選ばれ、南米を経由してアメリカ国内に入った(表向きには不介入のため、国籍マークを消していた)。

 更に、西部でも南部盟邦と同盟を結んだメキシコ・SAU軍が混乱に乗じてニューメキシコ州に侵攻。先に米軍に占領されていた地域を奪還するべく、アメリカ人居留地に攻撃を仕掛けた。

 南部盟邦もこれに呼応するかのようにルイジアナ州で攻勢を仕掛け、メキシコ軍の動きを支援するためにドイツ軍の第31降下猟兵旅団の降下猟兵大隊を派遣。更に、北部側に揺さぶりをかけるため、寒冷化により人口が減少したニューヨークにドイツ軍の第26降下猟兵旅団を送り込む。

 ロシア製のIl76輸送機に搭載された同隊は、南部盟邦空軍の航空機に護衛されつつニューヨーク上空で空挺降下。国籍マークを消した二十数機のヤークトパンターとヤークトパンターⅢが、超高層ビルの間を潜り抜けて雪に埋もれたマンハッタン島へと降り立った。

 一方、ドイツ側の動きを察知したイギリスも第16空中強襲旅団をニューヨークに送りこみ、北部側の支援に動く。イギリス軍のC‐17に輸送され、空中から降下するVW‐1。摩天楼聳え立つマンハッタン島を舞台に、ドイツ軍とイギリス軍の激闘はいつ果てるともなく続いた。

 

 更に、再度のアメリカ分裂によって出来た軍事的空白の隙を突くようにして、世界各地で対立の火種が一挙に燃え上がり始める。中越国境では三度ベトナム軍が中国南部に侵攻し、再編された中国軍と激突。カシミール地方ではインドとパキスタンが大規模な軍事衝突を起こし、核戦争一歩手前まで事態がエスカレート。中東でもイラン・イラク間の戦争が再開され、ペルシャ海が封鎖されて世界経済は危機的状況に陥る。更に、世界的規模の飢餓からアフリカ大陸でも地域紛争が頻発し、世界情勢は危機的状況を迎えた。

 

 戦火が世界的規模で拡大する中、日本政府はその方針を決めかねたまま、曖昧な立場を続けていた。食糧危機解決のためにAPCを裏切ってアメリカ政府と同盟を締結したは良いものの、アメリカ政府は約束の食糧援助を反故にし、日本政府に対して支援と更なる兵力の供出を求めて来たのである。

 すでに国内が危機的状況にあることもあり、これ以上の戦争継続は出来れば避けたいというのが日本政府の本音であった。が、これまでの場当たり的な外交が祟ってアジア諸国との関係が悪化していたこともあり、アメリカの要請を断るわけにはいかなかった。

 

 日本政府はやむなく北部への加担を決め、北海道・帯広で再編された第501機動対戦車中隊の派遣を決定するが、先の戦いにおける日本政府の裏切りもあり(結果的に海外展開していた日本外人部隊を壊滅に追い込んだ)、隊員達の士気は一向に上がらなかった。使い捨ての駒にされることには慣れていたが、駒には駒のプライドがある。

 同隊を乗せたC‐17グローブマスターⅢの編隊が日付変更線を通過し、アメリカ近海に接近したところで変事は起こった。内戦の長期化を恐れた北部連邦が閉鎖されていたアラスカの旧戦略ミサイル基地を再稼働させ、核兵器の使用を示唆。南部盟邦の首都ヒューストンを標的として降伏を迫ったのである。

 

 第501機動対戦車中隊はこの報を受け、独自の判断で航路を変更。同隊と彼らを搭載したC‐17の編隊は機首を北に向け、アラスカの旧戦略ミサイル基地に向かう。随行していた航空自衛隊の護衛機も無言でこれに続く。

 アラスカ上空に達するや、C‐17の後部ハッチから自由落下で次々に空挺降下していくHIGH‐MACS部隊。厚い雲の下に降下した彼らを待ち受けていたのは、見渡す限りの凍土とその表面を吹き荒れる猛烈な吹雪だった。

 隊員達は眼下に広がる光景を見て息を飲んだ。温暖化が叫ばれた前世紀から一転、海面までが厚い氷に包まれ、生命の気配すら感じさせない氷の世界。風は生物の存在を拒否するかのように強く、冷たく地上を吹き荒れていた。それはいずれこの地表の全てを覆い尽くす光景なのだろうか。

 

 世界はすでに終わろうとしているのかも知れない。この世界の行く末も、彼らの未来も、ホワイトアウトした視界と同じように先を見通すことは出来ない。

 しかし、彼らには自分達がなすべきことが分かっていた。帰る国も、仕える国も失った彼らに残されたのは、ただ一つ戦うことだけなのだと。

 

 隊員達がコックピット内の操縦桿を握り締め、フットペダルを強く踏み込むと、16機のHIGH‐MACSはその翼を広げ、目にも止まらぬ速さで白い嵐の中へと消えていった。目指すは北部連邦軍の強力な守備隊が待ち受ける、旧戦略ミサイル基地。アフターバーナーの生み出す青い炎の如く、炎の塊となった彼らを止められる者は誰もいなかった。

 

 こうして日本外人部隊、最後の戦いが始まったのである。     了

 

 

 

 

 

 脚注

*1:アメリカが戦後に開発を進めていた新型兵器で、歩行形態と車両形態への変形機構を兼ね備えた、第三世代型AWGSとも目される存在。本作戦において投入された機体は米軍主導のトライアルにおいて勝利した多脚型のVV-1キマイラだが、より軽量なMDM社製の二脚型も存在した。

*2:アメリカが戦後に開発した四脚型AWGS。元々は2010年に行われた米軍のAWGS計画のトライアルに参加した機体だったが、敗北。しかし、その完成度の高さから開発が続けられ、後に自律型AIによる無人機のテストベッドとして再び脚光を浴びた。武装は30㎜ガトリング砲とATMだが、他の武装も選択出来る。無人機としては大型の部類である。

*3:イギリスが戦後に開発した二脚型AWGS。M16をベースにガスタービン・エンジンを搭載し、限定的な三次元能力を獲得することに成功している。

*4:イギリスが戦後にアメリカから取得。

*5:前大戦におけるイギリスの裏切りもあり、PEU諸国はイギリス支援に消極的であった。

*6:アメリカ軍ではイギリス製ハイランダーをM14として制式採用している。

*7:長らく後継機計画の持ち上がらなかったVW‐1の正統な後継機で、正式名称はHIGH‐MACSⅣ。前大戦で鹵獲した日本の12式改に衝撃を受けたアメリカが密かに開発を進めていたもので、12式改同様に重装化を推し進めた機体となっている。そのフォルムも12式改に良く似ており、VW‐1に比べて胸部や脚部、滑空翼が大型化しているが、軽量な新素材を使うことで重量増加を抑えつつ12式改以上の防御力を実現している。装甲の形状もステルス性を考慮したより電波を反射しにくいものに変更されており、その装甲表面にコーティングされた電波吸収材と合わさることで高いステルス性を獲得するに至った。エンジンも12式改の採用しているF400系のジェット・エンジンに改良を施したより高性能なエンジンに換装されており、高い空中機動性を確保する一方、素早い加速を可能とすることで地上での機動力も大幅に向上することとなった。また、最新型のFCSによって16式並みに多彩な武装を扱える他、射撃能力も30%ほど向上しているなど、カタログスペックではあらゆる面で12式改を上回る性能を誇っている。12式改以上の高コストと燃費の悪さが玉に瑕だが、HIGH‐MACSシリーズの中でも最強の機体の一つであると考えられている。

*8:ガングリフォン』に登場する架空の空母。先の大戦海上自衛隊の通常型潜水艦ふゆしおに撃沈された。本稿で登場する艦は撃沈されたユナイテッド・ステーツの名前を継承した新造艦という設定とした。

*9:本稿オリジナルの架空空母で、所属は第5艦隊。本稿は「海外に展開しているアメリカ軍の戦力は内戦勃発と共に一端本国に引き上げたのではないか?」という推測に立ってストーリーを組み立てているため、パール・ハーバーには第7艦隊以外の空母、艦艇も存在するものとした。これについてはまた後述する。

*10:現実の第5艦隊は中東地域を担当海域としているが、『ガングリフォン』の世界ではアメリカが2008年にモンロー主義を掲げて国際社会から離脱して以降、あらゆる海外兵力を本国に引き上げていると考えられる(これに関して原作に明確な説明はない)。また、『ブレイズ』の舞台となる2016年以降の世界では再びアメリカ軍が海外に駐留し、その基地も海外にある描写があるが(『ブレイズ』の説明書の年表に「フィリピン・クラーク基地」という文言がある)、アメリカ内戦によって再び兵力を本国に引き上げた可能性もあると考えられるので、本稿ではこの想定に基づいて描写をしている。ちなみに、アメリカ内戦勃発時には海外の米軍が本国に引き上げていない可能性もあるため(その可能性は強い)、その場合はこの仮想戦記自体が成り立たなくなるのだが、『ブレイズ』以降の設定には不明な部分も多いため、疑問点に関しては読者がその都度脳内補完して読んで頂けたら幸いだ。

*11:日本が開発した第二世代型AWGSで、正式名称はHIGH‐MACSV。各国が続々と独自の新型第二世代型AWGSを実戦投入する中、MDM社と防衛庁技術研究本部がその技術的優位を保つために急ピッチで開発を進めていた。最大の特徴はAIやVRといった最先端技術の導入で、パイロットの負担軽減とより効率的な操縦性を実現している。従来のHIGH‐MACSシリーズと互換性を持たせているため、16式の武装とほぼ同じものが扱える他、新開発の新型弾頭などにも対応している。オーストラリアに派遣された時点ではまだ試験段階であり、完成度が低い状況だった。

*12:アメリカが開発した第三世代AWGS。史上初のV‐MACSであるキマイラをベースに、重量効率の問題から来る武装や装甲の弱さを補った強化改良型。主武装は105㎜滑腔砲で、副武装として30㎜ガトリング砲とATMを装備出来る。

*13:中国が戦後に開発した小型の無人AWGSで、中東の戦いで鹵獲したイスラエル製ピッドヴァイパーをデッドコピーした機体。自律型AIで機体を制御する点や自爆用の爆弾を搭載している点はオリジナルと同様だが、技術の遅れから性能不足も目立つ。

*14:2021年11月12日にAPC、PEU、OAU間で結ばれた和平合意。三者間の紛争を未然に防止し、緊張緩和を図ることを目的としていたが、合衆国の統一を受けて瞬く間に形骸化した。